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「“小悠(シャオユウ)……”」
そう名前を口にして呼んだ自分の声に、銀麗(インリィ)は目を覚ました。隣では神戸港で負傷した耀文(ヤオウェン)が安らかな寝息を立てている。昨日までは身体を動かせない状態だったが、今はかなり回復しているらしい。
『Bar GLAY』の奥にある小さな休憩室。マスターのノブはここに泊まり込むこともあるそうだが、さすがに四、五人で雑魚寝するとなると窮屈だ。ノブも彼らに配慮したのだろう。一旦、自宅へ戻ると言って、ここにはいない。
まだ眠っている年下の少年たちを起こさぬよう、銀麗(インリィ)はこっそり部屋を抜け出した。
店のカウンターでは、まるで酔客みたいに突っ伏すようにして明邦(ミンバン)が一人で寝ていた。他の者たちに気を遣って、こちらで休んだに違いない。連日、小悠(シャオユウ)の捜索に出て疲れているはずなのに、まともな睡眠も取れず申し訳なく思う。
銀麗(インリィ)は冷蔵庫からミネラルウォーターをそっと取り出し、水分補給をした。日本に来てから四日目の朝。まだ幼い小悠(シャオユウ)はともかく、神戸で分かれたきりの天麟(ティンリン)はなぜ合流しないのか、彼の安否が気がかりで仕方がない。
あの吸血鬼<ヴァンパイア>たちに襲われさえしなければ、今も自分たちは香港でささやかながらも穏やかな生活を送れていたはずなのに、と銀麗(インリィ)は振り返る。突然目の前に現れた、あの骸骨みたいな顔をした男のことを銀麗(インリィ)は忘れもしない。
「“李銀麗(リー・インリィ)、私と一緒に来てもらおう”」
あのとき、男はそう言った。ヤツの狙いは他でもない、銀麗(インリィ)だったのだ。
両親のいない彼女たちは楊力宏(ヤン・リーホン)という男によって面倒を見てもらっていた。彼は人狼の血を引く孤児を保護するための活動を行っていたのである。お蔭で銀麗(インリィ)たちは人間社会に溶け込みながら一般人として暮らすことが出来た。
裕福でないが故の苦労こそあったものの、人並みには過ごせた平穏な日々――
ところが突如として、それを奪われようとは。
襲撃を受けた夜、楊力宏(ヤン・リーホン)は身を挺して銀麗(インリィ)たちを逃がした。「日本へ行け」という言葉と潜伏先となる場所――つまり、この『Bar GLAY』の所在地を記したメモを残して。
なぜ、吸血鬼<ヴァンパイア>が自分を狙うのか、その理由に心当たりなど何もない。最初は、噂に聞く“人狼狩り”かと思ったのだが、それが目的ならとっくに皆殺しにされていただろう。
ただひとつ確かなことは、あの楊(ヤン)が殺されたということだけだ。
空港は監視されているに違いないということで、たまたま同じ夜に出航する神戸行きのクルーズ船に密航できたのは幸運だった。
これでひと安心、と日本に上陸したのも束の間、まさか別の吸血鬼<ヴァンパイア>が港に待ち受けていようとは、さすがに想定外の出来事だったが。
神戸で網を張っていた吸血鬼<ヴァンパイア>によって、耀文(ヤオウェン)が傷つき、天麟(ティンリン)が生死不明という状況だ。その上、長距離トラックに忍び込み、東京までは辿り着けたものの、最年少の小悠(シャオユウ)とまではぐれてしまった。
「“これから、どうしたら……”」
先のことを考えると不安になり、涙が込み上げて来そうになる。せめて年長者の天麟(ティンリン)さえここにいてくれれば。
「“銀麗(インリィ)……”」
いつの間にか明邦(ミンバン)が目を覚ましていた。銀麗(インリィ)は涙を見られたくなくて、慌てて目を擦る。
「“おはよう、明邦(ミンバン)。ぐっすり眠れた?”」
彼よりも年ひとつ上であることを自分に言い聞かせ、銀麗(インリィ)は微笑みかけた。明邦(ミンバン)はまだボーッとしているような感じだったが、欠伸をひとつすると身体を起こす。
