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「あーっ、何か、あのときのことを思い出したら、無性に腹が立ってきた!」
つかさと昔話をしているうちに、薫は気分がムシャクシャしてきたようだった。同学年の男の子たちからいじめを受けたなんて、いくらあの一回きりとはいえ、薫にとっては人生の汚点だろう。
「でも、薫のことだから、その借りは剣道で返したんでしょ?」
あのとき、杏がコテンパンにしたせいか、それ以降、薫が狙われたという話は聞いたことがなかった。
「当り前よ! 十倍――いや、百倍にして返してやったわ!」
薫が鼻息も荒く予想通りの答えを返してきたので、つかさは苦笑してしまった。それはそれは彼らも災難だっただろう。そのときすでに薫の剣の腕前は、彼らを遥かに凌いでいたというわけだ。
「結局、あの三人も小四や小五の頃に剣道辞めちゃったのよね。大したことのないヤツらだったわ」
「同門に強い女の子がいて、自分の限界を思い知らされたわけだ。何だか、ボクと杏姉ちゃんの関係みたいで、少し同情したくなるけど」
「バカ言わないで! あんなヤツらと自分を一緒にしてどうすんのよ!」
つかさがわざわざ自分を卑下するようなことを言うので、薫は本気で怒った。つかさは肩をすくめる。
「まあ、それはともかくとしても、あれ以来、杏姉ちゃんのボクに対する風当たりは、さらに強くなったよ」
「うーん、自分が真剣に取り組んでいる格闘技をつかさが真面目にやっていないって思ったのね」
「多分、そうだろうけど、ボクからしてみれば、別にふざけてやっていたわけじゃないんだけど」
「つかさを見ていたら、誰もそんな風には思えないわよ。対戦相手には攻撃せず、防御一辺倒なんだから。どうしたって、勝負から逃げているようにしか見えないわ」
「それは――」
「分かってる。誰かを傷つけたくないっていう、つかさの気持ちは。でも、相手からすれば失礼な話だと思わない?」
「うん……」
「だけど、あの頃のあのひとは、つかさへの嫌悪が先に立ってしまって、正当な評価ができていなかったと思うわ」
「正当な評価?」
薫の言っている意味が分からず、つかさはクエスチョン・マークをつけた。
「そう。つかさは格闘技向きの性格ではないけれど、素質はしっかりと秘めていたってこと」
「はあっ!?」
思いがけないことを言われ、つかさはどんな表情をしていいやら分からなくなった。だが、薫は澄まし顔だ。
「何だ、本人も自覚してないわけ?」
「いや、自分のことなんだから、自分が一番分かっているよ。どこに、そんな素質があるっていうの? 第一、おじいちゃんにはもちろんのこと、杏姉ちゃんとやったって、一度も勝ったことなんかないんだから!」
「だから、それは性格的な問題だって言っているでしょ。私が言っているのは素質の話。“才能”と言い換えてもいいわ」
「な、何を根拠にそんなことを――」
「あら、私はつかさのおじいさんもそれを見抜いていたからこそ、続けさせていたんだと思うわよ。でなきゃ、いくら孫だからと言ったって、闘う気のない人間を育てようだなんてしないでしょうに」
「それは……」
つかさは言葉に窮した。それこそ、つかさが長年、疑問に思っていたことだ。
どうして祖父はつかさを鍛え続けたのだろう。
最初は息子の源堂に託していた夢を、その子供であり、つまりは源氏郎にとっては孫であるつかさに継がせようとしたのが発端だろう。だが、つかさは誰から見ても格闘技には向かないタイプだということは明らかだったはずだ。他人と争うことのできぬ性格的な問題だけではない。平均よりも低い身長や軽い体重からも肉体的な不利は否めなかった。しかも、劇的な成長はまったく見られず、喘息持ちだった杏よりも体力的に劣っていたのではなかろうか。
にもかかわらず、源氏郎はつかさを見限ろうとはしなかった。なぜなのか。薫が言うように、つかさの中に何かを見出したのだろうか。
