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WILD BLOOD

第18話 萌えよ、乙女の剣

−10−

「ああっ、薫ッ――!」
 シオンの《一串》が薫の喉元を貫いたように見えたとき、つかさは思わず観客席から腰を浮かせた。薫の飛び込み面に対する鋭い迎撃。二階席で観戦していたつかさの方が肝を潰した。
「落ち着け」
 隣に座っていたアキトがなだめるように言うと、つかさの肩をグッと抑え込み、自分の席に着かせた。アキトは冷静だ。
「で、でも……」
 つかさは唾を飲み込んだ。顔から血の気が引いているのが自分でも分かる。
「決まっちゃいねえよ。大丈夫だ」
 吸血鬼<ヴァンパイア>ゆえに、人間よりも目のいいアキトは、今の瞬間をつぶさに見て取っていた。
 アキトに言われて、つかさは審判に目を移した。アキトの言葉を裏づけるかのように、審判の旗を持つ手は下ろされたままだ。
 しかし、シオンの竹刀が薫の首のうしろから突き出している光景は、つかさたちのところから見ると衝撃的である。つかさは気が気ではなかった。
 実際には、シオンの突きは薫の喉を掠め、頭から肩を覆っている面布団の下に潜り込んでいたのだった。《一串》を喰らう瞬間、薫が咄嗟に避けたおかげである。
 結局、薫の飛び込み面も、シオンの《一串》も不発に終わり、両者は一旦離れた。すなわち、試合続行。
 それでようやく、つかさも大きく息を吐くことができた。
 とはいえ、戦っている当人たちにしてみれば、まだまだ息の抜ける状況ではなかった。特に薫は、一歩間違えれば一本を取られていたとしてもおかしくない。
(ああ、危なかったぁ。土方さんがまともな体勢なら、あの一撃で決まっていたかも)
 薫は《一串》が掠った首筋がチリチリと火傷したように熱くなっているのを感じながら、さっきの危機一髪の場面を振り返った。シオンが無理な体勢になったのも、薫の飛び込み面を回避する際に首をひねったからだが、それでも強引に突き入れてきたことは驚嘆に値する。
(やっぱり、飛び込み面は通用しないか)
 この対戦を熱望してきたシオンのことだ。きっと薫の剣道に関しては研究してきているだろう。当然、薫が得意とする飛び込み面への対策も講じてあったわけだ。
 ひょっとすると、シオンが得意とする前後の動きも、薫に対する誘いだったのかもしれない。まだ、剣道を始めて半年くらいだというから、ガムシャラに感性に頼った戦い方をしているのかと思ったが、フェンシングでの駆け引きも含め、意外と頭で考えるタイプなのだろう。その意味ではシオンを侮っていたと、反省しなければいけない。
(益々、ヤバいわね。どうしたものかしら)
 試合の残り時間が一分になろうとしていた。個人戦なら延長戦があるが、団体戦はそうもいかない。ここで薫が引き分けるのは、チームにとって痛手だ。何としても、この先鋒戦を制しておきたい。
 そうは言っても、土方シオンが簡単な相手でないことも、また事実だ。フェンシング経験を生かした動きと強烈な突き。薫の飛び込み面は封じられ、打つ手がない。
(焦っちゃダメ。土方さんも時間内に勝負に来るはず。それを見極めなくちゃ)
 薫は残り時間を頭の中から押しやった。
「うらぁ!」
 シオンは猪突猛進気味に薫へ襲いかかった。まずは鍔元に意識を集中させておいてから、片手による突き。それも右手と左手で変幻自在の連続攻撃だった。
「くっ!」
 薫は押された。シオンの竹刀がまるで毒蛇のように喉元にかぶりつこうとしてくる。捻りの効いた片手突きは、防御を易々とかいくぐり、薫を脅かした。
(そんなバカな……!)
 薫は自分の目を疑った。シオンの突き出す竹刀が曲がって見えたからだ。右から、あるいは左から、竹刀は有り得ない曲線の軌跡を描き、薫に襲いかかる。しかも、既定の長さを無視するかのように、竹刀が如意棒のように伸びてくるのだ。薫はそれらを払うのに手一杯になった。
 実際に竹刀がフェンシングの剣のような柔軟性を持ち合わせているはずがなかったし、伸縮自在のはずもなかった。すべては薫の錯覚だ。シオンは身体いっぱいを使いながら、片手で捻りを加えた突きを放ってくる。そのスピードが尋常じゃないため、残像が曲がったり、伸びたりしているように見せているに過ぎない。
 頭で理解は出来ていても、それが脅威であることに変わりはなかった。異端の剣道スタイルに、薫は一方的に攻め込まれ、手も足も出せなくなる。
「でぃああああっ!」
 とうとうシオンの攻撃を薫は払いきれなくなった。切っ先が面金に当たる。薫の頭は衝撃にグラッとし、後方によろめいた。
 突きが面金に当たっても一本ではないが、やはり、その威力を目の当たりにし、薫はひやりとした。あれを喉元に受ければ、万事休すだ。
 シオンは面金の奥で笑みを浮かべていた。薫を追い詰めたことに手応えを感じているのだろう。
 薫はひとつ、大きく深呼吸した。弱気になりかけた心を奮い立たせる。まだだ。どちらかが一本を取るまで、勝負は分からない。
