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WILD BLOOD

第13話 学園の支配者

−39−

 嵯峨サトルが新しい生徒会長に就任して以来、琳昭館高校は変わった。
 変わったと言っても、どこがどうなったのか、表面的には周りの者に分からなかっただろう。しかし、明らかに生徒たちには顕著な変化が見られた。
 例えば、通学の電車やバスの中で席を譲ったり、面識がなくともすれ違う人々と挨拶を交わしたり、一種、模範的な生徒の姿が頻繁に目撃されるようになっている。それは周囲の人間からすれば歓迎すべきことであったが、どうして急にそのようになったのか、その原因を考えたら頭をひねざるを得ない。
 ただ外見的には以前とまったく同じで、学園の内情を知らぬ者は、感受性の強い青少年たちが何らかの影響を受けたのではないかと想像することぐらいしかできなかった。
 しかし、実際には、それがたった一人の少年によって作為的に行われたのだと知らされたら、誰も信じられなかったに違いない。
「理事長、このままでよろしいのですか?」
 琳昭館高校の理事長、玉石梓の部屋で、校長の信楽福文<しがらき・ふくふみ>がしきりとにじみ出る汗をハンカチで拭いながら、遠慮がちに尋ねた。小柄ではあるが、立派な腹鼓を持った体型だ。ワイシャツもスーツも前のボタンがはちきれそうだった。
 それとは対照的に、細身でしなやかな身体つきをした梓は、キツネのような目をさらに細めるようにして信楽校長を見つめた。その傍らには影のように、彼女の秘書兼ボディガードの不知火が、これも感情が微塵も読めぬ顔つきで直立不動している。二人から発せられる無言の威圧感に、校長の緊張はいやがうえにも高まった。
「転校生の嵯峨サトル。彼が新しい生徒会長になって一週間です。この学校はまったく様変わりしてしまいました。生徒たちは教師に従順になり、何ら問題も起こさず、ただひたすら勉学にいそしむのみ。それは一見、教育者には理想的な高校生の姿に移りますが、その半面、若者特有の活発さと申しましょうか、青春の発露と申しましょうか、そういったものが著しく失われてしまい、まだ未成年であるはずなのにどこか老成してしまったような、そんな印象をすら受けます。本当にこの現状を放っておいてよいのでしょうか?」
 根っからの小心者である信楽校長が理事長である梓に具申するなど、普段はあまりないことだ。それに問題の中心人物と目される嵯峨サトルは、梓の肝煎りで転入してきたことを承知もしている。それでも言わずにいられなかった、というわけだ。
 梓は机に肘をつくと、顔の前で手を組んだ。ちょうど口許を隠すような格好である。細いキツネ目だけが校長をねめつけていた。
「それで、何か困った問題でもあるって言うの?」
 別段、咎めるような口調ではなかったが、梓の言葉に信楽校長の心臓は縮みあがった。この部屋に長時間居続けたら、心臓麻痺でも起こしかねない。
「いえ、その……問題は特にないのですが……むしろ、何もないくらいでして……」
 あまりに汗を拭くせいで、すっかり手元のハンカチは濡れてしまっていた。
「ならば、特に気にするようなことではありません。嵯峨サトルくんによって、この学校は良い方向に改革された。そうではありませんか? 現に生徒たちは授業に取り組む姿勢が真剣になり、成績アップが見込まれている。また学校生活以外でも、万引きや家出といった、これまでに細々とあった問題がなくなりましたし、品行方正な生徒たちの態度に近隣の人々から評価も高まってきています。何を憂慮する必要があるでしょう?」
「は、はあ……理事長がそうおっしゃるのなら、私は別に……」
「そうですか。では、この件は以上で」
 梓は校長との会話を一方的に打ち切った。
 そのとき、ちょうど理事長室のドアがノックされた。
「毒島です」
 それは琳昭館高校の心理カウンセラー、毒島カレンの来訪だった。
 信楽校長はこれを潮に退散を決めた。入れ替わりにカレンが入って来る。まるで保険医のように白衣を着ているが、トップモデルも真っ青の容姿と美貌を持つ美人カウンセラーだ。
 すれ違いざま、軽く会釈した信楽が出て行き、ドアが閉められるのを確認するまで、カレンは話し始めるのを待った。
「校長はどうされたのです?」
 すると、初めて梓は笑みを見せた。信楽校長に対するときの態度とは明らかな違いがある。
「いつもの病気よ。あのタヌキは何か問題が起きると、それが自分の身に降りかかって来ないかビクビクする。どうせ、巣穴の中に隠れて、じっとしているしかないのにね」
 梓は見下すように、そう校長を評した。そして、意味ありげにカレンの顔を見る。
「あなたもこの状況を好ましく思っていないようね」
 図星を差されたらしく、カレンは肩をすくめた。秀麗な美貌をわずかに歪める。
「おっしゃる通りです。仙月アキトの姿が消えてから一週間、何の動きもない。彼ならば、すぐに逆襲に転じると思ったのですが。本当に彼は嵯峨くんの手に堕ちたのでしょうか?」
「おそらくはそうじゃないかしら。嵯峨サトルも見くびったものじゃないということね。――仙月アキト・ファンであるカレン先生としては、ご不満?」
「ええ、彼の力を追い求めてきた私としては。第一、たかがス――」
「カレン先生」
 梓がカレンの言葉を遮った。有無を言わせぬ迫力。カレンは口をつぐんだ。
「嵯峨くんの出自がどうだろうと、仙月くんがそれに敗北すれば、所詮はその程度に過ぎなかったということ。ただ、私たちが買いかぶりすぎたのではないでしょうか。そうではなくて?」
「………」
 唇を噛むカレンに、梓は婉然と微笑んだ。
「とりあえず、あと少し様子を見てはどうです? 私とて、あれで終わりとは思えないのです。ちょっとすると、これから面白いものが見られるかもしれませんよ」
「………」
 カレンは、すべてを仕組んでおいて高みの見物を決め込む梓に、畏怖の念を抱かずにいられなかった。



