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まるで爆弾が投下されたみたいだった。
ちょうど嵯峨サトルが最後の演説を終えた直後である。おもむろに体育館を揺るがす大音響がしたかと思うと、あろうことか天井の一部が崩れ、何かが板張りの床を突き破るように落下。生徒たちは悲鳴をあげた。
「全員、体育館から避難してください! 冷静に! 慌てないで!」
スタンドマイクの近くにいた伊達がパニックに陥る生徒に指示を出した。さすがは元生徒会長。判断力は的確だ。
教職員も避難誘導に動いた。普段は締め切りの出口を解放し、外への逃げ道を作る。と同時に、ケガ人はいないか呼びかけた。
沙也加も行動した。教職員たちと一緒になって生徒たちを見て回る。そして、転んで足首をくじいた下級生に肩を貸し、体育館から離れた。
しかしながら、生徒たちの中にはこういう状況にもかかわらず好奇心旺盛な者も少なからずいた。突如として体育館を直撃した物体の正体を見極めようと、大きな落とし穴のような陥没箇所を囲むようにして近づく。怖いもの見たさというヤツだ。
「危ないから近づかないで!」
伊達はマイクに向かって叫んだが、それに従う者はいなかった。恐る恐る、穴の中を覗きこむ。
「何だぁ? 隕石か?」
「よく見えねえよ」
「わっ! バカ、押すなって!」
「おい、オレにも見せろ」
体育館に作られた穴は、まるで噴火口のように煙が立ち、その中を確認することは難しかった。
「新聞部や! ちょっとどいてくれへんか!」
こういう事件になるとしゃしゃり出てくるのが寧音だ。人混みをかき分け、穴の淵に立つ。すかさずカメラを構えた。
「何や何やぁ? 米軍機の機体部品でも落ちてきたんかいな?」
寧音はシャッターを切ろうとした。
その瞬間、暗い穴の中で何かが動く気配があった。
「――っ!?」
穴より這いあがってくるもの――それは一匹の巨大なワニガメだった。人間くらいの大きさがある。凶暴そうな爬虫類の出現に、群衆の輪は慌てたように大きくなった。
「危険です! 離れて!」
もう一度、伊達が声を張り上げた。何が起こっているか、実際には伊達の位置から見ることはできないが、野次馬たちの動揺は伝わってくる。悪い予感がしたのは確かだ。
そして、それは間違いなかった。
校舎屋上より転落した《ワニガメ童子》は、その頑丈な甲羅のおかげなのか、まったくダメージを受けていないようだった。穴の淵まで這いあがってくると、目標であるアキトの姿を捜す。その仕種が愚かな生徒たちを震え上がらせた。
「ええで、ええで! こっち向いてや!」
まったく無頓着なのは寧音くらいのものだ。《ワニガメ童子》がこちらを向いた瞬間を狙ってシャッターを押す。
パシャッ! パシャッ!
カメラのフラッシュに《ワニガメ童子》は目がくらんだ。それとともに攻撃本能にスイッチが入る。狙いは寧音。
そのとき、天井に開けられた穴から人間が飛び降りてきた。
「でえええええええいっ!」
それは言うまでもなくアキトであった。落ちた《ワニガメ童子》を追い、一旦、屋上から体育館の屋根にジャンプし、そこから中に入り込んだのである。もちろん、常人ができる芸当ではない。
天井から飛び降りたアキトは、そのまま《ワニガメ童子》にライダーキックもかくやという一撃を浴びせた。今まさに寧音へ襲いかかろうとしていた《ワニガメ童子》は、まともにアキトの攻撃を受ける。重いボディのせいもあって、再び床下の穴へ逆戻りした。
「うわったぁーっ!」
着地をとちったアキトは、体育館の床に転がって足を押さえた。なんという硬さであろうか。背中の甲羅ではなく、比較的弱いと思われる腹部を蹴ったのだが、それでも右足を痛める結果になった。
そこへ薫が駆け寄ってきた。天井から飛び降りてきたのがアキトだと分かり、目を丸くする。
「アンタ、何やってんの!?」
「ご挨拶だな。これでも次期生徒会長として、生徒たちの安全を守ってやろうと――」
「誰が次期生徒会長よ!」
「このオレだ! 悪いか!」
時と場所を選ばず、顔を合わせれば、すぐにケンカだ。アキトと薫は火花を散らした。
だが、いつまでも夫婦漫才を披露しているわけにはいかなかった。《ワニガメ童子》は不死身の怪人だ。
穴の中より《ワニガメ童子》の首が人間をも丸呑みにするアナコンダのように襲いかかった。その驚愕の光景に、至極真っ当な生徒たちはパニックを起こす。化け物だ、と一目散に逃げ出した。
「ヤベェ!」
「キャッ!」
アキトは口論に夢中で一人気づかなかった薫を押し倒すようにして《ワニガメ童子》の攻撃から逃れた。体育館の床に新たな穴が開く。
「す、す、スクープやあ!」
