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WILD BLOOD

第13話 学園の支配者

−37−

 アキトの前に立つサトルからは、何の気負いも闘争心も窺えなかった。いつも取り巻きのようにはべっている女子生徒たちもいない。たった一人で現れ、ただ泰然自若として立っていた。
 その余裕たっぷりのスカし顔をアキトが気に入るはずもなかった。むしろ見ているだけで反吐が出そうなほどムカムカしてくる。アキトは指の関節をポキポキと鳴らしながら、どう料理してやろうかと考えつつ、ゆっくりとサトルへ近づいた。
「さぁて、まずはその二枚目ヅラを二目と見られない顔にしてやろうか」
 アキトからすれば当然のことなのだが、いきなり暴力に訴えようとする短絡的思考の帰結に、隣にいたつかさの方が慌てた。
「ちょっと、アキト! いきなり、そんな……」
「だぁーっ! お前はまだこいつが、ただの転校生だと思っているのか?」
「だって……」
「だって、じゃねえ! こいつには邪気がある。真っ当な人間なんかじゃねえ」
「えっ、そうかなぁ」
「まったく。お前、爺さんの古武道をすっかり怠けて、《氣》の感じ方が鈍くなったんじゃねえか?」
 アキトに指摘されて、つかさはグウの音も出なかった。
 古武道の修業を怠っているのは事実だし、それによって《氣》の扱い方も以前よりうまくいかなくなっているのも本当だ。さっき大神を斃した発勁にしても、本来ならばもっと早くに《氣》の充填が完了したはずで、それができなかったということは、認めるのは悔しいが、アキトの言うことが的を射ている証拠だろう。
 とはいえ、それでもつかさは釈然としなかった。アキトや大神のように人外の者であれば、いくら《氣》の感じ方が鈍くなっていると言っても、そうと判別できないということはないはずである。それは、いくら自分に自信がないつかさでも断言できた。現にこうしてアキトの隣に立っている今、明らかに人間とは異質な《氣》をちゃんと感じ取ることができている。この差異は陰と陽ほどに明白だ。一方、目の前のサトルからはアキトたちから感じられるような邪気はわずかで、つかさには普通の人間としか思えない。
 果たして、アキトの感じ方とつかさの感じ方、どちらが正しいものか。
「臭うぜ、臭うぜ。プンプンすらぁ」
 アキトはまるで汚物のような扱いで悪態をついたが、サトルの涼しげな表情は微塵も変わらなかった。
「どうやらあなたは、余程、僕のことが嫌いみたいですね」
「ああ、その通りさ」
「ならば、僕も言っておきましょう。僕もあなたのことが気に入らないと」
「上等だ!」
 それは互いの宣戦布告であったか。アキトはサトルの答えに満足したかのようにニンマリすると、拳を振り上げて突っ込んだ。それはまさに疾風ごとし。
 対するサトルは身構えることもなく、ただパチンと指を鳴らしただけ。まるで何かの合図であったかのように。
 次の瞬間、“黒研”の隣の教室から大勢の生徒が廊下に飛び出してきた。その彼ら彼女らはサトルの防波堤となってアキトの前に立ちふさがる。思い切りパンチを見舞おうとしていたアキトはたたらを踏んだ。
「にゃろぉ!」
「おや、どうしました? さしものあなたも一般生徒を巻き添えにするのは気が引けますか?」
 振り上げた拳の下ろしどころを失い、アキトはほぞを噛んだ。それを見て、サトルは微笑する。
 だが、攻撃を妨げられたアキトよりも愕然としたのは、その異様な光景を目の当たりにしたつかさであった。
「そんな……何で……」
 ハンサムなサトルが女子生徒たちに人気が高いのは分かる。しかし、あえて身を挺し、自らを犠牲にしてまでも守ろうとする献身的な人間が世の中にどれだけ存在するだろうか。こうして先を争うようにして教室から飛び出し、サトルの盾になろうとする一般生徒の姿には、背筋を寒くさせるような不自然さが否めなかった。
「僕は彼らによって選ばれた生徒会長です。彼らの投票があってこその代表ですよ。その僕に危害が及べば、こうして守られるのは当然のことではないですか」
 さも正論のようにサトルは言った。そんな彼に初めて、つかさは沸々と怒りが込み上げてくるのを感じる。
「……キミはそうされることが当り前だとでも言うの?」
「そうです。僕は彼らにとって唯一無二の存在なのですから」
「他人のために自分を投げ出すというのは、そんなに簡単なことじゃないよ。それを……みんなはキミ一人のために生きているんじゃないんだ。みんなを犠牲にして一人が無事であればいいなんて、そんなことは間違っている!」
 つかさにしては珍しく、声が大きくなった。サトルの目がスッと薄く細められる。
「ほう。そういうきれいごとを信じている人が、今どきの日本にいるとは驚きですね。天然記念物級の希少さだ」
