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WILD BLOOD

第20話 香港人狼少年団

−16−

「ゆ、ユウ……くん……?」
 隣で手を繋いでいる薫もユウ少年の異変に息を呑んだ。どのような原理によるものか、少年の身体は微弱で薄い光の膜みたいなものに包まれている。その顔は怒りの感情に彩られ、耀文(ヤオウェン)を痛めつけているアキトに向けられていた。
「こいつは――」
 アキトも豹変した少年を見つめていたが、だからといって他の者たちほどには驚いていない。なぜなら、沙也加と連れ立って歩いていたのを見かけたとき、すでに少年の正体が明邦(ミンバン)や耀文(ヤオウェン)と同じ人狼だと気づいていたからだ。
 そう、このユウ少年こそが、明邦(ミンバン)たち仲間とはぐれ、その安否が心配されていた孫小悠(スン・シャオユウ)だった。
「“耀文(ヤオウェン)から離れろ”」
 小悠(シャオユウ)は臆することなく、アキトに向かって広東語で喋った。
 もちろん、子供にそう言われて、「はい、分かりました」と素直に応じるアキトではない。
「“『断る』って言ったら、今度はお前が相手になるつもりかよ?”」
「“そうだ”」
「“やめとけ。オレは子供相手でも手加減しねえんだ。泣かされてえか?”」
「“……お前、嫌いだ!”」
「“――ッ!?”」
 感情の発露と共に、小悠(シャオユウ)のまとう光が少し強くなったかに見えた刹那、何の前触れもなく、アキトの身体がフッと浮いた。
 それを目撃していた者たちは、突然、マジックショーでも始まったのかと、目が点になる。
「あ、アキト――!?」
「何なの、これ……?」
 驚いたのは当のアキトも同じだ。
「うわっ、わっ、わあああああっ!」
 馬乗りの格好から宙に浮かび上がり、アキトはどうしていいのか分からないようだった。試しに手足をジタバタさせてみるが、それくらいのことをしたところで地面には下りられそうもない。
 何らかの見えざる力が作用を及ぼしているようだった。
 ただし、その力を行使しているのが、不可思議な光の膜に包まれた小悠(シャオユウ)であることは疑いない。
 空中で慌てふためくアキトの姿を見て、小悠(シャオユウ)は少しばかり子供らしい表情をほころばせる。
「“これから、どうして欲しい?”」
「“クソガキ、てめえの仕業か!? とっととオレを下ろしやがれ! でないと、このゲンコツを喰らわせて、痛い目に遭わせるぞ!”」
 何も出来ず、ただ浮いたままの状態であるというのに、アキトは身の程知らずにも、なおも高圧的な態度を小悠(シャオユウ)に対し取り続ける。そのような脅しを受け、小悠(シャオユウ)が下ろすわけがない。
「“なら、これはどう?”」
「うわわわっ――!」
 アキトの身体は浮遊したまま、右へ左へと移動し、成す術なく翻弄された。かと思えば、今度は高々と空へ上り、学校の屋上をも越え、アッという間に豆粒みたいに小さくなる。そして――
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 長く尾の引いた悲鳴を上げながら、アキトが空から落ちてきた。
「アキトぉ――!」
「いやぁぁぁっ!」
 見上げるつかさは顔面蒼白、薫は墜落するアキトを見ていられず、顔を覆う。
 と――
 いつまで経っても地面に激突する音は聞こえてこなかった。無残なアキトの死体を想像しつつ、恐る恐る目を開けてみる。
「あっ――」
 アキトはいた。地面すれすれの位置に浮いた状態で。
 すっかり学校の敷地に叩きつけられるものとばかり思っていたアキトは、何とか命拾いをし、ぜェー、はァー、と荒い息継ぎをする。さすがに怖かったようで、目には薄っすらと涙を浮かべているようにも見えた。
 生かすも殺すも、それはアキトを意のままに出来る小悠(シャオユウ)の胸三寸にかかっていた。
 《暴れ独楽》という技を持つ明邦(ミンバン)や高速移動の耀文(ヤオウェン)と同じように、まだ十歳ではありながら小悠(シャオユウ)も特殊な能力を備えていた。それがこの念動力(サイコキネシス)だ。
 念動力(サイコキネシス)とは、ただ思念を送り込むだけで物体などを意のままに動かすことの出来る超能力の一種である。アキトの身体を浮かべたのも、その力によるものだ。
「“明邦(ミンバン)たちに謝るんなら、これで許してあげるよ”」
 そのまま墜落死させてしまうことも可能だった小悠(シャオユウ)は、憎き吸血鬼<ヴァンパイア>のアキトに謝罪を迫った。
 だが、謝罪をすれば負けを認めるようなものだ、とアキトは考えるタイプだ。この男の性格上、たとえ殺されたって降参すまい。しかも、まだ年端も行かない子供なんかに。
「“ふざけんな、小僧! この程度のことでオレがビビると思ったら、大間違いだからな! すぐにその青い尻(ケツ)を、サルのように真っ赤になるまでひっぱたいてやるから覚悟しとけ!”」
 最早、見苦しさしか感じられないが、手も足も出せない代わりに達者な口だけを使い、アキトはなおも攻撃的な言葉を浴びせた。
 まだ十歳の子供に過ぎない小悠(シャオユウ)の目には、そんな往生際の悪さを見せるアキトが醜く映り、唾棄したくなるほどの不快感を覚える。
「“……そう。なら、もういいよ”」
 すーっ、とアキトの身体が再び高く浮かべられた。一瞬、停止したあと、今度は物凄い加速をつけられ、そのまま校舎に叩きつけられる。
