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WILD BLOOD

第16話 アンタッチャブルは突然に

−8−

 コンテスト会場では新たな騒ぎが持ち上がっていた。
 まず、つかさたちが気づいたのは、コンテスト会場に集まった野次馬たちが、皆一様に校舎を見上げていることであった。それぞれ、指で何かを示しながら、口々に喋っている。釣られて、つかさたちもそちらを見てみた。
 すぐにはそれと気づかなかったが、屋上に誰かが立っているのを見つけることが出来た。しかも、その人物はフェンスを乗り越えようとしている。誰かが、やめろ、と大声で叫んでいた。
「あいつね」
「あいつ?」
 隣で呟いた杏に、つかさは怪訝そうに尋ねた。
「ストーカーよ。ミスコンの女の子を刺し殺そうとして、失敗しちゃったっていうヤツ」
「え?」
 つかさは改めて屋上の人物を見た。遠目なのでよく分からないが、まだ若そうな男だ。フェンスを乗り越える動きはぎこちなく、恐々といった感じである。だが、それでも引き返すつもりはないらしく、フェンスの外側に立った。
「あんなことして、落ちたらどうするつもりだろう」
「あのねえ、飛び降りるのが目的なんじゃないの?」
 ハラハラしているつかさに対し、杏は冷めたような口調で言った。つかさは目を丸くする。
「どうして!?」
「どうしてって――そりゃ、好きな娘と一緒になれないのなら死んでやる、とか、そういったところでしょう」
 杏はうんざりしたように説明した。そんな衝動に駆られたストーカー男の気持ちが理解できないからである。こういうのは、むしろ死んでくれと思う。
「何で、好きな娘にフラれたくらいで、殺そうとか死のうとか、そんな短絡的なことを考えるのかしら」
「ど、どどど、どうしよう! このままじゃ、あの人、飛び降りて死んじゃうかも!」
 つかさは自分がフェンスの外に立っているみたいに、膝がガクガクした。校舎は四階建て。その屋上から飛び降りれば、死ぬ可能性は高いだろう。
 この騒ぎに、ようやく正門付近で足止めを喰らっていた警察が駆けつけてきた。最初は刺傷事件の発生ということでやって来たのだが、それがいつの間にか犯人の飛び降り現場に変わってしまっている。この事態の急変に警察関係者も慌てた。
 指揮官らしい刑事が何人かを校舎へ行かせた。屋上に登り、自殺を阻止するためだろう。それには時間的猶予が必要となる。刑事は時間稼ぎのため、部下に拡声機を持って来させた。
「そこの屋上にいる君! 早まってはいけない! まずは私の話を聞きなさい!」
 割れた大音量に誰もが顔をしかめながら、屋上にいるストーカー男を見上げた。ストーカー男はすでにフェンスの外側に辿り着き、おそらくは五十センチの幅もない淵の上に立ちながら、集まった野次馬たちを見下ろしている。手はまだフェンスの金網をつかんではいるが、身体は風に煽られるみたいに揺れており、いつ飛び降りてもおかしくなさそうだった。
「私はG署の蛎崎だ! そこは危険だ! すぐに戻りたまえ!」
 蛎崎と名乗った刑事はストーカー男に向かって言ったが、もちろん、これくらいで思い留まるはずがなかった。ストーカー男はフェンスをつかんだまま、身体を前傾させる。手を滑らせでもしたら、そのまま真っ逆さまだ。
「もうオレは終わりだ! 死ぬしかないんだ!」
 ストーカー男が大声で叫んだ。泣いているのかもしれない。感情はかなり高まっている様子だった。
「そんなことはない! 人間、罪を償えば、やり直すことは出来る!」
 蛎崎刑事の説得は、あまりにも真っ当過ぎた。確かにその通りではある。しかし、今の自分しか省みることのできぬストーカー男に、未来のことなど考えも及ばない。
「オレは人を殺しちまったんだ! そんなつもりなんかなかったのに! こんなことになるなんて、身の破滅だ!」
 ストーカー男が叫ぶたびに、身体をこちらに倒すので、下にいる者たちはいつ落ちるかと、固唾を呑まずにはいられなかった。蛎崎刑事は、まだ部下たちは到着しないのかと奥歯を噛み鳴らす。
 すると制服警官が蛎崎刑事に何事か耳打ちした。
「よぉく聞きたまえ! 君は誰も殺してはいない! いや、それどころか、誰もケガさせていないんだ! 君が命で償う必要なんて何もない!」
「ウソだぁ!」
 ひときわ大きく、ストーカー男は叫んだ。つかんだフェンスがガシャガシャと音を立てているのが、ここからでも聞こえる。
「オレは確かにあの男を刺したんだ! いきなり目の前に出て来なければ、あんなことにはならなかったのに! オレはあいつの腹をこの手で刺した!」
 自分の手の感触として、ストーカー男は確信を持っていた。しかし、刺されたのは狼男の大神。刺されはしたものの、傷はすぐに回復し、誰もが無傷だったと思い込まされていた。
「君が刺したという青年はぴんぴんしているそうだ! 刺したというのは、君の勘違いなんだよ!」
