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WILD BLOOD

第13話 学園の支配者

−26−

 さすがのアキトも目を瞠った。クラスメイトであるはずの薫が風紀委員の一員として現われたからだ。しかも、その右手にはおなじみのハリセンや竹刀ではなく、ひと振りの木刀が握られていた。
「なっ――」
 絶句しかけたアキトであったが、それも一瞬。すぐにいつものニヤけ顔に変った。薫を見て、プッと吹き出す。
「まったく、なんのマネだよ? こいつは何かの悪い冗談か?」
 アキトは周りを見渡した。そこにはあえなくアキトに敗北を喫した風紀委員たち。問答無用でアキトを捕まえようとした者たちだ。しかし、いくらアキトが学園の問題児だとはいえ、一般生徒が警察のような行為に及ぶのは尋常ではない。これはきっと大がかりな悪戯なのではなかろうか。アキトはそう考えたのだった。
 だが、薫は鋭い目つきのまま、木刀の切っ先を真っ直ぐアキトに向けた。
「仙月アキト。お前は当校において危険人物と見なされた。よって、その身柄を拘束する」
「危険人物ねえ。まあ、確かに」
 薫の宣告に対し、アキトはまったく真に受けなかった。まだ芝居を続けるつもりかと、苦笑を禁じ得ない。
「オレ様のワイルドな魅力にコロリと参る女子生徒は多いだろうからな。オレに触ると火傷するぜ、ってか。そういう意味ではお前の言うとおり大いに危険だろうよ」
 アキトは下卑た笑い顔を薫に見せた。しかし、薫は嫌悪の表情も見せなければ、眉ひとつ動かさない。まるで感情を失くしたかのように。
「これは嵯峨生徒会長が下したものだ。一切の申し開きは無用とする」
 その言葉に、アキトの方こそが不快感を露わにした。
「嵯峨だと!?」
「いざ!」
 上段に木刀が振り上げられるや、薫はアキトとの距離を一気に縮めた。アキトの背筋に怖気が走る。これは悪ふざけなどではない。薫は本気だ。そして、その手に握られた木刀は薫の剣道の腕前と相まって凶器と化す。
 おそらく、最初の間合いがもっと短ければ、アキトといえども木刀のひと振りを避けるのは難しかっただろう。それほどに薫の攻撃は速い。さすがは一年生ながら都大会三位の猛者だ。アキトは肝を冷やしながら、大きく体勢を崩して、薫から距離を置こうと転げ回った。
「ま、待て、コラ! そんなもんで殴られたら死にかねないだろうが! お前には慈悲とか手加減とかないのか!?」
「ない」
 短くもあっさりと答え、薫は続けてアキトに襲いかかった。アキトは血相を変える。
「正気か!?」
 薫が完全に仕留めるつもりで木刀を振るっていることは、その標的であるアキトには明らかであった。それでも疑わずにはいられない。これまでにも薫とは口喧嘩をしてきたし、幾度となくハリセンで頭を叩かれたりもしたが、ここまでの殺意を持って挑みかかられたことはなかった。だからこそ、目の前の薫が別人のように思える。
 アキトは薫の木刀から逃げ回るしかなかった。反撃したいが、その隙がない。
 俗に剣道三倍段という。剣道の実力者に対し、徒手空拳の柔道家や空手家が勝つには三倍以上の段が必要だという意味だ。薫が何段であるかアキトは知らないが、その通説を信じるなら、こちらもそれ相応の実力が求められる。武器の熟練者に徒手空拳がいかに通用しないか、アキトは身をもって思い知らされた。
 いつの間にか、他の風紀委員たちがアキトたちを取り囲んでいた。アキトに逃げられないようにだ。その囲みが徐々に狭められていく。アキトに焦燥が募った。
「チクショウ! ――貸せ!」
