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WILD BLOOD

第13話 学園の支配者

−29−

 新しい主を迎えた生徒会室では、嵯峨サトルと北島康子が対面していた。
 いつものにぎやかな取り巻きたちの姿はここにない。サトルが部外者の入室を固く禁じたからだった。
 そんな聖域で康子はサトルと二人だけになり、なかなか視線を合わせられずにいた。それはサトルの端正な顔立ちを直視するには眩しすぎるから――ではない。あるのは、今すぐにでもここから逃げてしまいたい衝動。緊張と恐怖からだった。
 康子は二年生、サトルは一年生。普段の康子ならば、どんなイケメンであろうとも年下の高校生など歯牙にもかけない。大学生くらいの年上でも、男という生き物は幼稚で単純だと日頃から見下しているほどだ。性格はともかく、容姿では学園でも指折りの彼女が好む男性は、もっと成熟した理知的なタイプであった。
 しかし、どういうわけかサトルだけは別であった。初めて出会った瞬間から、自分の心を捉えて離さない魅力の虜になったのだ。
 ひとはそれを一目惚れと言うだろう。しかし、康子自身は違うと冷静に自分を見ている。なぜかは分からないが、サトルとともにいれば、彼のことを無条件に信じられるという確信と、彼にすべてを委ねればいいという安心感を自然と得られるのだ。言うなれば、自分を導いてくれる存在にようやく出会えたと、康子は目が覚めたような思いだった。
 そんな彼のために何かをしたいと思うのは当然のことだった。サトルは新しい生徒会長に選ばれ、彼が理想とする学園の改革を実行に移そうとしている。その手伝いを少しでもできれば。そう思い立って、康子はサトルが望むままに風紀委員になったのだった。しかし――
「そうか。仙月アキトを取り逃がしたか」
「も、申し訳ありません」
 どちらが年上かなど関係なかった。康子は平伏するしかない。二人の間には、すでに主従の関係が形作られているのだから。
「只今、全風紀委員を動員して捜索をしていますが、未だ発見できず……」
 ここで康子は、ちらりとサトルを見上げた。その刹那、冷やかな眼差しを向けられていることに慄然とし、再び顔を伏せてしまう。血の気がサッと引いていき、全身を悪寒が襲った。
「不始末だな、北島さん」
「はい……」
 康子が何よりも恐れているのは、サトルからの恩寵を失うことであった。彼女にとっては神にも等しい彼から信を得られないとなれば、あとに残るのは絶望でしかない。それはまさに、この世界からの追放と同義であった。
 この破滅からなんとか逃れようと、康子はどう釈明すべきか、必死に頭を働かせた。自分がまだサトルの役に立つことを何とか証明しなくてはならない。
「さ、幸い、仙月アキトに手傷を負わせることには成功しました」
「ほう」
 サトルの声に感嘆の響きが混ざったような気がした。康子はワラにもすがる気持ちになる。
「忍足さんの木刀がヤツの左肩を砕いたのです。あの様子では、骨にまで達したはず。次に仙月を見つけましたならば、今度こそ捕らえるのは容易いかと」
「ふーん、なるほど」
 康子の報告を聞いて、サトルは何かを考え込むようにうなずいた。これで何とか汚名返上のチャンスをもらえると、康子はホッと胸を撫で下ろす。しかし、それは早計に過ぎなかった。
「それは忍足さんの手柄だよね。キミのじゃない」
「――っ!」
 静かではあるが、冷徹なサトルの一言に、康子は突如として足場を失い、奈落の底へ落ちてしまったかのような絶望感を覚えた。
「忍足さん」
 サトルが入口に向って名を呼ぶと、廊下で控えていたのだろう、忍足薫が中に入ってきた。康子は身を強張らせる。一方、サトルは笑顔で薫を出迎えた。
「仙月アキトに傷を負わせたそうだね。よくやってくれました」
「ありがとうございます。しかし、あと一歩のところで討ちもらしました。まだまだ未熟です」
「功を誇るのではなく、身を律するとは、いい心がけです。それならば次に仙月アキトを討つこともできるでしょう。忍足さんには今後、風紀委員を率いていただきたい」
 薫の重用に康子は凍りついた。その立場をサトルから任されたのは、康子だったのだ。
「私はまだ一年生ですが」
 生徒会長自らの抜擢に、薫はためらいを見せた。チラリと康子の方を見る。サトルは苦笑した。
「構いません。私も一年ですが、生徒会長になりました。能力のある者がトップに立つのは必定。信賞必罰。年功序列など愚の骨頂です」
 二人の会話を聞きながら、康子は自分の地位が剥奪されたことに愕然とした。そして、サトルにすがりつく。
「ま、待ってください! 私に今一度、チャンスを!」
「なりません」
「そこを何とか!」
