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WILD BLOOD

第16話 アンタッチャブルは突然に

−9−

 何もできないつかさに反し、杏はすでにアクションを起こしていた。厳密には、ストーカー男が転落する少し前から。
 杏は両脚を前と後ろに開き、腰を落としながら、丹田に《氣》をためた。天智無元流に天賦の才を持つ杏にとっては容易いこと。《氣》は瞬く間に充足した。
「はあっ!」
 その《氣》を一気に放出した。手首を接した両手による掌底が突き出されると、そこから目に見えないエネルギーが塊となって飛ぶ。発勁だ。それは落下するストーカー男の身体を直撃した。
 決定的瞬間を目撃していた者たちは、そのとき起きた現象に対して、我が目を疑うこととなった。人間ひとりが屋上から落ちたのに、まるで何かに弾き飛ばされたみたいに、二階の窓へ飛び込んだのだから無理もない。物理的法則を無視している。だが、それが幻でない証拠に窓ガラスの割れた音が派手に響く。誰がこれを杏の仕業だと看破できようか。
 杏の発勁に吹き飛ばされたストーカー男は、地面に叩きつけられることは避けられた。しかし、発勁という攻撃をまともに受け、窓ガラスを突き破っての着地である。さすがに無事では済まないだろう。死を免れた、という程度のものだ。
 この超常現象を見守っていた人々は、野次馬であろうと、警察関係者であろうと、驚愕を隠しおおせるわけがなかった。皆、何事が起きたのか、その正確な答えを得ようと口々に言い合う。騒ぎは、より輪をかけて大きくなった。
 仮に杏の不可解な動作を見ていた者がいたとしても、それとストーカー男の身体が二階に飛び込んだことを結びつけることは出来なかっただろう。あるいは超能力とでも思ったか。まさか。
 それまで、しっかりと目をつむっていたつかさは、周囲の異様な反応に戸惑った。何しろ、ストーカー男が二階に飛び込んだのを見ていないのだから当り前だ。何があったのか、つかさは杏に尋ねようと思った。ところが、杏はいきなりつかさの腕をグイッと引っ張ると、黙って、その場から立ち去ろうとする。つかさは転びそうになりながら、もう一度、ストーカー男が飛び降りた校舎を振り返った。
「これじゃあ、学園祭もグチャグチャね。帰ろうよ、つかさ」
 飛び降りのことなど関心がないかのように、杏は素っ気なく言った。チラッと見えたのは、二階の割れたガラス窓。つかさは杏の手を振りほどくと、逆に手首をつかんで立ち止らせた。
「杏姉ちゃんが助けたの?」
 割れたガラス窓から、つかさは状況を把握した。杏が発勁を使って、ストーカー男を助けたことを。
 杏は振り返ろうとしなかった。顔を見られたくないかのように、前を向いたままだ。
「ねえ、助けてあげたんでしょ?」
 重ねて問われ、杏は渋々とうなずいた。つかさは微笑む。
「そうか。ちょっと手荒な方法だったけど、あのときにはあれしかないよね」
 ストーカー男が落ちたとき、つかさは何もできなかった。目をつむっただけである。だけど杏は自分の力でストーカー男を助けた。助けることができた。
「べ、別にあんな男、どうなろうと知ったこっちゃなかったんだけど、つかさが目の前で誰かが死ぬのはイヤだって言うから……」
 杏は言い訳めいたことを口走ったが、つかさにはそれで充分だった。杏の手首をつかむのはやめ、自分から手をつなぐ。たったそれだけのことなのに、驚いたようにつながれた手を見た杏の顔は少し赤くなっていた。
 と、これで、めでたし、めでたしと終わればきれいなのだろうが、読者諸君、ひとつお忘れではないだろうか。この男のことを。
「おい」
 帰ろうとしていた二人の後ろから、呼び止める声があった。つかさは振り返って驚く。それは親友のアキトだった。
 こんなところで出会うとは奇遇だが、それよりもつかさが目を丸くしたのはアキトの不機嫌な様子だ。目が完全に据わっている。
「アキト?」
「よお、つかさ。悪いが、オレが今、用があるのは、そっちの姉ちゃんの方なんだ」
「またなの? こいつもつかさの知り合い?」
 杏もせっかく二人でいい雰囲気になったところを邪魔されたせいか、因縁をつけてきたアキトに鋭いガンを飛ばした。
 不穏な空気におどおどしながらも、つかさは二人をそれぞれ紹介した。
「同じクラスの仙月アキトくん。――こっちは従姉の琴姫杏だよ」
「初めまして――じゃねえよな?」
 アキトもガラが悪そうにメンチを切った。どちらも負けていない。バチバチと激しい火花が散っていた。
「あのぉ……二人は顔見知り……?」
「違うわよ! 誰がこんなヤツ!」
