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そう言えば、あれが主将との出会いだったな、とつかさは回想していた。
主将とは、間大作のことである。何と驚くなかれ、間はつかさが所属する空手部の現主将だ。
まさか間が同じ琳昭館高校に進学しているとは思いもしなかった。それだけに新入学の春に間と再会したときはびっくりしたものだ。祖父の遺言もあったとはいえ、空手部に入部することは運命づけられていたのかもしれない。
なお、その間は夏休みにアメリカへ渡ったまま、二学期も半分以上が過ぎたというのに帰国していなかった。何をどうしているのか便りもない。まあ、何もかもが規格外の間のことだ。心配する必要もないだろうが。
便りといえば、それからしばらく、間から杏へ手紙が届いた。祖父母の家の住所をどうやって知り得たかは分からない。ただ、どうやら内容は交際の申し込みだったらしい。やはり間は杏に一目惚れをしていたのだ。
ところが、杏は開封後、一瞥しただけで手紙を焼き捨てていた。間は憎い敵に他ならず、交際などもってのほかだったのだろう。それでもめげずに手紙を書き続けていた間につかさは同情した。
「やっぱり、それじゃない?」
「何が?」
つかさの回想を聞いていた薫がふと指摘してきたが、何のことやらさっぱり分からなかった。
「だから、あの人がつかさに惚れた理由。あわやのところで身を挺して助けに来てくれたことよ」
確かに、間と勝負していた杏は、喘息の発作を起こし、そこへつかさが飛び出した。あのとき、杏がやられると思ったからだ。お姫様のピンチに駆けつけた白馬の王子と言えなくもない。
「んー、違うんじゃないかなぁ」
「どうして?」
「だって、杏姉ちゃんの態度はそれからも変わらなかったし」
むしろ、打倒・間に燃えた杏はさらなる稽古に打ち込み、その相手にされたつかさはとばっちりを食った。あの夏、よく生き延びることができたものだと、我ながら感心せずにはいられない。
「それじゃあ、何が理由だっていうのよ? 全然、つかさを見直すような――いやいや、それどころか心の底から惚れ込むようなエピソードがないじゃない」
「そんなこと言われても……あっ」
不意につかさは思い出した。
「何?」
「杏姉ちゃんを助けたって言えば、その年の冬に……」
つかさは再び過去を辿った。
今にも雪が降って来そうな鉛色の空模様だった。
クリスマスが終わった年末、祖父の源氏郎はつかさと杏を伴い、長野県の山奥で合宿をすることになった。かつてはつかさの父、源堂も祖父と一緒に冬籠りをして、修行をしたのだと言う。つかさにはとても時代錯誤のように思えた。
山小屋には必要最低限のものしかなかった。当然、テレビもなければ、新聞なども届かない。あるのは一週間分の食料と寝袋くらいのものだ。現代っ子のつかさにとっては、物珍しさよりも不便さの方が大きかった。
杏はこの冬合宿を本格的な修行のように感じ、歓迎の様子だったが、山小屋に風呂がないと分かると、こちらもつかさ同様、憂鬱そうな顔つきになった。しかも山小屋というよりは、あばら家と呼んだ方がふさわしく、長年、まともな管理もされていないせいで傷みがひどく、あちこちから隙間風が吹き込むという劣悪な環境には、つかさたちでなくとも逃げ出したくなるだろう。あまりの寒さに、常時、囲炉裏で暖を取っていないと風邪を引きそうだった。
こうして、わざわざ冬合宿を敢行した当の源氏郎も、この十二月に入った頃から体調が思わしくない様子だった。祖母のつばきは、最初、取りやめてはどうだと言ったらしいが、祖父は聞き入れなかったようだ。どうしても、二人を冬合宿に連れて行きたいと頑なに決めていたらしい。
しかし、それにはやはり無理があった。源氏郎は風邪をこじらせ、合宿一日目でリタイア。つかさと杏とで源氏郎をふもとの病院まで運び、入院させるはめになった。
その日のうちに祖母が東京から駆けつけた。祖父はしばらくの入院加療が必要とのこと。とても冬合宿どころではなくなってしまった。
つかさは、これ以上は合宿ができないと、このまま看病のために病院に留まるか、東京へ帰るかを考えていた。ところが、杏がいきなり山小屋へ帰ると言い出し、事態は一変する。
「このまま何もしないで帰るわけにはいかないわ」
それが杏の言い分だった。
つかさはとても付き合い切れなかったが、かと言って、杏一人を山小屋に置いていくわけにもいかなかった。杏には持病の喘息がある。一人にし、何かがあっては大変だ。結局、つかさも戻ることにした。
