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WILD BLOOD

第15話 美少女天使ブルセラムーン

−4−

 痔郎は急いでいた。もうすぐ開演時間である。つい模型部の美少女フィギュアが並んだギャラリーに夢中になり、入り浸ってしまったのだ。
 いよいよ開催当日を迎えた琳昭館高校文化祭『金輪祭』。校内のあちこちで様々な飲食の模擬店が軒を連ね、外部からの来場者の中をワケのわからないブサカワ系の着ぐるみが呼び込みのプラカードを持って闊歩し、抽選で体育館のステージ出演を逃したにわかバンドが、あちこちで奇声と騒音をまき散らした青空ライブを敢行している。正直言って、とても真っ直ぐには歩けないような状況で、痔郎は十メートル進むのに一分を要するほどだった。
「おい、痔郎」
 人混みの中で名前を呼ばれ、痔郎は誰かと首を巡らせた。すると、学生服の上から白衣を羽織った兄、田隈太志<たくま・たいし>の姿を見つける。太志は成績優秀な優等生で、これまで弟の痔郎に校内で声をかけてくることなどなかった。それどころか、小学校も中学校も同じだったが、まったく記憶にない。だから、これは非常に珍しいことである。ちなみに太志の隣には、一見すると思わず大きな胸に視線が行ってしまう女子校生が立っていた。
「に、兄さん……」
 自分と兄。兄弟と呼ぶには、あまりにもギャップがありすぎるというのは、痔郎も認めているところだ。太志はこんな弟がいることを恥だと思っているのではなかろうか。そんなことを考えると、兄の前では、どうしても萎縮しまいがちになる痔郎であった。
 太志は相変わらず、無表情で冷徹な視線を弟に向けてきた。
「そろそろ始まるのか」
 痔郎が『ブルセラムーン』の台本を書いたことは太志も知っており、なおかつ、そのことは学園中の話題となっていた。弟の趣味・趣向については、日頃から太志も熟知している。だから、直接、本人からその話を聞いていなくても、痔郎が大いに関与していることは察しがついていた。
 尋ねられた痔郎は、小さくうなずいた。太志が痔郎の趣味を見下しているのは敏感に肌で感じ取っている。こんなことはやめろ、とでも言われるんじゃないかと、痔郎は、内心、首をすくめて怯えていた。
 そんな弟の心情を見透かしてでもいるのか、太志はしばらくジッと見つめたまま何も言わなかったが、不意に興味を失いでもしたかのように背中を向けた。
「言っておくが、私は観ないからな」
「う、うん……」
「伝えたかったのはそれだけだ」
「………」
 それだけを言い残すと、太志は人混みの中に消えて行った。一緒にいた女子校生も、その背中を追う。
 痔郎は兄が何を言いたかったのか釈然としなかった。だが、すぐに開演時間が迫っていることを思い出す。慌てて体育館へ急いだ。
「本当に観に行かなくていいんですの?」
 太志に付き従う女子校生――早乙女蜂子<さおとめ・ほうこ>は、気にかけるように尋ねた。太志は正面を向いたまま、フン、と鼻を鳴らす。
「どうして私があんな下らないものを観なければいけないんだ? しかも、あの痔郎が作ったヤツだぞ」
「いいじゃありませんか。弟さんのですし。私は少し興味があります」
「だったら、君だけ行きたまえ」
 太志は憮然と言った。
「そんな怖い顔をなさって。私、お二人はよく似ていると思いますのよ」
 蜂子の言葉に、太志は、益々、態度を硬化させた。
「バカなことを。誰があのような軟弱者と――」
「そうですか? 本人同士が気づいていないだけじゃないかと私は思いますけれど」
 痔郎がアニメのオタクだとすれば、太志は実際に世界征服を企む悪の組織まで作ってしまったマッド・サイエンティスト・オタクである。女幹部《ビューティー・ビー》として、常に悪の首領《悪魔大使》たる太志に従っている蜂子としては、ジャンルは多少違えど、二人の変態ぶり(苦笑)にそれほどの差異はないと思う。
「早乙女くん」
 図星を刺されたせいなのか、太志は不機嫌さを露わにした。もしもアジトで二人きりだったら、蜂子に罰を与えていただろう。蜂子もあっさりと諦める。
「はいはい、分かりました。もう言いませんから」
「いいかね、早乙女くん。私は忙しいのだよ」
 それは世界征服が遅々として進まぬ現状を憂いてのものだった。いや、世界征服どころか、この学園ひとつ思いのままになっていない。早急に新しい悪の尖兵である怪人を造り上げなくてはならなかった。
「だから学園祭などというお遊びにつきあっていられないのだ。我々には、しなくてはならないことがあるのだからな」
「分かっております、《悪魔大使》さま」
 悪の組織ごっこも立派なオタクだと思いながら、その言葉は口に出さず、蜂子は服従の姿勢を表面上は崩さなかった。



