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WILD BLOOD

第20話 香港人狼少年団

−19−

「アキトのお兄さん……!」
「な、なぜ、兄貴がここへ!?」
 誰も予期しなかった影人の登場に、つかさとアキトは唖然としてしまった。それ以上の言葉が出て来ない。ミサだけが静かに油断のない目を向けていた。
「ん? ここは確か生物室のはずじゃなかったっけ? 最近の生物室はこんな感じなのかな?」
 “黒研”の部室をぐるっと見回し、影人はとぼけたことを言った。
 すると、何処からともなく白い靄のようなものが出現し、影人の身体にまとわりついた。ゆっくりと周回するような動きから、まるで恨みがましい幽霊が憑りつこうとしているかに見える。
 不可思議な現象を前にしても影人は動じなかった。おもむろに天井に向けて右腕を上げたかと思うと、それを手刀のように素早く振り下ろす。
 シュッ!
 白い靄は影人の右手によって両断された。渦を巻くような動きが阻害されただけでなく、なぜかそのまま跡形もなく霧散してしまう。
 一瞬、ミサの動きが固まった。手の平に掻いた汗を誰にも悟られないよう隠す。
 影人は初対面である女子生徒の警戒心を解こうと、柔和な笑みを浮かべた。
「突然、訪ねて来てすみません。僕は仙月影人。アキトの兄です。よろしく」
 握手をしようと、影人は右手ではなく左手を差し出した。ミサはしばらく、その手をジッと見つめてから、握手はせずに影人へ顔を向ける。
「黒井ミサ……」
 いつも通り、ミサの挨拶には味も素っ気もない。
 そこまでのやり取りが終わってから、ようやくつかさたちは普通に動けるようになった。
「急に学校へ来るなんて、どういう風の吹き回しなんだよ?」
 アキトが兄を睨みながら尋ねた。影人は肩をすくめる。
「お前がどんな風に勉強しているのか、一応、保護者として把握しておこうかと。自主的な授業参観、とでも言うべきかな?」
 もちろん、アキトはそんな戯言を本気になどしなかった。
「つまんねえ冗談を聞いている暇はねえんだよ。このタイミングで現れたんだ。どうせ、そっち絡みなんだろ?」
「正解。話が早くて助かる。――あっ、そうだ」
 影人は思い出したようにポケットを探った。一枚の名刺を取り出すと、それをミサに差し出す。
「S区役所福祉保健部地域福祉課の者です」
「S区役所? ……全然、管轄が違うみたいですけど……?」
 ミサはまったく表情を動かさず、当然の疑問を口にする。
「ああ、今日は部外の応援でして。実は中国人の少年たちを捜しているんですよ」
「その少年たちが何か?」
「彼らは不法滞在――いや、それ以前に密入国ですね」
「み、密入国!?」
 話を聞いていたつかさが、思わず声を上げた。だから、ユウ少年――孫小悠(スン・シャオユウ)の捜索を警察任せに出来なかったのか、とようやく合点がいく。
「それで捜している少年たちがこの学校で見かけられたという情報があったので、こうして確認しに来たんですよ。偶然、弟の通う学校だったのは驚きですが」
 嘘だ、とつかさは思った。第一、こんなに早く連絡が行くとは思えない。それに広東語を話す部外者を見かけたからと言って、それが密入国の少年たちだと、どうして断じることが出来るだろう。
 つかさはアキトのマンションで初めて会ったときから、この影人という男のつかみどころのない恐ろしさみたいなものを感じていた。発する言葉をそのままでは受け取れない。このような不信感を他人に持つことは、つかさにして珍しかった。
「一足遅かったな。ヤツらなら、とっくに逃げちまったぜ」
 アキトは顔を背けながら影人に教えた。あまりボロボロになった姿を見られたくないらしい。
「行き先は新宿……さっきまで、そんな話をしてたようだけど、どうしてまた、そこだと?」
「……占いよ」
「占い?」
「そう」
 ミサは手元のタロットカードを影人に見せた。その中から“塔(タワー)”のカードを一枚抜き取る。
「へえ、タロット占いが得意なんだね」
「タロットだけじゃないわ……他にも色々と……」
 言われなくても、それらしきことは“黒研”の部室を眺めるだけでも分かる。
「まあ、にわかには信用できないだろうけどよ」
 信じようとしまいと、どっちでも構わないといった感じでアキトが言う。すると影人は微笑んだ。
「ニセモノの占いは信じないが、本物は信じるとも。――えーと、黒井さん、だったよね? 今後も協力を頼みたいときは連絡したいんだけど。もちろん、報酬は弾ませてもらうよ。どうだろう、連絡先を教えてくれないかな?」
「……ええ、構わないわ。メアドだけでいいかしら?」
 意外にあっさりとミサは首肯した。影人はニンマリする。
「ありがとう。名刺にあるメールアドレスに一度送ってもらえればいいよ」
 交渉成立。何だかアキトは、自分が蚊帳の外に置かれたようで面白くなかった。
「――兄貴、あいつらを見つけて、どうするつもりだよ?」
「もちろん、彼らを保護して、然るべきところへ引き渡すとも。それが今回の仕事だから」
「ふーん。けど、こっちもヤツらには借りがあるんだ。あとは任せた、と簡単にバトンを渡すわけにはいかねえな」