中学生とは言え、若い男女が二人きりで寝泊まりするということに、どうしてあの頃は無頓着だったのか。確かに従姉弟同士だし、お互いを意識することなんて、これっぽっちもなかったのは間違いない。杏はつかさをヘタレだと嫌っていたし、つかさも杏の攻撃的な性格に萎縮していた。どう考えても、男女の間違いなど起こりそうもない。そう誰もが思っていたのだ。
祖父のことは祖母に任せ、つかさたちは山小屋に戻った。だが、困ったことに、師範である祖父がいないせいで、どのような修行を行っていいものか分からない。とどのつまり、東京にいるときとあまり変わらない修行に終始した。
とはいえ、新鮮だったのは山の中を駆け巡るランニングだろう。起伏の激しい山中を駆けまわるのは、かなりの鍛錬となった。まるでクロスカントリーをやっているようなものだ。ただし、東京のときと同じく裸足で走っているので、注意力をおろそかにするとケガの原因になる。また雪の上を走るときは凍傷になりそうなくらい冷たかった。
合宿は年明けの元旦までの予定だった。祖父は初日の出を拝んでから、山を下りるつもりだったらしい。つかさたちもそのつもりだったが――そもそも食料を一週間分しか用意していなかったが――、あと三日というところで予定が狂った。
杏の喘息がひどくなったのだ。
多分、寒さのせいだろう。杏はたびたび発作を起こした。もちろん、薬は持って来てある。だが、だからといって安心はできない。
その日の夕食の後、つかさは思い切って杏に言ってみた。
「もう山を下りようよ」
予想通り、杏の反応は硬かった。しかし、これは杏のためだ。
「発作、ひどくなっているじゃない? おじいちゃんもいないし、二人でこのまま稽古するのも限界があると思うんだ。だから――」
「私を気遣ってくれてるってわけだ」
「う、うん」
「とか言って、ホントは自分が帰りたいだけなんじゃないの?」
それも少しはある。だが――
「でもさ……」
「帰りたければ、一人で帰れば? 私は残る。この山で精神と肉体を鍛えるわ」
そう言うだろうと思った。つかさは根気よく説得しようとする。
「修行ならここじゃなくったって、東京に帰ってからでも出来るよ。それに教えてくれるおじいちゃんがいないんじゃ……」
「ここじゃなきゃダメなのよ」
「そんなことは……」
「ダメなの!」
杏の強い口調に、つかさはひるんだ。いつものように、つかさを睨んでいる。だが、その瞳は少し潤んでいるように見えた。
「アンタは何も分からないんだね。どうして、おじいさまがここでの冬合宿を決めたのか」
「………」
時代錯誤の山籠り。そんな風にしか、つかさは捉えていなかった。
「ここはおじいさまが――いえ、《天智無元流》の継承者が、代々、血と汗を流しながら修行してきた地なのよ。それをこの冬になって初めて、おじいさまはここで修行することにした。どうしてだか分かる?」
「………」
つかさは黙っていた。分からなかったからだ。すると、杏は落胆したかのように大きなため息をつく。唇は固く結ばれていたが震え、目は充血して赤い。こんな杏を見るのは、つかさとしても初めてだった。
「それはアンタが今年、中学一年になったから。だから本格的な修行をさせてみようと思ったのよ」
そう言われても、つかさにはピンと来るものがなかった。それは一人前の男として認めた、ということだろうか。それはそれで分かるが……。
「でも、私が中学一年になったとき、おじいさまはここで修行をするとは言ってくれなかった。それはなぜか? 私には本格的な修行をさせるつもりがなかったからよ!」
ようやく分かった。なぜ、杏が泣きそうになっているのかを。
自分よりも、つかさなんかが認められたことが悔しいのだ。
祖父に認められなかったことが悔しいのだ。
「そ、それは……」
つかさは何か言おうとした。しかし、何と言えばいいのか分からない。慰めの言葉など、杏は必要としていないはずだ。
代わりに杏が話を続けた。
「結局、最初から後継者を決めていたのよ、おじいさまは。つかさを自分の後継者にするって。その理由は、アンタが男で、私が女だから! はっ! くだらない! 誰が見たって、私の方が強いのに! 私の方が遥かに《天智無元流》を極められるのに! こんな根性なしで、やる気のない人間を、単純な理由ひとつで後継者に指名するなんて、私は今回ほどおじいさまに失望したことはないわ!」
「あ、杏姉ちゃん……」
「私は認めない! アンタなんか! 《天智無元流》の真の後継者は私であるべきよ! この琴姫杏が――!」
激烈な感情が引き金になったのか、杏はまたしても発作を起こした。つかさはその背をさすってやろうとするが、容赦なく拒絶されてしまう。
小さな山小屋の中で、杏の咳と押し殺した嗚咽だけが寂寥感を募らせるように聞こえた。
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