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WILD BLOOD

第18話 萌えよ、乙女の剣

−3−

「あれ〜? 参ったなぁ」
 いつの間にかアキトとはぐれてしまい、つかさは途方に暮れていた。ついさっきまで一緒にいたと思っていたのだが。多分、これは偶然ではない。アキトが意図的に消えたのだ。どうせ、さっきの令嬢を捜しに行ったのだろう。アキトの行動パターンは読めていた。
 こんなことなら首にリードをつけて歩けばよかったと後悔しながら、つかさは新嵐高校のあちこちを捜し回った。こんな所で、また騒ぎを起こされてはたまらない。そう、アキトはトラブルを呼ぶ天下一品の素質を持っていた。
 色々なところを歩いているうちに校舎裏へ出てしまった。賑やかな体育館周辺と違い、まったく誰もいない。こっちじゃないか、と思い直し、引き返しかけた途端、
「ほら、さっさと歩きな」
 きつい命令調の言葉が聞こえた。つかさは何かのトラブルだと感づく。こういうときは近づかないに限るのだが、ひょっとするとアキトが絡んでいる可能性もある。つかさはそっと声が聞こえた方向へ行ってみた。
 そこにいたのは女子高生だけだった。アキトはいない。ホッとしたのも束の間、見かけた顔があったため、その場を立ち去れなくなる。女子高生たちの中に、あのリムジンの令嬢がいた。
 彼女は竹刀と防具袋を持ったまま、五人の女子生徒に囲まれていた。五人は彼女とは違う学校の生徒のようで、着ている制服が違う。彼女らはリムジンの令嬢を小突くようにし、不機嫌さを露わにしている。当然、責められている令嬢は怯えていた。
「さあ、謝ってもらおうじゃない! 夏にあなたと対戦した松尾は、あの試合が原因で剣道部を辞めてしまったのよ! 他校の選手を潰して、そんなに楽しい!?」
 声を荒げると、ひときわ強く、令嬢の肩をドンと突いた。その拍子に転び、かけていた防具袋がドサリと落ちる。尻餅をついた格好の令嬢の唇は震えていた。
「ご、ごめんな……さ……ぃ」
 尻つぼみの小さな声で、令嬢は謝った。しかし、その程度で許してくれるような相手ではない。
「何!? 聞こえないんだけど!?」
 ここでつかさが出て行ければ一番良かったのだろうが、残念ながら、そんな勇気を持ち合わせてなどいない。助けを求めて、誰かを呼びに行くべきか迷った。
 そんな逡巡をしている間にも、令嬢へのいじめは続いた。
「何よ!? あのときの威勢はどこに行ったわけ!? ウチの部員をケガさせておいて、詫びのひとつも入れるのが筋ってもんでしょうが!」
 五人の中で主将らしき女子生徒が令嬢の髪をつかんだ。その刹那、これまで泣きべそをかいていた令嬢のキッと顔が険しくなり、その腕を逆に鋭くつかむ。予想だにしなかった反抗に、女子生徒はギョッとした。
「おやめなさい」
 そこへ別の女子生徒が現れた。令嬢とは異なるが、キリッとした顔つきの日本美人だ。凛とした佇まいに、五人の生徒は気圧される。
「あ、あなたは……!」
「おおっ、白河史帆やないか!」
「うわぁ!」
 いきなり耳元で声がして、つかさは飛び上がらんばかりに驚いた。いつの間にか、つかさの後ろにいたのは、同じ高校に通う徳田寧音<とくだ・ねね>だ。新聞部魂に火がついたのか、カメラを令嬢たちに向け、シャッターを切っている。
 そちらの騒動よりも、五人は新たな人物の登場に驚愕の表情を浮かべたままだった。寧音が言う通り、この現れた日本美人が創央学園の白河史帆ならば、高校剣道界にその名を知られる無敗の女王だ。彼女たちが一瞬にして固まってしまうのもむべなるかな。
「多勢に無勢とは武道の精神に反しています。あなた方も剣士ならば正々堂々となさい」
 史帆は物言いこそ柔らかかったが、決然と言った。主将らしき女子生徒は、それでも言葉を返す。
「ですが、私たちは彼女に仲間を奪われたも同然なんです! このまま黙ってなんていられません!」
「何があろうとも、それは試合場でのこと。正式な判定が下された以上、それをとやかく言ってはなりません。彼女はルールに則って戦った。あなたたちのお仲間もそうでしょう。その結果に異議を唱えることは許されません」
「ぐっ……!」
「それでもあなたたちの気が治まらないのならば、それは試合で晴らしなさい。それが剣士というものです」
 凛とした史帆の姿勢に、誰も歯向かえなかった。五人は悔しさを噛みしめながらも退散する。つかさはホッと胸を撫で下ろした。
「大丈夫でしたか?」
 史帆は令嬢に声をかけた。すると弱々しくうなずく。先程、一瞬だけ見せた険しさは消えている。あれは何かの見間違いだったのだろうか。
「助けていただいて、ありがとうございました」
 今にも消え入りそうな声で、令嬢は礼を述べた。
「いいえ。せっかくの大会で暴行沙汰を見過ごしてはおけませんでしたので。ですが――あなたの剣は危険なようですね?」
「えっ?」
 史帆に言われて、令嬢は頭を上げた。
「用心なさい。他人を傷つける剣は自分に跳ね返ってくることもあると」
 そこへ寧音が飛び出した。
「創央学園の白河史帆はんでっしゃろ!? ウチは琳昭館高校の新聞部で、徳田寧音と言いますねん! 早速やけど、どうして群馬の全国女王がわざわざ都の支部予選なんかに来はったんでっか!? ひょっとして、ウチの高校の忍足薫の試合が目的なんやとちゃいます!?」
