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「ごめんなさい。あなたまで巻き込んでしまって」
目の前にいる自分と同じくらいの少女に謝られ、薫は困惑した。なぜ自分がここにいるのか、頭では理解しているが不思議でならない。
ここは新宿歌舞伎町にある小さなバーの店内だ。確か、地下へ下りる階段のところには『Bar GLAY』とあったはずである。店内は十人も座れば満席になってしまいそうな狭さで、薫には分からない銘柄の酒瓶が棚にびっしりと並んでいた。
「私は銀麗(インリィ)。発音が難しいようなら、日本風に『銀麗(ぎんれい)』と呼んでもらって構いません。よろしくお願いします」
「銀麗(ぎんれい)……あっ、私は忍足薫です。どうも初めまして」
挨拶として適当なのか分からないまま、薫も名乗った。何しろ、形としては、薫は誘拐された身なのだ。
多分、ユウ少年の力によるものなのだろう。四人で横一列に繋がったまま空を飛び、学校からここまで、約一時間かけて移動した。自転車を使うのと同じくらいの移動時間になる。普通に交通機関を利用すれば、もっと時間を短縮できたはずだ。
“超能力”という言葉が、薫にすべての事柄を説明付ける。もちろん、生まれて初めての体験だが、その前にアキトが見えない力のようなもので痛めつけられているのを見ていたので、自然とそう受け入れている自分がおり、違和感もなかった。
この近くに辿り着いた途端――よく誰にも見つからず、騒ぎにもならなかったものだ――、ユウ少年は苦しそうに呻いて倒れてしまった。薫が身を案じ、どうしたらいいかオロオロしていると、そこに現れたのが銀麗(インリィ)たちだ。
いつの間にかユウ少年の仲間の一人――耀文(ヤオウェン)が彼女と双子と思しき少年たちを呼びに行っていたらしい。それぞれがおんぶをしたり、肩を貸したりして、ユウ少年ともう一人の少年――明邦(ミンバン)をこの店まで運んだ。
薫はその場でこっそり別れてもよかったのだが、どうしてもユウ少年のことが心配で、そのまま銀麗(インリィ)たちに付き添う形になった。今は奥で、アキトとの闘いで傷ついた少年たちが休んでいる。
ちなみに双子は、ずっと店の入口を挟んで、門兵のように立っていた。日本語が分からないからだろう、こちらの会話に加わるつもりもないらしい。
「あの……」
「ん?」
「ユウくん――いえ、あの子は大丈夫なんですか?」
倒れた男の子を気遣い、薫はおずおずと銀麗(インリィ)に尋ねた。自分と同い年くらいなのに綺麗な女性だな、と思う。しかも羨ましいくらい小顔だ。
銀麗(インリィ)が気後れしているような薫に微笑む。それも仕方ないだろう、と銀麗(インリィ)は思っていた。初対面の人間を前にするだけでなく、足を踏み入れたこともない怪しい雰囲気の漂う大人の店にいるのだから。居心地の悪さみたいなものは否めまい。
「小悠(シャオユウ)のこと? 心配はいりません。かなり力を使ったようなので、ちょっと疲れが出ただけです。休んでいれば大丈夫でしょう」
銀麗(インリィ)は日本語を喋れたが、薫の耳は少しイントネーションに違和感を覚える。
「えーと……日本の方じゃないんですよね?」
明らかに日本人の名前ではないし、失礼かとも思ったが、薫はハッキリさせておこうと考えた。銀麗(インリィ)はうなずく。
「はい。私たちは香港(ホンコン)から来ました」
「香港……やっぱり、中国人なんですね」
少女の見かけは、まったく日本人としか思えない。それに比べると他の少年たちは、言葉は当然のことながら、どことなく中国人だろうという気がしていた。
すると、銀麗(インリィ)の表情がやや沈んだ。
「中国人……そう呼ぶのは、確かに間違いではありません。でも、私たちは自分のことを『中国人』とは言わず、『香港人』と呼びます」
「ご、ごめんなさい……!」
自分が迂闊なことを口走ったと、薫は気づいた。すぐに謝罪する。
「いえ、謝らなくても大丈夫です。カオルさんたち日本人から見たら、香港に住んでいる私たちは中国人でしょうから」
気分を害したような感じはなかったが、薫は銀麗(インリィ)に申し訳なく思う。香港は長らく英国(イギリス)の植民地であったし、その後も特別行政区として中国本土とは一線を画してきた。自分たちは中国人ではなく、香港人だとのメンタリティが強いのだろう。
「ところで、銀麗(ぎんれい)さんは何処で日本語を?」
「私の死んだ母は日本人でした。ですので、普段、仲間たちと話すときは広東語ですが、日本語も日常会話くらいなら話せます」
「道理で。――それにしても、どうしてこんなお店に? 泊まるんだったら、ホテルか簡易宿泊所の方が良くありません?」
本来、酒を楽しむための店であるバーに未成年ばかりが集っているのは、とても奇妙に思えた。不良少年たちがたむろしているわけではないだろうし。薫は素直に思った疑問を口にする。
銀麗(インリィ)は少し言い辛そうだった。
「……私たちはお金を持っていませんし、何よりパスポートもありません」
「えっ!? パスポートも!?」
不法滞在する外国人の話はよく聞くが、不法入国した外国人には初めてお目にかかった。思わず薫は、ギョッとしてしまう。
何となく銀麗(インリィ)もバツが悪そうだった。
「はい……詳しくは話せませんが、私たちは身の危険を感じて、急遽、香港から逃げなくてはならなかったんです」
