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薫が変身ポーズを決めると、舞台は暗転。TVアニメでもおなじみの変身時のBGMが流れ、色とりどりのレーザー光線が飛び交った。薫はその間に舞台袖へ引っ込み、ブルセラムーンのコスチュームへ早着替えを行う。時間にして二十秒もない。クラスメイトの女子が手順よく手伝ってくれてもギリギリだった。
どうにかコスチュームに着替え、変身をしたポジションにまで戻るのと、舞台にスポットライトが当たるのは、タイミングとして、ほぼ同時だった。薫は舞台裏のドタバタなどおくびにも出さず、涼しい顔で決めポーズを取る。
「月より遣わされた愛と美の天使、ブルセラムーン! 月の彼方までぶっ飛ばしてあげるから、覚悟なさい!」
内心、気恥かしさで顔から火が出そうな思いであったが、どうにか薫はセリフもポーズも間違わずに決められた。
ブルセラムーンの登場に、《バブル・キャンサー》役のアキトは大仰にのけ反った。
「カニカニカニーッ! ええーい、ブルセラムーンだか、セー〇ームーンだか知らないが、オレの邪魔をするヤツは誰であろうとも容赦はしないぞ!」
すっかりと怪人になりきったアキトにちょっぴり感心しながら、薫は身構えた。
「望むところよ! かかってらっしゃい!」
この芝居で最大の見世物であるアクション・シーンが始まった。大きなハサミを振り回して襲ってくるアキトに対し、薫はそれをかいくぐるようにして避けてみせる。ずっと稽古で繰り返し練習してきた動きだ。もちろん、互いの攻撃は寸止めで行われている。両者の機敏な動きから、かなり激しいアクションに見えるが、剣道をやっている薫には造作もないレベルだった。
お互いに、ひと通り手数を出したところで、次は怪人の逆襲シーンだった。ヒロインが窮地に陥らねば、いくら勧善懲悪のストーリーだと分かっていても面白くない。ここは物語の必然性である。
「なかなかやるな、ブルセラムーンとやら! ならば、このバブル・シャワーを喰らえ!」
アキトは右手のハサミを薫に向けた。ハサミの中には背中から通されたチューブが伸びていて、アキトが引き金を引くとシャボン玉を大量に発射できるよう細工が施してある。これが《バブル・キャンサー》の武器で、それを浴びたブルセラムーンが苦しむ、という段取りになっていた。
ところが、薫に向けて発射されたのはシャボン玉ではなかった。もっと泡が細かい、洗剤のような感じだ。もちろん、それはシャボン玉のようにプカプカ浮かびはせず、水鉄砲のように薫へかかりそうになった。
「きゃあぁ!」
薫は運動神経よく、その洗剤水を避けた。もしも浴びていたらコスチュームが濡れていただろう。
予定外の出来事に、薫はどうしようかと思った。シャボン液の配合が間違っていて、それでシャボン玉にならなかったのだろうか。薫は咄嗟に、舞台袖で見ている作者の痔郎に仰ごうとした。しかし、痔郎はすっかり真剣に見入っている様子で、このハプニングに対し、劇の中断など考えていないらしい。どうやら、このまま続行するしか選択肢はないようだった。
「よくぞ、避けたな。褒めてやろう。しかし、次は外さん!」
アキトもアドリブを交えながら、何事もなかったかのように演技を続けていた。ここはブルセラムーンが、一度、ピンチに陥るシーン。濡れるのはイヤだが、一回、バブル・シャワーに当たるしかない、と薫は覚悟を決めた。
「バブル・シャワー!」
アキトが発射したバブル・シャワーは、ブルセラムーンのスカートにかかった。薫はわざと苦しみ、よろけるような演技をする。だが、ほどなくして一部の観客がざわつきだした。今の演技がオーバーだったせいかと、役者としては素人の薫はヒヤリとする。
ところが、どういうわけなのか、最前列<かぶりつき>のオタクどもが、突然、持ちこんでいたデジカメのシャッターを切り始めていた。まるで芸能人の記者会見場みたいだ。
「な、何?」
薫は何が起こったのか分からなかった。ただ、どうもカメラが自分に対して向けられているらしいことだけは確かである。ヒロインのブルセラムーンを撮っておこうというわけか。いや、それにしてはいくらオタク連中とはいえ、いつも以上に興奮しているように感じられる。
そこで薫はようやく、バブル・シャワーがかかった自分のスカートを見た。そして、絶句する。なんと、コスチュームであるスカートが溶けていた!
