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WILD BLOOD

第20話 香港人狼少年団

−9−

「まだ、やってるの?」
「ああーっ、チクショウ!」
 薫がリビングを覗くと、ちょうど弟の元気が投げやりにゲームのコントローラーを放り出したところだった。そのまま後ろにひっくり返る。
 テレビに映るゲーム画面には「WINNER!」の文字がでかでかと表示され、中華服のゲームキャラが勝利のポーズを決めていた。
 元気の隣で格闘系の対戦ゲームをやっていた少年が振り返り、薫に向かってニッコリと笑う。その愛くるしい表情を見て、薫も同じように微笑み返した。
「すっかり立場が逆転したみたいね」
「うるさい」
 ゲームに勝った少年とは対照的に、床に転がる元気は不機嫌さを顕わにした。
 最初こそ、このゲームに慣れていた元気が連戦連勝していたのだが、徐々に少年はコツをつかんだらしく、そのうち一勝も出来なくなってしまった。これで六連敗どころか、相手のHPもわずかにしか削れていない。完敗だ。
「もう、こんだけ元気になったんだから、早く警察に引き渡しちゃえばいいのに」
 負けたのがかなり悔しかったのか、子供らしい残酷な言葉を元気が浴びせる。薫はそんな思いやりの欠片もない弟を睨みつけた。
「この子の身になって言いなさいよ! 一時は大変だったんだから!」
 薫が学校の帰りに行き倒れていた少年を見つけてから今日で三日目。母の舞衣は高熱を出してうなされる少年を介抱する一方で、警察と救急車を呼んだ。
 そのまま連れて行かれるかと思いきや、少年は身元を示すものを何も所持しておらず、駆けつけた警察官も救急隊員もどうすべきか迷った。そこで舞衣が「でしたら、ウチで責任をもってお預かりします」と申し出たのだ。これには薫も驚いた。
 母の舞衣は、若い頃に看護師をしていた経験がある。忍足家のかかりつけ医も呼ぶと、少年に解熱作用のある注射をしてもらい、あとはしばらく様子を見ることになった。意識が戻ったら、改めて警察に来てもらう約束をして。
 その処置が功を奏したらしく、翌日、土曜の夕方になると熱はほとんど下がり、食事も摂れるまでに回復した。さらに一日、様子を見たのは念のためである。
 こうして少年の容体が良くなったのは大変喜ばしいことなのだが、ひとつ問題があった。
「ねえ、あなたの名前を教えて。ご家族は? 住所は言える?」
 意識を取り戻した少年に薫が尋ねたときだ。少年は小首を傾げた。
「だから、お姉さんに名前を教えてくれない? 君をご家族のところまで送り届けたいの」
 すると少年は答えた。いや、答えたのだと思う。日本語ではない言語で。
 外国語というと日常的な英会話くらいしか出来ない薫には、少年の言葉が中国語らしいということしか分からなかった。
 つい顔立ちで日本人だろうと思い込んでいたのだが、そうではなかったらしい。これでは身元など不明な点について訊くのは無理だ。
 それでも何とか名前だけでも聞き出そうと薫は粘った。
「私の名前は薫――“か・お・る”。あなたの名前は?」
 人差し指で自分と少年を指しながら、薫はコミュニケーションを試みた。少年も薫が何を言いたいのか理解したのだろう。うなずいて、自分の名前らしい言葉を発した。
「小悠(シャオユウ)」と。
 ところが薫には「シャーユウ」なんだか、「ショーユウ」なんだか、ちゃんとした発音が分からない。まともに聞き取れるのは後ろの「ユウ」というところだけ。何度か繰り返したのだが、最後に薫は断念した。
「ねえ、君のこと、『ユウ』くんって呼んでいいかな?」
 少年は快くうなずいてくれた。
 思いの外、早く元気になったことで、週明けまでユウ少年を忍足家で預かることになった。警察には、まだ意識が戻ったことを連絡していない。それも月曜日にするつもりだ。このまま身元不明ということなら、児童相談所に送られるだろう。
 日曜日の今朝になってみると、発見したときの重体が嘘のように、ユウ少年はすっかり全快した。むしろ、まだ寝てなきゃ駄目と言っても、日本語が通じないのもあるが、家の中をウロウロ動き回るくらいに。
 やはり子供としてはジッとしていられないのだろう。追いかけては連れ戻すのを繰り返していたら、薫の一日はほぼ潰れてしまった。
 そこで一計を案じた薫は、弟の元気にユウ少年の相手をしてもらうおうとした。
「ヤだね!」
 薫が頼むと元気は即座に拒否した。冷たい返事にカチンと来る。
「何でよ? 歳も同じくらいだし、遊び相手に丁度いいじゃない」
「向こうもこっちも、言葉が分からないんじゃ、意思の疎通なんて出来るわけがないじゃないか」
 小学五年生のクセに「疎通」なんて小難しい言葉をよく知ってるなあ、と思いながら、薫はこのまま引き下がるわけにはいかず、嫌がる元気を説得にかかった。
「言葉なんて二の次よ。要はスマイル。笑顔さえ絶やさなきゃ、ラブ&ピースは実現可能なんだから」
「何が“ラブ&ピース”だよ? 意味不明なんだけど」
「だから、難しく考える必要はないってこと。一緒に遊ぶだけよ。何も話し相手になってやって、とは言ってないわ」
「遊ぶって、何をして?」
「そうねえ……例えば、ゲームとかはどう?」
 かくして元気はユウ少年とテレビゲームで遊ぶことになった。
 忍足家ではリビングにゲーム機が置いてある。子供部屋で遊べるようにしてしまうと勉強がおろそかになるとの心配からだ。リビングならば、どれくらいの時間、ゲームで遊んでいるか家族が把握できる。