「み、身の危険って……」
「ごめんなさい。これ以上は……」
「じゃあ、この店は……?」
「ここへ来たのは、私たちを面倒見てくれていた人からの指示で。私もよくは知りませんが、この店のマスターが古い知り合いだったようです」
「へえ。で、そのマスターさんは?」
「昼間は自宅にいて、夜になるとここへ」
「あっ、ここはバーだもんね。昼夜逆転生活が当たり前か」
「さすがに私たちがいるので、夜もお店の営業は出来ませんけど」
「それもそっか。――けど、ベッドもないんじゃ、大変でしょ?」
「確かにリラックスして休むのは難しいですが、それでも身を隠すことが出来ますし、食事にも不自由しません。それに――」
「それに?」
「もう一人、一緒に日本へ来て、はぐれてしまった仲間がいるんです。彼が合流してくれるのをここで待たないと」
「ふーん、色々と複雑な事情があるんですね」
どうやら銀麗(インリィ)たちは何者かによって狙われ、香港から逃げているらしい。だからこんなところで身を隠すような生活をしているのだ。
薫は彼女たちを不憫に思った。力を貸してやりたいところだが、どうすればいいのか見当もつかない。
「ところで、あなたはどうして明邦(ミンバン)や小悠(シャオユウ)と一緒に? 何があったのか、よかったら教えてもらえませんか?」
今度は銀麗(インリィ)が薫に尋ねる番だった。
「うん、分かった。えーとね――」
そもそもの事の始まり――雨の中、行き倒れになっていたユウ少年を助けたところから、順序立てて薫は話した。日本語での説明だったが、銀麗(インリィ)にはちゃんと理解できたらしい。言葉の意味などに関しての質問は一切なかった。
ユウ少年によってここまで連れて来られたことを話し終えると、銀麗(インリィ)はとても申し訳なさそうな顔をした。
「すみません。小悠(シャオユウ)のせいで、あなたを巻き込んでしまって」
銀麗(インリィ)は深々とお辞儀をして謝った。薫は慌ててしまう。
「いやいや、そんな! そこまで謝られることじゃ! ……まあ、確かに驚きはしたけれど」
飛行機で旅行した経験はあるが、さすがに生身での空中散歩は初体験だ。高い所は割と平気な薫でも、支えとなっていたのが少年と繋いだ手だけだったので、落ちてしまわないかとスリル満点だった。
「それにあなたの御友人を……」
「ああ……あれはあいつにも非があるわけだし……どっちもどっちって言うか……でも……無事かな、あいつ……?」
小悠(シャオユウ)の念動力(サイコキネシス)によって、校舎の外壁に埋め込まれそうになっていたアキトのことを思い出し、ふと薫の表情が翳った。アキトの正体を吸血鬼<ヴァンパイア>だと知らない薫は、大事に至っていないだろうか、と心配する。
「ご心配でしょうね……本当にごめんなさい」
仲間たちに代わって、もう一度、銀麗(インリィ)は謝罪した。またまた、薫は両手を振るようにして、銀麗(インリィ)に気を遣わせないようにする。
「ほ、ホント! ホントにいいから、あんなヤツのことは! どうせ、殺したって死なないようなヤツなんだから!」
「カオルさん……あなたは、その人のことを――」
薫は顔を真っ赤にさせた。
「ち、違うわよ! 別に、私はあいつのことなんて、ちっとも――」
銀麗(インリィ)が質問したかったのは、アキトが吸血鬼<ヴァンパイア>だと知っているのか、ということだったのだが、薫は完全に勘違いしていた。好意などない、と真っ向から否定する。
その反応から銀麗(インリィ)も、薫が吸血鬼<ヴァンパイア>に何もついて知らないと分かった。だったら、普通の女子高生である彼女をこれ以上、この件に巻き込むべきではない、とも――
「学校の方やご家族が心配しているかもしれません。私たちのことを秘密にしていただくのが条件ですが、もう帰っていただいても結構ですよ」
人狼と吸血鬼<ヴァンパイア>の争いに人間を関わらせるべきではないと考え、銀麗(インリィ)は帰宅を促した。ところが薫はかぶりを振る。
「気遣ってもらって有り難いんですけど……でも、このまま、あの子とお別れしたら、わだかまりを残したままになってしまいそうな気がするの。お別れするなら、お互い、もう少し納得してからの方がいいんじゃないかって」
「カオルさん……」
「ごめんなさい。銀麗(ぎんれい)たちにとっては迷惑だろうって分かってる。けれど、このままにしておけないから。ちゃんと話をしておきたいの」
「………」
「――とは言え、私も彼も言葉が通じない者同士だから、そのときはあなたに通訳を頼まないと、まともに会話も出来ないんだけど」
ペロッと舌を出し、薫はおどけた。
いい人だな、と銀麗(インリィ)は思った。小悠(シャオユウ)が彼女のことを気に入った理由が分かる気がする。ただし、誘拐のようなマネをしたのは褒められたことではないが。
このような隠遁生活の最中でなければ、国籍など関係なく、薫とは何でも気軽に話せる友人同士になれたかもしれない。そのような日常を銀麗(インリィ)は夢想した。
「分かりました。では、カオルさんの自由になさってください。小悠(シャオユウ)と会話をするなら、喜んで私が通訳になりますから」
「ありがとう」
薫は自分勝手な要望を聞き入れてくれた銀麗(インリィ)に感謝した。
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