 三時限目の授業が終わった。お昼休みまで、あと一時間少々。一年C組の伏見ありすは机の上に突っ伏しながら、黒板の上にある時計の針をジッと睨んだ。
 これまでずっと楽しかったありすの学園生活は、このところ、ちっとも楽しくなかった。それもこれも風紀委員の厳しい監視の下、規則正しい学校生活を強いられているからだ。
 校則違反を犯した者や、その他、学生としてあるまじき行為をした者は、皆、一人の例外なく風紀委員に引っ立てられ、反省室送りにされていた。そして、そこから帰ってきた者は、なぜか模範的な生徒となり、以後、これまでとは真逆の、大人しく従順な性格になってしまうのだ。
 ありすのクラスメイトである桐野晶も、近頃、様子がおかしかった。以前は脱力系のテンポを持つありすに対して、手のかかる妹のように可愛がってくれたが、最近は素っ気ない反応をします。クラスの――というより、本校のムードメーカーだったはずの徳田寧音もそうだし、黒井ミサに至っては授業に出てさえいなかった。
 そういう同級生の異変を見ているありすは、なるべく風紀委員の標的にならぬよう気をつけてきた。他の多くの生徒たちもそうだろう。今や風紀委員は恐怖の対象であり、いつ誰が自分を監視しているのか、また餌食となるのか、戦々恐々とするしかなかった。
 しかし、これまでの習慣というものは、なかなか直すことができないものだ。ありすは無類のお菓子好きで、これまでは授業の合間につまみ食いするのが日課になっていた。時には授業中にこっそり食べていることもある。だが、それは本来、当然のことながら禁じられていた。今までは見逃されてきたが、この厳しい風紀で律せられる状況では、見つかり次第、即刻、大罪として断じられるだろう。
 それでもありすはお菓子を食べたいという欲求を抑えられなかった。お腹があまりに空きすぎて、授業も身に入らない(それはいつものことか)。頭の中に浮かぶのは、大好きなお菓子のことばかり。そんなわけで、見つからなければ平気だろう、という邪な考えが、ありすの中で風船ガムのように膨らんだ。
 そう思うようになると、もう我慢できなかった。ありすは席を立つと廊下へ出た。お菓子はすでにポケットの中に入っている。朝、コンビニで買ってきたチロルチョコだ。あまり大きいものを学校に持ち込むと、風紀委員に見つかる恐れがある。その点、チロルチョコならば隠し場所に困らない。
 ありすはどこで食べようか考えた。なるべく人が来そうにない場所。それでいて、あまり遠くない所。四時限目はじきに始まってしまうので、すぐに教室へ帰って来なければならない。
 普段から、ぽーっとして、周囲から能天気のレッテルを貼られたありすにしては、これまでにないというくらい頭をフル回転させ、校内の安全地帯を検索した。
 だが、結局のところ、屋上くらいしか考えつかなかった。昼休みは空の下でお弁当を広げている生徒も多いが、時間が短い授業の合間なら誰も来ないだろうという結論だ。
 そうと決まれば善は急げ。ありすは誰かの注意を引かないよう気をつけながら、足早に屋上へ向かった。
