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ストーカー男は慌てふためき、刺した男の下から這い出るようにして離れた。ナイフは男の腹に刺したままだ。衝動的に石原紀香へ襲いかかったくせに、自分が人を刺したということに対して、すっかりとパニックに陥っているようだった。
「うあっ、ああっ、わああああっ……!」
尻餅をついた格好で後ろに下がりながら、ストーカー男は自らの行為に震えおののいた。刺された男はステージ上で前のめりに倒れたまま、ぴくりとも動かない。その近くでは、標的にされた石原紀香が茫然と立ち尽くしていた。
会場は事の成り行きを把握できないかのように、一瞬、静まり返った。だが、どこかで女性の悲鳴がひとつあがった途端、なし崩し的に怒涛のような混乱があちこちで発生し始める。
我先に逃げようとする者もいれば、その場から動かずに傍観する者もいた。騒然となってからようやく、ステージ下の警備員スタッフも我に返る。ストーカー男が凶器を手放したのを見て、ステージに上がろうと躍起になった。
それを見たストーカー男は、人を刺したことで青ざめた顔を恐怖に引きつらせた。ストーカー男は即座に立ちあがると、自分が来た舞台袖へ転びそうになりながら逃げ出す。それを何人かの警備員スタッフが制止の警告を発しながら追いかけていった。
しかし、それよりも気がかりなのは刺された男の容態だった。身を挺して石原紀香を守ろうとした勇気は称えられるべきものだが、それで命を落としては蛮勇を振るっただけに終わってしまう。
「おい、君! 大丈夫か!?」
警備員スタッフの一人が身体を丸めるようにしている男の背中に触れた。そして、怖々ながら、そっと身体を起こそうとする。
刺されて動けないかに思えた男であったが、おもむろに自ら身体を動かしたので、安否を気遣った警備員スタッフの方が驚いてしまった。その身体の下からはストーカー男が持っていたナイフが出てくる。しかしながら、想像していたような血だまりはどこにもなかった。
「あー、びっくりした」
むくっ、と身体を起こした男は何事もなかったかのように喋った。これには警備員スタッフも目を丸くする。男はまったくの無傷のようだった。
「や、皆さん、どうもどうも。ご心配をおかけしたようで、すみませんでした」
そう平謝りに頭を下げたのは、アキトと一緒だった大神であった。彼は大袈裟なことになったのを恥じるように、取り囲む警備員スタッフに向って、頭を掻きながら笑って誤魔化す。刺されたかに思われた大神が無事だったことに、警備員スタッフたちは安堵のあまり、腰が抜けそうだった。
「まったく、何てムチャなことをするんだ、君は?」
無謀と勇敢の紙一重だった大神に、警備員スタッフはたしなめるように言った。大神は笑うしかない。
「いや、ホント、すみません。あの娘が危ないと思ったら、勝手に身体が動いてしまって……」
大神はそう弁明したが、それはウソだった。
真相はこうである。実はあのとき、大神は自らの意思でステージ上にジャンプしたのではなく、隣にいたアキトにズボンのベルトを後ろからつかまれるようにして、放り投げられたのである。片手で人間一人をステージに放り投げるなど、吸血鬼<ヴァンパイア>のアキトでもなければできない芸当だった。
もちろん、大神のことなど普段から家来か、それ以下にしか思っていないアキトのことだ。結果、大神がどうなろうと知ったことではなかった。ミス神鳳の石原紀香に襲いかかったストーカー男にぶつけ、それで刺されようが何しようが、そんなことはどうでもよかったのだ。
実際のところ、大神はストーカー男に刺された。それが分かっているのは、刺された大神と刺した当人だけだろう。だからこそ、ストーカー男はあれほどに狼狽したのだ。
ところが不死身と知られる狼男の大神にとっては、ナイフで刺されたくらいの傷は大したことではなかった。一応、刺された痛みは人並に感じたものの、ナイフを引き抜いた次の瞬間から傷は驚異的な速度で癒え始め、警備員スタッフが押っ取り刀で駆けつけた頃には、きれいさっぱり痕跡も残っていないという具合である。ただ、服はそうもいかないので、ナイフが突き通った穴は開いたままだが。
「本当にケガはないか?」
「ええ、ちょっとTシャツが切られたみたいですけど、肌には触れなかったみたいで」
大神はその証拠にと、Tシャツの裾をめくって、ヘソの周りがやたらと毛深い腹を見せた。
「しかし、この血は……?」
さすがに傷は塞げても、出血までは抑えられない。少量の血痕がステージ上に残されていた。それでも大神はシラを切り通すことにする。
「ひょっとして、犯人のじゃないですか? 自分のナイフでうっかり手を切っちゃったとか」
そんなことはあとで捕まってしまえばウソだとバレてしまうが、そこまで気に留める名探偵のようなヤツがいるかどうか。
「そうか、それならよかった。襲われた彼女も無事だったみたいだし、あとは犯人さえ捕まれば。ナイフも捨てて行ったんだし、もう危険はないだろう」
ストーカー男のことよりも、大神は自分をステージ上に投げたアキトに文句のひとつも言いたかった。いや、面と向かっては、さすがに言えないので、せめて恨みがましく睨むくらいのことは――
ところが、ステージ下にいたはずのアキトは、いつの間にかいなくなっていた。
(兄貴のヤツ、どこへ行ったんだろ?)
