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月曜日、薫は三日ぶりに登校した。
体育館で《ワニガメ童子》に吹き飛ばされ、そのまま気を失って病院へ送られたのだが金曜日だ。検査の結果、打ち身程度で大したことはなく、その日のうちに自宅へ戻された。本当は次の日も学校へ行けたくらいなのだが、過度に心配した両親に諭され、仕方なく大事を取って一日休むことにしたのだ。昔から大きなケガも病気もしたことのない薫だっただけに、病院へ運ばれたというだけで過保護に思ったのだろう。薫としては迷惑ながらも、両親の気持ちは分かっているつもりだった。
唯一、心残りだったのは、土曜日の生徒会長選挙に投票できなかったことだ。つかさや伊達たちと、あれだけ沙也加を当選させようと頑張ってきただけに、悔やんでも悔やみきれない。もっとも、薫が行ったところで、大勢にさしたる影響はないだろうが。
結局、一日中モヤモヤしていたので、その日の夜に寧音へ電話して、気になる結果を教えてもらった。寧音から告げられたのは、嵯峨サトルの圧勝。とうとう史上最年少の生徒会長が誕生したのだ。沙也加の落選に、きっとつかさは落胆したことだろう。
まず登校したら最後まで支えることができなかったことを沙也加に謝ろうと思いながら校門の前に辿り着くと、七、八人の女子生徒たちが待ち構えていた。皆、左腕に緑色の腕章をつけている。腕章には白い文字で『風紀委員』と書いてあった。
「新しく風紀委員になる人を募集しています。嵯峨新生徒会長の下、皆さんで秩序ある学校生活を送りましょう」
校門をくぐる生徒たちにそう呼びかけながら、彼女たちはチラシを配っていた。素通りしようとすると、受け取るまで横に並んでしつこく勧誘してくる。その異常なまでの熱の入れように、気圧されてしまう一般生徒も少なくない。薫のところへも一人の風紀委員が近づいてきた。
「あなたも風紀委員に――あら? あなた、一年の忍足さん?」
「え?」
相手は一年生ながら剣道部で頭角を現している薫のことを知っているようだった。見たところ、どうやら二年生らしい。しかし、こっちは相手の顔に見覚えはなかった。
「私は女子水泳部の北島康子。あなたのお噂はかねがね。まだ一年生なのに全国の高校女子剣道から注目されている忍足さんにも風紀委員に入ってもらえると、私たちも心強いのだけれど」
北島康子は笑顔を作っていたが、目は笑っていなかった。募集を謳っているチラシを薫に手渡してくる。薫は困った。
「いえ、私は保健委員なので……」
部活動の掛け持ちは可能だが、確か委員はひとつしか認められていないはずだ。薫はそれを理由に断った。
しかし、北島康子は意に介さなかった。
「そんな保健委員なんて辞めちゃいなさいよ。あなたは風紀委員になるべきだわ。その方があなたにとっても得よ」
「得?」
薫には北島康子の言っている意味が分からなかった。
「とにかく、風紀委員になる気があったら、放課後、風紀委員の部屋に来て。場所は生徒会室の隣。知っているわよね? じゃあ、待っているわ」
北島康子はチラシを押しつけるようにして渡すと、また他の生徒のところへ行ってしまった。薫は唖然とする。
何か漠然と、先週までの学校の雰囲気とは違うように薫には感じられた。自由が制限されたような、そんな窮屈さとでも表現すればいいだろうか。
校舎の中に入っても、その違和感は消えなかった。むしろ、妙な視線を感じる。
教室へ行く途中、ふざけて追いかけっこをしている二人の男子生徒が反対側から駈けてきた。すると突然、横合いから恰幅のいいもう一人の男子生徒が現われ、前を走っていた生徒の横っ面にいきない張り手を喰らわせる。吹き飛んだ男子生徒は壁に激しく叩きつけられた。
「コラッ! 廊下を走ってはいけないと規則に定められているはずだぞ!」
張り手を喰らわせた男子生徒が野太い声で怒鳴った。多分、相撲部員なのだろう。左腕には、やはり風紀委員の腕章がはちきれそうになって巻かれていた。
「な、何しやがるんだよ! 危ねえな!」
ふざけていたもう一人の男子生徒が憤った。友人が目の前でケガを負わされたのだ。彼の怒りはもっともである。
しかし、力士のような風紀委員は、そのどっしりとした体格同様、微塵も揺るがなかった。
「廊下を走って、誰かとぶつかりでもしたら、それこそ大ケガだ! それを分からせるには、直接、身体に覚えさせるしかない!」
「だ、だからってよぉ――!」
「何だ!? 風紀委員に逆らうつもりか!?」
風紀委員が首から下げていたホイッスルを口にして吹いた。すると、どこにいたものやら、複数の生徒が力士のところへ飛んでくる。皆、風紀委員だ。まるで捕り物劇を見るような鮮やかさで注意された二名の男子生徒を引っ立てた。
「違反を犯した者は反省室行きだ! ――連れて行け!」
二人の男子生徒は抵抗を示したが、所詮は多勢に無勢、為す術もなかった。
それを見送りながら、薫は何もできなかった。これまで風紀委員がこのような実力行使をするところなど見たことがない。確かに、廊下を走るのは危険だが、張り手を喰らわせて止めるなんて非常識すぎる。横暴な風紀委員に反感を覚える薫であったが、同時にこの学校で何かが変わり始めたことに忍び寄る恐怖を感じた。
