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WILD BLOOD

第13話 学園の支配者

−16−

 時間はわずかに巻き戻る。
 つかさは《ワニガメ童子》が屋上から体育館に落ちた直後、アキトがそれを追うように飛び降りたのを見届けた。自分も続きたかったのは山々だが、いくらなんでもアキトのような人間離れしたマネはできない。常識的に階段を使おうと、つかさは走りかけた。
 そこへ現れたのは、アキトと《ワニガメ童子》を追ってきた生物部の波多と富良野である。必死な様子で、素早く屋上を見渡す。
「パックン! どこだ、パックン!」
 波多が手塩にかけて育てたワニガメの名を呼んでも、その場にいるのはつかさだけだった。それと、どういうわけか破壊されたフェンスも。それを見つけた富良野が目を丸くした。
「なんだ、これは!?」
「いや、それは、その……」
 説明をすると面倒臭そうだと、つかさは反射的に後ずさった。できれば早く立ち去りたい。
 波多と富良野が壊れたフェンスに近づいた。何がそうさせたのだろうと、さらにその下を見る。
「おい、まさか……?」
「ここから落ちたんですかね?」
 ちょうど真下にある体育館の屋根に開いた大穴を見て、二人は同じ疑問を持った。続いて、目撃者とおぼしきつかさに顔を向ける。
「キミ、これは一体……!?」
「す、すみません! ボク、急ぐもので! それじゃあ!」
「あっ! 待ちたまえ!」
 年長者である波多に止まるよう言われたが、つかさはペコリとおじぎをすると、振り切るように南階段へと走った。今はとにかく体育館にいる生徒たちのことが心配だ。全校集会が開かれているだけに、誰かが《ワニガメ童子》の下敷きになってしまった可能性もある。何より、そこにはつかさのあこがれである沙也加がいるのだ。ケガ人が出ていないことをひたすら願った。
 足がもつれそうになりながらも一階へ降りると、ちょうど体育館から大勢の生徒が飛び出してくるところだった。多分、《ワニガメ童子》が中で暴れているに違いない。顔を見ると、皆、恐慌状態だった。
 逃げ惑う群衆はまるで濁流のようで、小さく華奢な身体のつかさがそれに逆らって体育館に向うことは至難のわざだった。むしろ、押し流されるか押し倒されてしまう危険性があり、壁にぴったりと身体を押しつけて、やりすごさねばならない。早く通り過ぎてくれと、つかさは心の中で祈った。
 ようやく人の流れが途切れた。つかさは体育館へ飛びこもうとする。そこへ逃げてきた三人の女子生徒たちとぶつかりそうになった。
「おっと!」
「うわっ! ごめんなさい!」
「ん!? お前、武藤じゃないか!?」
 つかさとぶつかりそうになった三人は、晶、ありす、寧音だった。先頭だった晶は、自分よりも身長の低いつかさがこんなところにいることに驚く。
「何してるんだ? お前も逃げろよ」
 まるで女の子みたいなつかさを見て、何をぐずぐずしているんだと晶は思った。男のくせにうじうじしているのは、何事にもさっぱりしている晶の嫌いなタイプである。一部、女子生徒からは可愛いなんて囁かれているが、そんなのは男に関係ない。
 つかさは酸素を求めるように喘いだ。
「あっ、あの、アキトは!?」
「仙月なら中だよ。まだ他にも残っているヤツがいるみたいだ」
「ありがとうございます」
「おい! どこへ行く気だ!?」
 すれ違いに中へ飛び込んで行ったつかさに晶は声をかけたが、答えは返ってこなかった。