 サトルは笑みを堪えきれないといった様子だった。そして、あえて自分を守ろうとしている人垣を掻き分けて前に出る。それは無意識のうちに、つかさへの興味を抱いたせいかもしれない。
「もっと現実に目を向けてください。民主主義なんて立派なお題目を唱えたって、結局、人々を統治するのは選ばれた一握りの人間です。その特権階級の人々は一般市民を踏み台にして立っている。その代わりとして、愚昧な民衆たちを導いてやるのですよ。そういうリーダーがいなければ、社会はその進むべき道を見失ってしまうんです。生徒会長になった僕には、この学校の生徒たちに道を示す、その使命がある。それは僕にしかできない。他の誰かではダメなんです。だからこそ、他の人たちを犠牲にしてでも、僕は自分に課せられた使命を果たさなくてはならないんです」
 凛とした、いかにも生徒会長らしい口調でサトルは話した。つかさは、そんな話など聞きたくないといった様子で首を振る。その奥歯は噛みしめられていた。
「そんなのはおかしいよ! 誰が偉いかとか、そうじゃないとか、人間はそんなことで価値が決まるわけじゃないでしょ!」
「やれやれ、『人間は平等である』なんて、使い古された言葉を使うつもりですか?」
 つかさの考えなど理想論に過ぎないと、サトルは鼻で笑う。しかし、それでもつかさはひるまなかった。
「そりゃあ、人間には貧富の差があり、頭の良し悪しや、運動の出来不出来、容姿の美醜だってあるよ。でも、それが人間なんだ。一人一人なんだ! ボクたちは他人を自分と同じ人間なんだって認めなきゃいけないんだよ! 自分のことが大切なら、他人も大切にしなきゃいけない! 自分が誰かに愛されたいなら、自分も誰かを愛すべきなんだ!」
「僕は誰かに愛されたいだなんて思いませんね。所詮、人間は独りなんですよ。僕は一人で充分。群れないと不安で仕方のない人間は、ただ弱いだけさ」
「そんなことない! 人間は独りでなんて生きられない! キミにだって、キミを生んで育ててくれたご両親がいるはずでしょ! 一緒に遊んでくれた友達! 勉強を教えてくれた先生! 買い物をすればお店の人がいるし、生活する上で必要なものは、食べ物や着ているものだって、顔も知らない誰かが作ってくれて、ボクたちの手元に届くんだ! こうやってボクらが生きていられるのは大勢の人たちの力があってこそなんだよ! キミはそんな基本的なことを忘れてしまっている! 一人一人が弱いことは別に悪いことじゃない! 弱いからこそ助け合って、人間は強くなれるんだ!」
 感情を高ぶらせたつかさの目は赤く潤んでいた。しかし、それでもサトルは動じない。つかさの言葉がサトルの胸の奥に響くことはなかった。
「どうやら、僕とキミの考え方は根本的に違うようです。いくら議論をしようとも平行線のままみたいですね」
「嵯峨くん!」
「よしましょう。何を言われようと、僕は自分の信念で行動する。キミが僕の言葉をいくら聞こうと、自分の信念を決して曲げないようにね」
「………」
「でも、今でもこんなことを信じている人が本当にいようとは。お目にかかれて光栄でした。きっと待田先輩もキミと同じことを言うのでしょうね」
 つかさは何とか説得を試みようとしたが、サトルが右腕を上げる動作に制された。その指がパチリと鳴らされる。
 サトルの無言の命令によって、再び一般生徒たちが動き出した。まるでゾンビ映画のように集団でつかさへ襲いかかる。三十人近い人数が廊下を圧して迫るのだ。逃げ場などない。
「わっ!」
 突然のことに、つかさは動けなくなった。先程は古武道で大神を鮮やかにノックダウンしたクセに、こういうところは反応が鈍い。今はまったく非力な少年でしかなかった。
 そんなつかさをいつも助けてくれるのはアキトだ。後ろからつかさの腕を引っ張って自分の背中にかばってやると、猪突する群衆を真っ向から受け止めた。
「もういい、つかさ!」
「アキト!」
「あいつはぶん殴らなきゃいけねえ野郎なんだ! 話し合いで解決だなんて無理なんだよ!」
「でも……」
「デモもヘチマもねえ! いい加減、敵に情けをかけるのはやめろ!」
 アキトはたった一人で群衆を食い止めながら、まだ迷いを見せるつかさを叱った。つかさの優しさは確かに美点ではあるが、生きるか死ぬかの瀬戸際では命取りになることもある。
 そんなアキトとつかさを見て、サトルは嘲笑した。
「美しいですね、友情とやらは。しかし、二人で僕に――いえ、僕らに立ち向かうのは愚かというものです」
 そう言ってサトルは、次の合図を出した。
 それに応じたのはアキトを押しつぶそうとしている一般生徒たちではなく、“黒研”にいた風紀委員たちだ。まさに挟み撃ちの格好で、今度は背後からつかさに襲いかかった。
「つかさ! 逃げろ!」
「に、逃げろって言われたって……」
 廊下に退路などあろうはずもない。あっという間に、つかさの小さな身体は人波に呑まれた。

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