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WILD BLOOD

第20話 香港人狼少年団

−8−

「……うぅっ――ッ!?」
 アキトはハッとして跳び起きた。上体を支える手がわずかに沈み込む。目覚めたのが自分のベッドの上だと気づき、あれは夢だったのかと混乱しかける。
「ようやく、お目覚め?」
 ベッドの横にはセーラー服の下に黒いストッキングを履いた女子高生が、まるで幽霊のように立っていた。黒井ミサだ。アキトは慌てて周囲を見渡す。
 そこは自分の部屋の中ではなく、見慣れた琳昭館高校の屋上だった。確か、校門のところで広東語を離す狼男の少年と闘っていたはずだが――
「あいつは――ぐあっ!」
 ミサの方へ急に身体を捩じった途端、凄まじい激痛が腰に走った。明邦(ミンバン)の《暴れ独楽》を喰らった箇所だ。
 その痛みによって、さっきの勝負が夢ではなかったことにアキトは気づいた。と同時に記憶が甦り、そのことに青ざめる。
(負けた……このオレが……)
 相手は狼男。吸血鬼<ヴァンパイア>である自分が負けるはずはないと、絶対の自信を持って挑んだはずの闘いで、アキトは不覚にも敗北を喫したのだ。
「……完敗ね。まさか殺されてしまうなんて」
「――っ!?」
 衝撃の事実を告げられ、アキトは血の気が引いた。何の感情も表さないミサをベッドから見上げる。
「こ、殺されたって……オレが、か……?」
「ええ。だから、こうしてセーブポイントに戻されたわけ」
 まるでゲームの話をするみたいにミサは言う。セーブポイントとは、アキトを呼び出した、この屋上のことを指すのだろう。ということは、死んだアキトは彼女の黒魔術によって甦ったのか。これまで死んだことがないので実感が湧かない。
「――なんて、冗談だけど」
「はあっ!?」
 あまりにも真顔で言うので、アキトは冗談だというミサの言葉をなかなか呑み込めなかった。そもそも、そんな冗談をわざわざ言う神経が信じられない。
「何のつもりだ、てめえ!」
「負けたショックをより大きなショックで緩和してあげようと思ったんだけど」
「どういう心理療法だ!?」
「でも、敗北したのは紛れもない事実だわ。もし、大神くんが止めに入ってくれなかったら、今頃、殺されていたかもしれないわね」
 今度こそ本当のことを告げられ、アキトは悔しさに奥歯を噛む。ギシッという音がした。
「こっちも使い魔として呼び出した手前、そういう場合は甦らせてあげるから心配しないで……ただし、ゾンビとしてだけど」
「ゾンビかよっ! てーか、使い魔とはどういうこった!?」
「まあ、向こうにこの学校をどうこうするつもりがなかったようだから、私の取り越し苦労に終わって良かったわ」
「スルーかよ! ……で、ヤツは何処だ?」
 腰の痛みに顔をしかめながら、アキトは自分を学校の屋上へ召喚し、香港(ホンコン)から来たと思われる狼男と意図的に闘わせた“琳昭館高校の魔女”を問い詰める。
 するとミサは憐みの表情を浮かべた。
「あなた、何時間くらい気を失っていたと思っているの? 二時間よ。向こうは、とっくの昔に帰ったわ」
 有無を言わせないミサの態度は、アキトにまざまざと敗北の味を甦らせた。口の中が苦く感じられる。
「教えろよ……ヤツの居場所を」
「それを聞いて、どうするつもり?」
「決まってんだろ」
 苛立ちから怒鳴りつけたくなったが、辛うじてアキトは自重した。
 だが、ミサはあくまでも冷ややかだ。
「勝ち目もないのに、リターンマッチを挑もうって言うの?」
「………」
 確かに、あの《暴れ独楽》という技を破らない限り、アキトが勝つ可能性は低いだろう。だからといって、このまま、おめおめと尻尾を巻いて逃げるわけにはいかない。仙月アキトの名に懸けても。
「次は勝てる、という確信を持てたら、居場所を占ってあげてもいいわ。けど、今は駄目。このまま、もう一度勝負を挑んでも、あなたは勝てっこない。同じ結果を招くだけよ。どうすれば勝つことが出来るのか、少し考えてみることね」
 そう突き放すように言うと、ミサはアキトに背を向けた。もう用はないとばかりに、校舎の中へ入ろうとする。
「お、おい。待てよ」
 慌てて引き留めようとしたが、ミサはそのまま無視して行ってしまった。アキトは頭を掻く。
「――ったく。このオレのベッド、どうすんだよ?」
 一緒に学校の屋上へ召喚されたベッドの上で、どうやって自宅マンションまで運んだらいいか、アキトは途方に暮れた。どうせ考えても、いいアイデアが浮かびそうもないので、不貞腐れて寝転ぶ。
 そろそろ冬になろうかという空は、雲が少なく澄み切っていた。
「勝手に召喚しておいて、あとは放置かよ。用が済んだら、ちゃんと責任を持って送り届けてくれよな」



