[←前頁] [RED文庫] [「WILD BLOOD」TOP] [新・読書感想文] [あとがき]
琳昭館高校と桃李女学院の試合が終わると、つかさは観客席から立ち上がり、保健室へ向かった。アキトには何も言わなかったが、黙って一緒について来ている。寧音も何か新しいネタでも拾えればと思っているのか、興味津々の様子だった。
本当は薫とシオンの試合後、すぐにでも試合場へ降りて行きたかったのだが、さすがに団体戦の応援をすっぽかして行くのはためらわれた。しかも、しおんは同学年とはいえ、対戦相手なのだ。果たして、しおんは大丈夫だろうか。つかさにとって、彼女は非情の剣士シオンではなく、心根の美しいしおんだった。
一階の廊下で、薫たち剣道部と鉢合わせした。薫が硬い表情でうなずく。対戦相手を気遣っているのは薫も同様なのだ。一行は合流すると、廊下を進んだ。
保健室の前には、すでに桃李女学院の主将、久慈映子が他の部員と共にいた。薫たちが黙ったまま頭を下げると、映子たちも同じようにして返す。つかさが口を開く前に、薫が映子に訊ねた。
「土方さんは?」
「大丈夫。大したことはないから」
「本当ですか?」
「ああ。救急車を呼ぼうとしたけど、それほどでもないだろうってことになって。もう意識はハッキリしているし、ちょっと休んでいれば歩いて帰れるってさ」
映子の言葉に、つかさはホッとした。確かに重傷ならば病院へ搬送されていただろう。そうでないということは、本人は大事ないのだ。
「まあ、あなたに負けたことに関しては、かなりショックを受けているかもしれないわね。まさか自分の技で敗れるとは、さすがの土方も予想していなかっただろうし」
そう映子には称えられたものの、薫は何と言っていいものやら分からなかった。
シオンとの先鋒戦は制した薫たち琳昭館高校であったが、結局、団体戦で負けた。勝敗は大将戦までもつれた末、加世が映子に敗れたのだ。そのことに責任を感じてか、加世の表情は試合終了後から、ずっと強張っていた。
「土方さんに会わせてもらえませんか?」
薫は懇願した。やはり一目は会っておきたい。そうすれば、つかさも安心するだろう。
「会って、どうするつもり?」
映子は言った。特に拒絶の反応はない。
「それは……」
「多分、土方のことだから、負けた相手には会いたくないと思うわ。――というより、私たちも彼女に追い出されたところなんだけど」
自嘲気味に映子は肩をすくめた。本当のことだ。
それでも薫は重ねて頼んだ。
「お願いします。ただ、ケガさせたことを謝罪したいんです」
ところが、映子はやんわりと首を振った。
「それこそ無用というものよ。試合中のことだもの。あれが危険な技なのは、使っていた彼女も承知のこと。それを恨むなんてことはしないわ。それよりも――」
映子はふっと笑った。保健室を一瞬だけ振り返る。
「また土方と試合してやって。あの娘も今回の負けで、まだまだ自分が未熟だと思い知ったでしょうし。あなたにはずっといいライバルであって欲しい。あの娘のためにも」
そうすれば、いずれシオンも変わるのではないか。そんなことを思ってみたことに、映子はおかしくなった。自分でも半信半疑なことなのに。
「――まあ、今度は私があなたと戦ってみたいっていう気持ちもあるけど」
それもまた偽らざる心境だった。その言葉に加世が目の色を変える。
「そうはさせないわ。勝ち逃げなんてさせないから」
悔しくも映子に負けた加世が、意地になって言った。早くもリベンジを誓っている。
「受けて立つわよ」
映子は旧友に微笑んだ。
シオンに面会できない以上、薫たちがここにいても仕方がなかった。
「では、久慈さん。準決勝、頑張ってください」
「ええ。あなたたちの分まで頑張るわ」
