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アキトは学校へと向かう途中、道路の反対側を同じ方向へと歩く見慣れたセーラー服に気づいた。
よくよく目を凝らしてみると、琳昭館高校の女子生徒だった。なぜか小学生くらいの男の子の手を引いている。
横へ並ぶまでに追いつくと、向こうもアキトに気づいた。
「あれは……」
しばらく道路を挟んだまま、平行に歩き続けたが、ちょうど向こうへ渡る信号が青に切り替わったので、アキトは足早に横断する。
その姿を見た女子生徒は、思わず足を止めた。
「やはり、あなたは武藤くんと同じクラスの――」
「ああ、仙月アキトだ。どうやら先輩も遅刻みてえだな」
小学生を連れた女子生徒は、二年の待田沙也加だった。先日、新しい生徒会長に選出されたばかりの才媛で、つかさにとってのマドンナ的存在だ。とっくに授業が始まっている時間、まだこんなところにいるなんて珍しい。
「学校には、ちゃんと断ってあるわ。今朝は病院へ行っていたものだから」
何かを疑うかのようなアキトの目つきに、沙也加は菩薩顔を曇らせることなく答えた。傲岸不遜な相手にも態度を崩さない。
「病院?」
見たところ、沙也加は普段通りに思えた。体調の不良など感じられない。
「どうもこのところ、不自然な記憶の欠落があるような気がして……杞憂かも知れないとは思ったんだけど、少し無理を言って、脳外科の医師に診てもらったの。とりあえず、脳には異常がないって言われたんだけど」
「ハハハ……記憶の欠落、ねえ」
思い当たることがアキトにはあった。なぜなら、沙也加が不自然な記憶の欠落を疑うのは、アキトに原因があるからである。
これまで琳昭館高校では様々な事件が起きた。木暮春紀が化け物に変身した事件や校内へのアリゲーターによる乱入、それに嵯峨サトルが集団催眠で学校に君臨したことなど、事が公になればセンセーショナルなニュースとして扱われたはずだ。
しかし、多くの生徒はそのような事件が起きたことを知らない。なぜなら、アキトが目撃者の記憶を操作し、消してしまっているからだ。
主な理由は、自分の正体が吸血鬼<ヴァンパイア>であるとバレないため。
もちろん、それも完璧に施せているとは言えない。新聞部の徳田寧音のように、断片的に事件のことを憶えていて、アキトに疑惑の目を向ける者もいる。
沙也加の記憶も何度かアキトが消していた。それでも整合性に関して不自然なものが残り、自身の記憶障害を疑ったのだろう。本人には申し訳ないと思いつつも、ここは知らん顔をして押し通すしかない。
「異常なしと診断されて、良かったじゃねえか」
上辺だけの言葉でアキトは取り繕った。それよりも、だ。
「――ところで、そいつは?」
アキトの視線は、沙也加から一緒にいる小学生へと向けられた。
「ああ、この子? 私もさっき会ったばかりで、名前も何も知らないのだけれど、どうやらウチの学校へ一緒に行きたいみたいで」
小学生の男の子はアキトと顔を合わせないようにしていた。目つきの悪い不良高校生を避けているようにも見えるが。
「ウチの学校へって、このガキがそう言ったのか?」
「いいえ。この子、何も喋ってくれなくて。最初、路地から飛び出して来て、私とぶつかりそうになったんだけど、それからずっと付いて来るものだから。『何処へ行くの?』って尋ねたら、この校章を指差したの」
セーラー服にあるスカーフの留め具のところには、琳昭館高校の校章があしらわれている。沙也加はアキトへ見せるようにした。
「ふーん、校章をねえ」
「家族か知り合いのお姉さんでもいるんじゃないかしら?」
「一言も喋らないままで、か」
益々、アキトはジト目で少年を見た。すると少年は沙也加の身体を遮蔽物のようにし、アキトから出来るだけ隠れようとする。
「ひょっとして、知り合い?」
沙也加は二人の様子に違和感を覚えたらしく、アキトに尋ねた。
「うんにゃ、知り合いじゃねえけれども――」
ひとつ、ここは確かめてみるべきか。アキトは一計を案じた。
「“お前もあの狼男たちの仲間だろ?”」
アキトは広東語で少年に語りかけた。
すると少年は明らかに驚いたような表情を見せた。言葉が通じたのだ。
一人分からないのは沙也加だけだった。
「何、今の?」
「広東語さ。日本語が駄目なら、広東語とかならどうかなと思いついて」
「まさか。余計に通じないんじゃない?」
どうやら沙也加は、少年が日本人だと完全に思い込んでいるらしい。アキトの理屈が面白かったのか、くすくすと笑い出す。こんなところをつかさにでも目撃されたら、どうしてアキトなんかが、と嫉妬されそうだ。