 アイスホッケー部であろう風紀委員からアキトはスティックを奪い取った。相手が木刀なら、こちらも得物がいる。これで応戦できるとアキトは踏んだ。
 ところが、その考えが浅はかであったことをアキトは痛感させられることとなる。
 風をも切り裂く薫の攻撃をアキトはかろうじてスティックで受けた。スティックの長さは薫の木刀よりも若干長く、しかもアキトの手足のリーチも考えれば、相手もそう簡単に飛び込んでは来られぬはず。劣勢を挽回し、アキトの顔に少しだけ余裕が戻った。
「いつもいつも殴られっぱなしじゃな。今日はお前のお尻をペンペンしてやろうか」
 いやらしくも舌なめずりまでして、アキトは薫との間合いを計った。二人は弧を描くように、時計回りに動く。いつもの薫ならアキトの挑発に顔を紅潮させて乗ってくるところだが、反応はまったく見せず、一瞬の隙を窺うのみ。アキトは心の中で舌打ちした。どうもこちらのペースに引き込めない。
 そのとき、薫の切っ先がぴくりと動いた。次の瞬間、薫の姿が消える。
「なにっ!?」
 消えたと見えたのはアキトの錯覚。実際には薫がアキトの死角へと動いたのだ。
 反射的に薫の一撃を防いだのは、アキトの本能的な反応の賜物だろう。木刀はアキトの顔の左側至近に食い込んでいた。とっさに出したスティックを隔てて。
 だが、薫の攻撃は、これからが本番であった。猛然と繰り出されるラッシュ。切っ先が次々とアキトの身体をかすめる。反撃などという余裕はない。木刀をまともに喰らっていないだけ奇跡と言える。付け焼刃の剣など何の役にも立たない。アキトは防戦一方に追い込まれた。
「ちぃっ!」
 とにかく離れなくては。アキトは慌てて後方に飛び退いた。その背中にドンと当たるものがある。取り囲んでいた風紀委員の身体だ。そいつはアキトを抑え込もうとした。
 そのチャンスを見逃さずに迫る薫。アキトは首筋が寒くなった。
「この野郎!」
 後ろのヤツを振りほどく暇もなく、アキトは思い切り、そいつの爪先を踏みつけてやった。ギャーッと悲鳴があがる。アキトをつかむ手が離れた。それよりも目の前の薫だ。木刀が振り下ろされる寸前、アキトは回転レシーブでもするみたいに横へ跳んで避けた。
 アキトに逃げられた薫の木刀は、そのまま後ろにいた風紀委員の男子を直撃するかに思えた。だが、その切っ先は皮一枚を残してぴたりと止められる。寸止め。これもまた薫の腕だ。九死に一生を得た男子生徒は、目を見開いたまま木刀を見つめ、すぐにへなへなと崩れ落ちて気絶してしまった。
 薫は逃げたアキトを振り返った。アキトは地面に仰向けになったまま、薫を見上げる。せっかく得物を手にしたが、残念ながら剣道の有段者である薫相手にはなまくら剣法など通用しない。どうしたら勝てるか。アキトは仰向けで虫のように移動しながら考えた。
「!」
 そのとき、アキトは薫の短いスカートから伸びる生唾ものの太腿を見つつ、その中を覗けないかなとついつい考えながら、ひとつの策を思いついた。もちろん、この男らしい不埒なアイデアを。
「もう、こうなったら、煮るなり焼くなり好きにしてくれ!」
 アキトは大の字になりながら喚いた。そして、薫が近づくのを待つ。そのときこそがチャンスだった。
 剣道は当然のことながら、お互いに立った体勢で試合をする。倒れた相手には攻撃しない。審判より待てがかかる。それがルールだ。しかし、これは剣道の試合ではない。ルール無用の異種格闘技だ。薫の剣道は倒れた相手に攻撃する術を持たない。そこが付け目だった。
