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「お〜い、パックン。どこに行った〜?」
波多六梧郎<はた・むつごろう>と富良野将則<ふらの・まさのり>の二人は、生物部の部室である理科準備室より消えたワニガメのパックンを捜して、まだ校舎の中をうろついていた。
体育館では全校集会が行われているというのに、生物部の部長である波多はまったく顧みない。もう何度も通ったはずの階段をまた登っている。それに付き合わされている富良野はうんざりとした顔つきだった。
「先輩、もうあきらめましょうよ」
昼に弁当を食べようとしていたところを強引に連れ出された富良野は、いい加減、空腹を通り越してしまっていた。どうして自分がワニガメ捜しを手伝わされなくてはならないのか理不尽さを覚える。確かに、生物部へは強引に入部させられたが、その実態は波多が自分の家で飼えなくなったゲテモノ生物を学校に持ち込んでいるだけ。つまり生物部を完全に私物化しているのであって、そこに富良野の存在意義はない。強いて言うならば、部活動としての体裁を保つための人数合わせに過ぎないのだ。そんなことに加担しなければならない理由は、いくら波多の後輩とはいえ富良野にはなかった。
――と、まあ、頭では分かっているつもりなのに、未だズルズルと退部もせずに生物部に残っているのは、偏に波多のなんだか分らないペースに巻き込まれ、流されてしまうからだった。今だって、イヤならイヤだとハッキリ断ればいい。それがどうしてもできないでいる。富良野は自分の意志薄弱さに嘆きたくなった。
こうして逃げるタイミングを富良野が逸し続けていると、登っている階段の下から誰かが凄い勢いでやってくる気配に気づいた。
「どけどけぇ!」
必死の形相で現われたのは、まるで虎の縞模様のように黒と茶色がまだらになった髪の持ち主だった。アキトである。アキトは行く手を邪魔する波多と富良野を吹き飛ばし、さらに階上へとあがっていった。
「な、なんだぁ!?」
階段であるはずなのに、まるで平地を疾走しているようなスピードに富良野は目を回しそうになった。しかし、もっと驚くものを見たのは、そのあとだ。
黒く異様な物体が富良野の視界を横切った。それは次の刹那、トレーラーのタイヤくらいありそうな、より大きな物体を引っ張るようにして、あっという間に上へと行ってしまう。それが何なのか確認する暇もなかった。ただ、なんとなく見憶えがあるような気がする。――いや、考えまい、と富良野は心当たりを打ち消した。
同じようにアキトとそれを追いかけるものを目撃した波多は、呆けた顔で階段の上を見上げた。
「お、おい、見たか……?」
「見てません、見てません! 天地神明に誓って、何も見ていません!」
富良野は全力で否定した。ところが波多は都合よく、後輩の言葉を聞いていない。
「あれ、パックンだったよな……?」
やっぱり見ていたか。富良野は舌打ちしそうになったが、あくまで白を切ろうと思った。
「そんな、あれがパックンなわけないじゃないですか。パックンの首があんなに伸びますか? 大きさだってパックンよりも大きかったですよ! そんな一日や二日で巨大化するなんて、んなバカな!」
語るに落ちるとは、まさにこのこと。しっかり見ていたんじゃないか(苦笑)。
波多はまるで自分を納得させるようにうなずいた。
「うん、確かにそれ以外の特徴はパックンだった……」
何やら確信したような様子。波多がそうだと思えば、それまでなのだ。富良野は自分の努力がいかにムダか思い知った。
「よし、追うぞ!」
首が伸びていたり、巨大化していたりしても関係ないのか、波多は富良野を促した。その目は嬉々として輝いている。
うなだれつつも、またしてもイヤと言えない富良野であった。
つかさはアキトを捜しに屋上まで来ていた。
「アキトーっ!」
しかし、名前を呼ぶまでもなく、屋上に誰もいないのは一目瞭然。仕方なく、つかさは別のところを捜そうと戻りかけた。
そのとき、つかさが登ってきた南階段とは反対側の北階段出口より、捜していたアキト本人がまろび出た。つかさはホッとする。アキトに声をかけようとした。
「アキ――」
次の瞬間、北階段出口より異様な形をしたものが出現し、つかさは声を失った。それはクビナガリュウのような巨大なカメ。しかも人間のように二足歩行で立ちあがっている。
突如現れた怪物と、それに追われているらしきアキトを見て、つかさは何が起こっているのか、瞬時には理解できなかった。いくらアキトと知り合って以来、奇妙な事件に幾度となく巻き込まれているとはいえ、ここまで化け物じみたものが学校に現れるのは、木暮春紀の心の闇が作り出した怪物以来のことだ(「WILD BLOOD」第4話、第5話参照)。あの事件でさえ、今では悪夢か何かだったのではないかと思いたくなる。
しかし、目の前の怪物は現実だった。クビナガリュウとカメの合いの子――《ワニガメ童子》は、首を変幻自在に動かしてアキトに襲いかかる。アキトはそれを必死に避けた。
「あひぃぃぃぃぃっ!」
「アキト!」
《ワニガメ童子》への恐怖心よりも、アキトを救わなければという麗しき友情が勝った。つかさは助走をつけ、《ワニガメ童子》に向って跳躍する。
「やあっ!」
人間以外になら思う存分に力を発揮できるつかさは、祖父から学んだ古武道を使い、《ワニガメ童子》の側頭部に蹴打を放った。
バキッ!