「物は試しってことで。ほら、英語で質問してみろよ」
アキトに言われるがまま、沙也加は英語で少年の名を尋ねたりした。もちろん、返答はない。
その間、アキトは少年の様子を注意深く観察した。てっきり逃げるのではないかと身構えていたのだが、残念ながらその予想は空振りらしい。しかし、色んな選択肢を考慮しながら、これからどうすべきか判断しようとしているようだった。
年齢は十歳くらいだが、見かけほど子供ではなさそうだ、とアキトは睨んだ。とすれば、こちらの正体にも気づいたはずだが。
アキトが沙也加を見かけたとき、すぐに嗅いだ臭いから、一緒にいる少年が狼男であることを察知していた。二日連続で大神以外の狼男と遭遇するなど、単なる偶然で片づけられるはずがない。十中八九、昨日の仲間だ。
明邦(ミンバン)との再戦に挑むため、とりあえず大神に会おうと考えていたアキトだが、この少年の動向を見張れば、労せずして導いてくれるかもしれない。
「ところで、いつかあなたに話してみたいことがあったんだけど、いいかしら?」
「オレに?」
改めて沙也加に見つめられ、アキトはドキリとした。他の女子ならセクハラ紛いのことを平気でやるくせに、どういうわけか沙也加を前にすると、いつもの調子を出せない。むしろ緊張を覚えてしまう。
それには理由があった。アキトにも分かっている。
「仙月くんは九月にウチの学校へ転校して来たのよねえ?」
「あ、ああ……」
「でも私、あなたのことをその前から知っているような気がするの」
「……どっかで擦れ違っていた、とかじゃねえの? ハハハ、意外に古いナンパの手口だねえ、先輩も」
「ううん、会ったことはない……」
アキトが茶化しても、沙也加は真顔のままだった。思い出そうと、懸命になっているのが分かる。
「お、オレも会った記憶はねえなぁ。先輩みたいな美人なら、絶対に忘れるはずないし」
「……会ったことはないけど……見たことはある気がする」
「………」
アキトは迷った。沙也加の中から自分に関する記憶を完全に抹消してしまった方がいいかと。
(さすがに鋭いなぁ……本当に母親に似てやがる)
内心、自嘲気味にアキトは呟いた。そして思い出す。二十年前、かつて「明人」ではなく「彰人」と名乗りながら、今と同じように高校生活を送り、生涯の友と認めた「矢追マサキ」という少年たちと刻んだ青春の一ページを。
(お前にも会わせてやりたかったよ……あの頃の半田とそっくりなあいつの娘に)
アキトは心の中で亡き友に語りかけた。
つくづく月日の流れというものは残酷だと思う。吸血鬼<ヴァンパイア>であるアキトは二十年前の容姿と少しも変わらない。けれども、かつての学友たちは高校生から大人になり、半田聖子のように母親として子供を授かった者もいる。
そして、矢追マサキのように短命で人生を終えてしまった者も――
「うーん……確か、家にある古いアルバムか何かで……」
「お、おいおい。それじゃあ、オレが赤ん坊の頃の写真か!? オレをいくつだと思っていやがんだ!?」
「そうよねえ……」
自分で言っていておかしいと思いながらも、沙也加は腑に落ちていない様子だった。これ以上は危ない、とアキトは焦る。
「そ、それよりも、いくら病院へ行くから遅刻するって言ってあっても、もう少し学校へ急いだ方がいいんじゃねえか?」
その言葉に沙也加は我に返った。
「そうね。ごめんなさい、変なことを訊いてしまって。――あとちょっとで学校に着くからね」
沙也加は手を引いていた少年に笑顔で話しかけた。少年はアキトへの警戒を解こうとせぬまま、優しく接してくれる沙也加にはうなずく。
そんな三人の姿を、これまた登校時間にすっかり遅れて学校へ行こうとしていた大神が道路の反対側から目撃していた。
「げっ! 兄貴だ……ヤベェ……昨日のこと、怒ってんだろうなぁ……」
大神はアキトの機嫌がいいか悪いか、見極めようとした。するとアキトと沙也加という珍しい組み合わせよりも、連れている小学生のような男の子が気にかかる。さらに目をすがめた。
「んっ!? あっ、あれは――!?」
何となく見覚えのある気がして、慌てて大神はスマホの画像を呼び出した。銀麗(インリィ)から転送してもらった小悠(シャオユウ)の写真だ。
「に、似てる! てか、どうして兄貴と一緒に!?」
考えている場合ではなかった。急いで銀麗(インリィ)の連絡先にかける。
「あっ、銀麗(ぎんれい)? ――見つけたよ! 絶対、あの子に間違いない!」
大神は半ば興奮しながら、銀麗(インリィ)に小悠(シャオユウ)の発見を報告した。
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