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WILD BLOOD

第20話 香港人狼少年団

−5−

 羽田空港の到着ロビーで仙月影人は案内板を見上げた。予定通りに運航されていることを確認する。
 現在の時刻は午後十一時近く。あと一時間ちょっとで日付を跨いでしまう。それでも国際線を増便させた羽田空港には、まだ多くの人たちがおり、飛行機の離発着も行われていた。
 出迎えは不要、とあらかじめ言われていたが、今回の件のクライアントが間もなく香港から来日することになっている。神戸港でターゲットを取り逃がしたこともあり、その謝罪もしておくべきだろうと影人は考えた。
 あれから彼らの足取りを追ったが、東京に潜伏したことは分かったものの、その行方はようとして知れない。
 わざわざ密航をしてまで日本に来た目的は何なのか。そもそもクライアントからは、まだ子供に過ぎない彼らをどうして捕らえる必要があるのか、その理由を聞かされていなかった。ただ、彼らが普通の密航者でないことはハッキリとしている。
 彼らは狼男――いや、少女を含めているから、人狼と呼ぶべきか。これまで数千年に渡り、吸血鬼<ヴァンパイア>と同じく人間社会に溶け込み、時には裏社会で暗躍する影の存在。人外のもの同士、幾度も抗争を繰り広げてきた。
 影人はポートターミナルで闘った耀文(ヤオウェン)と天麟(ティンリン)という少年のことを思い出す。まだ十代に過ぎない彼らの力は想像以上だった。子供という先入観から少し侮ったこともあるが、正直、驚かされたのもまた事実だ。
 吸血鬼<ヴァンパイア>と人狼の力関係は、一応、前者が上とされているが、必ずしもそれが当てはまるとは限らない。
 人間との間に生まれた吸血鬼<ヴァンパイア>の混血種は、血の影響によるものか、純血種に比べ、力が弱まり、寿命も縮まることが知られている。そのため、次第に世代を重ねていくと、ほとんど人間と同じになってしまう。
 ところが人狼は、人間と交わっても、その特徴をほぼ百パーセント受け継ぐ性質を持つ。よって、吸血鬼<ヴァンパイア>よりも人狼の方が数で上回るというのが現状だ。
 いずれ勢力を弱体化させた吸血鬼<ヴァンパイア>族が、抑圧されてきた人狼たちのよって駆逐される日が訪れるかもしれない。そのような将来に危惧を抱き、今からでも人狼を根絶やしにすべし、という吸血鬼<ヴァンパイア>も少なくなかった。
 ――殺られる前に殺れ!
 東欧では、過激な思想を抱く吸血鬼<ヴァンパイア>が秘密結社を結成し、手当たり次第に人狼を狩っているという噂も聞く。あの少年少女たちが、そういった者たちのターゲットになっていなければいいが、と影人は心から願っていた。
 滅ぶ運命(さだめ)であるのなら、誰も逃れることは出来ない。すべての人狼を敵視し、皆殺しにしようなどと馬鹿げた考えだ、と影人は思う。降りかかる火の粉を振り払うのは当然の権利だとしても、必要以上の争いを招くのは愚か者のすることだ、と。
 次の便が到着するまで、まだ時間がありそうだった。影人は時刻表示をもう一度確かめてから、自動販売機のある一角まで移動する。
 影人が選んだのは紙コップで出て来るコーヒーの自動販売機だ。硬貨を投入し、迷わず「ブラック」のボタンを押す。
 二十秒ほどで紙コップにコーヒーが注がれた。出来上がりを知らせる赤いランプが点灯する。自販機から商品を取り出そうと腰を屈めたとき、影人の動きが一瞬止まった。
「次の便ではなかったのですか?」
 そう後ろにいる人物に対して言うと、まずは出来立てのコーヒーを一口味わってから、影人はゆっくり振り返った。
 そこには髪をキッチリ七三に分けた黒いスーツ姿の男がいた。頬骨の出ているのが目立つ痩せぎすの三十代で、まるで葬儀屋のような陰気さを漂わせる。ただし、影人と同じ黒いコーデなのに、なぜかワイシャツだけは真っ赤だった。
「ひとつ前の便に乗れたもので。やはり成田よりも羽田の方が便利ですね」
 少しも表情を動かさずに慇懃無礼な男が喋った。
 ずずずっ、ともう一口、影人はコーヒーをすする。しかし、目だけは決して男から離さなかった。
「日本語がお上手ですね」
「滅相もありません」
「広東語でも構いませんが」
「いえ、日本語で結構」
「ひとつ前の便で到着していらっしゃったのなら、どうしてまだこちらに? 宿泊のホテルは手配したはずですが」
 すると、痩身の男は肩をすくめた。
「少し手違いがありましてね。私の荷物が次の便に積まれてしまったのです。ですから、こうして仕方なく空港に足止めされているわけでして」
「なるほど」
 コーヒーを飲み終えた影人は、紙コップを握り潰すとゴミ箱に捨てた。相変わらず目に油断はない。
「仙月影人だ」
「謝紅久(シェ・ホンジュ)です。よろしく」
 自らを謝(シェ)と名乗った男は握手を求めた。ところが影人は、それに応じない。
「悪いが、握手は遠慮させてもらう。大事な右手を誰かに差し出すのはオレの主義に反するので、気を悪くしないでもらいたい」
