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WILD BLOOD

第15話 美少女天使ブルセラムーン

−3−

 まるで誰かが日めくりカレンダーを何枚かまとめて破り捨てでもしたかのように、琳昭館高校の文化祭である『金輪祭』開催まで、あと三日を切った。
 とても間に合わないであろうと思われた一年A組の出し物、『美少女天使ブルセラムーン』の準備は、火事場のクソ力とも呼ぶべき驚異的な追い込み作業で進められ、どうにか本番への目鼻がつく格好となった。クラス全員がこれだけ一致団結して頑張ったというのも、誰もが想像すらしなかった奇跡だと言えよう。もっとも、その背後にはプロデューサーの名を借りて、暴君のように君臨するアキトの存在があり、あらゆる仕事と雑用が容赦なく押しつけられ、こなさなくては家にも帰れない有様だったのだ。それはもう、みんなが馬車ウマのように働いたのは当然であっただろう(笑)。
 それに伴い、演技の稽古も佳境に入っていた。出演者はそろそろ台本を持たなくてもセリフが出てくるまでにはなっている。あとはどこまで素人芝居を鑑賞に耐えうる域にまでレベルアップできるか、であった。
「よーし、それじゃあ、第二幕、朝の登校シーンをやるぞ。薫、つかさ、いいか?」
 今日は本番と同じ体育館のステージを借り切っての稽古が行われていた。もちろん、まだセットは何もないが、舞台の広さを確認しながら動きくことは、演技の上でもとても重要だ。教室の中だと、ついこぢんまりとしてしまう。
 演出家は痔郎のはずなのに、仕切りはほとんどアキトが買って出ていた。もちろん言うまでもなく、その評判はよろしくない。それでも実力で有無を言わさず、アキトはプロデューサー権限を振りかざしていた。
「じゃあ、行くぞ。よーい、スタート! ……おい、つかさ! お前の出番だろうが!」
 ステージ下からスタートの声がかかっても、つかさは登場しなかった。つかさはブルセラムーンである神矢美月のクラスメイト役だ。つかさのあとに、神矢美月の薫が後ろから声をかける段取りである。
「だって……どうして、ボクがこんな……」
 舞台袖から顔だけ出して、つかさが今にも泣きそうな声をあげた。
「多数決で決まったんだから、今さら文句を言うな! それにオレはとても似合っていると思うぞ!」
「そんなぁ……まったくアキトったら、他人事だと思って……」
「さあさあ、いいから出て、出て」
 ぶつくさ言っているつかさの背中を出番待ちの薫が押した。その勢いで、つかさはステージ上に転がり出る。なんと、着ているのはセーラー服ではないか。男のくせにそれはあまりにも似合っていた。
「ああんっ! やっぱり、男の子の役にしてよぉ……」
 つかさは赤面しながら、役柄の変更を訴えた。もちろん、そんなものは即却下である。
「お前が演じるのは、ヒロインの親友“アイちゃん”役なんだぞ。それを男にして、どうすんだよ!?」
 アキトはそう諭しながらも、表情はニヤけっぱなしであった。なにしろ、つかさのセーラー服姿を公然とした理由をつけて眺めていられるのだ。いつぞやの改造手術失敗以来の姿に(お忘れの方は、「WILD BLOOD」第11話をご参照ください)、アキトが楽しんでいないはずがなかった。
「それになあ、つかさ。当日の観客は、この学校の生徒よりも外部から来る連中が多いはずだ。つまり、この『ブルセラムーン』を観るヤツは、セーラー服を着たお前が男か女かなんて知らないわけだ。まず、十中八九、本物の女の子だと間違え、これっぽちも怪しいとは思わねえだろう。だから、恥ずかしがる必要なんてねえぜ。第一、昔から舞台には女形ってモンがあるじゃないか。舞台に上がっちまえば、男だとか女だとか関係ねえのさ」