「えっ!?」
薫は慌てて、溶けた部分を手で隠した。ただでさえ短いスカートである。裾が溶けてなくなったことにより、薫の脚の付け根が艶めかしくも露出していた。
カメラの観客たちは、このセクシーな薫の姿を写真に納めているのだった。薫の顔は、たちまち真っ赤になる。今すぐにでも舞台袖へ逃げ込みたい気分だった。
しかし、アキトはそれを許さなかった。
「おっと、逃げるなよ、ブルセラムーン。お前が逃げればどうなるか、分かっているだろうな?」
それは一見、気絶して倒れている風花アイ――つまり、つかさ――の安否を指しながら、その実、主役が逃げたら芝居が壊れる、という意味を暗に含んだ脅しでもあった。すなわち、何が何でも芝居を続けろ、というわけだ。
薫は気色ばんだ。これは演技などではない。
「このバブル・シャワーは強力な溶解液なのだ。じっくりとお前を溶かしてやるぞ」
まるでアキトは、このハプニングを予期していたかのように、滑らかにセリフを吐いた。どうもおかしい。これは最初から仕組まれたことではないのか、と薫は怪しみだす。
アキトの動きを警戒しながら、薫はもう一度、溶けたスカートを見下ろした。どうやら、このスカートは布製ではないらしい。素材的には紙のようなもので出来ていることが分かった。
道理で着心地がおかしかったわけだ、と今さらながらに薫は納得した。ということは、このコスチュームのすべてが水溶性の紙で出来ていると考えていい。そして、なぜコスチュームが水溶性の紙で作られたのかを悟る。十中八九、この事態を想定してのものだろう。つまり、これは最初から仕組まれていたのだ。
言うまでもなく、薫がもらった台本には、このようなことは書かれていなかった。おそらくは、裏台本とも呼ぶべきものが存在するのであろう。さらに言うならば、その台本も、ブルセラムーンのコスチュームも、作ったのは痔郎だ。
薫は舞台袖にいる痔郎を睨みつけた。その鋭い眼光に、痔郎は怯えたように縮こまるが、口許の薄笑いは浮かべたまま。このエロオタクがぁ〜、と薫は心の中で罵り、即座に首を絞めてやりたくなった。
ただ、痔郎はアイデアを生み出せても、それを実行するだけの勇気も行動力もないはず。そこで真の黒幕として浮上してくるのがアキトだった。多分、アキトは痔郎から裏台本を読ませてもらい、この話に乗ったのだろう。だから、あれだけ男子生徒をまとめあげ、一年A組の出し物に、メイド喫茶ではなく、こちらをプッシュしたのだ。しかも薫をヒロインという生け贄に仕立て上げて。薫の怒りは、目の前のアキトへ向けられた。
どうやらすべてを理解したらしいと見抜き、アキトはいやらしい笑みを浮かべた。演劇を装い、公衆の面前でのおおっぴらにハレンチな行為に及ぼうとする不届き者だ。右手のハサミを薫に向け、じっくりと狙いを定めてくる。
「さあ、観念して、オレのバブル・シャワーを受けてみろ!」
再びアキトはバブル・シャワーを発射した。薫は飛び退くようにして避ける。断じて浴びてなるものか。しかし、その動きを見切ったかのごとく、バブル・シャワーはどこまでも追いかけてきた。
「きゃあああああああっ!」
ちょうど着地したところをアキトに狙われた。またしてもバブル・シャワーがスカートに命中する。今度こそ派手に浴びてしまった。
「ヒャッヒャッヒャッ! そぉーら、もう、そのスカートはボロボロだろう! 手で隠してもムダだぞ!」
