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WILD BLOOD

第13話 学園の支配者

−30−

 大神は自分がどうすべきか迷った。
 およそ十五メートル後方からは、木刀を持った薫が追いかけて来ていた。短いスカートにかかわらず、廊下を飛ぶように走っている。いつもなら振り返って、せっかくのシャッターチャンスを逃したくないところだが、今は追いつかれてはたまらないと、大神は必死に逃げた。
 別に立ち聞きをするつもりではなかった。それでも、生徒会室の中で何が行われているのか、気になったのは確かである。なぜ、誰しもサトルに惹きつけられるのか。ただイケメンという理由だけではないだろうと、このところ一緒にいる機会の多い大神には不思議で仕方なかった。
 アキトからサトルへと乗り換えたのは、一時の気の迷いではなかったかと、今になって大神は後悔している。選挙活動でこき使われ、アキトから逃れたい一心がそうさせたのだ。
 しかし、冷静になってみれば、アキトはどんなことがあろうとも、気に入らないサトルを絶対に潰そうとするだろうし、そのとき、裏切り者である自分もこっぴどい目に遭わされるのは間違いないだろう。それを想像すると、大神は身の毛がよだつのだった。
 それにサトルから引き抜かれたといっても、大神は特別待遇を受けているわけではない。確かにサトルの周囲には女の子が多いが、彼女たちの目当てはサトルであって、その近くにいる大神になどまったく目もくれないのが現実である。大神の――邪な意味で――親密になりたいという気持ちはいつまでたっても叶えられず、むしろ空虚さだけが胸を締めつけるのだった。
 ここは何かサトルの弱味のひとつも握り、アキトの下へ戻った方がよさそうだ、という打算が大神に働いた。それがまさか、とんでもない企みを聞く羽目になろうとは。
 アキトがサトルを嫌っているのは分かる。優等生タイプで人気のあるサトルは、アキトにとって目障りでしかないだろう。だが、なぜサトルが風紀委員を指揮し、アキトの抹殺を命じるのか。
 考えられるのは風紀粛清としての見せしめだ。アキトは学園の問題児。それを処罰することによって新しい秩序を打ち立てようというつもりかもしれない。しかし、そうだとしても過激なやり口であるし、最初からアキトをターゲットにしていたかののような印象は否めなかった。
 サトルが手段を選ばずにアキトを排除したい理由とは何か。その手先となって忠実に動く風紀委員たちにも不可解な点が見受けられた。
 何か水面下で陰謀が進行しつつある。大神の自慢の鼻はきな臭さを感じ取っていた。
 とにかく、それをアキトへ伝えるにしても、まずは背後の薫を振り切らなくてはならなかった。とはいえ、足の速さには、かなりの自信がある。今や読者からも忘れられていると思うが、これでもその正体は狼男なのだ。本気を出した大神と追ってくる薫との距離は徐々に開きつつあった。
「そいつを捕まえて!」
 悠々と逃げ切れるかと思いきや、そうは問屋が卸さなかった。前方から歩いてきた二人の男子生徒。左腕には見覚えのある腕章が。風紀委員だ。
 薫はアキトを捜索中だった二人に、逃走する大神の確保を命じた。二人の男子生徒は、一目で状況を把握する。大神は舌打ちした。
 学園中にサトルの配下がうろついていることを大神は改めて思い知った。つまり周りは敵だらけということになる。大神にはアキトのように、この状況で開き直れる図太さはなかった。
 しかし、だからといって易々と捕まるわけにもいかなかった。大神は二人の風紀委員に構わず、スピードを落とさない。
「止まれ!」
 一瞬、突進してくる大神にひるみそうになりながらも、二人の風紀委員は両腕を広げて立ち塞がった。それは職務への忠実さからか、それともサトルへの忠誠心からか。とにかく、身体を張って止めようという気概が見て取れた。
 大神は首から下げていたカメラを手に取った。そして、二人に向けてシャッターを押す。
 カシャッ!
「――っ!?」
 眩しいフラッシュが二人の目を潰した。大神はそのうちの一人の足の間を爪先からスライディングする格好ですり抜ける。二人は足を踏ん張ったあまり、大きく開きすぎていたのだ。
 リノリウムの床は勢いを殺すことなくよく滑った。通り抜けに成功した大神は足の裏でブレーキをかける。その反動で上体は手を突くことなく起き上がり、再び疾走体勢へと移った。
 その追っ手である薫にとって、今度は仲間であるはずなのに行く手を塞いでいる二人が邪魔になった。薫は大神をまねて、男子生徒の股の下をスライディングする。ところが持っていた木刀が余計だった。ちょうど切っ先の部分で男子生徒の股間を叩いてしまう。
 ちーん!(笑)
「はうっ!?」
 下半身の刺激に、男子生徒は腰を引き、情けない悲鳴を発した。薫の責任だが謝っている暇などない。愚図なこいつらも悪いのだ。とりあえず股間をすり抜けることはできたので、すぐさま追跡を続行した。
 なおも追ってくる薫を大神は振り返った。しつこい。速さでは大神に及ばないが、さすがにいつも剣道部で鍛えているだけあって、まだ追いかけるスタミナはありそうだ。大神は一気に撒くにはどうしたらいいか逃げながら考えた。
 ふと考え事をし始めた途端、大神は廊下の曲がり角で右からやってきた女子生徒とぶつかりそうになった。大神は慌てて避けようとする。だが、あまりにも勢いがついていたので、そのまま左肩から壁に激突してしまった。