 昔、ボクシングの有名なヘビー級チャンピオンと日本のプロレスラーが戦ったことがある。それはプロレスラー側にタックルや投げ技、関節技などを禁じた不当な試合であったが、プロレスラーは自らマット上に寝転がり、チャンピオンの足を集中的に狙って、相手のハードパンチを封じた。もっとも、“世紀の一戦”とまで持てはやされた事前の盛り上がりに比べると試合内容は至って地味に終始し、その後、“世紀の凡戦”などと酷評されたが。
 アキトが思いついた作戦も、いわばそれだった。寝ている相手を殴るには接近するしかない。そのとき、足を絡めるなりなんなりして薫を転倒させて、寝技に持ち込むというものだ。こうすれば薫の剣道の腕前など関係ない。あとは男の力で女を屈服させるだけ。アキトはここにはとても書けないようなハレンチ極まりない体位の寝技――あんなことや、こんなこと――を想像し、その表情をだらしないほどに緩めた。
「ぐへっ、ぐへへへへっ……」
「バカか」
 そんなアキトを薫は冷やかな目で見下ろした。そして、他の風紀委員たちに目配せする。
 倒れているアキトに近づいたのは、薫ではなく複数の風紀委員たちだった。倒れている相手を捕まえることなど造作もない。わざわざ薫が手を下す必要もないのだった。
「だぁーっ! お前らは近づくなよ!」
 思惑がすっかりと外れ、アキトは持っていたスティックをヤケクソに振り回した。どうやら作戦は見透かされていたようだ。あまりにも煩悩のオーラを出しすぎていたか。風紀委員たちはキャンキャン吠える野良犬から逃げるように散った。
 その瞬間、薫が音もなく近づいた。木刀が一閃するや、アキトの手からスティックが吹っ飛ぶ。手の甲をやられた。アキトの顔が苦痛に歪む。
「もう終わりだ、仙月アキト」
 薫の勝利宣言。アキトはほぞを噛んだ。
 だが、あきらめの悪さなら誰にも負けない。再び風紀委員たちが取り囲もうとしたとき、アキトは動いた。
「キャーッ!」
「動くな! 動くとこの女の命はねえぞ!」
 まるっきり悪役のセリフを吐きながら、アキトは風紀委員たちを牽制した。不用意に近づいた風紀委員の一人、北島康子を人質に取ったのだ。彼女の仲間たちはたたらを踏んだ。
「さあ、道を開けてもらおうか。妙なマネをしたらどうなるか、分かっているよな?」
 風紀委員たちは唇を噛みながら、渋々と道を開けた。アキトは北島康子を引きずるようにして、その場から脱出を図る。
「よーい、いい子だ。そのまま。そのままだぞ」
 ところが一人だけ、その脅迫に屈しない者がいた。薫だ。
「逃がすか、仙月アキト!」
 薫は木刀を振り上げた。北島康子が人質に取られているというのに。その剣先は少しも鈍らない。
「キャーッ!」
 北島康子は思わず目をつむった。
 ゴキッ!
 何かが砕けたような音がした。北島康子は恐る恐るといった感じで目を開ける。
「くっ……」
 薫の一刀を受けたのはアキトだった。木刀が左肩に食い込んでいる。アキトは痛みを押し殺すように歯を食いしばっていた。
 もし、アキトが北島康子をかばわなければ、彼女の頭はざくろのように爆ぜていただろう。それほどに躊躇も容赦もない一撃。あるいはアキトが彼女をかばうと読んでの賭けだったか。
 アキトは左肩に叩きこまれた木刀を左手で握った。薫はハッとし、木刀を引こうとしたがびくともしない。アキトは片手で薫の木刀を奪うと、それを遠くへ放り投げた。
「ぼ、木刀がなければお前は無力だろ……」
 アキトは脂汗を垂らしながら虚勢を張った。薫は周囲を見渡す。木刀の代わりになる物を捜して。
「どけ!」
 その隙に北島康子を突き飛ばし、アキトは茫然と立ち尽くす風紀委員たちの包囲から逃げた。
 ようやく薫がアイスホッケーのスティックを拾い上げたとき、アキトの姿はいずこかへと消えていた。

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