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WILD BLOOD

第18話 萌えよ、乙女の剣

−7−

「何やってんのよ!」
 控室に戻るや否や、しおんは持っていた竹刀を放り投げ、怒りを露わにした。
 もし、この場につかさや薫たちがいたら、道具を乱暴に扱うぞんざいな態度はもちろん、深窓の令嬢というイメージぶち壊しの豹変ぶりに驚愕せずにはいられなかっただろう。
 これが、あの土方しおんだろうか。試合をするために、普段は下ろしている髪をきつく結い上げているせいか、やや吊り目がちで印象が違って見えるのは確かだが、発するオーラそのものがまるで別人である。奥ゆかしさはどこかに消え、攻撃的な険しさが前面に出ているような状態だ。
 しおんの激昂に、他の部員たちも身を縮めていた。彼女たちの方が年上にもかかわらず、すっかりと後輩に怯えている。主将の久慈映子は部員たちを中に押し込むと、部外者の目を気にするようにドアを閉めた。
「土方さん、声が大きいわ!」
 かろうじて主将の威厳を保った映子がしおんをなだめようとした。だが、効き目なし。
「冗談じゃないわ! さっきの試合、もうちょっと何とかならないわけ!? 危うく琳昭館高校と対戦する前に敗退するところだったわ! これだから団体戦は嫌いなのよ!」
 しおんの怒りの矛先は、不甲斐ない試合をした仲間たちに向けられていた。映子以外の部員はシュンとなる。それを映子はかばった。
「みんな、一生懸命やっているわ! そんな責めるようなことを言わないで!」
「主将が何も言わないから、あたいが代わりに言ってあげてるんじゃない! ――八木先輩、もっと前に出で、積極的に戦ってください! 守るだけで勝てるはずがないでしょう! ――関川先輩は打ち込みをもっと素早く! ほとんどの技が易々と相手に見切られてるじゃないですか! ――和田先輩も勝ちはしましたが、もうちょっと強い選手と当たったらやられますよ! しっかりしてください!」
「土方ぁ!」
 堪らず、映子が遮るように大きな声を出した。しおんは黙るものの、目は挑むように映子を睨みつける。火花散る二人。一触即発の険悪さに、見守っている部員たちの方がハラハラした。
 睨み合いは十秒以上続いたのではなかろうか。ところが、不意にしおんの方が、やっていられない、という顔つきで、ぷいっと背中を向けた。
「……まあ、いいわ。とりあえず、琳昭館高校と戦えることになったんだし」
 取っ組み合いでも始めるかと戦々恐々としていた部員たちは、しおんが矛を収めてくれたようでホッとした。映子の方は、固い表情のままだ。一年生のクセに、主将を敬っていない態度に腹が立つ。
 とはいえ、しおんの強さは確かだ。剣道歴十年の映子とて敵わない。主将である映子が大将の座をしおんに譲っているのも致し方なかった。
「それよりも主将、忍足薫が先鋒で出てくるってのは確かなんでしょうね?」
 しおんは念押ししてきた。映子はうなずく。
「確かにそう言っていた。これまでの試合を観ても、忍足は先鋒だし」
「そうだったわね。あとはあたいの試合を観た忍足薫が逃げ出さなければいいのだけれど」
 口ではそう言ってみたが、それはないだろうとしおんは思っていた。薫は自分と同じだ。全力で戦える相手との試合を望んでいる。
 夏の大会のとき、まだ一年生ながら鮮やかに勝ち上がって行く忍足薫を見つけ、衝撃を受けた。三年生の強豪を破り、個人戦でベスト4進出。準決勝で敗退したが、あれは審判のミスジャッジだったと、しおんは今でもあのシーンが目に焼きついている。あの不運さえなければ、間違いなく薫は全国大会へ駒を進めていただろう。
 当時、まだ団体戦にしか出場させてもらえなかったしおんは、その日以来、薫との対戦を熱望するようになった。そして、その機会はようやく巡って来たのである。しおんにとって、待ちに待った対戦だった。今日この日、土方しおんという名を忍足薫に知らしめる。これこそが最大の目的であった。
「どこへ行く気!?」
 控室を出て行こうとするしおんを見咎めて、映子は訊ねた。
