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WILD BLOOD

第17話 拳も恋も一日にしてならず

−3−

 以来、つかさは祖父母の家に身を寄せている間、知り合った薫ともちょくちょく会うことになった。
 片や、格闘技を嫌う男の子。
 片や、剣道に打ち込む女の子――
 二人は何から何までが対照的に思えたが、どういうわけかウマが合った。祖父の課す厳しい修行につかさが音をあげていても、活発な薫はそれで愛想を尽かすようなことはなく、もっと頑張るよう励ます。つかさからすれば少し迷惑なことなのだが、だからと言って拒絶できるようなハッキリとした性格ではない。そんなことが可能ならば、とっくの昔に古武道の稽古など投げ出しているだろう。
 聞くところによると、薫には五歳年下の弟、元気がいるそうで、そのために、どうしても姉としての気質が身についてしまったようだ。つかさにも、同学年の男の子というよりは、頼りない弟というイメージを持っている模様である。もっとも、一人っ子のつかさにしてみれば、親身になってくれる姉ができたような感じがして、まんざらでもない気持ちを抱いてもいたが。
 年を経るごとに、二人は真逆に成長した。
 つかさは祖父の古武道が身につかず、他人と争うことを拒んだ。
 薫はめきめきと剣道の才能を開花させて、同年代の男の子をも打ち負かす剣士へと成長した。
 男と女の逆転現象。
 無論、このことを知るのは二人の身内くらいのもので、普段は互いに違う学校へ通っているため、誰かからつかさと薫が比較されるようなことはなかった。そうなってくるのは、つかさがこちらへ転校してくる中学のときからである。まさか、そのようなことになろうとは、当時、二人は思いもしなかったが。
 つかさ、小学二年生の夏。
 一年経っても、一向に上達の兆しが見られないつかさを見限ることなく、相変わらずの厳しさを持って、祖父の源氏郎はマンツーマンでの指導を続けていた。ところがそこへ、もう一人の門下生が現れたのだ。
 それこそがつかさの従姉、琴姫杏<ことひめ・あん>だった。
 杏は祖父母の娘である、つばさの一人娘である。つかさより二つ年上だが、杏は生まれつき喘息があって、身体が弱かった。そこで始めたのが水泳である。一人っ子にしては珍しい勝ち気な性格の杏は、熱のこもった練習をこなし、徐々に身体が鍛えられていった。
 琴姫家の嫁となって以来、祖父母の家にはあまり帰らなかった叔母、つばきであったが、たまたまその年の夏、娘の杏を伴って帰省した。そのときに道場の様子を覗いた杏が、祖父、源氏郎に鍛えられているつかさの姿を目撃したのだ。
 突然、杏は自分もやると言い出した。なぜかは分からない。ただ、やるとだけ、頑なに。理由は言わなかった。
 反対したのは杏の母、つばさだった。言うまでもなく、娘の身体を心配したからである。水泳と格闘技ではまったく違う。兄の源堂が、どのように厳しい修行に明け暮れていたか、つばさはよく知っていた。稽古中、喘息の発作が起きては大変だ、と案じたのは無理からぬことだろう。
 それでも一度言い出したら聞かないのが杏である。祖父、源氏郎も杏の入門を黙って認めた。来る者は拒まず、がモットーらしい(「去るものは追わず」でもあるらしいが)。こうなっては母親のつばさも降参する他なかった。
 かくして、夏休みや冬休みになると、二人の孫が祖父母の家に預けられ、一緒に寝起きしながら古武道を学ぶということになった。
 自分から言い出したこともあってか、杏は熱心に稽古に取り組んだ。しかも上達が早かった。時折、体力面での不安もあって、つらそうな表情も見受けられたが、決して弱音を吐くようなことはしない。同じ稽古を積んでいても、すぐにリタイアするのは決まってつかさの方だった。
「じゃあ、仲間が出来たんだね」
 夕方のランニングをサボったつかさは、初めて会った神社で、やはり剣道からの帰りだった薫に話した。彼女がさも良いことだ、と喜んでいるので、つかさはオーバーに肩をすくめて見せたものだ。
「ボクもね、最初は歓迎したんだ。一緒にやれる人ができて」
 これで自分一人が祖父にしごかれずに済む、なんて不届きな考えを抱いたことは黙っておいた。そんなことを口にすれば、薫から発破をかけられるのは目に見えている。それに祖父の指導は弟子が二人になったからといって手を抜くようなことも、どちらかにかまけるようなこともなく、あくまでも両者の扱いは平等で、つかさの淡い期待は、即刻、破られてしまったというのが実情だ。
「だけど、杏姉ちゃん――あっ、一緒にやることになった従姉だけど――は、何だかボクのこと嫌っているみたいなんだよね」
 つかさは愚痴をこぼした。
「嫌っている? どうして? 従姉弟同士なんでしょ?」
 薫は怪訝な顔をした。戸惑っているのはつかさも同じだ。
「うん、そうなんだけど……ボクが年下のせいか、あまり話しかけてくれないし、いっつも無視しているような感じなんだ。組み手をすると、本気で殴りかかって来て、必ずボコボコにされちゃうし。見てよ、この痣! 向こうは年上なんだから、ちょっとは手加減してくれてもいいのに……」
「何言ってるのよ! 道場じゃ、つかさが先輩でしょ! 第一、男の子じゃないの!」