「アキトっ!」
 ゴツッという物凄い音がした。普通の人間なら、その一撃で全身の骨がバラバラになり、運が悪ければ即死したかも知れない。
 しかし、アキトは吸血鬼<ヴァンパイア>だ。肉体の強靭さに関しては、脆弱な人間の比ではなく、気絶するようなことはなかった。
 だが、この後のことを考えれば、ひょっとすると意識を失っていた方が、アキトにとっては幸せだったかも知れない。
「“……まだ、これからだからね”」
「――ッ!?」
 アキトの身体はなおも操られ、一旦、校舎から離れると、再び同じようなスピードで外壁に叩きつけられた。それが何度も何度も繰り返される。まるで気に入らない人形を壊してしまおうとするかのように。
「ぐはぁっ!」
 さすがのアキトもどうしようもなかった。徐々に蜘蛛の巣状にひび割れ、陥没していく鉄筋コンクリートの外壁を見ても、如何に深刻なダメージが蓄積されているかが誰の目からも分かる。
「ああっ……アキト……!」
 強大な力の前に、救いの手を差し伸べることも出来ず、つかさはどうすればいいか途方に暮れた。傷つき、痛めつけられるアキトを見上げるのがせいぜいだ。
「やめて……」
 薫も沙也加も、とても見ていられる状態ではない。このままだとアキトは確実に死ぬ。
「ユウくん、やめて!」
 薫は繋いでいた手を振り解き、ユウ少年――小悠(シャオユウ)の手首をグッとつかんだ。その瞬間、小悠(シャオユウ)の念動力(サイコキネシス)がフッと弱まる。
「“何で……?”」
 小悠(シャオユウ)は自分を見つめる薫の顔を見て訝った。なぜ、こんな男のために涙を流すのか、薫の心情を理解できない。
「“あんな吸血鬼<ヴァンパイア>、いない方がマシじゃないか”」
 薫に広東語は通じない。けれども、小悠(シャオユウ)が何を言おうとしているのかは察せられた。
「ねえ、聞いて……あいつは確かにひどいヤツだけれど……あれでも信頼を寄せる友人がいるのよ……あそこにいる、彼がそう……だから……もう、これ以上は許してやって! それともユウくんは人殺しになるつもりなの!?」
 小悠(シャオユウ)にも日本語はさっぱり分からない。ただ確かなのは、薫が愚かにも、あの吸血鬼<ヴァンパイア>をかばおうとしているということだ。
「“……おねえちゃんは僕なんかよりもあいつのことが大切なの?”」
「えっ――!?」
 薫は小悠(シャオユウ)から沸々と怒りが込み上げてくるのを感じた。しかし、どのような言葉をかけてやるべきか迷ってしまう。日本語と広東語、その隔たりがもどかしい。
「ユウくん、ダメよ――!」
「“あいつさえいなければ――”」
 アキトへの拷問が再開された。さらに苛烈に。もう、ほとんど意識がないのか、呻き声すらも洩れて来ない。何度も校舎の外壁にぶつけているうちに、人型の凹みが穿たれ、そこにアキトの身体がメリメリと音を立てながら埋没してゆく。
「――くっ!」
 これ以上の説得は無理だと判断した薫は、小悠(シャオユウ)の手首を離し、アキトの方へと駆け出した。もちろん、そんなことをしたところで何の助けにもならないことは百も承知だが、それでもジッとしてはいられない。理性ではなく、感情の問題だ。
 そのとき、小悠(シャオユウ)はハッとし、表情を翳らせた。幼い頃の記憶――いや、そのさらなる奥底に沈めたはずの光景がフラッシュバックする。自分を見捨てて出て行った母親――焦燥と絶望が苦しいほど胸を締め付けた。
「“――行かないで”」
「きゃっ!」
 突然、自分の身体が反対方向へグンと引っ張られ、薫は悲鳴を上げた。今度は逆に小悠(シャオユウ)が、ぎゅっと薫の手首を離すまいと握る。
「ゆ、ユウくん……?」
 足下を見ると、薫は地面から数センチの高さに浮いていた。小悠(シャオユウ)の念動力(サイコキネシス)によるものだ。これでは少年から離れることも出来ない。
「“おねえちゃんは僕と一緒だよ。――耀文(ヤオウェン)!”」
 小悠(シャオユウ)は薫をつかんだのとは反対の手を耀文(ヤオウェン)に伸ばした。アキトに痛めつけられた耀文(ヤオウェン)は、力を振り絞って這いずる。
「“明邦(ミンバン)と手を繋いだら、僕の手を握って!”」
 耀文(ヤオウェン)は言われた通りにした。これで人狼の少年たち三人と薫が横一列に繋がったことになる。
 すると彼ら全員の身体が小悠(シャオユウ)の光の膜によって包まれ、ふわりと空中に浮かび上がった。
「か、薫――!?」
 アキトへの制裁がようやく中断され、安堵したのも束の間、今度はクラスメイトが連れて行かれそうになり、つかさは強張った表情で、徐々に地面から離れて行く四人の姿を見上げた。
 小悠(シャオユウ)によって何処かへ拉致されようとする薫の顔には、怯えと戸惑いの感情が入り乱れる。
「ユウくん、下ろして!」
 薫は年下の少年に懇願したが、それは聞き入れてもらえなかった。日本語が通じなかったことよりも、小悠(シャオユウ)の強い意志によるものに違いない。
「薫ーッ!」
「つかさぁ!」
 届かないとは分かっていても、薫はつかさに向かって手を伸ばさずにはいられなかった。
 そうこうしているうちに、小悠(シャオユウ)たちの上昇は次第にスピードを上げながら、急に北東の方角へと進路を変え、そのまま何処ぞの彼方へ飛び去ってしまった。


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