「“オレなら大丈夫だよ。心配いらねえ”」
「“そう。なら、良かったわ。耀文(ヤオウェン)もようやく回復したみたい。もう動けるんじゃないかな”」
「“さすがは人狼の血を引くだけのことはあるな。回復が早い。――あとは小悠(シャオユウ)を捜すだけか”」
耀文(ヤオウェン)のことで少し表情が晴れた明邦(ミンバン)だったが、それもすぐに曇ってしまった。
あっ、と銀麗(インリィ)が思い出す。
「“明邦(ミンバン)、私、夢を見たわ”」
「“何っ!? 予知夢をか!?”」
銀麗(インリィ)には昔から不思議な能力があった。それが予知夢だ。
夢で見たものは必ず現実になる。これまでに銀麗(インリィ)は、そういう体験を何度もしてきた。
ただし、予知したいものが自由に選択できるわけではないし、それがいつ起きるのか、日時の確定もハッキリとはしない。これまでの経験からすれば、少なくとも十日以内に実現する、ということだけだ。
もし、吸血鬼<ヴァンパイア>たちの襲撃を予知夢で知ることが出来ていたら、香港から逃げ出す必要もなかったかもしれない。それが無理でも、彼女たちを逃がすために身を挺した楊力宏(ヤン・リーホン)が犠牲になることはなかったのではないか。
しかし、銀麗(インリィ)の予知夢は絶対不可避だ。仮に襲撃を予知夢で見たとしても、未来を変えることは出来ない。一見、便利な能力のように思えるが、ちょっと先の出来事が分かるだけで、それがほとんど役に立つことはなかった。
でも、今回は違う。
「“夢の中に小悠(シャオユウ)が出て来たのよ。何処か、学校みたいなところで”」
「“学校?”」
てっきり警察か病院にでも保護されていると思っていた明邦(ミンバン)は、思いもよらなかった場所を示され、意外そうな表情をした。銀麗(インリィ)がうなずく。
「“でね、夢には学校の校門も出て来たのよ。確か、こんな名前の学校だったと思うわ”」
そう言って銀麗(インリィ)はカウンターの上に重ねてあった紙のコースターを一枚ひっくり返すと、その裏にボールペンで夢に見た漢字を書いた。明邦(ミンバン)が怪訝そうな顔で書かれた繫体字(はんたいじ)を読む。
「おはようございます」
そこへ店の入口から大神が現れた。手にはまた風呂敷に包んだ三段重を持っている。今日は日曜で学校がないため、一昨日と同じように朝食の差し入れを家から持って来たのだ。このあと、つかさにも頼んだ小悠(シャオユウ)の捜索にも出掛けるつもりで。
カウンターを挟みながら、何か真剣な表情で話し合っている銀麗(インリィ)と明邦(ミンバン)を見て、何事かと大神は思った。
「どうしたんですか?」
「ねえ。こういう名前の学校を知らない?」
銀麗(インリィ)はコースターの裏に書いた学校名を大神に見せながら日本語で尋ねた。
手書きの文字は「琳昭館」と読める。
「……ウチの学校ですけど」
大神はぽつりと答えた。
「……不吉だわ」
日曜日だというのに、黒井ミサは制服のセーラー服姿で琳昭館高校の屋上に一人で立っていた。彼女は焦点の定まらない目で遠くを見ている。
この“琳昭館高校の魔女”と呼ばれる女子生徒には様々な力があった。そのひとつが占いだ。生徒たちによれば、ミサの不吉な占いは必ず当たるという。
今朝、日課の占いによって導き出されたものは“危険な異邦人の来訪”であった。
古来より大地の下を流れるエネルギーを“竜脈”と言い、その力が集う場所のことを“竜穴”と呼ぶ。風水学的にパワースポットである“竜穴”は、その地に繁栄をもたらす力を秘めているとされる。過去、“竜穴”のあるところに都市や国は栄えた。
単なる偶然の一致か、この琳昭館高校はちょうど“竜穴”の真上にあたる場所に建てられている。そのことを知ってか知らずか、まるで“竜穴”の力を追い求めるかのように、この高校には様々なものが引き寄せられるのだった。
