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その頃、美夜のペットであり、サイボーグ手術を受けたアリゲーターのゴエモンは、忠実に任務を遂行していた。すなわち、アキトの発見、救出である。
ゴエモンは破壊された体育館の近くまで来ると、チーターのように走っていた足を急に止めた。そこはアキトと《ワニガメ童子》が死闘を演じた古戦場。そんな場所でゴエモンは鼻面を左右に向けながら、まるでアキトの匂いを嗅ぎ取ろうとしているかのようだった。
しばらく鼻をひくつかせていたゴエモンだったが、やがて黄色いテープが張られて立ち入り禁止となっている体育館へ進んで行った。《ワニガメ童子》の自爆によって半壊した体育館は、まったく修理の目処が立っておらず、おそらくは取り壊しとなって、新しく建て替えられることになるだろう。体育館を使用していた運動部には、練習場所がなくなるという頭の痛い問題だった。
そんなことを知ってか知らずか、ゴエモンは黙々と進み続けた。まだ瓦礫は片づけられていないが、そんな障害もなんのその、短い四肢を巧みに動かし、悠然と乗り越えて行く。その間にも、絶えず鼻を利かせていた。
ゴエモンは体育館前方のステージへ辿り着いた。ステージは床よりも一メートル五十センチほど高く作られており、その下には五百脚以上のパイプ椅子が収納されている。幸いにも爆発の被害はステージに及んでいなかった。
そのステージの前でゴエモンはしきりに捜索した。しばらく左右にうろうろしていたが、そのうちに匂いの痕跡を特定できたのか、ある箇所で動かなくなる。ジッとパイプ椅子が入っている収納スペースを睨み据えた。
そのまま微睡でもするのではないかと思われた刹那、ゴエモンはやおら肢体を百八十度反転させると、しならせた尻尾をステージに叩きつけた。それはステージ下に穴を開け、収納スペースのカートを揺るがす。ゴエモンの尻尾はアリゲーターのそれというよりは、まるでゾウの鼻のような器用な動きを見せ、その穴をひっかけるようにして、パイプ椅子が収納されているはずのカートを引き出した。
ところが、その中にカートはなかった。あったのは、体育館という場所柄にはおよそふさわしくないもの――それは漆黒の棺であった。
誰がなぜ、ここへ隠したのか。棺は西洋風で大きく、とても頑丈そうだった。ゴエモンはその棺へ向けて、ニ撃目の尻尾を叩き込む。だが、破壊力抜群なはずの攻撃にも、棺はびくともしなかった。ゴエモンはさらに壊そうと数度試みる。しかし、それも通用しなかった。
ゴエモンの丸い目が不機嫌に回った。壊れない棺にイライラしたらしい。尻尾での破壊をあきらめ、黒い棺に向き直った。
次に何をするかと思いきや、ゴエモンはおもむろに口を開けた。その中を覗き込んだ者がいたらギョッとしたに違いない。口の中で一発の小型ミサイルが発射されようとしていたのだから。
バシューッ! ドーン!
紛争が続く異国の地ならばともかく、平和な日本の、それも一高等学校の中で起きる出来事とはとても思えなかった。ゴエモンが発射したミサイルは棺に命中し、そのまま木っ端微塵に吹き飛ばす。中から人間のようなものが飛び出した。
「ぎゃああああああああっ!」
それは明らかに悲鳴だった。それもミサイル攻撃を受けたにもかかわらず、どうやら生きているらしい。あるいは、それが断末魔だったのか。
棺の中から飛び出した男は、瓦礫の中に突っ込んだ。普通の人間なら死は免れない。しかし――
瓦礫から、死人のような腕が突き出た。それは瓦礫の山をまさぐると、不意に力を取り戻したかのようになり、続いて頭、そして上半身が現れる。最後に足が瓦礫を踏みしめると、棺の中の男はゆらりと立ちあがった。
「オレ……ふっかぁぁぁぁぁぁぁぁぁつぅ!」
爆発のせいでボロボロの出で立ち&埃まみれではあったが、男は拳を握りしめ、天に向かって吠えた。その男こそ、仙月アキト!
