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投票日前日。
昼休み終了後、全校生徒は体育館に集められた。生徒会長立候補者による最後の演説が、全校集会にて行われるからである。授業がなくなったことは喜ばしいことだが、かと言って、小難しい話を拝聴するのもかったるいことだと、大半の生徒たちがうんざり顔だった。
その一方で、各立候補者の陣営は真剣そのものだった。泣いても笑ってもこれが最後。あとは明日の投開票を待つだけだ。持ち時間五分の限られた時間で全生徒に訴えかけなければいけない。
登壇の順番は、氏名のあいうえお順だった。つまり、嵯峨サトル、仙月アキト、待田沙也加の順だ。
ところがステージ下でスタンバイしているのは、なぜかサトルと沙也加だけ。アキトの姿はなかった。
「アキト、どうしたんだろう?」
他の生徒たちと整列しながら、つかさは心配そうに何度も体育館の入口とステージに視線を往復させた。隣にいる薫が眉間にしわを寄せる。
「どっかで昼寝でもして、全校集会のこと忘れてるんじゃないの? だいたい、つかさが心配する必要はないじゃない。これで待田先輩のライバルが一人減るわけだし。まあ、先輩のライバルを名乗るのもおこがましいけど」
「で、でも……」
そうは言われても、つかさは放っておけなかった。午前中まで教室にいたアキトが、全校集会を忘れているとは思えない。つい何かあったのでは、と思ってしまう。何しろ、彼はいつでもトラブルを呼び込む。たとえ、本人が意図していなくても。
そうしている間にも、全校集会は始まろうとしていた。司会進行を務めるのは、前代未聞のリコールをされた現生徒会長、伊達修造である。ステージ下の下手に設置されたスタンドマイクに近づく。
「えー、これより臨時の全校集会を開催します。では早速、一年B組、嵯峨サトルくんから」
「はい」
スッとサトルが立ちあがった。すると多くの女子生徒が、サトルを見ようとざわざわし始める。サトルは何事もないような様子で、ステージ上の演壇まで歩いた。
とうとう始まってしまった。つかさは居ても立ってもいられなくなる。
「ボク、やっぱり心配だよ。捜してくる」
「ちょっと、つかさ!」
薫が止めようとするのも聞かず、つかさは整列から抜け出して、体育館の外へ出た。
とりあえず、アキトが昼休みに行きそうなのは屋上くらいか。つかさは校舎へと向かった。
屋上への階段を登っていると、どういうわけか全校集会に参加していない二人の男子生徒とすれ違った。どちらも上級生だ。
「あっ、キミ」
「は?」
つかさは上級生のひとりに呼び止められた。
「つかぬことを尋ねるが、校内で大きなカメを見かけなかったか?」
「カメ?」
「ああ、これくらいのワニガメというヤツなんだが。名前は“パックン”という。どうやら昨日の夕方から今日の昼にかけていなくなったらしい」
その上級生が手で示した大きさは、まるでウミガメかと思った。
「先輩、ワニガメの名前を言ってもしょうがないでしょ」
もう一人の上級生がつかさに声をかけた男子生徒にツッコミを入れた。二人は生物部の部員、波多と富良野だ。多分、ほとんどの読者には忘れられているに違いない(「WILD BLOOD」第12話参照のこと)。
波多はクシャクシャと髪をかきむしった。
「ああ、この前、あんな事件があったばかりだというのに、また脱走とは! 先生方に知れたら、今度こそ飼育禁止にされてしまう!」
「だから、最初から無謀なんですよ! あんな凶暴なワニガメを学校で飼育すること自体が!」
「――とにかく、見かけたらすぐに知らせてくれたまえ。生物部の波多と富良野だ」
「はあ」
「よし、今度は向こうを捜すぞ!」
「ええっ!? まだ捜すんですかぁ!?」
波多の執念に、富良野は根負け気味だった。
つかさはぽかんと口を開けていたが、それよりもアキトだと思い出し、再び階段を登り始めた。
その頃、アキトは女子更衣室の前にいた。ここはアキトが蜂子の制服を切り刻んだ場所だ。そこへアキトは呼び出されていた。相手は誰あろう蜂子である。
「おい、もっと過激なセーラー服が完成したって本当か? 早くしねえと、全校集会が終わっちまうんだが」
アキトは女子更衣室に向かって呼びかけたが返事はなかった。何気なく、ドアノブを握る。鍵は開いていた。
「おい」
ガタガタッとロッカーを揺するような音がした。どうやら、誰かいるらしい。アキトは女子更衣室であることをまったく意に介さず、中に踏み込んだ。
一台のロッカーが、まるで生命でも得たかのようにガタガタと動いていた。中に誰かいるのかと、アキトは訝る。ロッカーの扉に手を伸ばしかけた。
がん!