「それはそうかもしれないけど……」
 アキトのもっともらしい講釈に、説得されかけるお人好しのつかさであったが、それを薫がバシンと思い切り背中を叩き、気合を注入した。
「ウジウジ言わないの! あと三日しかないのよ! 男なら腹をくくりなさい!」
 薫までが、つかさに追い討ちをかけた。こちらは、とりあえず本番までブルセラムーンの衣裳を着ないでいいということなので、今日のところは気が楽だ。いつものセーラー服姿で稽古に臨んでいる。
「痛いよぉ、薫。男だから、こんな格好で恥ずかしいんじゃないかぁ」
「口答えしない! あんた、この劇を成功させるんだとかほざいてなかったっけ?」
「それは……」
 確かに誓った。それも痔郎がクラスに溶け込むためだと信じて。
「じゃあ、フニャフニャしてないで、ちゃんと真面目にやって! 本番当日まで時間がないんだから!」
 とは言いつつも、薫としては、ついに観念し、本気で臨もうと心を入れ替えた、というわけではない。何をどうしようにも逃げるに逃げられず、とうとう進退が極まった状態であった。であるからして、こうやってつかさを相手に叱咤激励――あるいはストレス発散をしていないと、本番へのプレッシャーがひたひたと迫り、ともすると懊悩の底なし沼に足を取られ、ズブズブと沈み込んで行くような気がしてならないのだ。それは薫にとって喉から心臓が飛び出そうな恐怖以外の何ものでもなく、むしろ、自ら正気を保つためにわざとカラ元気を出しているという、傍目からすると痛々しくも見える、非常に情緒不安定な数日間を送っているのだった。
「ほら、もう一度、最初から行くわよ」
 瞬きも忘れてしまった目で薫に促されると、つかさもうなずくしかなかった。薫もこうやって頑張っているのだから、自分も勇気を出して頑張ろうか、と。
 そこへ部外者が現れた。
「おお、やっとりますな」
 能天気な声をかけてきたのは、一年C組の徳田寧音<とくだ・ねね>だった。新聞部である彼女は、メガネ越しにカメラのファインダーを覗き込みながらステージの方へやって来る。
「コラッ、部外者が勝手に入って来るな」
 アキトはパイプ椅子から腰を上げると、寧音の前に立ち塞がった。しかし、この程度でへこたれる寧音ではない。まるでゴールを果敢に狙うバスケットマンのごとく、右へ左へ、軽いフットワークでアキトを避けつつ、ステージ上の被写体を写真に収めた。
「武藤はんのセーラー服姿、なかなかイケるやないの」
「もお、徳田さんまで。やめてよ、ホントに!」
 つかさはまるで裸を撮られているかのように恥ずかしがった。その表情と仕種が、撮影する側には、余計、そそられる。
「ええで、ええで! ホンマもんの女の子よりも女らしゅう見えるわ!」
「よせ! このゴキブリ女!」
 たまりかねたアキトは、カメラのレンズをつかみ、撮影をやめさせた。当然、寧音は不満顔だ。
「なにすんねん、仙月はん! ウチは新聞部の取材で撮っているんやで! それに“ゴキブリ女”って――こんな可愛い女子校生つかまえて、なんちゅうこと言いはるんや!」
「誰が“可愛い女子校生”だぁ!? 呼びもしないのに、あちこちホイホイと出現しやがって! だからゴキブリ女って言ってやってんだよ!」
「失礼な! そんなん言うてると、女の子にモテへんで!」
「お生憎さま! オレはそんなに不自由はしてねえんでな! 第一、新聞部だろうと何だろうと、こちらが極秘で準備している舞台劇の内容を本番前に知られるのは困るんだよ! こっちは明々後日の最大の目玉だと自負してんだからな!」
 大言壮語を吐かせたら、こいつの右に出る者はいないだろう。アキトは臆面もなく言ってのけた。
 寧音は疑わしげな目を向けていたが、指先でメガネのズレを直す。