黒魔術を使うミサ自身がその一人だと言ってもいいだろう。だからこそ、彼女はこの地を邪悪なものから守ろうと思っている。
つい先月も嵯峨サトルという転校生が現れ、琳昭館高校を支配しようとする事件があった(※ 詳しくは第13話「学園の支配者」を参照)。その記憶は多くの生徒たちから消去されたが、再び、そういうことが起きないとも限らない。
ミサが感じたのは、それ以来の危機だと言っていいだろう。
事実、それは鬼門の方角――すなわち北東より近づきつつあった。結界を張れば魔を寄せ付けぬことは可能だが、さすがに学校規模になるとミサでもカバーしきれない。
「そうね……ならば、『目には目を、歯には歯を』ってことで」
そう一人で呟くと、ミサはおもむろに黄色いチョークを手にし、屋上に大きな円を描き始めた。その中に六芒星を描いてから、細部には古代ゲルマン人が使っていたルーン文字を術式として書き足す。あっという間に魔法陣の完成だ。
ミサは魔法陣の外に立つと、目をつむり、呪文の詠唱を始めた。
「理性の鎖を引きちぎる獣……黒き翼を身に宿す者よ……すべての正と邪が交わりし血を捧げ、我の声に応えて来たれ! ――バーン・グリム・ザ・シャウト!」
次の瞬間、魔法陣の上に黒い雨雲のようなものが立ち込め、いくつもの小規模な発雷を呼んだ。その間隔は次第に狭まり、最後には小さな爆発を起こす。
「げほっ、げほっ!」
爆風が黒い煙を晴らすと、魔法陣の中にはベッドに横たわりながら、頭を左腕で支え、右手をポテトチップスの袋に伸ばしたまま咳き込んでいる男が現れた。
それこそが一年A組の問題児、仙月アキトである。
おそらく日曜日なので、自室でのんびりくつろいでいたのだろう。それをいきなりミサの黒魔術によって琳昭館高校の屋上に召喚され、何が自分の身に起きたのか把握できず戸惑っている様子だった。
「ようこそ」
アキトを呼び出したミサは、無表情で挨拶した。目の前に立つ見覚えのある同級生の姿に、仰天したアキトは飛び起きる。
「な、何なんだよ、これは!? いったい、何がどうなってる!?」
今さっきまで自分の部屋にいたのだから当然の反応だろう。アキトは周囲をキョロキョロと見回した。
「ここは学校よ。あなたは私が召喚したの。黒魔術で」
とんでもない説明だが、この“琳昭館高校の魔女”が言っているのだ。疑う余地などない。
アキトは鶏冠に来た。
「何てことしてくれたんだよ!? オレは明日が返却期限のレンタルDVDを楽しんでいたんだぞ! オレの貴重な休日を返せ!」
いくら凄まれてもミサは平然としたものだった。
「あなたには借りがあったでしょ?」
「借り? そんなもん、あるか!」
「キャンプに行ったとき、死にそうになったあなたを助けてあげたじゃない」
「なっ――あれは、お前のせいで死にかけたんだろうがぁ!」
アキトは忌まわしい記憶を消してしまいたかった。もし、あのままだったら、と思うとゾッとする(※ その理由については前回の第19話をどうぞ)。
「それよりも、あっち」
まるでアキトの話など聞いていないかのように、ミサはあくまでもマイペースな姿勢を崩さず、スッと北東を指差した。アキトは釣られて、そっちを向く。
「何が、それよりも、だ。こっちはなぁ――ん?」
もっと文句を言ってやるつもりでいたのに、それよりも漂って来た臭気を感じ取った途端、思わず動きを止めてしまう。気のせいかどうかを確かめるため、鼻だけをヒクつかせた。
「ね?」
ミサが同意を求めると、アキトは急に真剣な顔つきになった。
「だからオレを呼んだってのかよ……ったく!」
アキトは舌打ちすると、不承不承ながらもベッドから下りた。
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