 薫に叱咤されて、つかさはカメのように首をすぼめた。予想されていた答えだ。
「とにかく、せっかく一緒にやる仲間ができたんだから、お互いに切磋琢磨して強くなれるよう、頑張るのよ!」
 最後にバシッと強烈な激励を背中に受け、つかさは顔をしかめた。
(切磋琢磨ったって……ボクは別に強くなるつもりなんてないのに……)
「それより、つかさ」
 ときには厳しく、ときには優しく。ネコの目のようにクルクルと表情を変える薫の魅力に呆気に取られながら、つかさは「ん?」と訊き直した。
「明後日の夏祭り、忘れてないよね?」
 それは今、二人がいるこの神社で、毎年行われるものだ。夜店が並び、盆踊りが行われる。つかさは薫と一緒に行く約束をしていた。
「もちろん」
 明後日はそのおかげで、稽古も早く切り上げる予定だった。これで少しは夏休みらしい体験ができる。普通の小学生とは違う夏休みの過ごし方に、つかさは自らの不幸を呪っていた。
 改めて二人は約束を交わすと、その場で別れた。
 ところが祖父母の家に帰り着くと、玄関前で杏が腕組みをしていた状態で仁王立ちしていた。ランニングに出かけた胴着姿のままで、着替えた様子はない。
 つかさは杏が向けてきた鋭い視線に射すくめられた。
「何してたの?」
「ちょ、ちょっと、お腹が痛くなったものだから休憩を……」
 これはウソではない。本当のことだ。つかさは杏と一緒にランニングしてくるよう言われたが、彼女のペースに合わせていては、たちまちへばってしまう。杏は喘息を患っているなんて信じられないくらい、ハイペースで走るのだ。叔母がそんな娘の姿を目撃したら、きっと卒倒してしまうだろう。
「今、何時だと思ってるの?」
「え、えーとぉ……」
「私は三十分前には着いていたわ。でも、アンタを置いてきたなんて、おじいさまに言えない。ここでこうしてアンタが帰って来るのを待つしかなかったってわけ。まだまだ、稽古するつもりだったのに。アンタは私の時間を無駄にしたのよ」
「……ごめんなさい」
 つかさは謝罪した。
 本来は、つかさが杏の体調を気遣うように、ランニングを一緒にしているのだ。ところが杏にしてみれば、つかさはただの足手まといでしかない。どうして、こんなのが祖父の格闘技などをやっているのだろう。
「罰として、私に付き合いなさい」
「えっ?」
 一日の稽古は夕方のランニングで終了するのが慣例だった。朝は早いが、夜は遅くまで稽古しないのが祖父のやり方だ。それでも杏には物足りないのか、通常の稽古後も、祖父には黙って自主練をしている。祖父もそれを知ってはいるが、何も言わずに容認しているようだった。
 つかさはやっとこれで今日一日が終わると思っていただけに、この杏の言葉にはテンションがドン底になるくらい落胆した。
「早く。何しているの?」
 杏に咎めるように言われ、つかさは渋々と従った。道場へ上がる前に、雑巾で汚れた足を拭く。汗まみれの胴着が臭くて、すぐにでも風呂を浴びたいくらいだった。
「組み手よ。私に一発でも入れたら、そこで終わりにしてあげる。死ぬ気でかかってらっしゃい」
「そんなぁ……」
「さあ、始めるわよ」
 両者は一礼し、構えを取った。杏の眼光は鋭い。それだけでつかさはひるんだ。
「やっ!」
 開始早々、杏が仕掛けてきた。顔面への正拳突き。これをつかさは腕でガードした。
「甘い!」
 防御が上に移ったせいで、ボディがガラ空きになった。それを見逃す杏ではない。すぐに蹴りが来た。
「――っ!」
 杏の蹴りは、まともにつかさの鳩尾に入った。息が詰まり、身体を折る。そのままダウンした。
「ちょっとぉ、何してんのよ!?」
 柳眉を逆立て、杏が激した。倒れているつかさの襟をつかみ、無理矢理、立たせようとする。しかし、すでにつかさは戦意喪失だった。
「ゴホッ、ゴホッ! い、痛いよ、杏姉ちゃん……こ、降参だよぉ……」
 つかさは涙声になっていた。いつもなら、ここで祖父から「待て」の声がかかる。だが、今、道場には二人きりだ。
「何よ、あれくらいで! 意気地なし! ほら、さっさと立ちなさい!」
 襟をつかんだ杏は、つかさを引きずりまわした。つかさは涙をぽろぽろこぼす。どうして自分がこんなひどい目に遭わなくてはいけないのか。杏と闘う気なんて、最初からないのに。
「つかさ、立て! 立ちなさいってば!」
 何も抵抗しない従弟に、余計、腹を立てながら、杏はフラストレーションを募らせた。気合を入れようと、つかさの頬に容赦なく平手打ちを喰らわす。だが、それはかえって逆効果になり、つかさはなおのこと、えーん、えーん、と泣くばかりだ。
「許してよぉ……もお、許して、杏姉ちゃん……」
「バカ! 何が『杏姉ちゃん』よ! 気安く呼ばないで! まったく! これじゃ、ちっとも稽古の相手にならないじゃない! 弱虫! アンタなんか、ここから出て行けばいいのよ!」
 最後にはつかさを突き倒すようにして、杏はののしった。このままでは治まりのつかない感情を持て余しながら、道場から出て行く。つかさだけがその場に残された。
「うっ……ううっ……」
 つかさは倒れ込んだまま、ただ泣くことしかできなかった。

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