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WILD BLOOD

第20話 香港人狼少年団

−2−

「まったく、姉を何だと思っているんだか」
 コンビニを出る際、レジ袋の中身を確認しながら、忍足薫はぶつくさ文句を言った。
 あと少しで自宅に着くというところで弟の元気から電話があり、帰る前にコーラとスナック菓子を買って来てー、と頼まれたのだ。お蔭で通り過ぎてしまったコンビニまで三百メートルほど引き返さなくてはならなくなった。
「どうせ、すぐ夕飯でしょ? ちょっとくらい我慢すれば?」
 とは言ったのだが、
『まだ、ママが帰ってないんだってば。今から帰って来たって、夕飯が出来るまで時間がかかるに決まってんじゃん』
 というのが元気の言い分だった。
 そう言えば、毎週金曜日は母の舞衣がパッチワーク教室へ行く日だ。ここ最近、凝っているらしく、お手製の作品が家の中で溢れ返っている。授業そのものは終わっている時間のはずだが、同じ教室の面々と茶飲み話でもしているのだろう。
「じゃあ、お姉ちゃんが何か作ってあげようか?」
 とも言ったのだが、
『はぁ? それ、マジで言ってんの? 冗談でも笑えないって。姉ちゃん、自分が料理できないの自覚してないわけ? 変なもん食わされて腹壊すより、スナック菓子の方が百倍マシだよ』
 と却下されてしまった。
 たかだか小学五年生の小童(こわっぱ)ごときが、五つも年の離れた高校一年の姉に向かって何たる言い草か。確かに、薫の作る料理が壊滅的なのは自他ともに認めるが、このところ、元気の生意気な態度は非常に目に余るものがある。
 結局、弟に言われるがまま、コンビニで買い物するはめになった。姉としては、いいようにアゴで使われたみたいで、悔しさに唇を噛みたくなる。
 そのまま家に帰ろうとした薫だったが、アッと気づき、慌ててコンビニの入口に戻った。傘立てに突っ込んでいた自分の傘を持つ。今日は朝からずっと雨だったのを忘れていた。
 薫は傘を開いた。あまり女の子らしくない、濃紺に、細い白のボーダーが淵に沿ってデザインされたものだ。もう三年くらい使っている。
 小学生の頃は剣道をやっていたせいもあって、傘を手にしていると、ついクラスの男の子たちと激しいチャンバラ遊びに興じ、すぐに新品を駄目にしてしまったものだ。その度に母から呆れられ、父からは「物を大切にしなさい」と叱られた。
 そのため、しばらくの間、壊れてもいいように安価なビニール傘が与えられ、やっとまともな傘を買ってもらえたのは、チャンバラをすることもなくなった中学生になってからである。だから今は自分の傘を大切にしていた。
 雨はそれほど強くはなく、しとしと、といった感じで降っている。風もあまりないので、真っ直ぐに傘を差していれば、それほど濡れる心配はない。
 とはいえ、今日は雨の影響もあってか、ずっと気温が低いので、早く帰って熱い風呂に浸かりたい、というのが正直な気持ちである。薫は帰宅を急いだ。
 ところが、自宅まであと百メートル足らずというところで、薫はふと気がかりなものを発見してしまった。思わず足を止める。
 そこは住宅街の空き地を利用して造られた小さな駐車場だった。最初は見間違いかと思ったのだが、何気なく二度見をしてギョッとする。一台だけ駐車している軽ワゴンの陰から人の足のようなものが覗いているではないか。
 ――誰かが倒れている!
 心臓が止まるかというくらい驚き、薫は恐る恐る軽ワゴンの裏に回り込んだ。
 そこにいたのは一人の少年だった。年の頃は弟の元気と同じくらいか。グレーのスウェットの上下に白いTシャツという軽装だ。どのくらいの時間、こうしていたのだろう。まったく身動きせず、全身は雨でずぶ濡れになっていた。
「ねえ、どうしたの? 大丈夫?」
 薫は心配になって声をかけてみた。しかし、応答はない。一応、胸は上下しているので、生きているのは確かだが。
 少年に傘を差してやりながら、反対の手で額に触れてみた。かなりの熱がありそうだ。このままでは低体温症になるか、肺炎を引き起こすかもしれない。いずれにせよ、このままでは命の危機に関わる。
 すぐに薫はスマホを取り出し、119番通報しようとした。だが、指が躊躇する。救急車を呼んで到着するまで、何分くらいかかるだろう。確か平均で八分くらいだと聞いたような記憶がある。それまで、この少年をこのままにしていいものか。
「迷っている場合じゃないわね」
 薫は決断すると、自分が濡れるのも構わず、ぐったりとした少年を背負った。子供だったので、薫一人でも動かせたのは幸いだ。案の定、身震いしそうになるくらい背中が冷たくなったが、非常事態だと自分に言い聞かせ、自宅へと駆けた。
「元気! ちょっと、元気、手伝って!」
 玄関に倒れ込むようにして到着すると、薫は家の奥に向かって弟の名を呼んだ。多分、テレビゲームに没頭していたのだろう。リビングから、うるさそうな顔をした元気が姿を見せる。
「何だよ、姉ちゃん、帰って来るなり――って、誰、それ!?」
 元気は薫が連れ込んだ少年の姿を見て驚く。