このことを誰かに知らせなくてはならないと薫は思った。つかさかアキトに。特にアキトなどは、真っ先に過激な風紀委員の標的にされるタイプに違いない。
一年A組の教室へ行ってみると、まだつかさもアキトもいなかった。もっとも、アキトが遅刻しないで来るはずがないか。仕方ないので、薫は自分の席に着いて、二人の登校を待つことにした。
「ねえ、これ知ってるぅ!?」
「なにコレ〜!? 超カワイくない!?」
教室内では女子生徒の三人グループが雑誌を広げて嬌声をあげていた。おそらく、流行のファッションなどが載ったものだろう。三人は特に派手好みで知られていた。
そこへクラスの者ではない生徒たちが何も言わずに入ってきた。左腕の腕章。またしても風紀委員だ。
優等生っぽいおさげ髪に銀縁のメガネをかけた女子生徒が、いきなり彼女たちが見ていた雑誌を取り上げた。すぐさま不満の声があがる。
「何すんのよぉ!?」
「これは学校に持ち込んではいけないものです。風紀委員の権限において没収します」
おさげの風紀委員はきっぱりと冷徹に言った。没収した雑誌を後ろにいた別の風紀委員に渡す。薫のクラスメイトたちはそれを取り返そうとした。
「返してよ!」
「ダメです!」
風紀委員たちは要求を突っぱねた。それどころか、彼女たちに厳しい視線を向ける。
「それに何ですか、その髪の色は? 髪の毛へのパーマや染色、脱色は校則で禁じられているはず。唇のもリップクリームじゃなくて口紅でしょ?」
「今どき、黒なんてダサくて流行らないよ!」
「口紅だって常識」
「そうそう。そんなんじゃ、男の子にモテないから!」
おさげの風紀委員を揶揄して言っているのだろう。三人はそう反論して笑った。
「キャッ!」
おもむろにそのうちの一人が悲鳴をあげた。風紀委員の男子がハサミを持ち出して、彼女のウェーブがかかった髪を切ろうとしたのだ。
「やめなさい!」
さすがの薫も見ていられなくなった。席から立ち上がり、ハサミを持った風紀委員に向っていく。本当は木刀とまでは行かずとも、せめて竹刀があるといいのだが、普段、部活で使っているものは生憎と部室に置いてある。やむを得ず、対アキト用のハリセンを取り出した。
ぱしーん!
いい音がして、ハサミが床に落ちた。薫のハリセンが見事に風紀委員の手を痛打したのだ。風紀委員たちが剣呑な表情を薫に向ける。
おさげの風紀委員が薫を睨んだ。
「邪魔するんですか?」
薫はハリセンを構えながら、油断なく周りを見回した。
「いくらなんでも女の子の髪を切るだなんて行き過ぎでしょう!? そんなこと、クラスメイトというよりも人間として見過ごせないわ!」
「いかなる理由であろうとも、風紀委員に逆らうことは重罪です。あなたにも反省室に来てもらいますよ」
「イヤだと言ったら?」
「あなたに拒否権はありません」
問答無用とばかりに体育会系の風紀委員が薫に襲いかかった。薫は身体をひねりながらハリセンを叩きつける。とはいえ、たかがハリセン。普通に叩いただけでは、鍛えられた肉体に効果的なダメージを与えることなど不可能。そこで薫は相手の顔面を狙った。
ぱーん!
「てっ!」
筋トレなどで肉体は強化できるが、さすがに顔までは無理だ。特に目は最大の弱点で、ここを攻めればどんな者でもひるませることができる。
体育会系の風紀委員は顔面にハリセンを喰らい、一瞬にして戦意喪失した。平手打ちの何倍も威力があっただろう。しばらくは顔を押さえて、襲っては来られないはず。
しかし、敵となる風紀委員はまだ他にもいた。今度は一斉に薫を取り押さえようとしてくる。一度に全員は相手にしていられない。
薫は囲まれないように動いた。幸い、教室内は机が並んでいるため、それらが移動の障害となり、包囲網の完成を阻む。薫は一人一人を引きつけては、各個撃破の作戦を取ろう思った。
ところが――
「これ以上、抵抗する気? それなら、こちらも考えがあるわよ」
おさげの風紀委員が床からハサミを拾い上げて、最初の女子生徒の髪の毛をつかんだ。女子生徒は痛さに悲鳴をあげる。
「痛い! やめて!」
「彼女がどうなってもいいの?」
人質を取られた。卑怯なやり方に薫は唇を噛む。悔しいが、ここで暴れたら彼女の髪の毛が切られてしまう。クラスメイトを見捨てるわけにはいかない。薫は手にしていたハリセンを捨てた。
「これでいいでしょ? 彼女たちを解放してあげて」
風紀委員たちに拘束されるのを許しながら、薫は交換条件を出した。しかし、おさげの風紀委員は、さらに髪の毛をつかむ手に力を込める。女子生徒は泣き出していた。
「それは無理ね。彼女たちは校則に違反した。報いは受けてもらうわ」
「イヤッ! 許してぇ!」
「だったら、明日から黒い髪に戻して来なさい」
ジョキ、ジョキ、ジョキ……!
「イヤァァァァァァァァァッ!」
女子生徒の髪の毛は無惨にも切り刻まれた。
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