「どこに行ってたんだよ、田隈!」
 アキトからのカミナリに、痔郎は首をすくめた。すでにステージの袖には出演者やスタッフが勢ぞろいしている。痔郎は小声で、ゴメン、と謝った。
「もうすぐ幕が上がるぜ。スタンバイはほぼ完了だ」
 そう告げるアキトは、数人の生徒に手伝ってもらって怪人《バブル・キャンサー》のコスチュームを身につけている最中だった。まるで“かに道楽”の目印としてでっかく掲げられているハリボテのカニを着たような感じである。ほとんどのパーツが発泡スチロールで作られ、リアルに塗装が施されていた。ただ少しばかり弊害もあって、とにかく甲羅とか横に飛び出したカニの脚とかが横幅を取ってしょうがない。身体を動かすと、近くにいる二、三人を薙ぎ倒してしまいそうだ。おまけにアキトの顔には、歌舞伎の隈取りに似たペイントが施されている。
「わぁ、すごい数のお客さんだなぁ」
 セーラー服姿のつかさがこっそりと暗幕の隙間から会場を窺った。ぎっしりと六百人から七百人はいるのではなかろうか。先程まで、合唱部の見事なコーラスが行われていたのだが、確実にそのときよりも人数が増えていると思う。その観客の二割ほどは、どこから聞きつけて訪れたのか、痔郎のようなオタクたちがおり、最前列<かぶりつき>を占拠している有様だった。
「なんか緊張するなぁ。こんなにたくさんの人の前で演技するなんて」
 つかさは武者震いというよりも、トイレを我慢しているみたいに身悶えた。それを見たアキトがアドバイスする。
「上演中は客席が暗くなり、ステージの方が照明を浴びて明るくなるから、こっちから客の顔なんてハッキリと見えねえよ。だから必要以上に気にかけるな」
「う、うん、そうだね。――あっ、美夜ちゃんも来ている!」
 まだ客席を覗いていたつかさが、アキトの妹、美夜を発見した。途端にアキトが舌打ちする。
「あいつ! あれほど来るなって言っておいたのに!」
 そう言われれば言われるほど来たくなるものだ。
「それに待田先輩まで! ああ、先輩にこんな姿見られたらどうしよう!?」
 つかさは緊張と羞恥に気を失いそうだった。憧れの待田沙也加に笑われるどころか、軽蔑されたら、もう生きている望みもない、などと大袈裟に考える。そんな頭をいきなりポカリと殴られた。
「うろたえないの! あんたなんかより、私の方が何億倍も恥ずかしいんだから!」
 すでにブルセラムーンの衣裳に着替えている薫がつかさをたしなめた。オープニングはTVアニメの主題歌に合わせてダンスがあるのだ。一応、月の精というダンサーが何人か一緒に踊ってはくれるが、あくまでもスポットライトを浴びるのは薫のみ。観客からどんな反応が返って来るかと思うと、こちらも足がすくみそうだった。
「薫は女の子のままじゃないかぁ。だけど、ボクは男なのに女の子の役をやらなくちゃいけないんだよ!」
 つかさは精一杯、抗議した。もちろん、そんなことを聞き遂げる薫ではない。というか、そんな余裕など、今の薫にあるはずがなかった。
「やっぱり、この衣裳、おかしくない? 着心地が悪くて……」
 身体をひねるようにして衣裳の具合を確かめる薫の言葉を遮るように、アキトがわざとらしく咳払いをした。どうもブルセラムーンの衣裳のことになると、アキトの様子がおかしい。今度は薫も訝るような表情になった。
 それでもアキトはそれを話題にはしたくないらしく、
「よしっ! そろそろ始まるな! 田隈、監督で脚本家のお前から何か言えよ」
 と痔郎に振った。
「う、うん……」
 アキトに促された痔郎はおずおずと前に出た。ほんの半歩だけ。
「え、えーと……」
「ほらっ! シャキッとしろ!」
 アキトは巨大なカニのハサミで痔郎の背中をシバいた。痔郎はつんのめって倒れそうになる。かろうじて踏みとどまり、下から窺うような目線で出演者たちを見回した。
「そ、それじゃあ、皆さん……が、頑張って、く、ください!」
 痔郎は緊張気味に、たったそれだけを言うだけで精一杯だった。しかし、全員が力強くうなずく。本番なのだ。
「よっしゃ! 行くぞ!」
 アキトがカニのハサミを突き出すと、つかさが、薫が、そして他のキャストたちが右手を重ねていく。心をひとつにして――
「ファイトぉ〜、一発!」
 ……それだと某CMなんですけど(苦笑)。



 緞帳が上がった。ステージ上は真っ暗だが、すでに最初のダンス・シーンがスタンバイされている。出演者は暗闇の中でシルエットとなり、彫像のように動かなかった。
 観客からの拍手。
 そして、大音量のオープニング・テーマが流れ始めた。
 一本のスポットライトがブルセラムーンの薫を浮かび上がらせた。ダンス、スタート。いよいよ開演だ。
 その頃、新聞部に所属している寧音は客席ではない、体育館の一角に身を潜めていた。そして、手にしていたトランシーバーのボタンを押し、小さな声で話す。
「始まったで。皆はん、そのまま待機でよろしゅう頼みまっせ」
 イヤホンから聞こえる「了解」というレスポンスに、寧音は不敵な笑みを闇の中で浮かべ、静かに自分たちの出番を待った。

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