その瞬間、ロッカーの扉が吹き飛び、中からは得体のしれない物体が飛び出した。アキトは反射神経よく、それらをかわす。そして、ギョッと目を丸くした。
最初、それは大蛇かと見間違えた。太く長い物体が女子更衣室を横切る。その先端にあるのは頭だ。それも、いかにも凶暴な面構えをした爬虫類系の。
扉が吹き飛んだロッカーの中から、続いて異様な怪物が現われた。それはまるで特撮映画に出てくる大怪獣ガメラ。ただし、首がろくろ首のように伸び縮みが自由なガメラがいればの話だが。
「ハッハッハッ! 仙月アキト、驚いたか!」
女子更衣室に男の声が響いた。どうやら、どこぞに仕掛けられたスピーカーから聞こえてくるようだ。耳障りなノイズが混ざっている。
「誰だ!?」
アキトは床の上で仰向けになりながら、正体不明の敵を捜した。
「余は《悪魔大使》! この学園を支配しようとする者だ!」
「ああっ?」
いきなりの名乗りに、アキトは訳が分からなかった。
「どうやら貴様は、余の野望に邪魔な存在のようだ! 早々に抹殺してくれる!」
「何だ、そりゃあ? どっきりカメラみたいなものか!? それとも自主映画のゲリラ撮影とか!?」
「なんとでもほざけ! 貴様はこの怪人第二号《ワニガメ童子》の餌食となるのだ!」
言うまでもなく、《ワニガメ童子》の素材は生物部より盗まれたワニガメの“パックン”であった。てっとり早く入手できそうな素材として、《悪魔大使》が選んだのである。それにしても、第一号がアリゲーターで、第二号がワニガメとは、あまり怪人の変わり映えがしない。
ガメラに似た《ワニガメ童子》は首を元通りに戻すと、ぎこちない二足歩行でアキトへ近づいた。アキトは仰向けのまま出口へ撤退を図る。
その刹那、にゅるるんと《ワニガメ童子》の首が再び伸びた。時速百五十キロくらいはあろうか。凶暴な口が、ガバッと開けられた。
「どひーっ!」
アキトはとっさに開脚した。その股の間に《ワニガメ童子》の頭が突っ込む。床に穴が開き、露わになったコンクリートが噛み砕かれた。さすがはワニガメ。その顎の力は改造手術の賜物もあって強力だ。アキトは青ざめた。
「冗談じゃねえ!」
アキトは仰向けの姿勢のまま、ガサゴソとゴキブリのように逃げだした。幸い、《ワニガメ童子》の足は遅い。アキトは命からがら、廊下へと出た。
獲物に逃亡を図られた《ワニガメ童子》は、頭部、両腕、両脚をその内部に引っ込めた。丸くなると、まるでタイヤのように転がり始める。変形した《ワニガメ童子》はアキトを追って外に飛び出した。
「なんだとぉ!?」
《ワニガメ童子》のアクティブ形態<モード>を目にしたアキトは、のろまなカメのイメージを払拭した。ゴツゴツとした甲羅の塊が回転しながらアキトに向ってくる。アキトは立ち上がって、廊下を走った。
「うわああああああああっ!」
アキトは脱兎のごとく駆けた。すぐ後ろにまで《ワニガメ童子》が迫る。ぶつかる寸前、アキトは廊下を曲がった。
急な方向転換は《ワニガメ童子》の苦手とするところらしい。回転した《ワニガメ童子》は、そのまま廊下の壁に激突した。その衝撃のすさまじさを物語るかのように、《ワニガメ童子》が壁の中にめり込む。
束の間、ホッと息をつくアキト。しかし、それは甘かった。
《ワニガメ童子》は手足を出し、めり込んだ壁の中から出てきた。まったく堪えていない様子だ。またしてもアクティブ形態<モード>に変形し、アキトの追跡を再開させた。
「チクショウ! あくまでもオレを噛み殺すつもりか!」
アキトは逃げ回りながら、この凶悪な怪人を斃す方法を考えていた。あの硬そうな甲羅を見る限り、なかなか防御力は高そうだ。ひょっとすると、バズーカをぶちこんでも通用しないかもしれない。――もちろん、そんな武器が学校に転がっているはずもないが。
背後に《ワニガメ童子》が肉迫した。このままだと轢き殺される。
アキトは階段を駆け上った。階段に激突した《ワニガメ童子》は大きく弾みながら、アキトを押し潰そうとする。その瞬間、アキトはくるりと振り返った。
「こっちへ来るなぁ!」
アキトは《ワニガメ童子》を蹴り飛ばした。普通の人間なら、到底、無理な芸当だったろう。アキトの方が吹き飛ばされていたはずだ。その正体が吸血鬼<ヴァンパイア>であるからこそ、《ワニガメ童子》を弾き飛ばすことができた。
起死回生の蹴りを受けた《ワニガメ童子》は背中から落ちた。手足を出すが、いくらもがいても起き上がれない。あれだけ凶暴だった怪物が、とてもユーモラスに見えた。
「はっはっはっ、ザマーねえな!」
辛くも撃退に成功したアキトは、階段の踊り場で汗をぬぐった。
ところが、《ワニガメ童子》はこれで終わらなかった。じたばたしているうちに、頭がアキトの方を向くや、再び首を長く伸ばした。
「げっ!」
素早くよけたアキトであったが、ここからがさらに驚愕すべきところだった。なんと《ワニガメ童子》は、踊り場に深く首を突っ込むと、そこを支点として重そうな本体を引き寄せたのである。階段を登れそうもなかった《ワニガメ童子》が、一瞬にしてアキトと同じ高さに立った。
「んなのありかよぉぉぉぉぉっ!」
アキトの絶叫がもぬけの殻になった校舎に響き渡った。
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