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開会式もつつがなく終わり、すぐに会場は試合の準備に移った。
薫たちの試合は、Bブロック一回戦の第六試合。出番が来るまで、およそ一時間以上の余裕があった。
薫たちは何試合か観ておこうと、そのまま会場に残った。ライバル校の偵察というわけではない。試合会場の雰囲気に慣れておくためだ。すでに夏の大会に出場経験のある薫や主将の加世はともかく、試合慣れしていない他のメンバーのことを考えてのことである。
新嵐高校の体育館は二階が観客席になっており、かなりの人員を収容できた。あらかじめレギュラー落ちした部員が場所取りをしてくれていたので、薫たちは労せずに着席できる。薫たちと同じように観戦することにした出場校が座ると、ほぼ満席という盛況ぶりだ。
「ところで、あいつはどうしたの?」
観客席に陣取ったところで、薫はつかさに尋ねた。つかさは剣道部ではないが、隣へ来るよう引っ張られてきたのだ。
「それがはぐれちゃってさあ。一緒にここまでは来たんだけど」
もちろん、薫が言う「あいつ」とはアキトのことだ。薫は半ば呆れる。
「しょうがないヤツねえ。女子の着替えでも覗く気かしら。何はともあれ、ウチの恥になるような問題を引き起こしてくれなければいいけど」
「ボクもそれが心配なんだ。さっきまで捜してたんだけど、途中で土方さんを助けることになって」
ふと何気なく目線を反対側の観客席に向けると、ちょうど桃李女学院の剣道部がいた。向こうもこちらに気づいているらしい。その証拠に、主将の久慈映子がジッと加世のことを睨むようにしていた。
その映子の隣にしおんがいた。しおんはおずおずと控えめに手を振って来る。それがつかさに対するものであることは明らかだった。つかさも同じようにして返す。
「へえ、ずいぶんと仲良しになったみたいじゃない」
からかう薫の言葉には棘が含まれていた。
「ん、まあね」
つかさは特に意に介した様子もない。薫の言葉を額面通りに受け取ったようだ。良く言えば素直、悪く言えば鈍感。
「土方さんだっけ?」
「そう。土方しおんさん」
「いかにも、お嬢様って感じよねぇ」
「うん。ああいう娘、ウチの学校にはいないよね」
「悪うございましたわね、ウチは庶民的な女子が多くて」
「は? 何もそんなことは言ってないでしょ」
別に薫だって焼き餅を焼いているわけではなかった。つかさとは昔から仲がいいが、それは同級生としてであって、ほとんど異性として意識したことはない。つかさだってそうだろう。第一、つかさが好きなのは琳昭館高校のマドンナ、一年先輩の待田沙也加なのだ。それはハッキリとしている。
だから、きっとつかさはしおんに対しても、特別な感情はないだろう。それは断言できた。幼なじみとして。
しかし、しおんはどうか。世間ずれしていないお嬢様。蝶よ花よと可愛がられ、きっと男性に対する免疫もないに違いない。その目の前に現れた女の子と見紛いそうなくらい愛らしい少年。しおんの反応を見ていれば、つかさのことを気に入ったのは、まず間違いなさそうだ。
嫉妬じゃない。でも、面白くない。薫の心はどことなく穏やかではなかった。何だか、そのこと自体が腹立たしい。つかさは単なる幼なじみ。それ以上でも、それ以下でもないのに。
「あんなお嬢様でも剣道やるんだね。何だか心配になっちゃうよ」
つかさはしおんについて、素直な感想を口にした。そうだ。彼女は桃李女学院の剣道部。あのとき、主将の久慈映子は名前を出さなかったが、ひょっとすると薫と戦いたがっているというのは彼女なのかもしれない。わざわざ主将に直訴してまでの試合。薫を指名したということは、その実力のほどを充分に承知しているはずであり、その上での勝負となれば、彼女もいささかの自信を持っているということになる。
「まさか」
「えっ?」
つい考えていることが口から出てしまい、それを横で聞いたつかさが訊ね返した。薫は慌てて首を振る。
「ううん、何でもない」
本当に、まさか、だ。お嬢様然とした土方しおんが自分との対戦を望むなんて。どう見たって、勇ましい剣士という感じではない。武道よりも、茶道とか華道とかをたしなみそうだ。
