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「つかさ……」
現れた親友の姿を見て、アキトは茫然と呟いた。つかさはアキトを認識しながらも、いつもの屈託ない友への笑顔などはまったくの皆無。それどころか、真っ直ぐにアキトを見据える目は、明らかに敵対者へ向けられるものだった。
「武藤くん、すまないな。キミの力を借りなければならない」
サトルは隣へ立ったつかさの肩へ何気なく触れた。
「やめろ!」
その刹那、すぐにアキトのカッとした声が飛んだ。その顔を見れば、歯ぎしりさえ聞こえてきそうである。
「つかさに触れるな!」
触れるな、と言われ、サトルはニヤリとした。明らかな嫌がらせとして、必要以上に馴れ馴れしく、つかさに触れる。指先が小児みたいに柔らかそうな頬を撫でた。
「例えば、こんなこととか?」
「てめえっ!」
頭に血を昇らせたアキトは、すぐにも殴りかからんばかりだった。しかし、相手の手元にはつかさがいるのだ。人質がいては手出しできない。これでは先日と一緒だ。
葛藤に苦しむアキトを見ながら、サトルは優越感に浸った。腕力がすべてではない。相手の弱味を握れば、非力な者でも優位に立てる。
「フフッ、安心したまえ。確かに武藤くんは女の子みたいに見えるけど、僕にそっちの趣味はない。彼の貞操を奪うようなことはしないよ」
そうは言いながらも、サトルはアキトを嘲弄するように、つかさの頬をくすぐるのをやめようとはしなかった。アキトは拳に力を込めすぎて、握った手の平から血が滲み出す。怒りはものの一秒もかからずに沸点に達していた。
「嵯峨、てめえ、ぶっ殺すぞ!」
「まあまあ。僕とやる前に、武藤くんとやってもらうよ。もっとも武藤くんでは、キミの相手になんかならないかもしれないけどね」
サトルに送り出されるようにして、つかさが前に進み出た。アキトは敵に回った親友を見つめ、苦悶の表情を浮かべる。つかさと闘わなければならないのか。
「行くぞ、アキト!」
「――っ!」
体育館の床を蹴り、つかさが突っ込んできた。アキトはつかさの人を傷つけたくないという、生来の優しい性根に期待し、攻撃してこないことを祈ったが、それはあっさりと裏切られる結果となる。つかさの繰り出したパンチがアキトのこめかみをかすめた。
「ほう」
それを見て感心したのはサトルだ。虫も殺さないような少年にしては、パンチの打ち方が様になっていると思ったのだ。サトルはつかさの体得している格闘技について、まったく知らなかった。
「つかさ、やめろ!」
死角へと回り込みながらアキトは懇願したが、つかさはそれに応じようとはしなかった。まるでアキトの声など届いていないかのように。
アキトの動きはつかさに捕捉されていた。死角などないかのように、すぐに後ろ回し蹴りが飛んで来て、危うく一発食らいかける。寸でのところを、アキトは腰を引くようにして、つかさとの間合いを取った。
「これは……!」
この対決、アキトが手を出せないであろうことは予想されたことであったが、それよりも意外につかさの格闘センスがいいことに、彼を術にかけたサトルは目をみはった。しかし、つかさの真の実力はこんなものではない。つかさのことを何も知らないサトルは、さらに驚かされるはめになった。
「破ッ!」
打撃が届かない距離を取ったアキトに、つかさの発勁が襲った。それは《氣》の塊として、通常のパンチの数倍に及ぶ威力を生み出す。いくら強靭な吸血鬼<ヴァンパイア>の肉体を持つといっても、これをもらうわけにはいかない。アキトは飛ぶようにして避けなければならなかった。
直撃を免れても、風圧に身体が持って行かれそうだった。つかさは引き続き、《氣》を練っている。アキトは立ちあがり、逃げの一手に転じた。
一方、つかさの発勁を目撃したサトルは、見たこともない技に言葉も出なくなっていた。何が起きたのか、瞬時に理解できない。
茫然としたようなサトルの姿を一瞥しながら、アキトはつかさを中心点として弧を描くように走った。再び、つかさの発勁が飛ぶ。しかも連射。二十センチにも満たない際どさで、近くの瓦礫が次々と砕け散った。
(そろそろか!?)
つかさの発勁に対し、アキトはただ万策尽きて逃げ回っていたわけではなかった。アキトが闘うべき相手はつかさではない。サトルだ。つかさを操っているサトルを仕留めれば、この戦いはそれで終わる。
(今だ――!)
