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WILD BLOOD

第13話 学園の支配者

−21−

 授業が終わったつかさは、その足で生徒会長選挙の投票所になっている武道場へ行ってみた。
「うわっ!」
 目に飛び込んできた光景に、つかさは驚きの声をあげてしまった。大勢の生徒が武道場に詰めかけている。いつもは空手部で使用している武道場だが――もっとも最近は、副主将の坂田欣時が入院中のため(その理由は、「WILD BLOOD」第5話にて)、部活は行われていないのだが――、こんなに賑やかなのは見たことがない。まるで昼休みに人が雪崩を打つ購買部みたいだった。
 これらの人たちすべてが投票をするために集まったのだと思うと、つかさはたじたじとなった。つかさにとっては初めての生徒会長選挙だが、もっと淡々と行われるのかと想像していたからである。伊達や脇屋からの話では、選挙で投票をする生徒なんて、ごく一部だということだったのに、ここまでの関心の高さはどういうわけか。武道場の入口で押し合いへし合いしているのが、ほとんど女子生徒であることを踏まえると、どうやら嵯峨サトルへの投票が圧倒的なようだった。
「武藤くん」
「あっ、ま、ま、待田先輩……!」
 後ろからやって来た沙也加に声をかけられ、つかさはドギマギした。ここ数日、選挙活動の名目で顔を合わせる機会が多かったにもかかわらず、未だに沙也加を前にすると緊張してしまう。自然と顔まで赤くなってしまうのが自分でも分かり、恥ずかしくていたたまれない気持ちになった。
 そんな純情な後輩に、沙也加は穏やかに微笑みかけた。沙也加にとってつかさは、可愛い弟のような存在かもしれない。
「すごいわね。もしかして、とは思ったけれど」
 投票所の入口に殺到している女子生徒たちを見て、沙也加は感想を漏らした。多分、サトルへの票がほとんどだろうと思われるのに、少しも焦ったような顔をしていない。むしろ、好もしそうな表情をしていた。
 多分、そんな沙也加に対し、つかさは不可解な顔つきをしていたのだろう。それに気づいた沙也加は、つかさに笑いかけた。
「自分も立候補しているのに、どうして悔しそうな顔をしていないのだろう、って思っている?」
「えっ、あっ、いや……」
 すっかり見透かされていて、つかさは焦り、どう答えてよいか分からず、口ごもった。
 沙也加はつかさのすぐ隣に立った。こうして並ぶと、平均よりも小柄なつかさより、沙也加の方がわずかばかり身長が高い。ちょっとでも動けば肩が触れ合いそうなくらい、こんなにも近くにいるのに、やっぱり憧れの先輩は遠い存在のように感じられた。
「私はね、公平な選挙の結果なら、たとえ自分が落選になっても素直に受け止めるつもり。選んだのは生徒だもの。そのことに異議を唱えるつもりはないわ」
「先輩……」
「一年間、生徒会で副会長をやってきたけれど、これまでの生徒会って、どうしても生徒と距離があったような気がするの。本来、生徒のためであるはずなのに、なんだか全然、別のところで運営されているようなイメージね。でも、学校をどうしたいのか、それを本当に決めるのは生徒会ではなく、生徒たちであるべきだと思う。もっともっと、みんなが学校のことを考えていいのよ。だから、今回のこの選挙は、生徒が参加した、いいきっかけになるかもしれないって期待しているの。ううん、そうあってほしい。――私の言っていること、おかしいかしら?」
「いえ……」
「確かに嵯峨くんは一年生で、生徒会長に選ばれれば異例だとは思うけど、彼を支持した人たちが彼を助けながら生徒会を運営してくれればいいと願っているわ。もちろん、そのときは私も本校生徒の一人として参加させてもらうつもりだけどね」