「そ、それに……薫が彼らに連れ去られたからには、何としても助けないと!」
 つかさは一刻も早くミサのタロット占いが示した地――新宿へ向かいたかった。
「えっ? 薫って……あのとき、武藤くんと一緒に遊びに来た娘のことかい?」
「ええ……」
 初耳の影人に尋ねられ、つかさは正直に答えた。この際、アキトの兄に抱いている畏怖については置いておく。
「ちょっと詳しく話してくれないか」
 つかさはこれまでの経緯を影人に語った。自分が知っている範囲のすべてを。
「ふむ……」
 話を聞き終えた影人は考え込んだ。明邦(ミンバン)や小悠(シャオユウ)のことだけでなく、連れ去られた薫の保護を優先するなら、様々なことを考慮しなくてはならない。
「なるほど……となれば、彼らの潜伏先はホテルなどの宿泊施設じゃないな」
「何でそんなことが分かるんだよ?」
 兄の言葉にアキトは疑念を持った。
「いくら新宿でも、ホテルにセーラー服の女子高生なんかを連れ込んだら目立つだろ? おそらく、他に潜伏場所があるんだ。ひょっとすると、こっちに仲間がいる可能性もあるな」
 つかさは狼男である大神の顔が思い浮かんだ。影人にも大神のことは話してあるので、同じようなことを考えているかもしれない。
「――とにかく、そちらも僕が何とかしよう」
 あっさりした影人の言葉に、アキトはカッとなった。勢いで椅子を倒しそうになりながら立ち上がる。
「何とかって――それまで大人しく待ってろって言うのかよ!?」
「そうだ」
「ふざけるな! 横からしゃしゃり出て来やがったクセに!」
「言っておくが、彼らを捜していたのはこちらが先だ。そっちこそ、素人が嘴(くちばし)を挟むな」
「んだとぉ!?」
 アキトは今にも殴りかかりそうだった。
 ところが、その動きが一瞬にして止まる。影人の視線に射竦められたからだ。
 つかさは気づいた。わずかに発せられた影人の殺気を。アキトはそれに呑まれたのだ。
 多分、明邦(ミンバン)ら強敵たちと闘っても感じなかったものだろう。こんなアキトを見るのは、つかさも初めてだった。
「――くっ!」
 言い返すことが出来ず、アキトは再び座った。悔しげに歯軋りする。兄に黙らされたことが屈辱に思えたのだろう。
 何事もなかったみたいに、影人は元通り、表の顔に戻っていた。
「そう腐るなって。責任を持って、あの娘のことは助けるから。約束するよ」
 兄らしく弟を慰めると、影人は踵を返した。つかさたちは黙ってそれを見送る。
 ところが、出口の手前で影人は振り返った。
「アキト。くれぐれも変な気を起こすなよ。いいな?」
 最後の念押しをしてから影人は立ち去った。しばらく、三人は押し黙る。
 その沈黙を最初に破ったのはつかさだった。
「ねえ……アキトのお兄さんに任せて、大丈夫なのかな?」
 本当はそんなことを言うつもりではなかった。影人なら薫の救出など造作もないだろう、との確信がある。それよりもつかさが言いたかったのは不甲斐ない自分たちのことだ。
「……オレは行くぜ、新宿へ」
 アキトの目に燃えるような火が灯っていた。影人に臆したままではいられないという、生来の負けん気の強さが出ている。それでこそ仙月アキトだ、とつかさは思った。
「兄貴の野郎がどう言おうと関係ねえ。こいつはオレのケンカだ。このまま、おめおめと引き下がれるかってんだ!」
 立ち上がったアキトはパシンと右拳を左の手の平に叩きつけた。もう負けるつもりはない。人狼の少年たちにも、兄の影人にも。
「ボクも行くよ」
 つかさが同行を願い出た。アキトは一瞬、躊躇する。
 それを制するように、つかさは一歩、前に進み出た。
「薫のことは、ボクにだって責任があるんだ。アキトだけを行かせはしないから。それに彼らが相手なら、ボクも闘える」
 人間相手に拳を振るうことの出来ないつかさだが、アキトのような吸血鬼<ヴァンパイア>や彼ら狼男ならば話は別だ。
 アキトはつかさが見せる強い決意に、これ以上は何も言う必要はないと思った。
「……じゃあ、私も少し手伝うわ」
 ミサが協力を申し出た。思いがけないことに二人は驚く。
「お、お前も新宿へ一緒に行くつもりかよ?」
「いいえ。そんなことをしなくても、私なりのやり方で、あなたたちのサポートくらい出来るから」
「あ、そ」
 何だかよく分からないが、“琳昭館高校の魔女”の助力を得られるなら心強い。
「その前にアキト」
「ん?」
「着替えをどうにかした方がいいかも」
 小悠(シャオユウ)の念動力(サイコキネシス)で校舎に埋め込まれそうになったアキトは着ていた制服がボロボロになっており、まるでコントなどに登場する爆発に巻き込まれた人みたいだ。これで街中を徘徊しては目立ってしまう。
「そうだな。一度帰って、着替えてから行くか」
「うん。ボクもそうする。制服じゃ、職質とかされたら困るし。じゃあ、新宿駅で待ち合わせしようよ」
「了解。――ついでだから、もう一人、助っ人を呼んでおこう」
「助っ人?」
「ああ。あいつの手をあまり借りたくはねえが、新宿でヤツらの居所を捜すんだ。人手はあった方がいいに決まっているからな」
 そう言ってスマホを取り出したアキトは、ニヤリと笑った。


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