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WILD BLOOD

第16話 アンタッチャブルは突然に

−3−

「ふ〜ん、ここがつかさの通っている学校かぁ」
 半ば強引につかさたちの高校へ押しかける形で、杏は特別にどうということもない校舎やグラウンドを見て回った。本来の目的は、自分が受験する大学の学園祭見学であるはずなのに、そんなことはどうでもいいらしい。それは上京であったり、つかさに会うための口実に過ぎなかったのかもしれなかった。
 まだ、昨日まで開催されていた『金輪祭』の名残があちこちにあるせいか、それらを珍しげに眺めている杏の目を盗んで、つかさは薫にそっと近づいた。
「薫、どうするつもり?」
 それはもちろん、杏が薫の相手に名乗り出たことを指していた。薫は肩をすくめたが、いくらか表情は硬い。
「仕方ないわ。どうせ、言い出したら聞かない人なんだし」
「でも……」
「大丈夫。私だって、少しは強くなっているつもりだから」
 高校女子剣道の夏の都大会では、一年生ながら三位に入ったことのある薫だ。普通なら、薫の実力を疑うようなことはしない。だが、今回の相手は、誰あろう琴姫杏なのだ。
 つかさが小さい頃から祖父に鍛えられたように、杏もまた同様に《天智無元流》を教え込まれてきた。いわば、杏とつかさは兄弟弟子――いや、姉弟弟子?――の関係でもある。ひ弱で、争い事が嫌いなつかさに比べ、勝ち気で、熱心に修行に打ち込んだ杏は、瞬く間にその才能を開花させた。もしも杏が男であったならば、祖父・武藤源氏郎は《天智無元流》の正統な後継者として選んでいたであろう。
 しかしながら、祖父は杏ではなく、つかさにすべてを託すつもりでいた。未熟で、闘いには向かないつかさに。理由は男だから、という単純なものだった。それを告げられたとき杏は――
 昔のことをつかさが思い出しているうちに、いつの間にか剣道場に到着していた。薫は更衣室へ着替えに行ったらしい。それを待つことなく剣道場の中へ入ると、すでに十人くらいの女子剣道部員が集まっていた。
「失礼します」
 杏は礼儀正しく剣道場に上がった。見慣れない顔の杏に、部員たちは当然の反応として不審を抱く。杏はそんな部員たちを見回した。
「顧問の先生か、主将の方は?」
「主将は私だけど」
 図抜けて大きな体格の女子が進み出た。背は杏よりも少し高く、大柄だ。
 つかさはそれが誰なのか、薫から聞いて知っていた。夏の大会後、新しく主将になった二年生の大沢加世である。その三年生すら凌駕する体格を生かしたパワフルな攻撃がセールスポイントだという話だ。
 杏は加世に一礼した。
「私は名古屋から来た琴姫杏といいます。忍足薫の知り合いです」
「忍足の?」
 大沢加世は眉をひそめた。
「はい。実は、少々、お願いがございまして」
「何ですか?」
「ちょっとだけ薫と――いえ、忍足さんと手合わせをしたいので、お時間と場所を少し提供していただきたいのです」
「忍足と手合わせ……」
 都大会では惜しくも三位だったものの、大方の見方は誤審だったというのがもっぱらの噂で、薫の腕前はすでに全国クラスだ。主将の加世でさえ、体格差は歴然としているはずなのに、薫とやって十本に一本取れればいい方である。つまり、薫の相手になれるような女子部員は、現在、一人もおらず、男子部員から選ばれるのが常だ。そういう薫の実力のほどを知っていての手合わせかと、加世は問いたげだった。
「あなたも剣道を?」
 防具はおろか、胴着も着ていない私服姿の杏を見て、加世が疑わしい目を向けるのも無理はなかった。どちらかというと、剣道とは無縁の素人モデルとでも名乗ってもらった方が納得できそうだ。
 すると杏はニッコリと笑った。
「いいえ、私、剣道はさっぱりで」
「さっぱり?」
「初心者どころか、未経験」
「忍足に教えてもらおうと言うの?」
「違います。勝負です。私と彼女の、拳法と剣道の」
 さも当り前のように杏は言った。加世は冗談かと思っただろう。しかし、杏は自信に満ちた面持ちを崩さず、戯言ではないことを知らしめた。
 これには加世も困惑した。
「本気なの!? “剣道三倍段”って言葉、知らないわけじゃないでしょう!?」
「徒手空拳の格闘技が剣道に対するとき、互角に相対するためには、その三倍の段位が必要になるって話だよね? もちろんよ」
「だったら――」
「はいはい。確かに、武器を持つ相手に素手は不利だけど、そもそも剣道の段位は強さで決まるものじゃないのは、あなただって知っているはずじゃなくて? あれは型とか知識を見るものであって、本質的な強さとは関係ないだし。というわけで、そんな曖昧な目安である以上、“剣道三倍段”なんて当てにならないわ」
「――っ」
 ズバリと杏に指摘され、加世は黙るしかなかった。いつの間にか口調も馴れ馴れしいものに変わっている。つかさは加世を怒らせやしないかとハラハラした。
「それに私、超強いの♪ 薫が竹刀を持とうと、真剣を持とうと、負けるなんてこと、絶対に有り得ないから」
 杏の大胆な放言に、女子剣道部員の誰もが開いた口が塞がらなかった。当然だろう。まったくムチャとしか言いようがない。
 そこへ、もう一人の当事者である薫がやって来た。胴着と袴には着替えているが、他の防具は身につけていない。おそらく、薫は場の空気から、すべてを察したのだろう。主将の加世に黙礼し、そばまで行くと、そっと耳打ちした。