当時、そんなことなど思いもしなかった。学校が長期の休みになるたびに過ごすことになった祖父母の家。両親とは離れ離れ。従姉の杏には目の敵のようにされ、つらい修行の日々。今でも、あれは意味のあったものなのかと疑問に思う。
いっそ、祖父から引導を渡されていれば……。
つかさの心は、いつしか、あの頃へと帰って行く――
つかさが中学一年になったばかりのゴールデン・ウィーク、父の源堂と母の美彌子が死んだ。交通事故死。両親は夫婦水入らずで出掛けた旅行先で不慮の事故に遭ってしまったのだ。
あの頃の記憶は、今でもつかさにはあやふやだった。それだけ強いショックを受けたのだろう。
つかさはゴールデン・ウィークのわずかな休日を返上し、いつものように祖父母の家に泊まっていた。いつも仕事で忙しいはずの父が、珍しく連休を取ったので、最初はつかさも交えた家族旅行を計画していたのだが、たまには二人で旅行するのもいいだろうと気を遣ったのである。もし、つかさも同行していれば、事故に巻き込まれていたかもしれない。
一遍にふた親を亡くし、つかさは独りぼっちになった。祖父母と一緒に遺体の確認へ赴いたり、葬儀を執り行ったりしたはずだが、何もかも漠然としか憶えていない。あの頃のことがぽっかりと抜け落ちてしまっている。つかさはそのまま祖父母に引き取られることになった。
転校した中学が薫と同じところだったのは、たった一人でも知り合いがいたという意味で幸いだったかもしれない。もちろん、薫はつかさのことを気遣ってくれた。しかし、つかさにしてみれば、その励ましは空虚な心を埋めるまでには至らず、それから一学期が終わるまで、無為な時間だけが流れたのだった。
そして、また訪れた夏休み――
「つかさ!」
まだ寝ているつかさを昨夜から祖父母の家に来た杏が叩き起こしに来た。朝稽古の時間につかさが道場に来なかったからだ。しかし、杏の一喝にもつかさはベッドに寝たまま、背を向けたままだった。
「起きろ、つかさ!」
杏はつかさの背中を蹴飛ばした。それでも、つかさは起きようとしない。杏はなおも蹴った。
「何をグズグズしている! 早くしろ!」
いくら杏に痛めつけられようとも、つかさは背を丸めたまま動かなかった。そのうち、二階の騒ぎに堪らず、祖母のつばきがやって来る。そこで杏の目に余る暴行を目撃し、止めに入った。
「おやめなさい、杏」
「でも、おばあさま! つかさったら――」
「いいのよ。ウチのひとも認めているんだから」
両親の死後、祖父母の家に厄介になったつかさだが、それ以降、古武道の稽古にはまったく参加していなかった。辛うじて学校には行っているが、それ以外はこうして部屋の中に閉じこもり、ベッドで寝ているだけ。未だ、父と母を失ったショックから立ち直れていなかった。
完全に腑抜けた状態のつかさに憤怒の視線を向けると、杏は苛立ちを隠そうともせずに足を踏み鳴らした。
「おじいさまもおばあさまも、つかさを甘やかして――!」
「杏」
つばきは孫娘を取りなそうとしたが、杏はそれを拒否した。
「御両親が亡くなったのは心から同情するわ! でも、アンタは生きているんだよ! そんな死人みたいに寝てばかりいて、アンタの両親が喜ぶとでも思っているの!? 私のことをひどい女だと思うんなら、一発くらい殴り返したらどう!?」
つかさは動かなかった。ピクリとも。まるで生ける屍同然だった。
「分かったわよ。そうしていたければ、いつまでもそうしていればいいわ! 勝手にしなさい! アンタがおじいさまの古武道をやろうとやるまいと、私には知ったこっちゃないんだから!」
杏は吐き捨てるように言うと、肩を怒らせたまま、つかさの部屋から出て行った。つばきは、そんな孫娘の後ろ姿を見送ってから、つかさのベッドに腰掛ける。そして、そっと蹴られたつかさの背中をさすった。
「あれでも、お前のことを心配しているんだよ。許しておあげ。ただ、あの娘は自分が強くあろうとするばかりに、少し他人との接し方を間違える。根はいい娘さ。お前と同じく、私の孫だもの」
祖母に慰められても、つかさは何も言わなかった。
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