「それはこっちのセリフだ!」
 二人はいがみ合った。
「つかさ、アンタもお爺さまから《氣》のなんたるかを学んだんだから、コイツが何なのか分かるでしょ!?」
 杏の言いたいことは分かった。アキトの正体が吸血鬼<ヴァンパイア>であることを指しているのだ。普通の人間とは違う邪悪な《氣》を杏は瞬時に感じ取ったはずである。吸血鬼<ヴァンパイア>などを近づけているつかさの気が知れなかった。
「アキトは悪いヤツじゃないんだ。ボクの友達だよ!」
 さっきの大神の例もある。いきなりアキトに殴りかかるのでは、とつかさは心配した。
 ところが、どういうわけかアキトも戦闘モードだった。普通なら、スタイルも抜群の美少女を前にして、下心丸出しで寄って来るはずなのに。なぜアキトは杏に対して攻撃的なのか、つかさはその理由を知りたかった。
「悪いヤツじゃないですって!? つかさ、コイツがさっき、何をしていたのか知っているの!?」
 杏の言葉に、つかさはイヤな予感がした。アキトは決して人間に敵対するような悪の吸血鬼<ヴァンパイア>ではないが、粗暴で、好色で、傲慢なところがないとは言えない。過去、それが原因で起こしたトラブルは数知れず……。
「いいこと!? コイツはねえ、気を失った水着の女の子に悪さをしようとしていたのよ! さっきの自殺しようとしていたストーカーもどうかと思うけど、コイツも最低のクズだわ!」
 つかさは頭が痛くなった。これではアキトを弁護してやれない。
 アキトはさすがに気色ばんだが、すぐに威勢を取り戻した。
「あれは助けてやった礼としてだなぁ、チュウのひとつで勘弁してやろうと思っただけじゃないか! それくらいの役得があったっていいだろ! それをいきなり後ろから問答無用でぶっ飛ばしてくれやがって!」
 まさにアキトが石原紀香の可憐な唇を奪おうとしていたところへ現れたのが杏だった。当然、アキトから人のものとは違う邪気も感じ取っていた杏は、情け容赦なく叩き伏せ、危機一髪だった石原紀香を救ったのである。この場合、完全に悪いのはアキトだ。
 にもかかわらず、アキトは自分をのした杏に仕返しをしようとしていた。こういうのを逆恨みと言わずして、何と言う。
「さっきは突然のことで不覚を取ったが、今度はそう簡単にいかねえぞ! オレの強さをその肉体にたっぷりと教えてやろうじゃねえか! もちろん、そのうまそうなナイスバディを素っ裸に剥いて、ヒーヒー言わせてやるから覚悟しやがれ!」
 アキトはあふれるヨダレを拭い、その獣性を露わにした。つかさは益々、アキトを友達と認めたことを後悔する。出来ることなら前言を撤回したい。
「あ、あのさ、アキト、やめといた方が……」
「面白い。やれるものならやってみなさいよ」
 アキトの挑発に杏は乗っかった。もう、つかさにはどうすることもできない。
「アンタなんか秒殺してやるわ。いつでもかかってきなさい」
 杏はそう言うと、両手を腹部に当てるようにして、呼吸を整えた。すでに《氣》の充填にかかっている。つかさは対峙する二人から逃げるように少し離れた。
「上等じゃねえか! あとで許してくれと泣いて頼んでも知らねえからな!」
 アキトは自分から突っかかっていった。無策の突進。これが見た目通り、ただの美少女であれば問題はなかっただろう。だが――
 杏の目がカッと見開かれた。
「天智無元流奥義・爆砕発勁!」
 かつて一度、つかさが見せた奥義を杏はいきなり放った。それを真正面から受けたアキトは愕然とする。
「な、なんだとぉぉぉぉぉぉぉ!?」
 いかに不死身の吸血鬼<ヴァンパイア>であろうとも、天智無元流の奥義を喰らってはひとたまりもなかった。アキトの身体はロケットのように打ち上げられ、アッという間に青空の彼方に消える。キラッと星が光ったような気がした。
「あー……」
 つかさはそれをポカンと口を開けて見上げた。さすがのアキトも今回ばかりは相手が悪過ぎた。南無、南無。
 杏は埃をはたくみたいに手を叩くと、強さを誇示するかのように胸を張った。
「ふん、口ほどにもない。一昨日来やがれっていうのよ。――それじゃあ、つかさ。どっかで美味しいものでも食べて帰ろうか」
「う、うん」
 呆気ない決着に茫然としているうちに、またしてもグイッと腕を取られ、つかさはヨタついた。来年、杏が受験に合格したら祖母の家で一緒に暮らすことになる。そうなったら、こんなドタバタが日常で繰り広げられるのだろうか。そのことを考えると、つかさは頭が痛かった。

<第16話おわり>



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