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話はその前日にさかのぼる――
「ただいまぁ」
「お帰りー」
歌謡番組を見ながらホットケーキを食べていた仙月美夜は、兄、影人の帰宅にもテレビから目を離そうともせずに生返事で出迎えた。影人はこのところ仕事が忙しいのか、朝も夜も美夜との生活パターンが合わない。こうして顔を合わせることさえ、何日かぶりだった。
美夜はフォークをマイク代わりに、今、ティーンエイジャーに人気が高いアイドル・グループの振り付けを真似ていた。そのくせ、大好物のホットケーキを口に運ぶことも忘れない。仕事でくたくたの影人はネクタイを外しながらそんな妹を見て、器用なものだと感心した。
「一人か?」
風呂でも入ろうかとぼんやり考えながら、影人は何気なく尋ねた。弟のアキトとも、このところすれ違いばかりだ。普段から二人の生活に干渉しているわけではないが、一応、弟たちの保護者として把握しておくのは当然だろう。
美夜は「一人だよ」と答えながら、まだ上半身をくねくねさせて踊っていた。そうか、と影人は自室へ行きかける。すると、美夜が思い出したように言った。
「そういえば兄貴、ここ何日か帰ってないような」
「は?」
妹の言葉に影人の足が止まった。茫然と美夜の後ろ姿を見やる。
ようやくアイドル・グループの曲が終わり、CMに入ったとき、美夜は最後のホットケーキをもぐもぐしながら振り向いた。
「いつからだったっけかなぁ。とにかく、このところ帰ってないみたい」
「帰ってないみたいって……。お前、心配じゃないのか?」
「だって、あの兄貴だよ。殺したって死なないじゃん」
確かに、アキトは吸血鬼<ヴァンパイア>だ。ほぼ不死身なのは間違いない。
影人は無頓着な妹の返事に頭を痛めた。
「それはそうかもしれないけど、何かトラブルに遭った可能性だってあるだろ? もしも僕らの正体がバレるようなことがあったら、またどこかへ引っ越さなきゃいけないんだよ、美夜」
「えーっ!? また引っ越すのぉ!?」
美夜はようやく新しい学校で新しい友達を作り、この町での生活に慣れてきたところだったので、それが一からやり直しになるのは嫌だった。そうなるとアキト一人の問題ではなくなってくる。
影人はそんな妹をなだめるように、
「そういうこともあるってことだよ。だから、明日にでもアキトの居所を見つけて来てくれないか。生憎と僕は仕事だから手伝ってあげられないけど」
と説得した。
「……まったく、バカ兄貴のヤツ!」
――というわけで、翌日、美夜はぶつくさ文句を言いながら、兄のアキトが通う琳昭館高校へ来ていた。以前にも出入りしたことがあるので、もう勝手は分かっている。お供にアリゲーターのゴエモンも連れていた。
「つかさお兄ちゃんか薫お姉ちゃんはいないかなぁ」
影人に言われて捜しに来たものの、美夜に真剣さは足らなかった。むしろ、せっかくここへ来たのだから、つかさや薫に遊んでもらおうと思っている。いわばアキトのことはついでだった。
校門から中に入ると、美夜は下校しようとしていた生徒たちの目を引いた。明らかに本校の生徒ではない中学生であることはもちろん、やはり獰猛なアリゲーターを伴っていることが大きな理由に違いない。ほとんどの生徒が、その場で凍りついていた。
そんな美夜を見咎めて、数名の生徒が飛んできた。
「待て! 何者だ!?」
その生徒たちは、皆、左腕に風紀委員の腕章をつけていた。許可なく立ち入った部外者の美夜とゴエモンに、警戒心を露わにする。
「私、仙月美夜。一年A組の仙月アキトの妹よ。兄を捜しているの。どこにいるか知らない?」
風紀委員たちの殺気も知らぬげに、美夜は平然と尋ねた。アキトの名前が出て、なおさら風紀委員たちに敵愾心が芽生える。
「そうか、仙月の妹……。ならば一緒に来い。兄のところへ連れて行ってやる」
一人の風紀委員が美夜の手をつかんで、引っ張って行こうとした。しかし、美夜はそれに抗い、その手を振り払う。
「イヤっ! 私に触らないで! 行くというのなら、一緒に行くわ」
