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WILD BLOOD

第20話 香港人狼少年団

−3−

「何でオレがこんなことを」
 新宿アルタ前の交差点で信号待ちをしながら、大神憲は両手に抱えていた重い荷物を、よっこらせと、一度、膝で支えるようにして持ち直した。
 ぼやきの理由は、学校から帰るなり、母の月子から命じられた理不尽な仕事と、風呂敷にくるまれた荷物の重さによるものだ。包んであるのは正月のおせちに使う大きな三段重で、中身がぎっしり詰まっているのが運んでいるだけでも伝わる。
 信号が青に変わった。雨が止んだ夜の新宿は人で溢れ返りそうだ。まるで群衆に押し出されるようにして、大神は歌舞伎町方面を目指す。
 母から言い渡された仕事は、このお重を新宿歌舞伎町にいる叔父に渡して来い、というものだった。
 もう、五、六年くらい、母方の弟である叔父とは会っていない。あまりに急なことで大神は戸惑った。なぜ、今頃になって、そんなことを言い出したのか。
 叔父が新宿でバーを経営しているとは聞いていたが、そこには一度も行ったことがなかった。一応、母から手描きの地図はもらったものの、歌舞伎町自体、滅多に行かないので探し当てることが出来るかどうか。
 そもそも、夜の歌舞伎町を高校生が一人で歩くのは、如何なものなのだろう。パトロール中の制服警官が目に留まり、職質されるのではとビクビクしてしまう。とりあえず学生服ではないので、すぐに補導されるようなことはないだろうが。
「えーと……こっち……かな?」
 目印として描かれた小さな立ち飲み屋を見つけ、その角を曲がろうとすると、入っていいものかと躊躇するくらい細い路地になっていた。メインの通りに比べると薄暗く、店らしい明かりも数える程度しかない。
 息子をこんな所へ差し向けて、どういうつもりだ、と心の中で母を恨みながら、大神は路地に足を踏み入れる。
 目的の場所は路地の中ほどにあった。小さな路上看板が出ている。
『Bar GLAY』――叔父の店だ。
 ただし、もう夜の六時を回っているというのに、まだ営業前なのか、看板の電気が点いていない。
 大神は入口を探そうと思ったが、それらしきものがなかった。代わりに地下への階段がある。どうやら、この下らしい。黒塗りの壁と光の弱い照明のせいで、ここを下りてみようという物好きは少ない気がする。
 仕方なく、大神は階段を下りた。母から預かった三段重を叔父に渡し、早く用事を済ませてしまいたい。
 一番下に辿り着くと、これまた黒い扉があった。『CLOSED』という札がかかっている。やはり営業はしていないらしい。
 これで鍵も掛かっていたら、骨折り損のくたびれ儲けだな、と思いつつ、大神は扉を引いた。ところが予想に反し、あっさりと開く。
 身長百七十センチの大神でさえ、少し腰を屈めなければいけないような低い入口をくぐると――
「「Don’t move! (動くな!)」」
 いきなり左右から異口同音に英語が聞こえた。言われた通りに動きを止めると、入口の両側に十三、四歳くらいの――それも双子なのか、瓜二つの――少年が立っており、指で作ったピストルを大神の頭に向けていた。
「な、な……!?」
 状況が呑み込めず、大神はその場で固まった。両手は風呂敷に包んだ三段重によって塞がれている。しかも腰を屈めた体勢でどうしようも出来ない。
 大神へ向けられた双子の指先は静電気でも帯びているかのように、バチッと火花を散らしていた。
「待ってくれ。そいつはオレの甥っ子だ」
 カウンターから聞き覚えのある男の声が響いた。
「“やめなさい、隆星(ロンシン)、飛星(フェイシン)”」
 続いて女性の声がしたが、大神には中国語らしいとしか分からない。
 しかし、それによって大神を挟み込んでいた瓜二つの少年たちは、向けていた手を下に降ろした。まだ警戒している様子はあるが、こちらに敵意がないことは理解してくれたらしい。
「よく来たな、憲。久しぶりじゃないか」
 カウンターの内側から丸レンズのサングラスに口の周りを髭だらけにした男が笑いかけていた。大神の叔父だ。名前は「ノブ」としか聞いたことがない。その隣には見たことのない少女もいる。さっき中国語を喋った娘だろう。
「お、叔父さん……」
 何がどうなっているのか分からなかったが、どうやら自分が助かったことだけは確かなようで、大神は解放された人質みたいにカウンターへ突っ伏すと、へなへなと力が抜けた。
 叔父はカウンターの外へ回った。甥っ子をねぎらうように背中をポンポンと叩いてやる。
「悪かったな、脅かしちまったようで。こいつらにも事情があるんだ。許してやってくれ。――それより、姉さんの手料理、持って来てくれたんだろ?」
「……うん」
 大神は風呂敷包みをカウンターの上に置いた。叔父が包みをほどき、一段ずつ並べる。
「オレも酒のつまみくらいは作れるんだが、食べ盛りの連中には物足りないだろうと思って、急遽、姉さんに無理を言って頼んだんだ」
 中身は大神の母が腕によりをかけて作った料理の数々だった。おにぎりといなり寿司、唐揚げ、玉子焼き、ポテトサラダなど。どれも大神にとっては小さい頃から口にしてきたものばかりだ。いわゆる、お袋の味である。