女の子みたいな小柄な体のどこにそんな力が秘められているのか、《ワニガメ童子》の頭部は弾き飛ばされ、首は屋上のフェンスに叩きつけられた。その勢いで、おぼつかない足取りの胴体もバランスを崩す。やはり《ワニガメ童子》の弱点は、二足歩行にあった。
「アキト、大丈夫!?」
「つかさぁ!」
危ういところを助けられ、アキトは涙がチョチョ切れそうになった。いきなり抱きつく。
「うわぁーん、怖かったよぉ!」
「ちょ、ちょっと、アキトってば!」
身動きが取れなくなったつかさは、アキトの腕の中でもがいた。アキトはチュウまで迫る勢いだ。
その間に、《ワニガメ童子》はからまったフェンスから首を引き抜き、体勢を立て直した。アキトとつかさを感情のない爬虫類の目がねめつける。
つかさは攻撃の気配を察知した。
「来る――!」
つかさは身構えようとした。ところがアキトが離そうとしない。
「わっ、アキト! 来るよ!」
《ワニガメ童子》は手足と頭部を鎧われた甲羅の中に収納し、アクティブ形態<モード>になった。そして、円盤のように回転して、アキトとつかさに襲いかかる。
「危ない! 危ないってば!」
焦るつかさ。
次の刹那、アキトはつかさを抱きしめたまま跳んだ。そのすぐ脇を《ワニガメ童子》の甲羅がかすめる。間一髪のタイミングだった。
二人はもつれ合うようにして屋上を転がった。アキトは相変わらず、つかさの唇を求めている。
「つかさ、どうせ死ぬなら、お前と一緒に……」
「離れてってば、バカ!」
近づいてくるアキトの顔をつかさは容赦なくむぎゅっと押しやった。
そんなバカなことをしている間に、体当たりをかわされた《ワニガメ童子》がUターンして戻ってきた。さらに加速がついている。
「よっと!」
アキトはようやくつかさを解放した。お互いに側転し、立ち上がる。その間を《ワニガメ童子》が猛スピードで通過した。
「慣れてくれば大したことはねえ! ヤツの攻撃は突進と咬みつきだけだ!」
これまでの傾向を分析したアキトが堂々と言い切った。その割には手こずっていたように見えたが。
「それで、どうやって退治するの?」
「それは……」
そこまでは考えていないアキトであった。
《ワニガメ童子》は攻め手を緩めなかった。あくまでもアキトを狙って突っ込んでくる。
「アキト!」
アクティブ形態<モード>の《ワニガメ童子》に対し、つかさは手も足も出せなかった。今、仕掛けても、素手では走っている車に挑むようなものだ。
それはアキトも同様なのか、追い詰められたような表情で後ずさった。しかし、すぐに背中はフェンスへ。これ以上、下がりようがない。
ついに《ワニガメ童子》がアキトをペシャンコにしてしまうのか――
眼前まで《ワニガメ童子》が迫った瞬間、アキトは身を投げ出すようにして右に跳躍した。《ワニガメ童子》に急ブレーキはない。そのままフェンスを突き破った。
「どうだ!」
アキトのガッツポーズ。
《ワニガメ童子》は為す術なく落下した。つかさもフェンス際へ駆け寄る。
「これでヤツも終わりだろう」
「いや、まずいよ、アキト!」
「ん?」
改めて《ワニガメ童子》が落ちる先を見て、アキトは目を瞠った。そこは全校集会が開かれている体育館の屋根の上だった。
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