[←前頁] [RED文庫] [「WILD BLOOD」TOP] [新・読書感想文] [次頁→]
いよいよ薫の出番が来た。
忍足薫の登場に、会場のボルテージが上がる。試合会場になっている体育館は二つに分けられ、もう片方では別の試合が行われているというのにお構いなしだ。
「忍足、頼むぞ!」
主将の大沢加世から声がかかる。振り向いた薫は力強くうなずいた。
一回戦Bブロックの第六試合。
琳昭館高校の相手は、須郷東高校だ。それほど強豪校というわけではない。
須郷東は五人のメンバー全員を二年生で固めており、先鋒は吉田という選手だった。身長は薫と同じくらいか。挙動の一部始終から、やや緊張しているのが窺える。
まず審判に一礼し、相手に対して一礼。開始線で竹刀を構え、蹲踞。立ちあがり――
「始めッ!」
「せやああっ!」
吉田選手は中段の構えだった。薫がスッと前に出ると、相手も下がる。間合いを確保するというよりは、薫を必要以上に警戒しての動きだ。薫の名は知っているだろう。まさか先鋒戦でいきなり出てくるとは思っていなかったに違いない。
薫は仕掛けた。面を狙う。吉田選手は下がりながら、懸命に防御に徹す。しかし、薫の攻めは苛烈で、危うく場外へ出そうになった。
(イケるっ!)
相手がそれほど強くないのはすぐに分かった。一気に畳みかける。相手は防戦一方。面打ちを凌ぐのに精一杯だ。
薫は不意に手を緩めた。相手は一瞬、虚を突かれる。止んだ攻撃。そのホッとした瞬間が気を抜かせ、つられたように動きまでも止めてしまう。
「ドォォォォォォッ!」
その隙を狙っての抜き胴。赤旗が一斉に上がる。
わあああああっ、という歓声が大きくなった。薫の一本。開始から、まだ二十秒も経っていないだろう。
「いいぞ、忍足!」
また加世から声がかかった。他の部員たちも少しは表情を緩め、拍手してくれている。薫はそれに目線で応えつつ、開始線に戻った。
そのときだった。薫は首筋にゾクッとしたものを感じた。殺気のようなものだ。誰かに見つめられている。
試合中なのだから、大勢から目を浴びるのは当然だ。ましてや、薫の試合は誰もが注目しているだろう。しかし、殺気のこもった視線となれば別である。薫は面金の奥から目だけを動かして、その相手を捜した。
だが、満員の観客の中から捜し出すのは困難だった。それに、すぐ二本目が始まる。
「二本目ッ!」
薫は殺気のことを忘れた。今は試合にだけ集中する。
一本先取された吉田選手は、鮮やかな抜き胴を決められたのが、かなりショックだったらしい。試合が再開されるや否や、薫から距離を置き始めた。
すでに薫が一本取っているのだから、制限時間いっぱいまで逃げても勝敗は決定的。だが、団体戦である以上、大将戦までもつれれば、一本勝ちか二本勝ちかのポイントが最終的に明暗を分けることもある。吉田選手は薫に勝てる見込みがないと判断し、せめて二本目を取らせない作戦で行くつもりのようだ。
しかし、これをチームプレーだからと、薫は褒める気にもなれなかった。結局、逃げているだけではないか。こんな剣道をしていて強くなれるのか。いや、そもそも楽しいのか。薫には甚だ疑問だ。
何のために毎日、稽古を積んでいるのだろう。己を磨き、己を鍛え、試合でその力を発揮するためではないのか。勝ち負けから逃れることはできないが、自分の力量を試し合う“試合”の放棄は相手に対しても礼を失していると思う。
「しぇらあああああっ!」
そのことが闘志に火をつけたのか、一本目よりも凄絶に薫は攻め込んだ。間合いを一気に詰め、乱打を加える。吉田選手は薫よりもひとつ年上だというのに、鬼のような攻撃に見舞われ、涙目で耐え忍んだ。多分、攻撃を受け止めるだけで腕が痺れているはずだ。時間切れまで、とてつもない長さを覚えたに違いない。
