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「すみません!」
そう言って薫が深々と頭を下げながら謝罪している場面に出会(でくわ)し、たまたま通りかかったクラスメイトである武藤つかさは、何事かと登校の足を止めた。
場所は校門のすぐ側にある桜の木の下、薫が謝っている相手は、つかさも顔くらいは知っている二年生の大沢加世だ。骨格が男っぽく見えがちで、女子剣道部では主将を務めている。そのことから、どうやら部活動のことらしい、と察せられた。
「いいよ、気にするな。分かったから」
薫よりも謝られた加世の方が恐縮している感じがした。困ったような笑顔を浮かべながら手を振り、じゃあ、また、と言って校舎の方へと去って行く。その間、薫は一度も頭を上げようとはしなかった。
「おはよう、薫」
気になったつかさは声をかけてみた。ようやく先輩への儀礼を解き、薫が頭を上げる。
「何だったの、今の?」
どういうことなのか、つかさは理由を尋ねてみた。すると、薫は少しバツの悪そうな顔つきになる。
「今日の部活を休むって、先輩に伝えただけよ」
「えっ!?」
普通の生徒なら何でもない一言だが、つかさは大いに驚いた。薫が部活を休むなんて。しかも今日は土曜日ではないか。午後から稽古がし放題となれば、それを逃すはずがないのに。
――昨日は雨だったけど、今日はもっととんでもない天気になったりするんだろうか?
言葉にこそ出さなかったが、この珍事に、つかさは空模様を心配した。
「どっか体調でも悪いの?」
剣道一筋の薫が稽古を休むなど、昔から彼女をよく知るつかさからすれば信じられないことだった。思わず体調を気遣ったのもむべなるかな。
ところが薫は、ややムッとした様子を見せる。
「別に、そういうわけじゃないわよ。たまたま用事があるだけで」
いやいや、その用事を斬り捨て御免してでも稽古を第一に行動するのが忍足薫という女剣士でしょう、とつかさは真っ向から反論したい。これはおかしい、と怪しんでも当然だろう。
「用事って、どんな?」
「そ、そんなこと、つかさに教える必要はないでしょ!」
明朗快活が代名詞のはずなのに、薫は理由を述べようとしなかった。むしろ、何か隠し事でもあるかのような素振りだ。
もし、ここに同じクラスの仙月アキトがいれば、さらにしつこく訊いていたに違いない。その結果、薫の逆鱗に触れ、きっと激しい口論へと発展していたことだろう。
しかし、つかさは相手が触れて欲しくなさそうなことを根掘り葉掘り質問するようなことはしなかった。誰にだって言いたくないことくらいはあるものだ。稽古を休んでまで、というのがどうも引っ掛かるが、あえて黙っておく。
そこへ――
「あっ、武藤くん! 丁度よかった!」
歩き出そうとしかけたところで、名前を呼ばれて振り返ると、大神憲が校門からこちらに向かって、小走りで近づいて来るところだった。
つかさと薫は同じ一年A組だが、大神は隣のクラスのB組だ。顔馴染みではあるものの、こうして大神からつかさに話しかけてくるなんて珍しい。
「おはよう、大神くん」
これぞと思った女の子の隠し撮りを趣味にしている大神は、普段から挙動不審なところがある。今朝も何かを警戒するように周囲をキョロキョロと見回していた。
「どうしたの?」
「いや、その……兄貴は一緒じゃないですよね?」
どうやら大神が心配していたのはアキトの存在だったらしい。
狼男である大神は、吸血鬼<ヴァンパイア>のアキトによって半殺しの目に遭わされたことがあり、それ以来というもの、まるで舎弟のような――もしくは、それよりも劣る下僕のような扱いを受けている。とにかくアキトには頭が上がらない。
彼がおどおどしたくなる気持ちがつかさには分かる。日頃から見ていても可哀想になるくらい、大神に対するアキトの接し方には容赦がなさすぎると感じていた。
つかさは安心させるように笑顔を作った。
「うん、今日は一緒じゃないよ。この分だと、きっと遅刻するつもりなんじゃないかな」
その言葉に、大神はホッと胸を撫で下ろす。無意識なのだろうが、そんなにアキトのことが苦手なのか、とつかさは苦笑したくなる。
それでも常に不安がつきまとうのか、大神は顔を寄せ、声を潜めるようにした。
「実はさぁ、折り入って武藤くんに頼みたいことがあるんだ」
「頼みたいこと?」
今日はどうしてしまったのだろう。薫が部活を休むと言えば、今度は大神からの頼み事。つかさからすれば、実におかしな日だ。
「うん。――あっ、そうだ。もし、よかったら、忍足さんにも手伝って欲しいんだけど」
「私に?」
そう言われて、薫も驚いていた。大神とは、つかさ以上に付き合いがないのだから当然かもしれない。
大神はまるで拝むようにして頭を下げた。
「うん、放課後でいいんだけど。人手は多い方がいいんだ。これも人助けだと思ってさ」
学級委員で面倒見もいい薫のこと、普段なら嫌とは即答せず、とりあえず話くらいは聞いただろう。しかし――