 天はありすに味方をしたのか、おっかなびっくり覗いた屋上には誰もいなかった。ありすはこれ幸いと屋上へ出ると、ポケットに入ったチロルチョコを取り出す。手の平の上でコロンと転がったのは、パンプキンポテト味だ。この秋限定の新商品である(実際には売られていないと思いますので、ご注意ください)。ありすも初めて食べるので、口にする前から期待にわなないた。
 待ちきれないといった感じで包み紙を開くと、一口サイズのチロルチョコ・パンプキンポテト味を口の中に放り込んだ。たちまち溶け出すチョコレート。そして、旬のカボチャの甘みが口内に広がる。空腹感を一瞬で満たしてくれる至福の味わいだった。ありすの顔が自然にほころぶ。
 そのとき――
「見ぃーたぁーでぇえ!」
「――!」
 チロルチョコに夢中になっていたせいで、ありすはすっかり油断していた。背後からの声にぎくりとする。まるで背後に怨霊の気配でも感じたかのように、ありすは恐る恐る振り返った。
 パシャッ!
「キャッ!」
 途端に眩しいフラッシュがたかれ、ありすは驚いて目をつむった。しかし、相手は声と口調から予想していた人物に間違いない。
 それはありすのクラスメイトでもある徳田寧音であった。
「ねねちゃん!」
 目をいくらかしばたたかせながら、ありすは幾分、ホッとした。間食がバレた相手が、親しい寧音であったからだ。
 ところが寧音の目は、抜け目のなさはいつも通りだが、常に笑いとノリを忘れぬ関西人らしい親しみやすさがまったく見られなかった。それどころか、ありすを犯罪者のように蔑んでいるようにさえ感じられる。
「ありすはん、今、何食べてたん?」
 疑いの眼差しを遠慮なく浴びせながら、寧音は尋ねた。ありすの表情に怯えが走る。
「な、何って……そんな……何も食べてなんか……」
「ウソや!」
 とっさにウソをついたありすに、寧音は強く断じた。ありすは言葉を呑み込む。目の前の寧音は、外見こそまったく変わっていないが、中身は別人のようだった。
「う、ウソなんて、そ、そんな……」
 どうにかシラを切り通そうとするが、声が震えてしまった。寧音の眼鏡が光る。
「なら、これは何や!?」
 いきなり寧音は、ありすの右手首をつかむと、力任せにねじりあげた。あまりの痛さにありすは顔をしかめる。その拍子に、右手に握っていたチロルチョコの包み紙がはらりと落ちた。寧音はありすを冷たく一瞥してから、それを拾い上げる。
「ははあ、チョコレートを食うてたんかいな」
「お願い、ねねちゃん! もうしないから、今日は見逃して!」
「何や、懇願すれば許されるっちゅう思うてんのかいな? 甘いで。校内でお菓子を食べることは禁止のはず。ありすはんも、それを知っとるさかい、こないなところでコソコソと食べてたんやろ?」
「ごめんな……さい……」
「だから、謝ったって何にもならへんて。しっかりと反省してもらわんとな」
 寧音は冷酷に言い放つと、手にしていたホイッスルを咥え、それを鳴らした。

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