 相変わらず怪しげな関西弁を使いつつ、寧音は鋭いツッコミを入れた。
「さあ、それはどうでしょうか。申し訳ありませんが、私はこれにて失礼させていただきます」
 史帆は煙に巻くようにして、その場から立ち去ろうとした。無論、それで諦める寧音ではない。
「待ってぇなぁ! ちぃとばかし、インタビューさせてぇなぁ!」
 寧音は史帆を追いかけて行ってしまった。残されたのはつかさと令嬢である。
 まだ心臓がドキドキしていたが、ようやくつかさは動くことが出来た。まだ尻餅をついたままの令嬢に手を貸す。
「大丈夫ですか?」
「えっ? あっ、はい」
 誰の手かも確認せずに握ってから、令嬢はつかさの顔を見た。途端に顔が赤くなる。つかさもついつい、可愛いなあ、と思った。
 立ち上がろうとした令嬢であったが、すぐに「あっ」と声が出て、くじけそうになった。右の膝から血が出ている。きっと転んだ拍子にケガしたのだろう。
「痛い? ちゃんと立てそう?」
 つかさはケガをした令嬢を気遣った。令嬢は青い顔でうなずく。
「は、はい。多分、ケガはそんなにひどくはないはずです。でも、私、血を見るのが苦手で……」
 これは超がつくくらいのお嬢様らしい。血を見て気分が悪くなるとは。つかさも血は苦手だが、膝小僧を擦り剥いた程度なら、まだ大丈夫だ。
「とにかく保健室に行こう。ほら、ボクの肩につかまって」
 右に竹刀と防具袋、左に令嬢を支えながら、つかさは保健室へ歩いた。中学生のような体格のつかさにとって、重い荷物と女子高生はかなり厳しかったが、彼女を助けるという使命感がかろうじて勝る。不案内の新嵐高校で、どうにか保健室まで辿り着けた。
「すみません。彼女、転んで膝を擦り剥いたんですけど、診てもらえませんか」
 保健の先生に治療してもらっている間、つかさは入口近くで待つことになった。ただの通りすがりなので、保健室まで送る役目が終わったのだから、そのまま立ち去っても良かったのだが、何とも心細そうな彼女の様子を見ていると、そうもいかない。結局、ケガは大したことなく、消毒して、絆創膏を貼っただけで、令嬢は解放された。
「本当にありがとうございました」
 保健室を出たところで、令嬢は改めて深々とお辞儀をした。つかさは恐縮してしまう。
「私、土方紫苑<ひじかた・しおん>と申します」
「しおん?」
「はい。桃李女学院の一年生です」
「ボクは琳昭館高校の武藤つかさ。同じく一年生だよ」
「武藤……つかさ様」
 はにかむつかさの顔を見て、しおんは頬を染めた。つかさも何だか照れてしまう。
「あっ、えーと、君も剣道の選手なんだよね?」
 緊張を誤魔化そうと、つかさは分かり切っていることを質問した。竹刀と防具袋を持っているのだから当り前だ。
「はい、一応は……」
「ボクは剣道をやらないんだけど、ウチの学校の応援に来たんだ」
「そうでしたか」
「ところで、君の学校の人たちは? 一人で会場に来たみたいだけど」
「多分、先に到着されていると思います。早く見つけないといけないのですが」
 さすがはお嬢様。団体行動も免除というわけか。かと言って、言葉にするほど慌てているといったこともない。
 しかし、それにしても、つかさには分からなかった。さっきの騒動の原因である。あの剣道部員たちは、しおんに仲間がやられたことを恨んでいた。でも、竹刀を持つよりも、ヴァイオリンを奏でていた方が似合いそうなしおんが、対戦相手を引退に追い込むような大ケガをさせたとは想像もできない。
 何かの間違いなのか。それとも、会ったばかりのつかさには分からない別の一面を持っているのか。
 とにかく、つかさはしおんを仲間の許に送り届けることにした。
 選手の控室兼更衣室になっている教室へ向かう途中、すでに何校かが支度を終え、試合会場である体育館へ向かっている団体とすれ違った。どうやら、じきに大会が開始されるらしい。
「つかさ」
 急ぎ足になったつかさが、不意に呼び止められた。薫だ。主将の大沢加世たち、他の剣道部員もいた。
「どこへ行くの?」
「彼女を仲間のところへ連れて行ってあげようと思って」
「誰?」
 抱えた防具袋に顔を埋めるようにしている女子生徒の顔を薫は覗き込んだ。つかさが紹介する。
「桃李女学院の土方さん」
「桃李女学院!?」
 薫の目が見開かれた。それは他の部員も同じだ。
 そこへ、防具をつけた女子生徒が廊下を走って来た。
「土方さん!」
「あっ、羽田さん」
 応じたのはしおんだった。羽田と呼ばれた女子は、さっき久慈映子と一緒にいた桃李女学院の生徒だ。多分、しおんが遅いので、様子を見てくるよう言われたのだろう。
「よかった。何かあったのかと心配したわ」
「ごめんなさい」
「とにかく、急いで着替えて。もうすぐ、開会式が始まっちゃうから」
「はい」
 羽田に急かされ、しおんは行ってしまった。つかさにまともなさよならも言えず、いささか心残りな様子を見せながら。
 とりあえず、つかさはしおんを送り届けることが出来てホッとした。
 だが、薫以下、剣道部員たちの表情は硬い。
「彼女がひょっとして……」
「まさかね」
 土方しおん。まだ、このときは何者なのか、この場にいる誰もが知らなかった。

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