ゴエモンは任務達成の喜びを噛みしめるように、ギュッと目をつむった。
アキトは改めて、自分が閉じ込められていた場所を見回した。
「ったく、やってくれたな、嵯峨のヤロー! この仕返しは百万倍にしてやるぜ!」
サトルへの復讐を誓いながら、アキトは言葉を絞り出した。顔にはまだサトルに殴られた痕が痛々しく残っており、切った唇の端からも血が滲んでいる。まるで、たった今、やられたかのように。
アキトが閉じ込められていた棺には、一種の呪いがかけられていた。すなわち吸血鬼<ヴァンパイア>の能力を奪う呪いだ。棺の中に入れられたアキトは、もちろんのこと脱出を試みたが、いくら叩こうと蹴ろうと、びくともしなかった。まるで吸血鬼<ヴァンパイア>の力を失い、ただの人間にでもなってしまったかのように。おまけに負傷した箇所に関しても、普段ならけろりと治るはずが、いくら経っても治癒せず、その生々しさをさらし続けていたのだ。
そんな棺の中からようやく出られて、アキトは思い切り伸びをした。外の空気を胸一杯に吸い込み、生きている実感を存分に味わう。早くも超常的な治癒能力が働き、顔の腫れなどを引かせていた。
お前を助けたのはオレなんだぞ、とでも言いたげに、ゴエモンがアキトに近寄った。アキトは初めて、ゴエモンがいたことに気づく。
「なんだ、お前がやったのか? 随分と手荒な救助方法だったが、文句は言わねえことにしておくぜ。よくやってくれたな」
アキトは頭でも撫でてやろうと手を伸ばしかけたが、その途端、ゴエモンが食らいついてきた。慌てて手を引っ込め、肝を冷やす。
「ば、バカ野郎! 何しやがる!」
自分を助けたのは何かの間違いではなかったのか、アキトは疑いたくなった。ゴエモンはなおも大口を開けて、アキトに噛みつこうとしてくる。アキトは命の恩人――いや、恩ワニ?――を蹴り飛ばした。
「ふざけるな! そりゃ、甘噛みのつもりか!? お前に噛まれたら、がっつり肉を持って行かれちまうってーの!」
仰向けになってジタバタしているゴエモンに、アキトは歯を剥き出しにした。
まだ動けないゴエモンをそのままに、アキトは体育館から出て行こうとした。しかし、ふと第三者がいることに気づき、頬の筋肉が痙攣する。
そこに会いたくないヤツがいた。
「やっぱり、様子を見に来て正解だったみたいですね」
アキトの大嫌いな嵯峨サトルが、澄ました笑顔で立っていた。アキトの目が殺気に光る。
「早速のお出迎えかよ。痛み入るね」
「あなたの妹さんがいらっしゃったのでね。もしかしたらと思ったんです」
ゴエモンが美夜の差し金であることくらい、アキトにも分かっていた。
「あいつは?」
「大神くんに追いかけるよう命じました」
「へっ、イヌにか。あいつじゃ、美夜の相手にならねえよ」
「吸血鬼<ヴァンパイア>と狼男。古からの主従関係ですか。でも、大神くんの今の主人は僕であることを忘れないでください」
アキトは考えた。美夜が大神と戦ったら勝てるかどうかを。しかし、すぐにそんなことは頭の隅に追いやる。要はサトルを斃しさえすれば、すべてにケリは着くのだ。
「心理的な揺さぶりか。勝ち目が薄いと、色々な策を練らなくちゃならなくて大変だな、てめえも」
「何ですと?」
サトルはアキトの今の言葉を聞き咎めた。それはサトルの神経を逆撫でることに成功したらしい。笑みは消えていた。
アキトは胸を張った。
「てめえはオレを恐れている。オレがてめえよりも強いことを知っているからだ」
「僕が恐れる? あなたを? バカな――」
「てめえは知っている。オレを斃すことは絶対にできないと」
「そんなことは――」
「だから、オレを棺の中に閉じ込めたんじゃないのか?」
「――っ!」
「オレを斃すことができるなら、最初からそうしていたはずだろ。だが、てめえはそうしなかった。いや、できなかったんだな。できてりゃ、あの絶好の機会を逃さなかったはずさ。てめえはオレを棺に閉じ込めることによって、永久に葬ろうと考えた。何しろ、それしか思い浮かぶ手がなかったからな」
「ふ、ふざけたことを」
サトルは否定した。しかし、その声は微かに震えている。
「キミを完全に始末しなかったのは僕の温情だよ。いくら救いようのないクズだと言っても、息の根を止めるまでには至らないと思ってね」
「ならば、自分の甘さを後悔するんだな。このオレ、仙月アキトを敵に回したことを! オレは何度でも立ち上がり、てめえをぶっ潰す!」
アキトはサトルに向って駆けた。問答無用の先制パンチ。とにかく殴らなくては気が済まない。
サトルはかろうじて一発目を避けたが、二発目をボディに食らった。アキトのパンチが臓腑を抉る。胃液が逆流し、苦いものが込み上げてきた。
「どうだ、オレの怒りのパンチは! てめえのへなちょこパンチなんて、比べものにならねえぜ! ――それ、もう一発!」
今度は顔面へパンチを見舞った。サトルは吸血鬼<ヴァンパイア>の能力を全開させたアキトのスピードとパワーに圧倒され、何もできない。華奢な身体が体育館の真ん中まで吹き飛んだ。
勝負は呆気なく終わったかに見えた。瓦礫に埋もれるようにして倒れ込んだサトルは、ぴくりとも動かない。しかし、たった二発だけのパンチを叩き込んだアキトは、まだ殴り足りないといった様子で、肩を怒らせたまま、サトルが立ち上がるのを待っていた。
サトルは立った。唇は切れているが、思ったよりもきれいな顔は原形を留めている。少し足元がふらついているのは仕方ないか。
手の甲で血を拭い、それをぺろりと舐めた。サトルはアキトを見つめる。
「なるほど、これが本物の吸血鬼<ヴァンパイア>の力。確かに凄まじい。僕なんか足下にも及ばないね……」
それは敗北宣言ではなかった。サトルの目は、まだ死んでいない。瞳の奥に昏い炎がちろりと燃えている。
「だけど、キミを斃すのは、何も僕でなくてもいいんだよ。そうだろ? キミを斃すのにふさわしい人間がいる。――武藤くん」
サトルがその名を呼んだとき、アキトはハッとした。アキトが一番恐れていたことが、今、現実になろうとしている。
体育館へ現れたのは、武藤つかさだった。
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