素晴らしきかなマスコミ根性。寧音は恐怖心などどこへやら、こんなチャンスは二度とないとばかりに、その場に踏みとどまって《ワニガメ童子》を写真に収めた。またしても浴びせられたフラッシュに、《ワニガメ童子》は猛り狂う。伸ばした首をムチのようにしならせ、寧音の手元を弾いた。そのはずみでカメラが宙を飛ぶ。
「ああっ!? ウチのカメラ!」
寧音は絶叫した。命よりも大事なカメラである。落ちるなと念じるように手を伸ばした。
「よっと!」
それを空中キャッチしたのは、寧音と同じクラスの晶だった。両手で大事そうに抱えて着地すると、寧音に笑みを向ける。そんな晶に滂沱の涙を流しながら寧音が抱きついた。
「おおきに、晶はん! さすがは女子バスケット・ボール部のホープや!」
「お世辞はいいから、ここから逃げるよ! あの化け物、相当、ヤバそうだ!」
晶はカメラを握ったまま言った。寧音に返したら、避難なんてしやしないだろう。
「――ほら、ありすも行くよ!」
隣でぼーっとしている少女を晶は促した。しかし、まるでありすは状況を把握していないみたいで、
「すごーい! あのカメさん、お首がキリンさんみたーい!」
などと無邪気な感想を述べている。それゆえ、晶が手を引っ張らねばならなかった。
「もう、ありすったら! ほらほら!」
「晶ちゃん、お手々が痛ーい!」
「ああっ、待ってぇな、晶はん! ウチのカメラ〜!」
かくして、晶、ありす、寧音の三人も退場。体育館からは大半の生徒たちが避難を完了させていた。
「いったぁーっ! まったく、何をいきなり――!?」
アキトに押し倒された薫は、床に後頭部を打ったらしく、うめいた。起きあがろうとした途端、身体の上に重いものがのしかかっていることに気づく。特に胸の上で何かが蠢いている感触があった。
「ううっ、薫、大丈夫かぁ……?」
と、うわごとのように言いいながら、薫の胸にすりすりと頬ずりをしているのは、誰あろうアキトだった。薫はカッと赤くなる。
「こ、こっ、この色魔、変態、どスケベェェェェェェッ!」
薫は女の細腕ではとても信じられないような火事場のクソ力を発揮し、乗っかっていたアキトを吹き飛ばした。ふぎゃん、とまるでネコが轢き殺されたような声をあげてアキトは床に叩きつけられる。薫は顔を真っ赤にしてアキトを睨んだ。
「どさくさにまぎれて、何するのよぉ!」
「うー、痛え。それが助けてやった恩人に対する仕打ちか!」
「そうよ! 殺しても飽き足りないくらいだわ!」
「フン! そんな値打ちがあるほどの胸だとは思えねえ――」
すべてを言い終わらぬうちに、薫はおもむろに近くにあったパイプ椅子を振り上げた。凶器攻撃だ。アキトは慌てふためく。
「わっ! 待て! ウソです! お前の胸はとっても形がよくて柔らかで、ずっと頬ずりしていたかったですってば!」
火に油を注ぐとはこれなり。バカは死ななきゃ治らない。
薫はアキトに向ってパイプ椅子を投げつけた。
「うひいいいいいいっ!」
ところがパイプ椅子はアキトにぶつけられなかった。その代りに、背後にこっそりと忍び寄っていた《ワニガメ童子》を直撃する。一瞬ではあるが、《ワニガメ童子》をひるませることに成功した。
「バカ、早く立ちなさいよ!」
どうやら薫に殺されるどころか助けられたと分かり、アキトは急いで《ワニガメ童子》から間合いを取った。素早く身構える。
《ワニガメ童子》は相変わらずよたよたとした足取りでアキトに近づいた。アキトは周りを見渡し、薫と同じようにパイプ椅子を手にする。素手での攻撃が通用しない以上、何かを武器にする必要があった。
そんな両者の闘いを少し離れたところから嵯峨サトルが見つめていた。まるで、興味深いとでもいうように。
「おい、キミも逃げたまえ!」
あらかた避難誘導を終えたと見て、伊達がサトルに声をかけた。肩に触れようとする手をサトルは避ける。
「逃げたかったら、お先にどうぞ。ボクのことは気にしないでください」
「しかし――!」
「行ってくださいよ、伊達先輩」
そのとき、サトルの目を見た伊達は射すくめられるような感覚を覚えた。まるで、あのときのテニス対決と同じだ。その刹那、サトルへの嫌悪がスッと消えてしまった。
「あ、ああ、分かった……それでは失礼するよ」
心ここにあらずといった様子で、伊達はその場を去った。あんなに敵視していたはずのサトルの言葉に対して、一転して従順になったかのように。
邪魔者がいなくなって、サトルは清々したようだった。改めて、アキトと《ワニガメ童子》の対決を見守る。
「この学校、本当に面白いな。これは是非とも手に入れたくなった」
サトルの独り言は誰にも聞こえなかった。
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