 薫はあまりやったことがない。もっぱらテレビゲームで遊ぶのは元気だ。たまに小学校の友達を家に呼び、格闘ゲームで対戦しているところを見かけるが、かなりの腕前のようで、仲間内では高い勝率を誇る。
 かと言って、いつもゲームばかりしているわけではない。元気は決して勉強をおろそかにはせず、学校の成績も良かった。テストで百点を取るのも珍しくはない。ちゃんと遊びと勉強を両立させているようで、姉としては感心する。
 リビングのテレビの前でゲームを始めた二人の背中をしばらく薫は見守った。
 まず、元気がコンピューター対戦で手本を示してから、ユウ少年にコントローラーを渡す。言葉が通じないので説明もなく、初めのうちはボタン操作が分からずに敗けてしまっていたが、何度かプレーするうちに勝てるようになっていった。
 ボタン操作を覚えたら、そこからが本番だ。プレイヤー同士の対戦である。
 もちろん、ゲームをやり込んだ元気に、ほぼ初心者であるユウ少年が勝てるはずがない。それでもユウ少年はへこたれることなく、何度も再戦を挑んでゆく。それは敗けて悔しいからではなく、遊ぶのが楽しくて堪らないという感じに見えた。
 どうやら仲良く遊んでくれそうだと安心し、薫は宿題を片づけるため、自分の部屋のある二階へ上がった。ずっとユウ少年のことが気がかりだったので、土曜日には部活も休ませてもらったし、出されていた宿題も手付かずだったのだ。
 一時間ちょっとで宿題を終え、再びリビングに戻ってみると、元気とユウ少年の力関係が逆転していた。こんな風にゲームの得意な弟が敗けているのを見たことがない。もう元気はギブアップの様子だった。
 その一方で、ユウ少年はまだゲームをやりたそうだった。何か中国語を発し、寝転んだままの元気を対戦に誘う。しかし、元気はそれに応じなかった。
「もう、いい! 疲れた!」
 ゲームの持ち主としては屈辱だったに違いない。約一時間でコテンパンにされてしまったのだから。
 仕方なくユウ少年は誘うのを諦めると、一人でも遊べるコンピューター対戦を始めた。先程とは違い、格段に上達しているので、次々と勝ち進んでいく。
「こいつ、何て呑み込みの早さなんだ? 本当はすでに遊んだ経験があって、最初のはこっちを油断させる芝居だったんじゃないだろうな?」
 ゲーム画面を観戦しながら、元気は夢中で遊んでいるユウ少年を疑う。
 薫は呆れた。
「バカねえ。そんなの考え過ぎよ。そもそも、そんなことをしてどうするの? こんなの、ただのゲームじゃない」
「まあ、そうなんだけどさ」
 三十分もかからず、ユウ少年はラスボスも倒し、ゲームをクリアしてしまった。エンディング画面を見て、嬉しそうにガッツポーズをする。ゲームクリアは元気も出来るが、さすがにやり始めて二時間足らずでは達成していない。
「じゃあ、ユウくん。夕飯の前にお姉ちゃんとお風呂に入ろうか?」
 切りのいいところで、薫はユウ少年の腕を引き、入浴に誘った。それを聞いていた元気が「ぶっ!」と吹き出す。
「おっ、お姉ちゃん、何をいきなり!?」
「何をって……ユウくんとお風呂に入るのよ。この子、ずっとお風呂に入れなかったし」
「風呂なんか、一人で入らせればいいじゃないか!」
「でも、シャワーの使い方とか、どれがシャンプーなのかとか、いろいろ分からないかも知れないじゃない? だったら、一緒に入った方が手っ取り早いし」
「そいつ、風呂にも一人で入れないような子供じゃないだろ!? それに裸を見られて、平気なのかよ!?」
 一緒に入るわけでもないのに、元気の方が顔を赤くして言う。
 しかし、薫は平然としたものだった。
「そんなの気にしないって。銭湯だと小学生まで女湯に入れるんだから」
「それはあくまでも昔の話! 今はもっとルールが厳しくなってるってば!」
「うるさいわねえ。いいじゃない、私が構わないって言ってるんだから。――それとも、アンタも一緒に入る? ちょっと三人じゃ、風呂場が狭くなるけど」
 唐突に出された姉からの提案に、元気の顔は、益々、真っ赤になった。
「ば、バカなこと言ってんなよ! 僕はもう小学五年生なんだぞ!」
「何を大人ぶって。別に姉弟なんだから、そんなに固く考えることないでしょ?」
「いーや! お姉ちゃんと一緒になんか、僕は入らないから!」
「あ、そ。なら、いいわ。勝手になさい。――じゃあ、ユウくん。一緒にお姉ちゃんと入ろうねえ」
 薫は生意気な弟にべーっと舌を出すと、ユウ少年の背中を押しながらバスルームへ行ってしまった。引き止められなかった元気は床にうつ伏せになると、悔しそうに手足をジタバタさせる。
「まったく、もおーっ! 高校生にもなって、少しは恥じらいとかないのかっ!」
 姉弟の諍いに何事かと顔を出した母の舞衣が、一人で悶絶している長男を見下ろした。
「何を騒いでいるの?」
「……べ、別に何でもないけど」
「薫たちとお風呂、一緒に入らなくて良かったの?」
「そんなの……僕の勝手だろ」
「ふーん。――じゃあ、あとでお母さんと一緒に入ろっか?」
 息子を慰めるつもりで母が言った。また子供扱いだ。母親とだって、もう長いこと、一緒に風呂に入っていないというのに。
「いいっ! 僕は一人で入るから! 余計なこと言わないで!」
 デリカシーのない母に大声で言い返すと、元気は完全にヘソを曲げてしまった。


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