何はともあれ、相手が土方しおんだろうと、別人であろうと、そんなことは関係ない。試合になれば全力で戦うのみだ。そう気を引き締めながら、薫は開始された試合を観戦した。
「ああ、ここにおったんかいなぁ」
あちこちで応援や歓声が湧き上がる中でも、ハッキリと寧音の声だけは判別できた。薫たちが振り返ると、カメラを首からぶら下げた寧音が、「すんまへんな、すんまへんな」と謝りながら、観客の前を横切り、こちらへやって来る。最後には強引に薫と加世の狭い間に割り込んで座った。
「いや〜、小っさな会場で身動きもままならへんわ。ああ、しんど」
「取材ご苦労さま。なるたけ、いい写真を撮って、剣道部の宣伝をしてよね」
「任せとき! 忍足薫の不敗神話はここから始まるんやから!」
寧音はそう言って、ファインダーを薫に向けた。薫はおどけてピースサインを作り、笑顔でポーズを取る。
「ところで忍足はん。来てるで」
「来てるって、誰が?」
「白河史帆や」
「――っ!?」
薫は驚いた。その拍子に、意地悪くもシャッターが切られる。さぞや変な顔をしていただろう。
「ホントに!?」
「ホンマや。――なあ、武藤はん?」
「ああ、そう言えば、そんなことが」
つかさは思い出したように言った。薫は目を丸くしたまま、つかさを振り返る。そして、いきなり、つかさの襟元を締め上げると、乱暴に揺すった。
「どうして、そんな大事なこと、私に黙っていたのよぉ!」
「だ、だって、ボクは白河さんって人に会ったの初めてだったし、顔も知らなかったんだもの! 徳田さんが名前を呼んで、初めてそうかと――」
あまり頭を強く揺すられたので、つかさは気持ち悪くなった。よい子は真似しちゃいけません。
「ウチも単独インタビューを試みたんやけどな、あっさりフラれてしもうたわ。でも、きっと忍足はんの試合を観に来たんやと思うんや。せやなかったら、わざわざ群馬から来るはずがあらへんやろ」
「それは分からないじゃない。何かのついでかもしれないし、誰か知っている人の応援かもしれないわよ」
「そやろか? 白河史帆は夏に戦えへんかったライバルの試合を観に来た――ウチの読みは間違いないて思うてるけど」
少しでも薫のことをライバル視してくれていたら、それはもちろん嬉しいことだ。何しろ、史帆は薫にとって憧れの存在である。
しかし、現実には有り得ないだろうと思っていた。薫が史帆と試合したのは中学時代の一度だけ。しかも、そのときは手も足も出なかったのだ。史帆からしてみれば、きっと薫など記憶にも残らない選手だっただろう。
「忍足はんは自分を過小評価してるんや」
「だって、無敗の女王、白河史帆よ。私なんて足下にも及ばないわ」
「そうでもないて。現に、白河史帆が引退した翌年から、忍足はんは二年連続、全国の頂点に輝いたわけやろ?」
「それは……」
寧音の言う通り、薫が有名なのは中学生の頃からだ。全中を連覇。それは誰もが認めるものだ。しかし、薫の胸を去来するのは寂寥感だけだった。白河史帆。あのときに感じた衝撃。それを超えない限り、薫がナンバーワンを自負することはできなかった。
ともあれ、この会場に白河史帆が来ている。薫の試合を観てくれる。それだけで薫は鳥肌が立った。
目は無意識に白河史帆の姿を捜していた。この会場のどこかにいるに違いない。そう思ったら、捜さずにはいられなかった。
だが――
それを見つけて、どうしようというのか。史帆とは一度、試合をしただけで、会話を交わしたこともないのだ。特に親しいわけでもないのに、その目の前にしゃしゃり出て行ったところで、言葉に窮するのは試すまでもないではないか。
史帆の来場に舞い上がった自分を薫は恥じた。自分は無敗の女王を崇拝する、そんじょそこらのミーハーなファンではない。同じ剣士として、剣の道を究めようとする者だ。その自分が己を見失ってどうする。今日は史帆と試合をするのではない。ここに集った支部の生徒たちと戦うのだ。
「とにかく、白河さんが来ていようがいまいが、私には関係ないわ。私は私の剣道をするだけよ」
「何や、つまらんなあ。試合後にビッグ対談でも取材させてもらお思うてたのに。『緊急対談・新旧女王、剣を語る』なんてタイトルでどやろ?」
「まったく、もう。好き勝手に言ってなさい」
それ以上、薫は寧音に取り合わなかった。
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