「づああああああっ!」
薫の猛攻に耐えかね、吉田選手は後ろに転んだ。即座に審判が手を挙げる。
「場外!」
転んだ拍子に、吉田選手は境界線から出てしまっていた。これで反則がひとつ。もう一回、反則を取られると、合わせ技で一本失うことになる。
起きあがった吉田選手は肩で息をしていた。攻めていた薫が何ともないのに、守りを固めていた吉田選手の方が疲れている。とても残り時間、逃げ切れそうもなかった。
審判に促され、ようやく吉田選手は開始線に戻った。目は虚ろ、竹刀の切っ先も下がり気味だ。戦意はほぼ奪われていると言っていい。
「始めッ!」
それでも試合が再開されると、打ち込んでくる薫の気迫に圧されてか、身体は自然と逃げた。薫に対し、恐怖を抱いているのだろう。だからといって、薫に手を緩めるつもりなど毛頭なかった。
「らららららあっ!」
容赦なく薫は攻め込んだ。吉田選手は逃げ回るが、すぐ薫に追い詰められてしまう。右往左往する姿は傍目からも見苦しかった。
「後ろッ!」
須郷東から声が飛んだ。逃げ回るうちに、吉田選手が境界線を踏みそうになったからである。吉田選手はハッとし、踏みとどまった。
その瞬間を薫は見逃さなかった。強く畳を蹴る。翔んだ。
「メェェェェェェェェンッ!」
場外を警戒した吉田選手は一歩も動けなかった。薫の竹刀が面を打つ。鮮やかな飛び込み面の一撃だった。
きれいな残心を決めた薫に赤旗三本がそろって挙がった。一瞬だけ静まり返った会場がドッと湧く。薫の勝利だった。
開始線に戻った両者は、蹲踞の体勢から立ちあがって後ろに下がり、一礼した。吉田選手は茫然自失といった体ではあるが、儀礼は身に沁みついているらしく、無意識に行えている。逃げに専念しても二本を取られた薫の実力に驚嘆しているのは間違いなかった。
この試合、彼女は何も得られなかった。薫は吉田選手の様子を見ながら、そのように思う。仮に瞬殺に終わっていたとしても、自分から立ち向かっていけば反省材料もあったはずなのに。そのことを薫は残念に思った。
ともあれ、これで琳昭館高校の先勝だ。幸先のいいスタートを切ったと言える。
「――っ!?」
喜ぶ仲間のところへ帰ろうとしたとき、薫は再び、あの殺気を感じた。やはり、気のせいなどではない。
「どうした、忍足?」
薫の不審な様子に、加世が怪訝な顔を向けてきた。
「いえ、何でもありません。――槇先輩、頑張ってください」
次鋒の槇亮子とすれ違いざまグータッチし、薫は普段通りを装った。
だが、しばらくの間、薫に突き刺さる殺気はなかなか消えなかった。
「いよいよね」
一回戦を終えた薫たちは観客席に戻った。
薫たち琳昭館高校は、二勝一敗二分けで二回戦進出。先鋒の薫と大将の加世は順当勝ちだが、あとは際どい試合だった。次の二回戦も気が抜けそうもない。
その前に薫には気になる試合があった。言うまでもなく、桃李女学院の試合だ。もちろん、目当ては土方しおんである。
次の次、三回戦まで勝ち上がれば、薫たちは桃李女学院と戦うことになる。わざわざ薫を名指しで挑んできた相手の実力はいかに。といっても、まだ、それがしおんであると決まったわけではなかったが、控室を久慈映子たちが訪れたとき、その後ろにいたのは補欠も含めて五人だったから、残る一人はそこにいなかったしおんということになる。
それでもまだ信じることができなかった。薫も一瞬だけ会っただけだが、いかにも良家のお嬢様といった感じで、つかさの言い草ではないが、とても剣道をやるようには見えなかったからだ。