年下の中学生ごときに抗われ、その風紀委員は気色ばんだが、それ以上は手荒なマネをしようとはしなかった。
美夜はゴエモンとともに、風紀委員に連れられて校内に入った。どこへ行くのかと思ったら、一階の教室みたいなところだ。ドアの上に『生徒会室』とあった。
「少し待て」
さっきの風紀委員が一人で生徒会室に入った。美夜が待たされたのは一分少々。やがて入るように促された。
生徒会室には数名の生徒がいた。男子生徒が四人と女子生徒が一名。そのうちの一人は見覚えのある大神憲だった。
中へ入った瞬間、美夜は鼻をむずがせた。美夜も吸血鬼<ヴァンパイア>。妖気や邪気には敏感だ。ちなみにそれは狼男の大神のものではない。美夜はこの学校が変異に取り込まれていることを悟った。
「これはこれは可愛い妹さんだ」
椅子から立ち上がって、美少年が歓迎した。美夜は面食いだが、この美少年には心を許さない。この邪気の持ち主はこいつだ。
「どちら様?」
「これは失礼。僕は嵯峨サトル。この学校の新しい生徒会長です」
サトルは美夜が連れているゴエモンを見ても、その涼しげな表情をまったく崩さなかった。美夜は剣呑な目つきをする。
「ふーん。どうやら、兄貴の友達――ってゆうわけじゃなさそうだけど」
するとサトルは含み笑いをした。
「どうやらキミは、お兄さんと違って賢そうだ。歓迎しますよ」
「私は兄貴の居場所を知りたいだけ。教えてくれたら帰るから」
「お兄さんなら、この学校の中にいますよ」
「この学校のどこ?」
「それは言えません」
サトルははぐらかした。美夜の可愛らしい顔は、今や険悪さを露わにしている。
「だったら、なぜ私をここに?」
「僕はこの学校の秩序を守りたくてね。キミはそれを壊しかねない、危険な存在だ」
「最初から決めつけているでしょ?」
「ええ。だけど、僕の言うことはいつも正しい」
サトルは微笑みながら、ずっと目の前の美夜を見つめ続けていた。美夜は自分の意識が、段々とぼんやりしてくるのを覚え、ハッとする。だが、いささか気づくのが遅かったようだ。
「あなた……私に……」
「どうやら僕の術が効いてきたようですね。あなたのお兄さんには通用しませんでしたが、やはり成熟の差でしょうか」
美夜は立ちくらみでもしたかのように、その場にしゃがみこんだ。目が回り、頭がガンガンしてくる。何者かに意識を奪われるような気がした。
「お兄さんは僕に逆らい、残念なことになりましたが、キミとなら仲良くやれそうだ。そんなに拒む必要はありません。苦しみが長引くだけですよ。ここにいる伊達先輩や待田先輩も、最初は僕のことを理解してくれませんでしたが、今は生徒会の一員として、よく働いてくれています。みんなが手を結べば、この学校だけでなく、世界が平和になるんですよ」
「そんな……あなたのお仕着せの世界なんか……!」
「フフッ、そういう頑固なところ、お兄さんにそっくりだ。でも、あきらめてください」
「……ヤだ! 絶対にイヤッ! ――ゴエモン!」
美夜の声に、今まで剥製のように大人しかったゴエモンが口を開けた。その中には発射態勢完了のミサイルが、すぐにも飛び出そうとしている。
これにはさすがのサトルも青ざめた。
「な、何を――!?」
制止する間もなく、ゴエモンの口からミサイルが発射された。それは生徒会室の中をあちこち飛び回った後、窓側の壁に命中する。鼓膜が破れそうな爆発音とともに、外へ風穴が開けられ、中にいた他の生徒たちは吹き飛ばされた。
「逃げるよ、ゴエモン」
必死に意識を保とうとしながら、美夜はゴエモンの背にしがみついた。ゴエモンは美夜を乗せ、生徒会室の外へ脱出する。アリゲーターにあるまじき俊敏さであった。
「くっ、おのれ! 大神、追え!」
室内に舞う粉塵に咳き込みつつ、サトルは立ちあがると命令を下した。この状況で動けるのは、人間ではない大神しかいない。大神は人の姿から狼男へと変身すると、美夜たちを追いかけた。
「逃がすなよ、大神」
目に憤怒の炎を燃やしながら、サトルは呟いた。
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