「………」
「選ばれた人が何をするか、ではないの。その人を選んだ人たちが何をしてもらいたいのか、よ。私はそう思うわ」
「そうですね」
 沙也加の話を聞いていて、つかさは肩の力が抜けたような気がした。とにかく、ここ数日間、選挙には勝たなくちゃいけない。先輩を勝たせなくてはいけない、と気を張ってきた。でも、今の言葉で、勝ち負けがすべてではなく、より良い生徒会をどのように作るべきかが大切なのだと、よく分かった。そして、そういう理想を掲げる先輩はさすがだと、つかさは益々、沙也加のことが好きになるのと同時に、自分など及び持つかない高みにまで行ってしまうのだろうなと寂しくもあった。
「さあ、私たちも投票しましょうか」
 沙也加が最後尾に向って歩き出した。つかさは、つい尋ねてみる。
「それで先輩は誰に投票するつもりなんですか?」
 すると沙也加は笑った。
「もちろん、決まっているわよ。今、降参するくらいなら、最初から立候補なんてしないわ。私に投票しようっていう人にも失礼だもの。少なくとも私が生徒会長になったら、みんなの声をもっと聞こうと努力するつもり。それは誰にも負けないわ」
 当たり前のことなのに、変なことを訊いてしまったと、つかさは自分の愚問を恥じた。すみません、と小さな声で沙也加に謝罪する。
 そこへ誰かが凄い勢いで走ってくる足音が聞こえた。
「な、なんだ、こりゃあ!?」
「アキト!?」
 すっ飛んできたのは、誰あろうアキトだった。昨日の化け物と戦ってどうなったかと気を揉んでいたのだが、特に目立ったようなケガもなく、いつも通りの元気さにあふれていて、つかさはホッと安心した。
「アキト、無事だったんだね?」
「よお、つかさ。お前こそ、大丈夫なのかよ? 今日くらい、寝ていた方がよかったんじゃねえか?」
 アキトは親しみを込めて、つかさの頭に手を置き、くしゃくしゃと髪の毛を乱しながら言った。そのくせ、顔を見ることができて嬉しそうだ。つかさはかいくぐるようにして、アキトの乱暴な手から逃れた。
「大丈夫だよ、あれくらい」
 強がってはみたものの、湿布を貼られた背中は急な動きに悲鳴をあげる。つかさの顔は痛みにしかめられていた。それを見たアキトは苦笑する。
「そら、見ろ。まだ痛てえんだろうが。まったく、麗しのマドンナのためだったら、たとえ火の中、水の中だな」
 アキトは沙也加の方をチラッと見ながら、つかさをからかった。つかさの顔がトマトみたいに赤くなる。
「あ、あのねえ! ボクは――」
「それにしても、盛況みたいじゃねえか。ほとんどが女子ってことは、みんな、あの新しい制服を着てみたいってことだよな?」
 ムキになるつかさをいなすように、アキトは話題を変えた。それは彼女たちがアキトに投票しようと集まったという意味だが、ジョークとしては笑えても、本気だとしたら――いや、どうせ本気なのだろうが――寒すぎる。どこまで自信過剰なのやら、つかさは背中よりも頭が痛くなってきた。
「アキト。どう考えたって、みんなが投票するのは嵯峨くんでしょ?」
 つかさは冷やかに訂正した。アキトは片方の眉を吊り上げる。
「なんだとぉ!? そんなわけあるか! なんなら、こいつらに訊いてみようか? ――おい、お前ら! これから誰に投票するつもりだ!?」
「………」
 アキトの呼びかけに、誰も応じなかった。完全無視。
「おい、オレだよな? この仙月アキトに投票するんだろ?」
 アキトは大勢の女子生徒たちに訴えかけた。
 そこへ――
「おやおや、それはルール違反じゃないですか?」
 皮肉めいた口調がアキトを批判した。その声には聞き覚えがある。アキトは振り返った。
「て、てめえ……!」