 つかさには内容まで聞こえなかったが、多分、杏との手合いの許可を加世に求めているのだろう。剣道部は、もうすぐ秋の大会を控えている。主将を務める加世としては、この大事な時期、無用なトラブルは避けたいはずだ。それでも最後は薫の説得に折れたのか、不承不承ながらうなずく結果となった。
「許可をいただきました。剣道部の稽古もあるので、早速、やりたいと思いますが」
「オッケイ」
 杏は床に座り込むと、履いていたニーソックスを脱ぎ始めた。靴下を履いていたのでは滑ってしまうからだ。仕方なく、つかさが預かることにする。裸足になった杏は、軽く屈伸運動などをして、肉体をほぐした。
 片や薫は、気持ちを鎮めるように瞑目したあと、蹲踞<そんきょ>の姿勢を取った。防具はつけず、このまま闘いに臨むつもりだ。
 何も言われていないのに、主将の加世が審判役を買って出た。他流試合。本来ならば薫を引き留める立場なのだが、素手の相手に彼女が負けるとも思えなかったし、どのような見物になるか興味もあった。
 竹刀を持って微動だにしない薫に対し、杏は闘いへの緊張感などないみたいに、リラックスした自然体で合図を待っていた。その顔には不敵な笑みが浮かんでいる。
「覚悟はいいわね、薫」
「いつでもどうぞ」
「アンタがどれくらい強くなったか、視てあげる」
 つかさは杏の脱いだニーソックスを握りしめながら、どちらもケガをしないことを祈った。
「始め!」
 加世の右手が振り下ろされた。
「やあああああああっ!」
 薫が気合のこもった声を出して、杏に向って突進した。薫は速攻タイプの剣士だ。並の相手では、薫のスピードに圧倒されてしまう。
 ところが、不意に薫の視界から杏の姿が消えた。死角に回り込んだのだ。動いたとも見えなかったのに。速い。
 だが、薫も杏を見失ったわけではなかった。すぐに身体の向きを変え、杏を正面に捉える。
 ニヤッ、と杏は笑った。
「メェェェェェンっ!」
 竹刀の鋭い一撃が杏の頭上に振り下ろされた。杏も一切の防具を身につけていないが、まったく容赦のない攻撃だ。直撃すれば、眉間が切れるくらいのケガを負うだろう。
 しかし、杏は竹刀が振り下ろされるよりも早く、その懐へ飛び込んでいた。こうなっては逆に竹刀のリーチが邪魔になる。薫の攻撃は封じられた。
「へぇ、ちょっとはやるようになったじゃない」
 顔同士がくっつきそうな距離で、杏は薫の実力を評価した。その顔には子供を相手にするような余裕がある。それに引き換え、薫の表情からは血の気が失せたようだった。唇も震えているように見える。怯えているのだ。
「で、つかさとは何があったのかな?」
 グッ、と胴着の胸倉をつかみながら、杏はさっき聞けなかった質問の答えを訊ねた。口調は穏やかだが、オーラには怒気が込められている。答えようによっては、その代償を払わせるつもりだ。
 杏がつかさとファーストキスでもしたのかとからかったとき、薫はドギマギしたような反応を見せた。無理もない。薫にはつかさとキスしたかもしれない覚えがあったからだ(詳しくは「WILD BLOOD」の第7話「ともだち以上、コイビト未満」を参照のこと)。勘の鋭い杏は、そのことを見抜いていた。
 だからといって、薫はそのことを白状しなかった。そもそも、あれは事故のようなものだ。どちらかが好意を持って及んだものではない。従って、あれはキスじゃない。断じて違う――という乙女心(笑)。
 頑なな薫の態度に、杏のこめかみはピクピクと脈打った。
「あっ、そう。黙秘するつもりなのね。上等よ――じゃあ!」
 杏は薫を突き飛ばすようにした。一旦、距離を取るつもりなのだ。しかし、このときこそチャンス!
「メェェェェェェンっ!」
 その刹那、薫は引き面を仕掛けた。剣道では鍔迫り合いのあと、離れざまに技を仕掛けることがある。特に接戦では打ち合いよりも、そのような一瞬で勝負がつくことが多い。
 それは薫が見出した、唯一無二の隙であった。スピード、タイミング、共に申し分なし! 薫は勝利を確信した。
 ところが、それは一瞬で霧散した。薫の竹刀が杏に届く寸前、左から何かが飛んできたと知覚するや否や、両手に物凄い衝撃がかかったのである。薫は目の端に、自分の竹刀が吹っ飛んでいくのを捉え、信じられない思いがした。
 愕然とする薫の目の前に、ゆっくりと杏のゲンコツが突き出された。まだ、いくらも立ち合っていないのに、薫はドッと背中に汗が噴き出るのを感じ、同時に貧血を覚えるくらい血圧の低下を味わう。敗北……。それはあまりにも違う実力差であった。
「しょ、勝負あり」
 審判を務めていたはずの加世ですら、息を呑む結末だった。他の部員も同じだ。誰もが自分の目を疑っていた。
 負けた。竹刀も持たぬ部外者に。あっさりと。それも、あの忍足薫が――
 誰よりもショックなのは負けた薫だっただろう。引き面は完璧に決まるはずだった。それが右脚の蹴り一発で竹刀を吹き飛ばされてしまうとは。竹刀への蹴りは、薫自身に向けられても不思議はなかった。むしろ、振り下ろされた竹刀を狙うことこそ至難の技だろう。それを楽々とやってのけたのだ
 琴姫杏。《天智無元流》最凶の使い手――
「今度、つかさに手を出したら、マジぶっ殺すから」
 可愛い顔をして、物騒な言葉を吐く。
 薫は、膝から崩れ落ちるようにへたり込んだ。

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