 整然と並んでいたはずのパイプ椅子がぐちゃぐちゃに乱れた中を掻き分けながら、つかさは《ワニガメ童子》と対峙しているアキトに近寄った。そばには薫もいる。二人ともパイプ椅子を武器にしていた。
「アキト!」
「おう! 待ってたぜ、つかさ!」
「つかさ!? ちょっと、アンタは来なくていいわよっ!」
「そういうわけにはいかないよ! 薫こそ逃げて!」
「はあっ!? つかさのくせに生意気なこと言うんじゃないの!」
 いつも誰かの庇護を必要とするつかさがいっぱしの口を利いたので、薫は思わず反発した。祖父から古武道を習っていたとはいえ、性格が優しいつかさはそれを振るうことはできないではないか。それよりは自分の剣道の腕の方が役に立つ。薫はそう思ったのだ。
 ――だが、薫は知らない。つかさの真の実力を。
 あくまでもアキト狙いの《ワニガメ童子》は、得意の首を長く伸ばした咬みつき攻撃に出た。アキトはその横っ面を手にしていたパイプ椅子ではたく。
「バカのひとつ覚えかよ!」
 しかし、《ワニガメ童子》はしつこかった。頭を叩かれても、再度、首をもたげて、アキトに咬みつこうとする。
 ガキッ!
 《ワニガメ童子》の危険極まりない顎が、とっさに盾にしたアキトのパイプ椅子にかじりついた。フレームである金属パイプが易々と噛み砕かれる。《ワニガメ童子》の前では、まるで発砲スチロールのようなもろさだ。
 だが、アキトが狙っていたのは、この一瞬の隙であった。素早くパイプ椅子から手を離すと、伸びきった《ワニガメ童子》の首を脇で締めるようにして押さえにかかる。アキトは懸命にしがみついた。
「つかさ! こいつの硬さはハンパじゃねえ! ここはお前の発勁に頼らせてもらうぞ!」
「うん!」
 アキトの指示に、つかさはすぐさま《氣》を練り始めた。つかさの祖父が教えてくれた古武道・天智無元流の極意は、《氣》を自在に操ることにある。つかさは呼吸を整え、精神統一を図った。雑念を振り払う。ヘソのやや下にある丹田へ意識を集中させていった。
 その間も《ワニガメ童子》は大人しくしていなかった。なんとかアキトの腕を振りほどこうと狂ったようにもがく。アキトはそうはさせじと歯を食いしばった。
「は、早くしてくれ……!」
 つかさは目をつむりながら深く息を吸い込んだ。早くしたい気持ちは一緒だが、焦りは禁物である。徐々に丹田へ《氣》が充ちつつあった。
 業を煮やした薫が、少しでも援護をしようと動いた。パイプ椅子でもって《ワニガメ童子》のボディに攻撃を加える。
「このぉ! このぉ!」
「おい、バカ、離れてろ!」
 アキトは薫に忠告した。しかし、それをこの男勝りな美少女は聞き入れない。
「アンタの指示なんてゴメンよ!」
「なんだと!? オレはなあ――!」
 そのとき、これまで以上の力を《ワニガメ童子》が振り絞った。アキトの気が薫に逸れていたせいもある。わずかな隙を突かれ、アキトの足が体育館の床から浮き上がった。
 まずい、と思った刹那、《ワニガメ童子》はアキトを持ち上げたまま首を振るった。それが至近距離にいた薫を吹き飛ばす。
「キャーッ!」
「薫ぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」
 薫の悲鳴とアキトの絶叫に、つかさの集中が途切れた。思わず目を開けてしまう。
 《ワニガメ童子》は首にアキトをしがみつかせたまま暴れ狂っていた。長い首がすべてを薙ぎ払う。
 ブン、とアキトの身体がつかさの目の前に迫った。《氣》の集中を躊躇したつかさはとっさに動けず、まともにぶつかってしまう。その衝撃で小さな身体がパイプ椅子の列の中に突っ込んだ。
「つかさぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 薫に続いてつかさまでやられ、アキトは咆哮した。目一杯、《ワニガメ童子》の首を絞めあげる。しかし、逆にアキトは頭から床に叩きつけられ、とうとう《ワニガメ童子》の首から手を離してしまった。
 アキトは倒れ伏した。とうとう不死身のアキトも斃れるときが訪れたか。《ワニガメ童子》は勝ち誇ったかのように、すぐにトドメを刺さなかった。
「うっ……くっ……」
 うつぶせになったアキトは呻いた。右手に力を込め、強打した頭を持ち上げる。傷を負ったらしく、おびただしい血が流れていた。
「つかさ……」
 朦朧とする頭で、アキトはつかさの姿を捜した。散乱したパイプ椅子の中で身体を折りたたむようにして倒れているつかさを見つける。ケガの程度までは窺い知れない。
「薫……」
 次に薫を探した。薫はつかさと反対方向、体育館の壁際で倒れていた。こちらも動く気配はない。
 アキトは歯ぎしりした。
「てめえ……よくも……よくもやってくれやがったな……!」
 アキトは乱杭歯を剥き出しにして、起き上がろうとした。血は顔面を赤く染めている。それがより凄惨さを与えて、悪鬼の形相を作り出した。
「許さねえ……ぜっっってぇに許さねえゾ!」
 それはすでに吸血鬼<ヴァンパイア>の本性を現したアキトであった。幽鬼のごとく立ちあがる。全身からは触れれば火傷を負いかねないようなオーラが立ち上っていた。
 これが感情を持った相手であれば、アキトにただならぬ畏怖を抱いたであろう。しかし、《ワニガメ童子》はただ命令を実行するだけの兵器。恐怖など皆無だ。
 今度こそ息の根を止めようと、《ワニガメ童子》は首を伸ばした咬みつき攻撃を仕掛けた。すでに時速二百五十キロを超えている。この間合いでは見切れぬはず。だが――
 ガッ!
 アキトの右手がまるでハエでもつかまえるように動いた瞬間、喉元のわずか五センチ手前で《ワニガメ童子》の首をつかんでいた。どちらも普通の人間では知覚できても反応できないスピード。そういう意味では両者ともに化け物であった。
 ぐっとアキトの手が《ワニガメ童子》の首を握りつぶしていく。爬虫類特有の感情のない目より涙がこぼれた。それでもアキトは力を緩めない。
「噛みつくのはな……こっちも本業なんだよ!」
 そう言うや否や、アキトはおもむろに《ワニガメ童子》の首に噛みついた。乱杭歯を突き立て、劣化したゴムのような《ワニガメ童子》の皮膚を食い破っていく。肉が裂け、ドロッとした体液がこぼれた。
 そんな凄惨なる光景を嵯峨サトルは顔も背けずに見つめていた。アキトの狂気じみた行為にも、まったく驚いたような様子がない。ただ、蔑むように顔を少しだけしかめた。
「まったく、野蛮だねえ。醜いったらありゃしない。もうちょっとスマートに解決できないものかね」
 サトルの唇は嫌悪か、あるいは嘲りに歪んでいた。
「うああああああああああああっ!」
 再びアキトが吼えた。同時に《ワニガメ童子》の首が食いちぎられる。とうとう頭と胴体を切り離され、《ワニガメ童子》はばったりと倒れ、活動を停止した。
 アキトは食いちぎった《ワニガメ童子》の頭と首を手にしながら、肩で大きく息をした。そして、倒れているつかさと薫を振り返る。
「つかさ……薫……」
 手にしていたグロテスクな残骸を放り出すと、アキトはよろよろと歩き出した。
 その瞬間、《ワニガメ童子》は爆発した。証拠隠滅のための自爆装置だ。
 体育館の中を爆風がゴーッという唸りとともに吹き抜けた。

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