 先程、大神をホールドアップしていた少年たちも、お重の中を覗き込むと、ゴクンと生唾を呑み込んだ。相当、腹ペコらしい。
「さあ、食ってくれ」
 叔父が少年たちに言った。ところが、すぐには手をつけようとしない。
 すると少女もカウンターの外へ出て来た。
「“この方たちのご好意よ。いただきなさい”」
 少女の中国語によって、ようやく少年たちは相好を崩し、料理に手を伸ばした。両手におにぎりと唐揚げを持ち、喉が詰まるのではないかと心配になるくらい夢中で食べる。
「ありがとうございます」
 大神に向かって、少女が日本語で礼を言った。
 多分、大神と同じくらいの年頃だろう。目がクリッとして、笑うと愛くるしい美少女だ。思わず一目惚れしてしまう。
「い、いや……そんな……どういたしまして……」
 大神は照れまくった。こんな可愛い娘に微笑みかけられた経験がそもそもない。どちらかと言うと、こういう美少女は盗撮の対象であり、会話なんて縁遠いものと考えていた。
「に、日本語、お上手ですね」
 まさか、女の子に対してお世辞を言う日が訪れようとは、大神自身、信じられなかった。
 すると美少女ははにかむ。
「死んだ母が日本人だったので。でも、喋れるのは、ほんの少しだけです」
「いや、そんなことないっスよ。――あっ、オレ、大神憲って言います。お名前を伺ってもいいですか?」
「私は李銀麗(リー・インリィ)。発音が難しいようなら、日本語風に銀麗(ぎんれい)と呼んでください」
「銀麗(ぎんれい)かぁ……とてもきれいなお名前ですね」
 大神は完全にのぼせ上っていた。
 そこへ、いきなり店の入口が開き、一人の少年が姿を見せた。バーの客にしては若すぎる。銀麗(インリィ)たちと年の頃は変わらない。まるでヒップホップ系のダンサーみたいな衣裳を身につけていた。
 その少年は大神の姿を見つけると、途端に目つきが鋭くなった。
「“何者だ、てめえは!?”」
「“待って、明邦(ミンバン)。彼はマスターの甥っ子さんよ。私たちに食べる物を持って来てくれたの”」
 いきなり殴りかからないようにするためか、銀麗(インリィ)が大神の前に立ちはだかるようにして、仲間である明邦(ミンバン)に説明した。
 銀麗(インリィ)の言葉に、明邦(ミンバン)も納得したらしい。ひとまず、ピリピリした緊張を解いた。
 全然、中国語が分からない大神は、どのようなやり取りが交わされたのか不安を感じたが、振り返った銀麗(インリィ)が微笑んでくれたので、大丈夫らしいと判断する。
「彼は明邦(ミンバン)。私たちの仲間よ。あっちの双子が降星(ロンシン)と飛星(フェイシン)。そして、この奥にもう一人、耀文(ヤオウェン)という男の子がいるわ。今は休んでいるけど」
「君たちは中国から来たの?」
「ええ、香港から」
「何しに日本へ?」
「それは……」
 大神に尋ねられ、銀麗(インリィ)は言い淀んだ。そこに叔父が割って入る。
「憲、彼らは複雑な事情を抱えているんだ。他人には言えない問題を、な。あまり困らせないでやってくれ」
「……そう。分かった」
「“ところで、小悠(シャオユウ)は見つかった?”」
 心配そうに銀麗(インリィ)は明邦(ミンバン)に尋ねた。戻って来たばかりの少年は唇を噛みながら首を振る。
「“いや、駄目だった。――くそぉ、小悠(シャオユウ)とはぐれちまうなんて。これじゃ、せっかくオレたちを逃がしてくれた天麟(ティンリン)に顔向けが出来ねえ”」
「“天麟(ティンリン)だって、きっと無事よ。ここで待っていれば、必ず合流してくれるわ”」
「“ああ、そうだな。済まねえ、変なことを言っちまって”」
「“ひょっとして、小悠(シャオユウ)は《ヤツら》に捕まったの?”」
 銀麗(インリィ)たちの会話を耳にし、双子の片割れが最悪の事態を口にした。
「“だったら、早く助けに行ってやらないと!”」
 まるで釣られるようにして、もう一人の双子までが騒ぎ出す。
 彼らの話す広東語がチンプンカンプンな大神にとっては、何の議論をしているのかさっぱりだ。
「“落ち着け。まだ、そうと決まったわけじゃない。とにかく、小悠(シャオユウ)を捜すにしても、オレたち全員が外に出て、逆に《ヤツら》に見つかったら元も子もねえ。小悠(シャオユウ)はオレが捜すから、お前らは銀麗(インリィ)と耀文(ヤオウェン)をここで守ってろ。いいな?”」
 明邦(ミンバン)はジッとしていられない双子に対し、有無を言わせぬ口調で言った。
「“けど、いくら何でも明邦(ミンバン)一人だけで捜すのは……”」
 一考を案じた銀麗(インリィ)は、ふと大神の顔を見た。そして、衝動的に知り合ったばかりの日本の少年に打ち明ける。
「ねえ、憲。あなたにも協力して欲しいことがあるのだけれど」
 すがるような目で大神を見つめながら、銀麗(インリィ)は手を握った。美少女にそんなことをされ、そういう免疫があまりない大神はドキッとする。
「銀麗(ぎんれい)の頼みなら、オレ……何でも言ってください」
「やれやれ。青春だねえ」
 惚れた女にほだされる甥っ子を見ながら、彼の叔父は苦笑するしかなかった。


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