「そこんトコは安心してええで。これが記事になるんは、どうせ文化祭が終わってからやし。そもそも、こんなに口の堅いことで有名なウチが、あちこちに言いふらすわけないやろ。せやから、中身のある記事のためにも、稽古の段階から取材させて欲しいんやけどな。どないでっしゃろ?」
「まったく信用できねえな」
 これまで数々のスクープをものにし、学内でスキャンダルをばらまいてきた寧音のことである。何かおいしいネタを見つけたら、箝口令の禁などあっさり破り、即座に号外を刷り下ろして公表してしまうだろう。
 すると、寧音はアキトに顔を近づけ、彼にだけ聞こえる声で囁いた。
「取材許可してくれはったら、今、撮った武藤はんの写真、ロハで譲ろうやないの」
「………」
「バッチリ撮れとるはずやで。どないや?」
 小悪党のように企みに満ちた微笑みを寧音は浮かべた。アキトは黙り込む。その頭の中では本人にとっては嵐のような、他の者にとっては呆れるほどくだらない葛藤が渦巻いていた。
 数秒後――
「分かった……」
 アキトは寧音にOKを出した。商談成立、と寧音はほくそ笑む。
(そうや! この写真、三年の伊達はんにも見せたら、高く売れそうやな)
 寧音はこっそりと、前生徒会長の伊達修造にセーラー服姿のつかさの写真を売りつける算段をしていた。伊達は以前から、寧音のお得意様である。副業でもちゃっかりしたものだった。
「では、稽古を再開するぞ! 二人とも、スタンバってくれ!」
 裏取引のことなどおくびにも出さず、アキトはステージ上に指示を飛ばした。つかさと薫は、一旦、舞台袖に引っ込む。そして、朝の登校シーンを演じ始めた。
 まず、つかさ演じる“風花アイ”が舞台上手より登場。下手方向へ歩いて行く途中、上手から追いかけてきた薫演じる“美月”が声をかけるシーン――
「アイちゃん、おはよう」
 風花アイは振り向き、
「あら、おはよう、美月」
 と返事をすると、
「――ぷっ!」
 いきなり薫が吹き出した。これは台本にない。当然、芝居は中断だ。
「どうしたの、薫?」
「……だって、つかさが本当の女の子みたいに喋るから」
 薫はおかしくて、お腹を押さえる始末だった。つかさは赤面する。
「もおっ! ちゃんとやれって言ったのは薫でしょ!?」
 つかさの憤慨にも、薫はなかなか笑いをこらえることができなかった。
「ゴメン、ゴメン! 慣れるようにするから――でも、おかしっ!」
「だから、そんなに笑わないでってば!」
 笑い続ける薫に、椅子から立った痔郎がステージに近づいた。
「お、忍足さん……声をかけるタイミングなんだけど、武藤くんがもう少し歩いてから――そうだなぁ、ステージの真ん中くらいまで来たタイミングで出てくれないかなぁ」
「えっ? ちょっと早すぎた? 分かったわ、そうしてみる」
 薫は笑いながらも、痔郎の演技指導にうなずいた。
「田隈くん、ボクは?」
 つかさは自分の動きについても尋ねてみた。こうして痔郎が積極的に動くことは、いい兆候だと思っている。
「そ、そうだねぇ……歩く速さをもう少し遅くしてみようか」
「もうちょっと遅く、ね。了解」
 そんな稽古風景を眺めながら、寧音はパイプ椅子の上に置かれた痔郎の台本に目を止めた。表紙に赤文字で『決定稿』と書かれている。寧音はこっそりと痔郎の台本をめくってみた。そのとき、寧音のメガネがキラーンと光る。
「ほほう、これは……」
 寧音は盗み読みが誰かにバレはしなかったかと窺ったが、アキトを含めて皆がステージに集まっており、こちらに気づいた者はいなかった。台本はそっと元に戻しておく。
「これは面白いことになりそうやないの」
 この芝居に隠された秘密を知った寧音は、これをどのようにしたものか企みを巡らせ始めていた。

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