「トイレくらい、自由に行かせてよ」
 しおんは廊下へ出ると、控室のドアをぴしゃりと閉めた。
 別に、本当にトイレへ行きたくなったわけではなかった。どうにも、しおんを取り巻く周りの雰囲気にいたたまれなくなっただけだ。しおんが感情を爆発させると、いつもそうなる。剣道部員とはいえ、桃李女学院はお嬢様学校。激しやすい性格のしおんは遠巻きにして見られがちだ。
 いつの頃からだろう。しおんは幼い頃から、父の紫雲に厳しく育てられた。本当は後継ぎとなる男児が欲しかったらしい。しかし、しおんの母は、もう二度と子供を産めない体になってしまった。それが許せなかったのか、父に冷徹な扱いを受ける要因にもなった。
 母が死んでから、父の厳しさは尋常さを超えた。朝から晩まで徹底的に施された暴力も持さない教育。それがしおんをがんじがらめにし、心を抑圧していった。
 中等部に進学したとき、クラスメイトからいじめを受けた。総会屋の娘。そのことが広まったのだ。
 最初は上履きを隠されたり、勝手に机を移動させられていたりという陰湿な類のいじめだった。それをジッと耐えていると、今度は暴力。そんなしおんを教師たちは見て見ぬふりをした。
 ある日、後ろの席の女子生徒に、髪が抜けるのではないかと思うくらい、強く引っ張られた。あれがきっかけだったと思う。これまで自制されていたタガが外れた。
 しおんにハッキリとした記憶はない。気がつくと暴行したクラスメイトを半殺しにしていた。自分がやったのだ、という自覚がなかったが、他に誰もいるはずがない。――いや、実はいた。そのとき生まれたのだ。もう一人のしおん――すなわち、シオンが。
 普通、そこまでの過剰防衛を行えば、退学は決定的だっただろう。ところが、誰一人として、しおんの名を出さなかった。そのため、事件はうやむや。しおんはその後も学校に通うことが出来た。あのとき、シオンはかなりの脅しをクラスメイトたちにかけ、口外することを禁じたのである。それがどのような内容だったのか、しおんは知らないが、以降、クラスメイトによる距離の置き方や恐れを含んだ態度から判断すると、シオンの脅しがかなり効果的だったのは間違いない。
 その後、フェンシング部へ入部を決めたのもしおんではなく、シオンであった。ストレス発散のために、身体を動かし、公然と相手を叩きのめすことのできるものを選んだのである。しかし、フェンシング程度では物足りなく、改めて高等部になってから剣道も始めてみた。
 二つの人格の入れ替わりは、髪をきつく縛ることによって“シオン”になることが分かった。これは多分、父に髪をつかまれた過去がトラウマになっているためと思われるが、精神科医に診療してもらったわけでもないので、確かなことは言えない。ただ、競技のときは髪を縛ることが多いので、このスイッチは便利であった。
 というわけで、今は土方“シオン”だった。つかさたちと会ったときとは別の人格だ。
 トイレへ行くつもりはなかったが、せっかく近くまで来たので、顔くらい洗おうかとシオンは思い立った。洗面所の鏡の前で蛇口をひねり、水で顔を洗う。顔を上げると、いつの間にか背後に他校の剣道部員とおぼしき五人の剣胴着を着た女子がいた。
 チッ、とシオンは舌打ちした。彼女たちに見覚えがあったからだ。
「また、あの突きを使ったわね。一度ならず、二度までも」
 それは開会式の前、しおんを取り囲んでいた他校の女子生徒たちだった。シオンは、確か成翔高校の連中だったな、と夏の大会を思い出す。結局、あの団体戦は、シオンは勝ったものの、桃李女学院は一回戦敗退だった。
 朝は白河史帆の邪魔が入ったが、それで諦めたわけではなかったのだろう。しかも、シオンはまた夏の大会と同じような危険が伴う突きを中邑高校の合川選手に喰らわせた。これはもう許せない、といったところか。あのとき以上に五人の顔は険しさを増していた。
「試合に勝てないから番外勝負ってワケ? 弱いヤツが考えそうなことね」
 五人に囲まれても臆することなく、シオンは嘲笑した。今朝のおどおどした態度とはまったく違う相手の反応に、成翔高校の女子生徒たちは訝しむ。