 一発、怒鳴りつけてやろうとアキトは息を吸い込んだ。ところが、その場にどよもすような黄色い歓声があがり、それは阻止された。嵯峨サトルの登場に沸いた女子生徒たちの声だ。あまりのボルテージに、アキトもつかさも耳を塞がねばならぬほどだった。
「キャーッ! サトルくーん!」
「こっち向いて!」
「アアン、素敵!」
「私とメール交換して!」
「それなら私を彼女にしてぇ!」
 まるで超人気のアイドルが現われたような騒ぎだった。サトルはそんな彼女たちに、はにかむように笑う。それがまた、女子生徒たちのハートを鷲掴みにした。もはや、投票どころではない。
 耳を塞ぎながら、アキトはサトルを睨んだ。サトルが口を動かす。何を言っているのか、さっぱり聞こえない。仕方がないので、アキトは耳から手を離した。
「何だって?」
「さっきの発言は選挙活動違反に当たります。投票当日、選挙ポスター以外のアピールはご法度のはずですよ」
 サトルは柔和な笑みを崩さずに注意した。その態度に、当然のことながらアキトはこめかみをピクピクさせる。口よりも先に手が出る粗雑な性格のため、つい向かって行きそうになるアキトをつかさが押しとどめるはめになった。
「アキト……待って! ダメだって!」
「うるせえ! 誰に投票するのか、ちょっと訊いてみただけだろ!」
 アキトは声を荒げた。すると、サトルは苦笑する。少し小馬鹿にするように。
「出口調査というのは聞いたことがありますが、入口調査というのは聞いたことがありませんね」
 サトルの言葉に、その場にいた女子生徒たちも笑った。バカにされた格好のアキトは、さらに暴れようとする。噛みつかんばかりに歯を剥き出しにした。
「ふざけるな、この野郎! 一発殴らせろ!」
「アキト、待ってよ! 落ち着いて!」
 もしもアキトがサトルを殴ったりしたら、悪質な妨害行為と取られ、即刻、候補者の資格は剥奪されてしまうだろう(どの道、勝ち目はないとは思うけれど)。つかさは必死にアキトを押さえた。
 それでもアキトは前進をやめない。じりじりとサトルに近づく。明らかにどうしようもない体格差のあるつかさは引きずられた。
 今にもアキトの鉄拳が飛んできそうな状況ながらも、サトルは余裕綽々といった態度だった。
「まあ、尋ねて気が済むのなら、どうぞ、ご自由に。ボクは一向に構いませんよ。――皆さん、誰に投票をなさるのですか?」
 サトルが問いかけると、答えはきれいにそろった。
「一年B組、嵯峨サトルくん!」
 その数のパワーはアキトたちを圧倒した。思わず、後ずさってしまう。一方、サトルはニヤリとした。
「――ということだそうですよ。もう結果は見ずとも分かったんじゃないですかね」
「何ィ!?」
「いかがです、皆さん?」
 すると、またしても女子生徒たちは声をそろえた。
「帰れ!」
「帰れ!」
「帰れ!」
 期せずして起きた“帰れコール”。三百人近い大合唱は、つかさはもちろんのこと、アキトをもひるませるに充分だった。
「お、おい、マジかよ……」
「これが彼女たちの総意というわけですよ」
「嵯峨……!」
 平然と言ってのけるサトルに、アキトは歯ぎしりした。
 もう殴るしかないと決意を固めた刹那、女子生徒たちが“帰れコール”を叫びながら、アキトたちに迫った。その威圧感、その迫力、その恐怖。押し寄せようとする群衆は脅威という他はなかった。サトルはその中心に吸収され、完全に守られる。
「アキト、まずいよ……」
 つかさは逃げるように、アキトの腕を引っ張って促した。アキトは舌打ちする。悔しいが、ここは三十六計逃げるにしかず。
「くそっ、憶えてやがれ!」
 まるで悪役の雑魚のようなセリフを吐きながら、アキトたちは退却するしかなかった。

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