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「“ぐはっ――!”」
脇腹への一撃に、明邦(ミンバン)は堪らず膝を折りそうになった。アキトに持たされた自転車を押し返し、後ろへよろめく。
「“み、明邦(ミンバン)――!”」
これまで両者の対決を黙って見守っていた耀文(ヤオウェン)が初めて声を上げた。ずっと有利だったはずの形勢が逆転され、焦りを見せたのだ。
「“まだまだ、こんなもんじゃ、オレの借りは返せたと言えねえな!”」
散々、明邦(ミンバン)の《暴れ独楽》に苦しめられたアキトは、さらなる反撃へと移った。邪魔な自転車を放り出し、明邦(ミンバン)との間合いを詰める。
相手を牽制するため、明邦(ミンバン)は回し蹴りの連続技を繰り出した。ブラジル生まれのカポエラに似た変則的なキック。しかしながら、脇腹へダメージが及んでいたせいか、昨日ほどのキレの良さは見られず、生憎とアキトには通用しない。
「“甘いぜ!”」
受け止めた左脚を右脇に抱え込むようにして、さらに身体ごと肉薄する。そのまま左手で明邦(ミンバン)の右肩を捉えて動けないようにすると、アキトは目と鼻の先にある顔面に頭突きをかました。
「“ぐわぁぁぁぁぁっ!”」
グシャリ、と鼻の骨が砕け、明邦(ミンバン)は後ろへ倒れ込みかける。しかし、アキトがガッチリとつかんでおり、易々と離そうとはしない。そこから身体の内側に巻き込むようにして、首投げに持って行く。
「“うりゃあああっ!”」
ドッ、と二人の身体がもつれるようになりながら地面に倒れた。下になった明邦(ミンバン)の腹部へ、アキトの全体重をかけたエルボーが突き刺さる。ぐふぉっ、とまるで体内の空気をすべて吐き出たみたいに呻き、明邦(ミンバン)の顔は苦悶に歪んだ。
その一撃が相当に効いたのだろう。明邦(ミンバン)の手足がだらんと力を失ったのが、誰の目からも有り有りと分かった。
「“やれやれ、随分と早いダウンじゃないか。もう終わりか?”」
アキトは勝ち誇ったようにゆっくり立ち上がりながら、一度は自分を敗北に追いやった人狼の少年を見下ろす。
「“――くっ!”」
次の瞬間、耀文(ヤオウェン)が衝動的に動いた。その動きに気づいたのはつかさだけ。
「危ない、アキト――!」
ところが、警告の言葉は間に合わなかった。つかさは思わず自分の目を疑ってしまう。なぜなら、そちらへ注意を向けたとき、すでに耀文(ヤオウェン)の飛び膝蹴りがアキトの顔面に決まっていたからだ。
「ぐはぁぁぁぁぁっ!」
アキトの身体は盛大に吹き飛んだ。まだ倒れていない自転車の列へ頭から突っ込む。その衝撃は、まるで強烈な爆風を受けたかのようだった。
「アキトっ!」
友人の安否が気にかかり、つかさは駆け寄ろうとした。
そのとき突然、殺気を帯びた《氣》の猛接近を察知し、つかさは寸でのところでアキトの元へ近づくのを思い留まる。すると目の前に、十メートルは離れたところにいたはずの耀文(ヤオウェン)という少年が急に現れ、行く手に立ち塞がった。
「“……へえ、どうやら偶然じゃないみたいだね。君は僕の動きが分かるの?”」
耀文(ヤオウェン)は自分の動きを予測したようなつかさに対して興味を持ったようだった。だが、つかさに広東語はチンプンカンプンだ。
「……言葉は全然分からないけど、そのスピードの凄さだけは分かるよ」
つかさは戦慄に身体が震えるのを覚えながら、目の前の中国人少年を見つめた。そして、この少年も人間ではない異質の存在なのだと思い知る。
耀文(ヤオウェン)が持つ能力は音速に近い移動スピードだ。普通ならば目で捉えることは難しく、まるで瞬間移動をしているようにしか見えない。しかし、つかさには、耀文(ヤオウェン)の《氣》を感じ取ることで、彼の動きを追跡(トレース)することが可能だった。
とは言え、ただ素早く動くのが分かるだけであり、つかさ自身が同等のスピードを身につけているわけではない。仮に闘ったとしても、拳で捉えることが出来ずに翻弄されるだけで、一方的にやらてしまうだろう。
「……下がっていろ、つかさ。危ねえぞ」
自転車の山からアキトが這いずり出て来た。どうやら何処か切ったらしく、頭から血が流れ、額から眉間、そして鼻の下辺りまで赤く濡らしている。それでも耀文(ヤオウェン)を見据える目はギラギラとした不屈の闘志を失っていなかった。
「“仲間がやられたんで、次の相手はお前というわけか?”」
「“よくも明邦(ミンバン)を……”」
「“そいつはお互い様だろ!”」
ぺろり、とアキトは垂れてきた血を舐めた。吸血鬼<ヴァンパイア>にとって、血の味は格別だ。己の能力を活性化させてくれる。
「“汚らわしい蚊(モスキート)め!”」
人狼にとって忌まわしき存在に唾棄し、耀文(ヤオウェン)は睨みつけた。
「“へへっ、よっぽど吸血鬼<ヴァンパイア>がお気に召さないようだな。オレもお前らが嫌いだぜ。――特に、そのイヌ臭えところがな!”」
出血しているにもかかわらず、アキトはまだ闘えることに喜びを見出しているようだった。まだ中学生くらいの少年相手でも容赦しないつもりらしい。もちろん、手加減して勝てるような気楽な対戦などではなかったが。
「“うりゃぁーっ!”」
アキトはまたしても自転車を耀文(ヤオウェン)に向かって放り投げた。次の瞬間、耀文(ヤオウェン)の姿が消える。
――速い!
