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WILD BLOOD

第18話 萌えよ、乙女の剣

−9−

 今まさに琳昭館高校と桃李女学院の試合が始まろうとしていた。
 桃李女学院の主将、久慈映子は、試合場の中央にいるシオンの背中を見ながら、ふと今までのことを思い出していた。
 映子が桃李女学院に入学したのは、母、多岐子のたっての願いだった。桃李女学院のOGである多岐子は、娘も桃李女学院に入れたかったのだ。
 最初、お嬢様学校である桃李女学院への途中入学など、映子は眼中になかった。まず柄じゃないと思ったし、剣道が盛んな学校でもなかったからである。中学時代の同級生だった大沢加世と一緒に琳昭館高校へ行き、全国を目指そうと共に誓い合っていた。
 小さい頃、桃李女学院附属幼稚園の受験に失敗したこともトラウマになっていた。それでも諦めない母を映子は疎ましく思ったものである。
 ところが、中学三年の春、多岐子に乳がんの診断が出された。それ以来、多岐子はすっかりと気が弱り、生活も引きこもり気味に。手術さえすれば助かる見込みはあったのだが、当人がそうやって落ち込んでしまっては、家族がかける言葉もなかなか聞こうとしなかった。
 そんな母のため、映子は桃李女学院への入学を決意した。母に桃李女学院の制服姿を見せる。それが少しでも母の生きる希望になってくれればと願った。
 元々、そんなに成績がよくなかった映子は、剣道部の部活も早々に辞め、受験に打ち込んだ。当時の仲間だった加世からは、最後の夏の大会を一緒に出ようと言われていたが、映子はそれを断り、とうとう剣道部には戻らなかった。加世には母の病気のことも話したのだが、気の毒と思ってはくれても、映子の決断に関しては最後まで理解してもらえなかった。
 翌年、母の手術は成功、映子も桃李女学院に合格。母に制服姿を見せる念願が叶った。加世とは別々の高校になってしまったが、いずれ大会で顔を合わせ、試合をする日を夢見て、映子は桃李女学院の剣道部に入部。しかし、そこはやはりお嬢様学校の部活、毎日の稽古や顧問の指導からして生ぬるい、非常にレベルの低いものに幻滅を覚えた。
 自分は再び加世と同じ舞台に立てないのか――。
 そんな希望を失いかけていた今年二年生の春、土方シオンが入部してきた。
 シオンは強かった。とても一年生とは思えないくらいに。聞くと、中学時代はフェンシングをやっていたそうだが、剣道は初めてだという。なのに強い。圧倒的に。部内で一番強かった映子でさえ歯が立たなかった。
 映子はシオンの入部によって、全国を目指せると確信した。そのときばかりは桃李女学院に入学してよかったと思えた。
 ところが、シオンには協調性が欠けていた。三年生の先輩に対しても容赦がない。弱いことは罪である。常々、シオンはそう言っていた。そのため、映子は度々、その間に割って入り、シオンを鎮める役割が増えていった。
 半年くらい前のことを思い出すと、映子は自然と力のない笑みが漏れてしまう。最大の味方になってくれると信じたシオンは、部活の和を乱す元凶でしかなかったことを思い知らされて。
 シオンにうんざりした三年生が引退すると、映子が主将に抜擢された。シオンに次ぐ実力の持ち主だから――というよりは、シオンの手綱を押さえる役回りだ。主将になった映子は、これまで以上に耳の痛い諫言をせねばならず、二人の間には修復できない亀裂ができた。
 それでも映子は、シオンの強さを誰よりも認めている。特にあの鋭い突き。シオンは自らそれを《一串》と名付けていた。
「ひとくし?」
 シオンから聞かされたとき、映子は《人串》の文字が頭に浮かんだ。そう連想させるくらい、シオンの突きには破壊力がある。
「“一撃で串刺しにする”――だから《一串》。二発目はない。一回で勝負を決める、そういう戒めを込めているんだ」
 映子も何度か《一串》を喰らったことがある。あれは危険な技だ。しかし、シオンの強さは《一串》ばかりではない。他の技もちゃんと身につけている。
 忍足薫は強敵だが、シオンならば勝てると信じていた。シオンはまさにこの日を待っていたのだから。
 会場内のボルテージが上がり、映子は我に返った。審判から「始めッ」の合図が出される。
 試合が始まった。琳昭館高校と桃李女学院による先鋒戦。忍足薫VS土方シオンだ。
 両者はまず出方を窺った。竹刀を合わせ、力比べのように牽制する。
 シオンは薫の竹刀を上から押さえ込むようにした。しかし薫はすぐに巻き返す。しばらくはそうやって小競り合いが続いた。
 やがて動いたのはシオンだった。地味な戦いに飽きたのか、大きな展開へ持っていく。また薫の竹刀を上から押さえ込むようにすると、返される前に、左肩から相手にぶつかって行った。