アキトはスカートの下の下着を期待し、遠慮ない視線を薫に向けた。確かに、いくら薫が手で隠そうとしても、隠しきれないくらいスカートはなくなってしまっている。だが、アキトのスケベな目つきは、次の瞬間、驚愕に見開かれた。
「な、ななな、なっ……そ、それは!?」
スカートの下は、アキトが想像していたようなエロティックな下着ではなかった。薫が履いていたのは、体操着のブルマ。これにはアキトのみならず、決定的瞬間を狙っていた多くの男性客たちが落胆を禁じえなかった。
ショックのあまり、ついついアキトは自分の役柄を忘れた。
「お前、何でブルマなんか履いてるんだよ!?」
その言葉には、理不尽にも怒りすら含まれていた。
「だって、あんな短いスカートで、万が一、見えちゃったらどうすんのよ!?」
薫も芝居そっちのけで反論した。アキトは駄々っ子小僧のように地団駄を踏む。
「見えた方が、オレも観客も喜ぶのに!」
男性客、ここで一斉に深く同意の首肯。それをキッと薫に睨まれ、オタクどもはたじろいだ。
「あんたたちねえ!」
「くそぉ! こうなったらヤケだ! バブル・シャワーを全部お見舞いしてやる!」
ブルマの恨みをここぞとばかり、アキトはバブル・シャワーを乱射した。無防備な薫はびしょびしょになる。おまけに逃げようとしたところ、濡れた床に足を滑らせ、転倒までしてしまった。
「痛ぁ! 腰、打ったぁ!」
痛みに顔をしかめた薫であったが、アキトは容赦なく、バブル・シャワーを浴びせ続けた。すでに正規の台本にも、裏台本にもない展開になっている。芝居は崩壊しかけていた。
そこへ――
「ちょっと待ちぃなぁ!」
どこからともなく聞こえてきた天の声。観客たちはもちろん、アキトもその声の主を探して、キョロキョロした。
「誰だ!?」
思わず叫んでしまった、お約束のセリフ。すると、体育館内に女の哄笑が響いた。
カッ!
次の刹那、体育館の周りをぐるりと囲んだキャットウォークにスポットライトが当たった。そこに立つ青いブルセラ天使。その名も――
「ブルセラマーキュリー、ここに参上や!」
メガネをかけた寧音が決めポーズを作った。コスチュームは自前か。さらに他の箇所にもスポットライトが当たる。
「ブルセラマーズ!」
こちらはすらりとした体型の赤いブルセラ天使。多分、寧音と同じクラスの桐野晶<きりの・あきら>だ。さらに――
「ブルセラヴィーナス!」
オレンジを基調にしたブルセラ天使は、随分、小柄だった。伏見ありすだろう。そして――
「不吉だわ……」
なぜか一人だけ青い照明をどんよりと当てられて、幽霊さながらに登場したブルセラ天使が……。
これにすかさずツッコミを入れたのは、ブルセラマーキュリーを自称する寧音だった。
「ちょっとタンマっ!――ミサはん、ここは名乗りを上げる段取りやろ!」
「あっ……」
以下同文の黒井ミサが、うかつだった、と口許を押さえる。寧音はこめかみを揉んだ。
「『あっ』やあらへん!」
「じゃあ、ブルセラサターン、推参」
「なんでやねんっ!」
寧音は今にも噛みつきそうだった。どうしても黒井ミサのペースに乱される。
「ミサはんは“ブルセラジュピター”やろ! ちゃんと打ち合わせたやんか! 何でいきなり“サターン”になるんや!?」
「こっちの方が好みだったから」
「ブルセラ天使は“ムーン”、“マーズ”、“マーキュリー”、“ジュピター”、“ヴィーナス”の五人と、相場が決まっているんやで!」
「本当は“プルート”がよかったんだけど」