 康子は執拗だった。サトルのズボンの裾を手が白くなるまで握る。サトルはかぶりを振った。
「北島さん、あなたはボクに報告していないことがあるでしょう?」
 サトルに指摘され、康子は顔面蒼白になった。ズボンを握る手が震える。
「ボクの耳には、あなたが仙月アキトの人質となり、逃亡のきっかけを作ったという話が入っていますけれども」
「だ、誰がそれを――!」
 そう言いかけて、康子は反射的に薫を振り返った。その表情には嘲笑も憐憫も浮かんではいない。だが、康子は激情に駆られた。
「あなたね! あなたが余計なことを!」
「落ち着いてください、北島さん」
 サトルは薫につかみかかろうとする康子をなだめた。しかし、その言葉に情はこめられていない。形だけのものだ。
 それで康子の怒りが収まるはずもなかった。
「この恩知らず! 風紀委員に入れてあげたのは誰よ!? この私よ! 私が誘ってあげたんじゃない! それを泥棒ネコみたいなマネして! 冗談じゃないわ! アンタなんか、ただ棒っきれを振り回すしか能がない小娘じゃない!」
「北島さん、そこまでに――」
 さすがにサトルも制止しようとした。その刹那――
 ひゅん! と風を切る音がしたと思いきや、康子の喉元にどこから取り出したのか、薫の木刀が突きつけられていた。康子は、ひっ、と悲鳴を呑む。
「八つ当たりはそこまでにしてもらえますか、北島先輩。生徒会長の人事に口を挟むなんて、おこがましいんじゃないですか? 私たちは嵯峨生徒会長のため、ひいてはこの学園のために為すべきことを為すのです。それを妨げると言うのであれば、たとえ先輩といえでも容赦はしません」
 それから約十秒後、どうやら康子から毒気が抜けたらしいと確認してから、薫は竹刀を引いた。康子はその場にへたり込み、ようやく呼吸ができるといった様子で荒く息を継ぐ。その姿は哀れですらあった。
 忍足薫と北島康子。役者が違うのは誰の目からも明らかである。当然の結果だった。
 康子は退室を促され、放心状態のまま生徒会室を後にした。サトルと薫だけが残る。二人きりになり、サトルは白い歯をこぼした。
「さすがですね。ボクが期待しただけのことはある。キミを連れてきてくれたことに関しては、やはり北島さんにお礼を言わないといけませんね」
 サトルはそう言うと、薫に近づいた。そして、薫のおとがいに軽く触れ、その顔を上向かせる。
「これからもボクのために――いえ、この学園のために働いてくださいよ」
「はい」
「そのためには仙月アキトを」
「次は確実に仕留めます」
 薫は無感情に返事をした。サトルは満足げに唇を近づけさせようとする。
 そのとき、薫はサトルの接吻から避けるように、唐突に身体を離した。そして、生徒会室の入口をおもむろに開け、素早い動作で木刀を突き出す。鬼気迫るものがあった。
「ひゃっ!」
 木刀が突き出された瞬間、短い悲鳴が廊下から聞こえた。薫の木刀に驚いた何者かがたたらを踏む気配。サトルも薫の肩越しに廊下を覗き込んだ。
「おやおや、大神くんじゃありませんか」
 サトルが言うように、廊下にいたのは同じクラスの大神憲だった。大神は二人に見つかり、明らかに焦った様子を見せる。薫は物騒にも木刀を突きつけたまま、たじろぐ大神に迫った。
「こんなところで何をしていたんですか、大神くん」
 声音はあくまでも穏やかに、サトルは尋ねた。しかし、その瞳の奥には冷徹な光が仄見える。大神は生唾を飲み込んだ。
「い、いや、別にその、たまたま通りかかっただけで……」
 視線をキョロキョロと泳がせながら、大神は答えた。その慌てぶりが、益々、怪しい。
「ボクに何か用があったのでは? どうぞ中へ。部外者は入れないと決めているのですが、キミなら歓迎しますよ」
 サトルは親愛なるクラスメイトに促した。それに反し、大神は後ずさる。
「い、いや、大事な話の最中だったんじゃ……? 邪魔するのは悪いから遠慮するよ」
 そう言い訳しながらも、大神はさらに後退する。少しでも逃げやすいように。
 サトルはやれやれという表情をした。
「困りましたね。せっかくキミを仙月くんからボクの味方にしたというのに。――どうやらキミは、今でも前の主人を忘れられないわけだ」
「そ、そういうわけじゃ……」
「所詮、イヌはイヌですね」
 次の刹那、薫の木刀が一閃した。大神はかろうじて、その一撃の回避に成功する。じりじりと間合いを取っていなければ、大神はそれでジ・エンドだったはずだ。
 牙を剥いた薫に、大神は慌てふためいた。どうやら言い逃れはできそうもない状況のようだ。
「忍足くん」
「はい」
 薫は木刀を振り上げた。それを見た大神は機敏に背を向け、その場から脱兎のごとく逃げ出す。すぐさま薫が追いかけた。

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