 無論、その程度で吹き飛ばされる薫ではない。自らも右肩でシオンの体当たりを受け止めた。竹刀は激しくせめぎ合っている。面金同士が触れ合った。
 二人は腰を落とし気味に押し合うようにして、右へ左へと動いた。それでも竹刀はびくともしない。身体も離れなかった。
「このときを待っていたわ」
 競り合っている薫にしか聞こえないくらいの声でシオンが言った。シオンの目は面金の奥で爛々と輝いている。強敵と戦える喜びに打ち震えていた。
「お前を斃すのはあたいだよ」
「私も随分と人気者になったわね」
 試合中、相手選手と会話をするなんてことは、これまで薫にもなかったことだが、なぜかシオンとは喋る気になった。自分でもどうかしていると思う。
「お前のような強い相手を待っていたのさ。何しろ、あたいの周りは弱っちいのばっかでね。うんざりしてたんだ」
「ライバルにご指名いただいたのは光栄だけど、あなたとはいい友達になれそうもないわね」
 薫は率直な感想を述べた。シオンの目がさらに吊りあがる。
「何だと!?」
「あなたの剣は自己満足の剣。それでは成長できないわ」
 そう断じるや否や、薫はいきなり全身の力を抜くと、身体を反転させた。押し合っていたはずのシオンは薫がどいたためにバランスを崩す。その隙に薫はシオンの背中から回り、膠着状態から脱することに成功した。
「うりゃあッ!」
 まんまと薫に逃げられたシオンは、まるで腹いせのように竹刀を大振りした。ここはさらに距離を取る薫。力勝負の次はステップワークだ。
「まだまだ、お楽しみはこれからよ」
 シオンは呟くと、薫へ向かって無造作とも思えるくらい近づいていった。
 薫が得意とするのは飛び込み面。対するシオンは凶撃の《一串》だ。それぞれ得意とするレンジが違う。
 それに薫が飛び込めば、シオンが待ってましたとばかりに《一串》でカウンターを狙ってくるだろう。無闇に飛び込むわけにはいかない。
 とりあえず飛び込み面を封印し、薫は向かってくるシオンに仕掛けた。強い打撃やコンビネーションでシオンの体勢を崩そうとする。だが、シオンはそれらにことごとく反応した。
 剣道を始めて一年目とは思えぬほど、シオンは強かった。特に押しと引きがうまい。多分、フェンシングで培われたものだろう。それにさばきも見事だ。薫の攻撃を冷静に見切っている。
 薫は左右に揺さぶった。横の動きは、まだシオンもそれほどではない。攻めるならここかと思った。
 しかし、シオンの横への動きは最小限だった。ほとんどは、その場で身体の向きを変えることによって対処している。結構、しぶとい。
(これは思っていたより、やるわね)
 正直なところ、薫は舌を巻いた。こんなに手強い相手とやるのは――他流試合だった杏との手合わせを除けば――久しぶりだ。
 激しく攻防が入れ替わりながら、試合時間は早くも二分が経過した。未だどちらも有効打がない。
 だが、薫は徐々にタイミングを計り始めていた。
 シオンが突いてきたところを払いのけ、面を打つ。だが、シオンもそれは予想しており、すぐに引いて、薫の攻撃を凌ぐ。これが何度か繰り返されていた。
(引いたタイミングで飛び込み面を打ったらどうかしら?)
 後ろに下がるということは、体重が後ろにかかっているということだ。すぐに突きを繰り出すのは至難だろう。仮にできたとしても、それは本来の力のこもった攻撃にはなり得ない。それよりも先に薫の竹刀が相手の面に届くはずだ。
(やってみるか!)
 フェンシング仕込みの前後の動きを逆手に取った作戦。試してみる価値はあると思った。
 そのうち、またシオンから突きがきた。薫はそれを払いのけるのと同時に踏み込み、シオンへ攻め込む。案の定、シオンは素早く後退した。
(ここだ!)
 薫は距離を稼ごうとするシオンに向かって翔んだ。それはシオンの予測を上回ったはずである。読み通り、シオンは薫の間合いから逃げ切れなかった。
「メェェェェェェンッ!」
 薫は高い位置から竹刀を振り下ろした。渾身の力を込めて。
 ところがシオンの動きはこれまでと少し違った。下がる足を止めると、膝を落としたのだ。後退を中断すると同時に作られたタメ。それはわずかに薫の切っ先を狂わせた。
 シオンのトリッキーな動きによって、打点にズレが生じた。シオンは首を左にねじり、薫の必殺の一撃をかろうじて避ける。と共に、今度は膝の屈伸を利用しながら、左手一本の突き――《一串》を薫の首元へカウンターとして放つ。そのわずかコンマ・ゼロゼロ秒の刹那――
(しまった!)
 薫は自分へと伸びてきたシオンの切っ先に目を見開いた。

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