「冥王星かいな!? ――もお、ええ。これ以上やると、話が進まへん!」
寧音は半ばあきらめ気味にミサの“ブルセラサターン”を承認した。
これに呆気に取られていたのは、観客ばかりではなく、アキトも薫も同じだった。どうしてこの四人が、そろいもそろってブルセラ天使に扮し、このタイミングで登場したのか。
それは言うまでもなく、痔郎の台本をこっそり覗いた寧音がこの陰謀に気づき、どうやって活用しようかと考えた末に思いついた舞台への飛び入り参加だった。薫たちの芝居をさらに面白いものにし、記事にする。彼女は根っからのサービス精神旺盛なエセ関西人なのだ。
「ブルセラムーン、ウチらが助っ人に来てやったで!」
寧音はキャットウォークの上から手を振った。予想もしなかった展開ながらも、観客から拍手が巻き起こる。一応はヒロインのピンチに仲間が駆けつける、王道パターンの踏襲だ。
この隙に薫は立ちあがった。溶けた紙の残骸が体に貼りついて気持ち悪い。薫は用を為さなくなったブルセラムーンのコスチュームをむしり取った。
その瞬間――
「おおっ!」
誰からともなく、どよめきが起きた。薫がブルセラムーンのコスチュームの下に着ていたのは、胸に黒マジックで書かれた「1−A 忍足」の文字が入った体操着&ブルマ。それはブルセラムーンのファンにとっては重大な、別の意味合いを持っていた。
「あ、アクティブ・フォームだ……」
何人かのオタクが薫の姿を見て呟いた。ブルセラムーンのさらなる変身。それが体操着姿に酷似した――それを元のデザインにしているのは疑いないのだが――“アクティブ・フォーム”だった。原作では、このフォームに変身したブルセラムーンは三倍強くなる。
「ブルセラムーン、これを!」
ブルセラマーズの晶が薫に何かを投げた。さすがは女子バスケット部、三十メートルのダイレクト・パスが通る。それは薫が愛用している剣道の竹刀だった。
「げっ!」
アキトは青くなった。薫に竹刀を持たせたらどうなるかくらいのことは火を見るより明らかだ。アキトは悪足掻きにバブル・シャワーを発射しようとしたが、どうやら洗剤水は全部使い果たしてしまったらしく、スコッ、という空撃ちの音がするだけ。その目の前では、ヒュン、と風を切るようにして、薫が素振りをしていた。
「行くわよ!」
ウォーミングアップを終えた薫は竹刀を上段に構えた。自分の運命を悟ったアキトは逃げようとする。だが、動きづらいカニのハリボテを着ていては、思うように足が出ない有様だった。
「ま、待ってくれ! オレが悪かった! 勘弁してくれ!」
「いいえ、悪は絶対に許さない! 乙女の怒り、思い知れ!――ムーンライト・ソォォォード・ファイナル・スラァァァッシュ!」
電光石火。薫の一撃が振り下ろされるや、カニのハリボテは真っ二つに破壊された。当然、それを着ていたアキトも無事では済まない。脳天に直撃を受け、そのまま白目を剥いて後ろにぶっ倒れた。
その次の瞬間、会場からは盛大な拍手が巻き起こった。正義の天使、ブルセラムーンが悪をやっつけたのだ。薫は竹刀を持ち、勝利のポーズを決めた。
かくして、『美少女天使ブルセラムーン』は、台本とはまったく異なったアドリブの連発になったが、多くの観客たちから大絶賛されながら、無事に幕を閉じたのである。
めでたし、めでたし。
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