それを確かめるためにも、しおんの試合は観ておく必要があった。
桃李女学院の相手は中邑高校だった。あまり名前を聞いたことがない高校だ。
すでに副将戦までが終了し、桃李女学院はここまで二勝一敗一分けでリードしていた。そして大将戦――
「中邑高校、大将、合川選手。桃李女学院、大将、土方選手」
アナウンスが両選手を試合場に呼び込んだ。土方しおん。やはり、間違いなさそうだ。
しかし、それよりも驚いたのは、主将である久慈映子が大将ではなく、副将として先程戦っていたことだろう。その映子は危なげなく二本勝ちした。
「どういうこと? あの娘が大将だなんて」
映子と中学時代から切磋琢磨してきた加世としては、彼女が大将でないことに不満をありありと見せていた。まるで二年の映子が一年のしおんよりも格下であるかのように見られるからだろう。加世の中では、映子こそがライバルなのだ。
一般的には大将が一番強いということになるだろうが、このような団体戦の場合、あえて大将戦を捨てる、という考え方もある。それはそれぞれのチーム事情によるだろう。琳昭館高校とて、実力で言えば主将の加世よりも薫の方が上であることは明らかだ。ただ、加世は薫よりひとつ上の先輩だし、主将という立場もあるから、大将になっているのである。
「この試合、もしもあの娘が一本も取れずに二本負けを喫したら、中邑高校の逆転勝ちになるわ」
桃李女学院の敗退を加世は心配していた。加世としては、ライバルである映子と試合がしたいに違いない。それまでは勝ち上がってもらわねば困るのだ。
「始めッ!」
薫たちが見守る中、試合は開始された。果たして、しおんはどのような剣道をするのか。
開始早々、しおんの切っ先は下がり気味になった。相手の小手狙いだ。中邑高校の合川選手もそれを見抜く。
しおんはそれを承知で攻めた。しかし、合川選手は見切っており、うまく攻撃をさばく。しばらく小競り合いが続いた。
どうもしおんの剣道は、手数こそ多いものの、ちまちまとしたものに見えた。確かにやらしい攻撃ではあるが、対処法さえ誤らなければ怖くはない。相手の合川選手も次第にしおんの攻めに慣れていった。
試合時間の半分が経過した。残り二分。
中邑高校が勝つには、二本勝ちが必要だ。合川選手も悠長には構えていられない。どこかで勝負をかけなければならなかった。
執拗に小手を狙っているしおんの場合、頭部の防御がおろそかになっている。ここは面を狙うのが常道だろう。
合川選手はしおんの小手打ちを竹刀で弾くと、間髪入れず、面打ちを仕掛けた。しおんの頭部はガラ空きだ。
「せええええええええええっ!」
決まる――と思った刹那、しおんは左手を竹刀から放し、半身になった。そのまま合川選手の攻撃を紙一重で避け、交錯する寸前に片手突きを繰り出す。
やや下から突き上げられた格好で、合川選手は後方に吹き飛んだ。突きがまともに決まったのだ。ドン、という大きな音を体育館に響かせ、背中から不自然な格好で倒れた合川選手は、そのまま動かなくなった。
白旗が挙がった直後、会場のあちこちから悲鳴があがった。それほどショッキングな場面だったと言えよう。審判、次に中邑高校の顧問が合川選手に駆け寄ると、慌てたように腕でバツ印を作り、救護班を呼んだ。
薫は息を呑んだまま、その光景を目に焼きつけていた。すると、試合場の中央で一人になっているしおんがこちらを見上げる。
その瞬間、あの殺気が薫を貫いた。あれはしおんだったのだ。
場内がざわつく中、合川選手の試合続行不可能で、しおんの不戦勝になった。
[←前頁] [RED文庫] [「WILD BLOOD」TOP] [新・読書感想文] [次頁→]