一同は勝者である映子たちに一礼し、廊下を引き返した。
後ろで、わああああっ、という大きな歓声が外まで聞こえてきた。シオンはそれを背にしながら、校門へと歩く。その足取りは気絶した後遺症などを感じさせず、しっかりとしていた。
今頃、体育館では決勝戦が行われているはずだ。ひょっとすると、今の歓声で優勝校が決まったのかもしれない。どちらにせよ、シオンには関係ないことだ。
シオンを欠いた桃李女学院は、準決勝で新嵐高校に負けた。映子たちは後学のため、まだ観戦しているのかもしれないが、忍足薫以外の試合を見る気はシオンにない。いくらか休んだことにいよって回復したシオンは、保健室をこっそりと抜け出し、勝手に帰るつもりだった。
帰宅しようとするシオンは無意識に《一串》を受けた喉をさすっていた。
あの時間切れギリギリの勝負。最後、薫が得意の飛び込み面を打って来ると思い込んだのが敗因だった。あんなフェイントに引っかかるとは、自分が不甲斐ない。シオンはギリッと奥歯を噛んだ。
「土方さん」
不意に名前を呼ばれ、シオンは後ろを振り返った。人気の乏しい校庭に、制服姿の女子生徒が一人で立っている。シオンは、その顔に見覚えがあった。
「あっ、アンタ……!」
それは創央学園の三年、“無敗の女王”と呼ばれる白河史帆であった。
何がどう作用しているのか、シオンにはしおんのときの記憶も持っていた。今朝、成翔高校の連中から助けてくれたのも史帆だ。あのときは余計なことをしてくれたとものだ、とシオンは苦々しく思っている。あの余計なお節介の琳昭館高校の男子生徒と同じだ。
「試合を拝見させていただきました」
史帆は穏やかな表情で話しかけた。シオンにはそれが上辺だけのものに感じられる。その化けの皮を剥がせば、きっと別の顔が潜んでいるだろうと睨んだ。
もし、史帆が三年で引退していなければ、シオンは薫ではなく、彼女との対戦を望んだだろう。全国高校剣道界に君臨する“無敗の女王”。無条件に斃したい相手の一人だ。
それだけに自分の敗北を見られたことは、シオンにとって屈辱だった。今の自分の実力では堂々と挑戦状を叩きつけることも出来ない。シオンの顔は逸らし気味になった。
「無様な剣道で悪かったな。せっかく忠告してもらったのに」
年上に対して、ぶっきらぼうな口調を使う。それがせめてもの反抗だ。
あのとき、史帆から「他人を傷つける剣は自分に跳ね返ってくることもある」と言われた。その予言は薫の《一串》によるカウンターという形で的中したわけだ。
薫レベルの剣士と戦えば、結果はそうなると読んでいたのだろうか。シオンは薄気味悪さを感じた。
そんなシオンの抱いた感想を知りもせず、史帆は微笑を浮かべたままだった。
「土方さんの剣道は荒削りだとお見受けしました。どうやら、ちゃんとした方から指導を受けられていないご様子。せっかくの天賦の才がもったいないと思いました」
「それは――どっちに取ったらいいんだい? あたいは褒められているのかい? それとも、けなされているのかい?」
「さあ」
史帆が小首を傾げたので、コイツ、あたいをバカにしているのか、とシオンは思った。普段なら持っている竹刀で殴りかかっていただろう。しかし、相手は白河史帆。武器も防具もない女子高生に対し、シオンは言い表し難いプレッシャーを感じていた。
「私が言いたいのは、あなたの剣はもっと磨けば良くなるということです。そうすれば、忍足さんにも勝てるかもしれません」
「へえ。じゃあ、今のあたいじゃ、万にひとつも忍足に勝てないってわけか」
「ええ」
口調は柔らかいが容赦の欠片もない。シオンは殺意を覚えた。
「さすがは“無敗の女王”。言ってくれるね」
「気を悪くされたらごめんなさい。でも、もったいないと思っているのは本当です」