「――おい!」
切羽詰まったような警備員スタッフの声が大神を振り向かせた。
「襲われた彼女はどこへ行った!?」
そして、石原紀香もまた、忽然と姿を消していた。
コンテスト会場で起きたストーカーによる襲撃騒ぎで、すっかりと閑散としたキャンパスの中庭にアキトはいた。腕の中に抱え上げられているのは、そのいなくなったミス神鳳――石原紀香である。目の前で起きた惨劇がショックだったのか、気を失っているようだった。
「ここまで来れば安全だろう」
あれだけ混み合っていた学園祭も、今は大きな騒ぎで一極集中しており、校舎に取り囲まれた小さな中庭には誰もいなかった。アキトは手頃なベンチの上に石原紀香を寝かせてやる。
我ながら見事な判断だった、とアキトは勝手に評価していた。あそこでアキト自身が飛び出し、ストーカー男をひねることくらいは造作もないことである。しかし、それでは必然的に注目を浴びてしまっただろう。ミス神鳳の危機を救ったヒーローとして、もしもマスコミに取材でもされたら、なおさら厄介だ。吸血鬼<ヴァンパイア>という正体を隠している以上、無用な関心を集めることは得策ではない。
――とかなんとか、もっともらしい理由を思い浮かべているアキトだが、これまで好き放題したい放題で、そんなことをこれっぽっちも考えていなかった過去を振り返れば、そんな言い分など鼻で笑われるだけだ。多分、三歩も歩けば、ニワトリのように忘れるだろう。
それを証明するかのごとく、改めてミス神鳳に選ばれた石原紀香の肢体を見て、ゴクリと唾を呑み込んだ。
さすがはミス神鳳になっただけあって、顔立ちが美人であることは言うに及ばず、そのプロポーションもかなりのものだった。何より横になっていても形の崩れないバストには目が吸い寄せられる。しかも、面積の少ない生地を使った白のビキニ姿という、なんとも目のやり場に困りそうな、全裸にほど近い格好だ。これを目にして、心拍数が上がらない男など、この世に存在しないだろう。
多くの健全な男子高校生よりも、不純で欲望に忠実なアキトが、そんな石原紀香の姿を見て欲情しないわけがない。すぐにムラムラとして、舌なめずりをしつつ、両手をわななかせた。
「こっちは危ないところを救ってやったんだ。少しくらいおいしい思いをさせてもらったって、バチは当たらないだろう」
いいえ、それは明らかに犯罪です(苦笑)。
唇をすぼめつつ、アキトがキスを迫ろうとすると、その邪な気配を察したのか、石原紀香はつぶらな瞳をパチリと開けた。
その目の前にはアキトの顔がアップであるわけで――
「キャーッ!」
当然、紀香はあられもない悲鳴をあげた。
ところがどっこい、それでひるまないのが仙月アキトである。そのままキスをしようとした。
唇を奪われそうになった紀香は、抵抗として腕を突き出し、アキトの顔を近づけまいとした。それでもアキトは諦めない。
「コラコラ、それが命の恩人に対する態度か? 感謝の口づけくらい、いいじゃねえか」
「イヤァ!」
ストーカー男から逃れられたかと思いきや、今度は助けてくれた人間に襲われようとは、紀香もつくづく自分の運命を呪った。
と、そこへ――
キスをしようと必死になるアキトの肩を後ろから誰かが叩いた。
「ああん?」
アキトはせっかくのところを邪魔されて、胡乱げに振り返ったのだが……。
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