「そこの駐車場で倒れていたのよ。救急車を呼ぼうかとも思ったんだけど、この雨だし、家に運んだ方が早いだろうと思って」
「姉ちゃんまで、びしょ濡れじゃないか」
「私のことはいいから、リビングまで運ぶのを手伝って!」
「このびしょ濡れの状態で運ぶつもり?」
「あっ、そうか。――ママはまだでしょ? ちょっとタオルを探して来るわ」
 靴を脱いだ薫は、慌てた様子で家の中を駆け回った。お蔭で床が濡れてしまう。それを見て、元気は呆れた。
「ちょっとは落ち着けばいいのに」
 来客用にストックしてあったバスタオルと、夏の寝具として使っている大判のタオルケットを引っ張り出し、薫はリビングのソファに即席のベッドを作った。その後、玄関へ戻り、元気と協力して、少年をリビングへ運ぶ。
「ねえ、元気。この子の顔に見覚えない?」
 自分の着替えに構わず、少年の濡れた髪をバスタオルで拭いてやりながら、薫は小五の弟に尋ねた。元気は意識のない少年の顔を眺めながら眉をひそめる。
「えーっ、見たことないなぁ」
「アンタと同じくらいの年頃だから、ひょっとしたら知っているかと思ったんだけど……それとも、この辺の子じゃないのかしら?」
「かもね」
 まだ子供だからか、元気の返事は薄情に思えるほど素っ気ない。薫は身元に関する手がかりを得られず落胆する。
「それよりもさ、早く警察と救急車を呼んだ方がいいんじゃない? この子、身元不明ってことだろ? 勝手に保護したりしたらマズいと思うんだけど。えーと、何て言ったっけ……未成年者略取?」
 そういうところだけは大人みたいな発言をする。薫だって、それくらいのことは考えたが、その前にしておくことは、まだある。
「救急車を呼ぶにしても、このままでは不十分よ。いつまでも濡れた服を着せてたら、どんどん体温が奪われちゃう。脱がせなきゃ」
 薫は少年の上着とTシャツを脱がせた。濡れているため、肌に貼りついたみたいになっており、なかなか悪戦苦闘させられる。裸になった上半身に触ると、反射的に手を引っ込めそうになるくらい冷たかった。
 上半身に続き、今度は下半身のズボンと靴下にかかろうとする。
 すると、そのタイミングで元気が焦ったように止めた。
「ちょ、ちょっと! 下まで脱がすつもり?」
「当たり前でしょ。全身ずぶ濡れなんだから」
 脱がすことの出来ない靴下をびよ~んと力一杯に引っ張りながら、薫はさも当然のように答えた。元気は呆れ返る。
「そうかもしんないけど……姉ちゃん、平気なのかよ?」
「何が?」
「その……男の裸に対して……」
「バカなこと言わないで! 相手はまだ子供じゃないの! そんなもん、アンタのおしめを換えてやったとき、散々、目にしてんだから」
 にべもなく薫に言われ、元気は赤くなった。
「そ、そんな昔の話! 今は風呂だって一緒に入ってないじゃんか!」
「それは、何処かの誰かさんが恥ずかしがっているだけであって、私としては今だって一向に構わないんだけど?」
 姉の反撃に、元気はすぐに言い返すことが出来なかった。彼がやり込められるのは久しぶりだ。
 薫は少年の靴下を脱がし、ズボンも脱がした。残るはパンツ一丁だけ。
「ま、待ったぁ!」
 最後の一枚に手をかけようとしたとき、元気が大きな声を上げた。何事か、と薫は弟を振り返る。
「何よ、大声出して?」
「い、いや……ここにいるのが姉ちゃんだけならともかく、一応、男の僕もいるわけだし……」
「だから?」
「つまり……そういうことは男である僕がやった方がいいかと……」
 不承不承といった感じで、元気は提案した。発言が尻つぼみになる。彼の中には様々な葛藤が渦巻いているらしい。
「あ、そ。じゃあ、よろしく」
 意外にあっさり、薫は少年の傍らから離れると、濡れた自分の髪をバスタオルで拭き始めた。仕方なく元気は姉の代わりに少年の側に座る。むむむっ、と唇を固く結びながら、少年のパンツへ手を伸ばそうとするが。
「やるなら、早くしなさいよ」
「うっ、うるさいなぁ! 姉ちゃんはあっち向いてろって!」
 姉からの命令にカチンと来ながら、元気は声を荒げた。
 そんなことは言われなくたって分かっているのだ。ただ、相手が自分と同い年くらいの少年とは言え、他人のパンツを脱がすという行為には抵抗がある。
 目をつむればいいんだ、と元気は自分に言い聞かせ、少年の濡れたパンツに手をかけた刹那――
「ただいまー」
「あっ、ママだ」
 どうやら母の舞衣が帰宅したらしい。
 すると母は玄関の惨状を目の当たりにしたようで、
「ちょっとぉ! なぁに、これは? 玄関がびしょびしょじゃないのよぉ」
 と咎める声がする。
「いいところに帰って来てくれたわ、ママ! ちょっと大変なの――」
 薫が事情を説明しようと、バスタオルを頭に被りながら玄関へ出迎えに行った。
 だが、誰よりも母の到着に救われたのは元気だろう。
「た、助かった……」
 あとは母に任せれば大丈夫だ、とホッとした元気は、ずっと止めるようにしていた息を、ぷはぁーっ、と大きく吐き出した。


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