「そうかい、そうかい。じゃあ、どっかによさげな先生でもいたら紹介してくれ。あたいよりも強い先生をさ」
「でしたら、私なんてどうでしょうか?」
「――っ!?」
その申し出には、さすがのシオンも驚いた。白河史帆がシオンを指導しようというのか。一体、どういうつもりなのか、さっぱり分からない。
「何を企んでやがる!?」
「企むも何も、あなたを忍足さんより強くして差し上げようと申しているのです」
「忍足より強く、だと!?」
まるっきり表情を変えずに話す史帆をシオンは怪しんだ。ところが、すぐにハッとなる。そして、また顔が真っ赤になるような屈辱感が湧き上がってきた。
「あたいを忍足の噛ませ犬にしようってのか!?」
史帆の目的が透けて見えたような気がした。史帆はシオンに関心などない。関心があるのは忍足薫に対してだけだ。
でなければ、いくら日曜日とはいえ、わざわざ群馬から東京へ出てきたりしないだろう。史帆の目的は薫の試合だった。彼女が唯一認める存在。それがきっと忍足薫なのだ。
どのような因縁が二人にあるのかシオンは知らないが、おそらくは薫の実力を自分の目で確かめたかったに違いない。このことを忍足自身は知っているのだろうか。シオンは疑問を抱く。
そして史帆は、薫との対戦が叶わぬ今、シオンを自分の分身に育てることによって、間接的な勝負を挑もうとしているのではあるまいか。
シオンに計画を看破されても、史帆は平然と微笑んだままだった。蠱惑めいた魔女の微笑。彼女を最強の剣士として憧憬を抱く者たちは、この真の姿を知らないだろう。
「人聞きの悪いことをおっしゃらないでください。私はあくまでも、あなたに稽古をつけてあげましょうと言っているだけです」
それは悪魔のささやきにも似ていた。自分が史帆の手駒とされることに強い反発を覚える。しかし――
「いいだろう。アンタに教えてもらおうか」
シオンは史帆の申し出に乗った。それは史帆にとって、あらかじめ予測できていたことだったのか。史帆は満足そうにうなずく。
「では、毎週日曜日の午後、王道院大学の剣道部へ来てください」
「王道院大学……?」
「私は来年の春から、そこの大学に通うことになっています。午前中は先輩たちとの稽古に誘われていますが、午後ならば時間が作れますから。大学の先輩たちには、私の方からお願いしておきます」
さすがは特待生。入学前から大学の稽古に参加とは。もっとも、群馬にいる史帆が東京のシオンに指導するには、そういう機会でもないと物理的に無理だろう。
「分かった。来週から行く」
「では、そういうことで」
史帆はシオンと約束すると、あとは関心がないみたいに、その場から去って行った。シオンはその後ろ姿を見送りながら決意する。
「上等よ。アンタの思惑がどうだろうと、あたいが強くなるために利用させてもらう。そして、忍足薫を斃したあとは、白河史帆、次はアンタも超えてみせる!」
シオンは二人への雪辱を誓いながら、校門へと向かった。外ではすでにリムジンが待っている。
運転手が出迎えに出てきた。シオンは髪留めを外す。その瞬間、修羅道を歩む少女は、戦いとは無縁の深窓の令嬢しおんへと戻った。
「ささ、お嬢様」
運転手に促されるまま、しおんは持っていた剣道の武具を渡した。もう一人の人格のときの記憶がないしおんは、自分が今まで何をしていたのか分かっていない。たった今、白河史帆と会話していたことすらも。しおんにはただ、喉に違和感だけが残っている。
後ろを振り返ると、体育館からは、「優勝は新嵐高校!」というアナウンスと歓声が聞こえてきた。しおんはそれをぼんやりと耳にしながら、帰りのリムジンに乗り込んだ。
[←前頁] [RED文庫] [「WILD BLOOD」TOP] [新・読書感想文] [あとがき]