「うわっ! 危なぁ!」
 大神と衝突しそうになったのは一年C組の桐野晶である。彼女もぶつかりそうになった瞬間、とっさに身を引いていた。バスケ部仕込みの運動神経の良い彼女でなければ、大神とぶつかっていただろう。
 壁に激突した大神は床に倒れ込んで呻いた。かなりのスピードが出ていただけに、その激突のダメージも大きい。その間に薫が追いついた。
「さあ、生徒会室に戻ってもらうわよ」
 薫はやや息を乱しながら、倒れている大神に命じた。その冷酷とも思える言い方に、近くにいた晶は驚いた。
「薫!? どうしたの!?」
「生徒会長が彼を呼んでいるの」
 薫は抑揚のない口調で答えた。大神が床で身じろぎする。
「そいつはご勘弁願いたいんだけど……」
「ダメよ。さあ、立って」
「薫、どうしちゃったんだよ?」
 横でやり取りを見ていた晶が、薫を揺さぶった。薫の様子がおかしい、と晶は見たらしい。だが、薫は無感情に晶を振りほどいた。
「やめて。こいつをかばい立てする気?」
「違うよ! そうじゃないけど、今日のアンタ、ちょっとおかしいよ!」
 同じ運動部のホープとして一目置いている薫に、晶は言った。そもそも、風紀委員の腕章をつけ、あの嵯峨という生徒会長の下で働いていることが気に入らない。生徒会長選挙のとき、晶は薫のように待田沙也加を応援したわけではないが、それでもあの圧倒的な勝利劇はなんとなく腑に落ちないものがあったし、誰にも束縛されずに自由でいたいというポリシーを持っている以上、この衆人環視が強くなった学園の雰囲気に苛立ちを覚えていた。
 しかし、晶の言葉など薫にはまったく届かないようだった。晶を無視し、大神に視線を向ける。大神は痛みをこらえながら立ち上がり、また逃げようとしているところだった。
「まだ逃げるつもりか」
 薫は木刀を振り上げた。それを見た晶は身を強張らせる。大神は身の危険を感じた。
 ブゥゥゥン、と空気を切り裂き、薫の木刀が大神の頭頂部を襲った。その刹那、大神はクラウチング・スタートのように足を蹴り、間一髪のところで薫の攻撃をかいくぐる。空振りした木刀は爆発みたいな大きな音とともに廊下の壁に無惨な穴を開けた。
「薫!」
 あろうことか殺意を持って凶器を振るった姿を目撃し、晶は薫を取り押さえようとした。薫は木刀を奪われまいとして、晶ともつれ合う。
 力で言えば、薫よりも身体が大きい晶に分があった。しかし、薫の抵抗は激しい。なかなか木刀を取り上げることはできなかった。
 二人が争っているうちに、大神はこの場を去ることにした。ところが、またしても他の風紀委員たちが集まってこようとしている。大神に逃げ道はなかった。
 ――いや、ひとつだけ。
 大神は廊下の窓を開けると、そこに足をかけた。ここは一階だ。難なく逃げ出せる。
 風紀委員たちは、あっという顔をした。大神はそれを尻目に、窓から身を躍らせる。そして、自慢の俊足を飛ばし、校舎から離れた。
 ここまで来ればひと安心だろう。薫ともみ合いになった晶のことが気がかりだが、今は逃げるだけで精一杯だ。大神は自分の身代わりのようになった晶に、心の中で詫びた。
 あとはアキトを捜し出し、早いところ合流したかった。だが、肝心のアキトがどこにいるか、さっぱり見当がつかない。今も風紀委員はあちこちをうろついており、アキトを捕まえようとしている。ひょっとすると、まだ発見されていないということは、すでに校内にはいないのかもしれない。大神はどうすべきか悩んだ。
 そのとき、狼男の鋭い聴覚が小枝を踏む小さな音を聞き取った。誰かが近づいてくる。追っ手か。大神は身構えた。
 敵か味方か、その正体を確かめるべく、大神は近くにあったクヌギの木の上に避難した。狼男の身軽さを持ってすれば容易いことだ。枝の上で身を潜め、息を殺す。
 やってきたのは、なんと嵯峨サトルであった。大神は思わず声をあげそうになる。単なる偶然か、それとも……。サトルは大神の真下で足を止めた。
「逃げてもムダですよ、大神くん」
 サトルは頭上を振り仰いだ。大神はいとも簡単に発見され、ギョッとする。サトルは悪戯っ子のように笑った。
「ダメですよ。余計な手間をかけないでください」
 そのとき、サトルの目が妖しく光ったような気がした。次の刹那、大神は枝の上に立っていられなくなる。まるでバランス感覚を失ったかのようだ。大神はフラフラした後、クヌギの木から落ちた。
 ドサッと、受け身も取れずに落ちた大神は、一瞬、息が詰まったようになり呻いた。不死身の狼男が、たかだか七、八メートルの高さから落ちたくらいで四肢が動かなくなるとは。大神は上から覗き込むサトルに目だけを動かした。
「ほらね。結局、キミはボクのところに戻ってくることになっていたんだよ。キミにはこれから手伝ってもらわなくてはいけないことがあるんだ。そう簡単にボクの下から離れないでもらいたいな」
「て、手伝うって何を……?」
「そりゃあ、もちろん決まっているじゃないか」
 サトルの目が再び光った。大神の意識が遠のいていく。落ちたせいではない。元凶は、この転校生だ。
 大神が昏倒すると、サトルは微笑んだ。これまで誰にも見せたことのない邪悪な笑み。
「キミには仙月アキトを始末してもらいたいのさ」

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