「それがあなたの武器――日本語で“カタナ”と言いましたか。結構。そういうことなら仕方ありません」
 謝紅久(シェ・ホンジュ)は握手を拒否した影人に理解を示した。
「何か飲みますか? コーヒーでよければ、一杯奢りますけど」
 お詫びのつもりか、影人は小銭を出そうとした。だが、今度は謝紅久(シェ・ホンジュ)が断る。
「いや、お気持ちだけで結構。私はそういったものを飲まないタチでして。食事についても同様です。私は少し偏ったグルメなものですから」
 そう言って、謝紅久(シェ・ホンジュ)はチラリと乱杭歯を覗かせた。
 この男は吸血鬼<ヴァンパイア>だ。自分をグルメだと評したのも、「血以外は飲まない」というアピールなのだろう。
 確かに吸血鬼<ヴァンパイア>は伝説通りに血を欲する。しかし、その欲求に抗えないわけではない。人間との無用な軋轢を生まぬため、自制している者がほとんどである。
 だが、この謝紅久(シェ・ホンジュ)という男は己の欲求のままに生きているようだ。影人の目には、まるで傲慢な貴族のように見える。
 それがつい表情に出てしまったか。謝(シェ)は苦笑した。
「お気に障りましたか? よくある吸血鬼ジョークですよ。真に受けてもらっても困ります」
 いや、決してジョークなどではなかったはずだ。それくらいは見分けられる。
 二人は滑走路を眺められる展望デッキへと場所を移した。国内線の展望デッキとは違い、こちらは二十四時間、自由に出られる。外は昼間と違って肌寒く、しかも深夜なので、誰もいないのは好都合だ。これからの会話は他人に聞かせられない。
 上空では、また一機の旅客機が赤と緑のポジションライトを両翼に灯しながら着陸態勢に入るところだった。
「すっかりお任せしてしまって申し訳ありませんでしたね」
「いえ」
「少し後始末が残っていたものですから、それを片づけていたら当初の予定よりも来日が遅れてしまいました。――で、首尾はいかがでしょう?」
 単刀直入に謝紅久(シェ・ホンジュ)は尋ねてきた。影人はかぶりを振る。
「申し訳ない。神戸でまんまと取り逃がして以来、未だ収穫なしだ。東京都内にいるらしいと目星はつけたものの、まだ範囲は絞り込めていない」
「困りましたね。腕は確か、という評判をお聞きしたからこそ、“黒影”と仇名されるあなたに依頼したのに。これなら噂の“エース”か“壊し屋”に頼むべきでしたか」
「しくじった以上、オレからは何も言い返せないな。ただ、オレもプロだ。このまま違約金を支払って引き下がるつもりはない。無償で協力させてもらおう」
「ほう、無償で?」
「ああ。ここから先はオレのプライドの問題だ」
 影人の言葉に、香港からの客人は一考したようだった。
「……いいでしょう。引き続き、力を貸してもらいましょうか」
 ジェットエンジンの音が轟き、しばらく会話を途絶えさせた。
「――ところで、あの子らは何をしたんだ?」
 影人はずっと気になっていた彼らを捕らえようとする理由を陰気なクライアントに尋ねた。謝紅久(シェ・ホンジュ)は骸骨のような顔で影人を見つめる。
「何もしていませんよ」
「何もしていない?」
 予想していなかった答えに、影人は訝った。
「彼らは犯罪者というわけではありません。むしろ、こちらは狙われている彼らを保護しようとしているのです」
「狙われているって、誰に?」
「詳しくは話せませんが……とある人狼の組織、とだけ申しておきましょう」
「同族同士でトラブルか?」
「そのようです」
「だったら、なぜ彼らは逃げようと?」
「吸血鬼<ヴァンパイア>は人狼の敵だと、生まれてからずっと教え込まれてきたのでしょう。こちらが親切に説明しようと思っても、まったく耳を貸そうとしないのです。だからと言って、彼らを放っておくわけにもいかないのですが」
「その組織のヤツらというのは、もうあの子たちが日本に渡ったことを知っているのか?」
「それは分かりません。でも、時間の問題であるのは間違いないでしょう。すでに香港では私の仲間が二名、殺されました」
「吸血鬼<ヴァンパイア>が、人狼に……?」
「ええ。私の来日が遅れたのもそのためです。ですから、一刻も早く彼らを保護しなくてはなりません」
「……オレは……神戸港で一人の少年の命を奪ってしまったかもしれない」
 影人の悔恨を込めた告白に、初めて謝紅久(シェ・ホンジュ)の表情が動いた。
「な、何と……」
「仲間を逃がそうと、オレに立ち向かって来た。焦ったオレはやむを得ず……」
「そうでしたか……いや、残念なことだとは思いますが、あまり気に病まないでください。それに最優先で保護しなくてはいけないのは少年たちではなく一人の少女です」
「少女?」
 影人は彼らの中にいた一人の少女の顔を思い出した。差し詰め、少年たちは彼女の“騎士(ナイト)“といったところだろう。
 謝(シェ)の目が昏く光った。
「名は李銀麗(リー・インリィ)。ある珍しい能力の持ち主です」


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