 薫は構えなおした。中段の構えでシオンを見据える。不動心を心掛けた。
 と――
 試合中だというのに、薫はふとシオンのうしろにある観客席が目に入った。そこでこの試合を見ている一人の人物。その見知った顔にハッとした。
 白河史帆だった。史帆がこの試合を見ている。
 つかさや寧音から、史帆がこの会場に来ていることは聞いていたが、こうして本人を目の当たりにすると、薫は改めて身の引き締まる思いがした。自分の試合を観戦してくれている史帆に無様な姿は見せたくない。史帆がここへ来たのは、薫の試合が目当てだとうぬぼれるつもりはないが、尊敬する人に認められたいという気持ちは強かった。
(見ていてください、白河さん)
 薫はキュッと唇を結ぶと、気合を入れた。
「おっ」
 今までふんぞり返るようにして観戦していたアキトが、初めて身を乗り出すようにした。隣のつかさがそれに気づく。
「どうしたの?」
「勝負を決するつもりのようだぜ」
「えっ?」
「残り時間も、あとわずか。これが最後になるだろう」
 野生の勘がそう告げるのか、アキトは呟いた。そう言われて、つかさも試合に集中する。
 薫は中段から上段の構えに持っていった。これには味方の加世たちも色めき立つ。
「忍足!?」
 突きを得意とする相手に上段の構えは不利である。わざわざ弱点である喉元をさらすようなものだからだ。
 だが、薫はあえて上段に構えた。それにシオンも感じるものがあったのか、受けて立つ構えだ。喉元に狙いを定める。会場のざわめきが次第に静かになっていった。
 試合時間、残り十五秒。
 薫は右足を引いた――
「出るぞ」
 とはアキト。
 次の瞬間、薫は跳躍した。
「でぃやああああああああっ!」
「この期に及んで飛び込み面とは!」
 待ってました、とばかりに、シオンがほくそ笑んだ。今度こそ《一串》を忍足薫の喉元に突き入れてくれる。さっきは後退しながらの打突だったので、本来の《一串》を放てなかったが、今回は体勢充分だ。もらった、と思った。
 しかし、それはシオンの早とちりだった。薫は飛び込み面を仕掛けたわけではなかったのだ。
 翔んだと思われた薫は、高さも飛距離もまったくなく、シオンのずっと手前に着地した。つまり、飛び込み面はフェイント。シオンのタイミングをずらすフェイクだったのだ。
 自分が引っかかったことに、すぐに気づいたシオンであった。が、ええい、ままよ、とばかりに、そのまま《一串》で薫を貫こうとする。だが、ターゲット補正にわずかなロスを生じさせたことはいかんともし難い。間に合うか――
 その隙に、薫は仕掛けた。シオンへ向けた渾身の突き。
 それはシオンの奥義《一串》であった。この大一番に薫が選択した大胆な一手――
「チェストオオオオオオオッ!」
 薫とシオン、二人の竹刀がきれいに交差する。《一串》と《一串》。双方の切っ先が二人の喉元に吸い込まれた。
「ぐあっ!」
 切っ先が相手の喉に届いたのは、わずかに薫の方が先だった。“相手よりも速く!”。それが薫の剣道の真骨頂だ。
 自分の技のコピーを受け、シオンが二メートルほど吹き飛んだ。カウンターで入ったせいで、威力も増していた。
 シオンが空中を舞う姿は、どの観客の目からもスローモーションのように見えたに違いない。
 首に近い背中から床に落ちた刹那、体育館に響き渡る激突音とともに審判の旗がサッと挙げられた。
「赤、一本ッ!」
 判定が下されるや否や、大歓声が鯨波のように押し寄せた。薫の一本。その一瞬の勝負に、観客の誰もが歓喜した。
 当然、加世たち琳昭館高校の面々も喜び、互いに拍手し、抱き合ったりしていた。観客席でもアキトがガッツポーズをする。
「見たか! やってくれたぜ、やっぱり!」
「さすがは忍足はんやなぁ! 向かうところ敵なしやで!」
 寧音も興奮気味にシャッターを押しまくっていた。
 ところが、アキトの隣にいるつかさは、アキトほど喜びを露わにしなかった。というより、喜ぶべきなのかどうか、戸惑ったような様子だ。
「土方さん……」
 残心を解いた薫は大きく息を吐くと、倒れたシオンを見た。シオンは大の字になっていたが、すぐに起きあがろうとする。しかし、身体がまるで言うことを聞かないようだった。
 シオンは右手に握ったままの竹刀を薫に向けた。切っ先が震えている。まだ戦える、という意思表示を伝えるかのように。だが、その腕も急に力を失ったように垂れ落ちた。
「土方ぁ!」
 桃李女学院側から主将の映子が飛び出した。他の部員たちも立ち上がる。あれだけ恐れ、嫌っていたシオンを心配して。
 やがて救護班が駆けつけ、シオンは介抱された。そこでシオンの気絶が確認される。すぐにドクターストップがかかった。
 琳昭館高校の面々が再び万歳をした。まるで優勝したような騒ぎだ。
 かくして、先鋒戦は薫の一本勝ちで決着した。

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