 それも無理はない。今は“シオン”なのだ。人畜無害なしおんに比べ、一千万倍は危険といえよう。
 しかし、後には引けない五人は、シオンを痛めつけようとした。それを読んでいたシオンは、彼女たちよりも速く動く。一人の肩を手でドンと突くや、囲みのほころびからサッと抜け出し、廊下へ移動した。
「五人くらいじゃ、あたいの相手にならないね!」
 シオンは相手を挑発した。すると女子生徒の一人が廊下にある清掃用ロッカーをおもむろに開け、中に入っていたホウキやモップを取り出す。得物が全員に行き渡った。
「これでも大口が叩けるかしら!?」
 いきなり廊下で大立ち回りが始まり、その場にいた他校の生徒たちはパニックになった。大会中にこんなことが起きようとは、前代未聞である。
 対するシオンは素手のままだったが、得物を手にした五人を前にしても動じなかった。まずは相手の一人から得物を奪い、それを武器にして応戦できる、と冷静に判断しながら。
「おいおい、こんなところでチャンバラごっこか?」
 男の声がしたとき、シオンはさすがにまずいと思った。ここで暴行沙汰を見咎められ、出場資格を取り消されでもしたら、せっかくの忍足薫との試合が出来なくなってしまうからだ。
 ところが、この場を通りかかったのは、この学校の教員でも大会運営の者でもなく、同い年くらいの他校の男子生徒だった。黒と茶色の髪が、まるで虎柄の縞模様のように混ざり合っている。顔立ちは二枚目なのに、やにさがった表情が減点対象だ。
「しかも五対一とは、せめてタイマン勝負になんねえの?」
「うるさい! お前は引っ込んでろ!」
 成翔高校の女子生徒が血走ったような目つきで言った。シオンも男子生徒を、これ以上、近づかせないよう手で制す。
「変に関わるとケガするよ!」
「バーロー、こんな美味しい場面、見過ごせるかって」
 女同士の修羅場だというのに、男子生徒は舌舐めずりをしそうなくらい嬉々としていた。シオンを無視し、その前に出る。
「バカはこっちのセリフよ! いいから、アンタは下がって――」
「だ・か・ら、美少女のピンチを救うのがヒーローってモンでしょうが」
 茶目っけたっぷりにシオンを振り返ってウインクすると、男子生徒は五人の得物を持った女子生徒に相対した。シオンと違って男だが、武器となるものを所持していないのは同じだ。
 思わぬ乱入にひるみかけた女子生徒たちだったが、それよりもシオンへの仕返しが上回ったらしい。邪魔者は排除するとばかり、一人が動くと、全員が一斉に男子生徒へ襲いかかった。
「ほっ!」
 男子生徒は最初に振り下ろされたホウキをつかむと、それをグイッと引っ張り、他の攻撃を受け止めるのに利用した。五人の一斉攻撃が難なく防がれ、成翔高校の女子生徒たちは目を剥く。それはシオンも同様だった。
 仮に助けてもらわなくても、シオンだってこんな五人くらいあしらえる自信はある。だが、これほど見事に攻撃を受け切れるか、となれば別の話だ。まるで昔の剣豪が軽く弟子を揉んでやっているような、そんな圧倒的な力量の差を感じた。
「そおれっ!」
 男子生徒が軽い調子で押し返すと、五人は吹き飛ばされたみたいにバランスを崩した。その隙に男子生徒が動く。姿勢を低くし、五人それぞれの腰へ手を閃かせた。
 次の瞬間、五人の女子生徒は悲鳴をあげ、袴を腰で押さえた。一瞬の間に、男子生徒が全員の袴の紐をほどいてしまったのだ。そのため、袴がずり落ちそうになり、慌てたというわけだった。
「くそっ! 誰か一人くらいパンツが見られると思ったに!」
 目にも止まらぬ早業のさえはさすがだったが、思わず漏らした本音は不純だった。五人の女子生徒は袴を押さえたまま、ワーワー、キャーキャー、騒いでいる。
「よし、今のうちだ!」
「あっ!」
 呆然とするシオンの手を男子生徒がつかんだ。シオンはそれを振りほどくのも忘れ、ただ男子生徒に引っ張られるまま、廊下を走った。

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