耀文(ヤオウェン)を《氣》の動きとして追跡(トレース)したつかさでも舌を巻く。多分、アキトの後方に回るつもりだ。
指示を出してやりたくても、耀文(ヤオウェン)のスピードの方が圧倒的に勝った。やはり予測通り、アキトの背後に現れる。
「“こっちだ!”」
「“どわっ!”」
アキトは背中を蹴られ、前につんのめった。慌てて振り返るが、もうそこに耀文(ヤオウェン)の姿はない。
「“くっ――! 何処だ!?”」
「“目の前だ!”」
余所見をしているうちに、正面に出現した耀文(ヤオウェン)への反応が遅れた。今度は突き出されたパンチが顔面にクリーンヒットする。
「“なろぉっ!”」
耀文(ヤオウェン)の攻撃などに怯んでいられず、すぐさまアキトも反撃を繰り出すが、そのときにはもう消えてしまっている。空振りを悔しがっている暇さえも与えてもらえない。すぐさま次の攻撃が加えられ、アキトの足がよろめく。
「“どうした? そんなのろまなスピードで、僕を捉えるつもりなのか?”」
前かと思えば後ろ、右かと思えば左と、まるで何人もの耀文(ヤオウェン)がいて、アキトを集団リンチにかけているかのようだった。自らの血を口にし、能力の覚醒化を図ったアキトであっても耀文(ヤオウェン)の超スピードを追い切れない。
「ああっ……アキトっ……!」
まるで使い古された雑巾のようにボロボロにされていくアキトを、つかさはただ見ていることしか出来なかった。いくら古武道の修行を積んでいても、この人外の闘いに易々とは割り込めない。友を助けられない自分の無力さに唇を噛む。
「がはっ――!」
とうとうアキトはうつ伏せに倒れた。もう起き上がれそうにない。
「“さすがにタフさが売りの吸血鬼<ヴァンパイア>でも、もう立っていられないでしょ”」
ずっと高速移動を繰り返していた耀文(ヤオウェン)がようやく姿を現した。その足首をアキトがやっとのことで左手を伸ばしてつかむ。が、それが精一杯であるらしい。
耀文(ヤオウェン)は蔑みの目で見つめながら、つかまれているのとは反対の足を上げた。
「“これで最期だ”」
「やめてっ!」
アキトの頭を踏み潰すつもりだと分かり、薫が悲鳴のような嘆願の声を上げた。つかさは牽制でもいいから発勁を放とうと、必死になって丹田に《氣》を集めようとする。
そのとき――
「“……ひとつ、日本語のことわざを教えてやるぜ”」
「――ッ!?」
まだアキトに意識があると分かり、耀文(ヤオウェン)がギョッとした瞬間、つかまれた足首に凄まじい力が加えられた。
「“ぎゃあああああああっ!”」
信じられないことに、それは足首の骨を砕いた。
「“……いいか? そのことわざってのはなあ……『勝つと思うな、思えば負けよ』って言うんだ! 日本へ来た土産に憶えとけ!”」
おもむろにアキトは起き上がった。その上、倒れたときにこっそり握っておいたのだろう、地面の土を耀文(ヤオウェン)の顔に投げつける。泣きっ面に蜂とは、このことだ。
「“わっぷ!”」
とっさのことで高速移動も出来ず、土がまともに目に入った耀文(ヤオウェン)は視界を奪われてしまった。
こうなってはアキトの独壇場だ。
「“どれ、たっぷりと仕返しさせてもらおうか”」
アキトはポキポキと指を鳴らす。目潰しをしたのは、たとえ片足だけで高速移動が可能だとしても、障害物の判別が出来なければ回避も無理だろう、と考えたからだ。これで心置きなく、哀れな獲物を好きなだけ料理できる。
何と卑怯なやり口か。これでは、いかなる悪役もシャッポを脱ぐというもの。
それにアキトが耀文(ヤオウェン)に教えた言葉も日本のことわざなどではない――と、つかさは無性にツッコミを入れたかったが、ここはひとまず友人の無事を喜ぶべきだろうか、と複雑な気分になる。
「やめなさいよ! もう、いいじゃないの!」
耀文(ヤオウェン)の上に馬乗りになって、まるで手加減を知らないチンピラのように、凄惨なリンチを加えているアキトを薫は止めようとした。
もちろん、日頃から反抗的なアキトが聞く耳など持つわけがない。
「うるせえっ! ここまでボコボコにされて許せるかってーの! ――“ハッハッハッ、最後の詰めが甘かったなあ、少年よ。とっととオレの頭蓋骨を砕いておけば、こうして形勢をひっくり返されることもなかったのによぉ!”」
「もう、アキト……その辺で――!」
つかさも見るに堪えない暴力を制止しようとしたとき、突如として巨大な《氣》の膨らみを感じ、瞬時に言葉を呑み込んだ。今までにない、総毛立つような悪寒が走る。言い知れない恐怖を覚え、その正体を確かめるべく振り返った。
そいつは薫と手を繋いでいた。
「“やめろっ!”」
意外なことに、鋭い声を発してアキトにそう命じたのは、まだ子供に過ぎないはずのユウ少年だった。
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