「そんなはずがあるものか! だったら、そいつをここへ連れて来い!」
 ストーカー男の要求に、蛎崎刑事は先程の制服警官に何事か言った。すると、すぐに顔をしかめる。ためらいつつ、再び拡声機を握った。
「今、捜してくる! それまで絶対に飛び降りてはならんぞ!」
 そのとき、つかさは知らなかった。ストーカー男に刺されたのが大神であることを。警官たちはどこかへ行ってしまった大神を捜しに散って行ったが、杏が放った問答無用の掌底をまともに喰らった以上、植え込みの中で誰にも見つからないまま、簡単には意識を取り戻すまい。
 だが、これは絶好の時間稼ぎとなった。ストーカー男は半信半疑ながら、大神の到着をとりあえず待つつもりのようだ。身を乗り出すようなことはせず、背中をフェンスにつけている。
 そんな中、不意に蛎崎刑事が右手を耳に当てた。多分、刑事たちが屋上に到着したという連絡が右耳のイヤホンに入ったのだろう。蛎崎刑事の表情に緊張が走る。このことをストーカー男に気づかせてはならない。こちらへ注意を惹きつける必要があった。
「ところで、君の名前を教えてくれないか!?」
 ストーカー男の意識を会話によってこちらに向けるつもりのようだった。すると、ストーカー男は、再び身を乗り出す。
「そんなもの、どうでもいいだろ!」
「よくはない! 私も名前を教えた以上、君の名前も教えてくれ!」
 これがストーカー男の癇に触ったようだ。
「そっちが勝手に名乗ったんじゃないか! オレは教えてくれなんて言ってないぞ!」
「そ、それはそうだが、こちらも『君』と呼ぶだけではどうかと思うんだが!」
 そのとき、フェンス越しに到着した刑事たちの姿が蛎崎刑事からも見えた。ストーカー男との距離は、およそ二十メートル。見つからぬよう、慎重に近づいている。
 ところが、それを目撃した野次馬たちが指差して、自分たちの友人に知らせ始めた。そんな動きがあちこちで見られたせいで、ストーカー男も不審なものを感じないわけがない。パッと後ろを振り返り、刑事たちの姿を認めた。
「近づくな! それ以上、近づいたら、本当に飛び降りるぞ!」
 ストーカー男の剣幕に、刑事たちもたじろいだ。もう少し距離を縮めていれば、飛びかかり、身柄を確保することもできたのだが、さすがに残り十数メートルでは難しい。ストーカー男は片手を大きく振り回した。
「下がれ! 下がれって言ってんだよぉ!」
 興奮のし過ぎか、フェンスの金網をつかむストーカー男の手が滑った。スローモーションのように身体が傾ぐ。そんな危機一髪に、わあああっ、と刑事や野次馬から声があがった。
 ストーカー男は焦りながらも、フェンスの金網をつかみなおした。かろうじて指がかかる。片脚が宙ぶらりんになったが、何とか転落は免れた。
 おおおおっ、という安堵のどよめきがコンテスト会場に漏れた。つかさも、その中の一人である。見ているだけで心臓に悪い。
「あの人、本当に落ちちゃうかと思ったよ」
 胸に手を当てたまま、つかさはハラハラしっぱなしだった。一方、隣にいる杏は退屈したかのように不機嫌な顔だ。
「飛び降りるんなら、早く飛び降りればいいのに」
「ちょっと、杏姉ちゃんってば!」
 杏の不穏当発言につかさは慌てる。誰かに聞かれでもしたら厄介だ。
 しかし、杏はそんなことなどお構いなし。
「だって、今の見た? あいつ、落ちそうになって、慌ててフェンスをつかんだのよ。本当に死ぬつもりがあるのかしら」
「死ぬつもりがないなら、その方がいいに決まっているじゃない」
「つかさ、どうしてあんなヤツの肩を持つのよ? あいつは好きだった娘を殺そうとしたストーカーなんだよ? 最低なクズでしょうに。それを――」
「どんな悪いことをしたとしても、ボクは誰が死ぬところなんて見たくない。そんなのはまっぴらだ」
 女の子みたいな可愛い顔をしているくせに、こんなときには決然と言うつかさに、珍しく杏は息を呑んだ。その澄んだ瞳には、日頃見られない強い光が宿っている。
 だが、そんなつかさの願いも知らず、屋上では変化があった。ストーカー男の体勢が崩れたのを受けて、救助の刑事たちが強硬手段に出たのだ。
 一人の刑事がフェンスに上がり、上からつかみかかるようにしてストーカー男の身柄を確保しようとした。その体勢不十分な刑事の身体を数人の仲間が飛びつくようにして押さえる。
 ところが刑事の手は、わずかにストーカー男へ届かなかった。ストーカー男は反射的に逃げようとする。
 その動きは足場のない場所で致命的だった。ストーカー男は飛び降りるつもりがなかったのに、身体は無情にも重力に引っ張られる。手もフェンスから離れてしまっていた。今さら伸ばしたところで届きはしない。
 今度こそ、ストーカー男は落ちた。
「――っ!」
 その瞬間、つかさは目をつむった。

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