 新宿歌舞伎町にある『Bar GLAY』は、このところずっと臨時休業中で、店内はひっそりと静まり返っていた。誰もが黙り込んでいると、壁に掛けられた時計の秒針の音がやけに大きく感じられる。
 そこへ、いきなり店の入口が開いたので、ひたすら座って待っていた銀麗(インリィ)たちは一斉にそちらを向いた。
「“明邦(ミンバン)!”」
 それは琳昭館高校へ行っていた明邦(ミンバン)と案内役を頼んだ大神の二人だった。弾かれたようにバーカウンターのスツールから銀麗(インリィ)が立ち上がる。店内には香港から行動を共にしている他の少年たちもいた。
「“小悠(シャオユウ)は!?”」
 勢い込む銀麗(インリィ)に、明邦(ミンバン)は無言で首を振った。小悠(シャオユウ)の帰りを待ちわびていた少女は目に見えて落胆する。すると他の少年たちも同じように表情が沈んでしまった。
 雰囲気が悪くなったので、明邦(ミンバン)は努めて明るく振舞う。
「“大丈夫だって。そのうち、きっと現れるさ。何たって、銀麗(インリィ)の予知夢は絶対に当たるんだから”」
 慰めの言葉をかけられ、銀麗(インリィ)も気を取り直す。
「“そ、そうね。小悠(シャオユウ)はきっと無事だわ。もうすぐ会えるわよ”」
 彼女が視た予知夢では、この数日のうちに小悠(シャオユウ)が琳昭館高校を訪れることになっている。ということは、今も小悠(シャオユウ)は何処かで元気にしているということだ。
 銀麗(インリィ)が悲観するのをやめると、年下の少年たちも希望を持ったらしい。
「“おっ、耀文(ヤオウェン)。もう起きて大丈夫なのか?”」
 神戸港で負傷した耀文(ヤオウェン)の顔を見つけて、明邦(ミンバン)が気さくに声をかけた。照れくさそうに耀文(ヤオウェン)はうなずく。
「“心配かけてごめん。けど、もう大丈夫だよ。この通りさ”」
 そう言うと、テーブル席に座っていた耀文(ヤオウェン)は忽然と姿を消した。ところが次の刹那、入口近くにいる明邦(ミンバン)の横にまるで最初からいたかの如く、肩にもたれかかるようにして立っている。部外者の大神は何が起きたのかと目を丸くした。
「ごめんなさい。いきなりで驚いたでしょ? 目にも止まらぬ高速移動が、この子の特技なの」
 驚いている大神に、この中で唯一日本語を話すことの出来る銀麗(インリィ)が耀文(ヤオウェン)の特殊能力を説明した。それでも身体が固まってしまったかのように、大神は動けず、気の利いた言葉も返せない。
 実際、大神は舌を巻いていた。あのアキトを《暴れ独楽》という超高速回転の連続蹴りで退けた明邦(ミンバン)といい、まるで瞬間移動みたいな耀文(ヤオウェン)という少年のスピードといい、あらゆることが凄すぎて言葉にならない。
 もちろん、彼らは人狼であり、普通の人間よりも身体能力に優れているのは当然のことだ。しかし、同じ種族である大神でも、とても真似は出来ない。
 そもそも吸血鬼<ヴァンパイア>であるアキトが、人狼の明邦(ミンバン)にああも呆気なく敗北するなんて、想像もしなかったことだ。ある程度、何らかの鍛錬は積んでいるのだろうが、ここまで自らを高められるものかと目から鱗が落ちた思いである。
 それとも、あくまでも彼らが特殊なのだろうか。
 元気になったことをアピールする耀文(ヤオウェン)の頭を兄のようにクシャクシャにしてやってから、スッと笑顔を消した明邦(ミンバン)は銀麗(インリィ)に目配せした。それを察し、奥の休憩室で二人だけになる。
「“どうしたの、明邦(ミンバン)?”」
「“ひとつ面倒な問題がある”」
「“問題?”」
「“あの学校にいるのさ。吸血鬼<ヴァンパイア>が”」
「“本当なの?”」
 衝撃的な事実を知らされ、銀麗(インリィ)は表情を凍りつかせた。明邦(ミンバン)はうなずく。
「“どうやら、あの学校に生徒として通っているみたいなんだ。まったく、なぜ、こうも行く先々で出会すんだか”」
「“そ、それで、明邦(ミンバン)……あなたは無事だったの?”」
「“当たり前だろ。ほら、この通りさ”」
 明邦(ミンバン)はニヤリとし、腕を広げて無傷であることを示す。それを見て、銀麗(インリィ)はホッとした。
「“無茶しないでよ、明邦(ミンバン)。それでなくたって、今は天麟(ティンリン)もいないんだから”」
「“平気さ。現にオレの《暴れ独楽》でそいつをのしてやったんだから”」
 明邦(ミンバン)は自慢げに語った。香港で襲って来たヤツではないが、人狼とは深い因縁のある吸血鬼<ヴァンパイア>を打ち破ったのだ。高揚感を抱いても無理はない。
 とはいえ、今回はたまたま上手くいったからいいが、不要な闘いは極力避けるべきだろう。銀麗(インリィ)は明邦(ミンバン)の危うさを心配した。
「“それでどうしたの?”」
「“止めを刺そうかとも思ったんだが、一緒にいたあいつに止められてさ。どうも同級生らしいんだな。まあ、実際のところ、何を言っていたのか、オレには日本語、分かんねえんだけど”」
「“そう……”」
 あとで大神にも事情を訊いておくべきだろう、と銀麗(インリィ)は考えた。
 明邦(ミンバン)が何かを睨むように険しい表情を見せる。
「“問題は小悠(シャオユウ)があの学校に現れたときだ。その吸血鬼<ヴァンパイア>が広東語を話せたもんで、うっかり、こっちの事情を喋っちまった。多分、オレにやられたのを恨んで、邪魔して来るはず。まあ、そうなっても負けるつもりはないが”」
「“そうやって、何でもすぐに実力行使で問題を解決しようとしないで。闘わなくても済むよう、何かいい方法はないかしら……?”」
「“とりあえず、あの大神ってヤツに学校を見張らせて、小悠(シャオユウ)が現れたら、すぐこっちへ連絡するように言っておいてくれないか。その後はオレと耀文(ヤオウェン)でどうにかするから”」
「“ええ、それは彼に頼んでみる”」
 銀麗(インリィ)は思案しながら返事をした。


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