「悪いけど、今日は予定があるの。他を当たってもらえる?」
どうやら深入りしたくないらしく、薫は大神にあっさり断りを入れると、じゃあ先に行くわね、とつかさに伝え、そそくさと校舎の方へ行ってしまった。
早々に協力者を一人失い、大神はうなだれる。
「ごめんね、大神くん。薫のヤツ、たまたま今日は都合が悪いみたいで。その代わりと言っちゃなんだけど、ボクで良ければ話を聞くからさ」
気の毒になったつかさは慰めるように言った。すると、大神はすぐに気を取り直し、つかさに向かって何度も頭を下げる。
「ありがとう! 本当にありがとう!」
「よ、よしてよ、そんな大袈裟な」
校門の近くなので、今の時間帯、登校してくる他の生徒も多い。つかさはこちらに向けられる好奇の目が気になった。
「それで、ボクに頼みたいことってのは――」
「待って!」
早速、内容を聞こうとしたつかさを、いきなり大神は遮った。再び周囲の警戒を怠らない。
「ここへ兄貴が現れると話がややこしくなるから。申し訳ないけど、こっちへ来てもらえるかな」
「う、うん」
今日の大神はいつもにも増して慎重だった。まだ始業のチャイムが鳴るまでには時間があるから、それくらいは構わないが。つかさは大人しく従った。
大神が選んだのは校舎脇にある駐輪場だった。自転車通学をしている生徒は利用するが、それ以外の生徒はあまり通りかからない。アキトは徒歩での通学なので、まずここへ現れる可能性は低いだろうとの判断は妥当だ。
それでも念のため、もう一度、アキトが現れないかを確認してから、大神はようやく喋り始めた。
「実は、武藤くんに頼みたいのは人捜しなんだ」
「人捜し?」
出て来た言葉が意外で、つかさは驚いた。本当に今日は何て日なんだろう。
「うん、この子なんだけどね」
そう言って、大神は自分のスマホ画面を見せた。何人かの少年少女たちが写っている。大神は一人の少年の顔を拡大した。
「この子?」
写っている中でも、一番年下に見える少年だった。十歳くらいだろうか。撮影の瞬間、伏せ目がちだったせいか、他の少年たちが笑っているのに比べ、どことなく不安そうな表情に見える。
「名前は小悠(シャオユウ)」
「しゃ、シャオユウ? えっ、中国人なの?」
「そう。年齢は十歳。一昨日、日本に来たばかりなんだけど、家族とはぐれてしまったんだ」
大神の説明を聞いて、つかさは焦った。
「ちょ、ちょっと待ってよ! そういうことは警察に行った方が――」
「警察は困るんだ。複雑な事情を抱えていてね」
つかさに言ったように複雑な事情があるのは確かだが、実のところ、その内容まで大神は知らされていなかった。
昨日、叔父の店で、銀麗(インリィ)から小悠(シャオユウ)の捜索を手伝ってもらえないかと持ち掛けられたとき、大神は一も二もなく引き受けた。それは彼女にいいところを見せたい一心からだったが、今になって少し後悔している。
「ほぼ間違いなく、都内の何処かにいるはずなんだ。こんな小さい子が日本語も話せず、異国で独りぼっちだなんて、可哀想だと思わないか?」
「都内ったって、捜す範囲が広すぎるよ」
ごもっとも。今さら、泣き言を言えないから、大神としても困っているのだ。
「それに、こんな小さい子なら、とっくに警察が保護しているかも。そっちに問い合わせた方がいいんじゃない?」
「もちろん、その可能性もある。けど、そうではない可能性もあるんだ。是非ともオレはこの子を捜し出してあげたい」
はぐれた小悠(シャオユウ)を見つけてやったら、銀麗(インリィ)はどんなに喜ぶだろう。そんな妄想をすると、大神はつい顔が緩みそうになる。けれでも、今はつかさの手前もあるので、なるべく真面目腐った表情をキープしようと努めた。
「うーん……」
つかさは悩んでしまった。警察を介したくないなんて、まともな人捜しとは思えない。一方で、せっかく大神が自分を頼って来たのだ。その想いに応えてやりたい気持ちもある。
迷った挙句、つかさはうなずいた。
「……分かったよ。そこまで言うなら協力する」
「やった!」
大神は嬉しくなって飛び上がりそうな勢いだった。しかし、つかさの顔は晴れない。
「前もって断っておくけど、あまり期待しないでよ。見知らぬ男の子一人を捜し出すなんて、デパートで迷子を捜すのと訳が違って、とてもじゃないけど素人には難しいと思うから」
「うんうん、分かっているとも! ただ僕の見込んだ武藤くんが手伝ってくれるってだけで嬉しいよ! ――あっ、この写真、武藤くんのスマホに転送しておくね」
大神はもう少年を見つけたような気持ちにでもなっているようだった。
さすがにつかさはそこまで楽観的にはなれない。何かしら事情があるのかもしれないが、出来れば警察で保護されていることを祈る。もし、そうでないのなら――
何らかのトラブルに巻き込まれていやしないかと、小悠(シャオユウ)という少年の安否が気がかりだった。
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