発勁という技の珍しさに、当事者であることを忘れたようなサトルに向って、アキトは急に方向を変え、スピードもギアチェンジした。サトルを盾にし、トドメを刺すのが目的だ。今、サトルは油断している。
「嵯峨ァ!」
「――なにっ!?」
不覚にもサトルは、アキトがこちらへ向かってくることに気づくのが遅れた。今から避けようとしても、距離は詰められており、しかもアキトの方が速い。これでジ・エンドだと、アキトは確信した。
だが、サトルへ手が届く一歩手前、アキトは猛烈な衝撃を胸板に受け、まるで見えない障壁に跳ね返されるように吹き飛んだ。アキトの身体は、まだ残っていた体育館の壁まで飛び、それを頭から突き破る。サトルは信じられないものを見たかのように、後ろを振り返った。
言うまでもなく、アキトを吹き飛ばしたのは、一瞬早く発勁を放ったつかさだった。アキトの目論見を看破し、角度のないところから正確に撃ち込んだのは見事としか表しようがない。この無垢なる少年が、これほど闘いに秀でていようとは。それを見破れる者が、この世界にいかほど存在するだろう。サトルは息を呑んだ。
「痛てててて……」
新しく開いた壁の穴から、埃のせいで頭を白くしたアキトが這い出てきた。さすがにつかさの発勁は効いたらしく、胸を押さえ、顔を苦痛に歪ませている。それでもすぐに立ちあがって見せたのは、吸血鬼<ヴァンパイア>という亜人間である証拠だった。
「くぅ……あと少しのとこだったんだがな……」
起死回生の一手が阻止されてしまい、アキトは悔しそうだった。もうサトルは油断すまい。つかさの強さも充分に理解したはずだ。
「僕は思ったよりも強力なカードを手に入れていたみたいですね。最高の切り札――スペードのエースを」
サトルは感嘆したように言った。それを聞いて、アキトは皮肉る。
「おいおい、おつむがいい割にはものを知らねえんだな。最高の切り札ってのはスペードのエースじゃねえ。ジョーカーのことを言うんだ」
「なるほど。これはうっかりしていました。――で、あなたはこちらの手札を上回るジョーカーを持っているとでも?」
「残念ながら、そんなものはねえよ。だが、ゲームってのは、いつだって一発逆転の可能性を秘めているもんだぜ」
「そんなことが出来ると、本気で思っているんですか? 無理ですよ。あなたは武藤くんに手を上げることは出来ない。両手両足を縛られて闘うようなものですよ」
「それでもオレは、あいつを信じている。――つかさ!」
アキトは人間の友に呼びかけた。つかさに反応はない。それでもアキトはやめなかった。
「つかさ、もうやめろ! オレはお前と闘いたくなんかねえ! 大体、オレたちが闘う理由なんてねえだろ! ヤツに操られるな! 自分を取り戻せ!」
それに対するつかさの答えは――
ドン!
再びアキトの身体が宙に舞った。つかさの発勁の一撃だ。これが返答だった。
防御もせずに、まともに食らったアキトは、しばらく瓦礫の上に大の字になって倒れ込んでいたが、それでもテンカウントの鐘が鳴る前に立ちあがってきた。二、三歩、つかさに向って歩き出すが、どうやら内臓が傷ついたらしく、身体を折るようにして派手に吐血する。鮮血が瓦礫の上に飛び散った。
「つかさ……しっかりするんだ……お前は……お前なんだぞ……」
足取りは怪しかったが、それでもアキトはつかさへ向かって行った。口から滴る血を拭おうともしない。サトルが嘲笑う。
「ムダだ! そんなことで僕の術は解けないよ。武藤くんはあなたのことを敵だと認識している。あなたの言うことなど世迷い言にしか聞こえはしない」
「うるせえ! てめえはすっこんでろ! ――おい、つかさ! オレを見ろ! ちゃんと見るんだ! そして、思い出せ! オレとお前が初めて会ったときのことを! この学校での色々な出来事を!」
「あなたもしつこい人ですね。――武藤くん、彼にトドメを。武藤くん?」
ところが、つかさに変化が起こっていた。近づいてくるアキトを見つめる目は見開かれ、まるで癲癇症状でも引き起こしたかのように痙攣している。とても攻撃ができるような状態ではなかった。
「む、武藤くん、どうしたんだ!?」
サトルは焦った。自分の術に拒否反応を示した人間は初めて見る。そんなことが起こるとは想像だにしていなかった。
「武藤くん、しっかりしたまえ! あいつを、あの男を撃つんだ! 早くっ!」
「あっ……あうぁ……ああ……」
つかさはアキトを凝視したまま、まったく動けなくなっていた。うろたえるサトルを見て、アキトはニヤリとする。
「どうだ、嵯峨! オレとつかさの絆の強さを思い知ったか!」
アキトの反撃はここから始まるとでも言うように、拳を振り上げた。
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