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「ハァ、ハァ、ハァ……アキト! 大神くん!」
非常階段を駆け上り、やっとの思いで雑居ビルの屋上に辿り着いたつかさは、苦しそうに息を切らせながら、一刻も早く二人の争いを止めようとした。
ところが――
人狼に変身した状態の大神が口から泡を吹きながら倒れている。その背中の上で胡坐を掻きながら、アキトが「よお」とまるで何事もなかったかのように駆けつけたつかさを呑気に出迎えた。
残念ながら手遅れのようだった。やはりアキトと大神では勝負にもならなかったらしい。せっかく明日の筋肉痛を覚悟で登って来たのに、つかさはここまでの自分の労苦が虚しく思えてしまう。
「まったく……まずは話し合いでって言ったのに……」
「そんなもん、クソ喰らえだ」
「アキトは大神くんを無碍に扱い過ぎだよ」
「しょうがねえだろ。こいつが弱過ぎるんだから」
「暴力で他人を従わせようとしたって、本当の味方にはなってくれないよ。それが分からないの、アキト?」
「ふん」
アキトはへそを曲げて、よっこらせと立ち上がった。
やがて気絶していた大神が意識を取り戻す。そのときはもう人狼から、普段の見慣れた人間の姿に戻っていた。
「うっ、うううっ……」
「さあ、ヤツらの居所を喋ってもらおうか」
気がついた大神の脇腹をアキトは軽く爪先でつついた。もちろん、逃亡を図ったり、黙秘をするつもりなら、さらに痛めつける気満々だ。
「アキト」
自分の見ている前で大神への虐待を認めるつもりのないつかさは、ピリピリしたアキトを制そうとする。こちらの事情を話せば、きっと大神にも分かってもらえるはずだ、と。
本気で怒っているようなつかさの目を見たアキトは、諦めて嘆息した。つかさに逆らってまで無抵抗な大神に暴力を振るうつもりはない。
「ほら、早く教えろよ。そうすりゃ、もう何もしねえから」
「や……ヤダ……」
「何ィ!?」
「絶対……兄貴には喋らない……」
予想だにしなかった大神の反抗に、思わずアキトはカッとなった。痛めつけた背中を踏みつけようとする。
「やめなってば、アキト!」
すかさず、つかさが止めに入った。
「チッ!」
舌打ちしたアキトは大神から離れた。側にいると、つい力に訴えたくなってしまう。ここはつかさに任せることにした。
「――ねえ、大神くん。ボクからもお願いするよ。薫の居所を知っていたら教えて欲しいんだ」
つかさは大神に頭を下げた。大神は顔を背ける。
「……悪いけど、それは出来ない」
「んだとぉ、コラァ――!」
黙っていられる性分でないアキトが声を荒げた。「アキト!」と、つかさが遮るように気の短い吸血鬼<ヴァンパイア>を静かにさせる。アキトはむくれたが、それでも一応は口を噤んだ。
「大神くん、どうしてダメなの? ボクらは薫を無事に連れ帰りたいだけなんだ」
つかさは根気よく説得するつもりだった。大神が心を開くまで。
やっとのことで痛めつけられた身体を起こした大神は、屋上に座り込んだ格好で目を伏せながら、しばらく黙り込んだ。つかさは大神が口を開いてくれるのを辛抱強く待つ。
そのうち沈黙に耐えられなくなったか、大神が喋り始めた。
「銀麗(ぎんれい)――いや、彼らは身を隠さなくちゃいけない事情があるんだ。だから彼らの身の安全を守るためにも隠れ家になっている場所を教えるわけにはいかない。悪いけど、武藤くんにもね」
「事情って、どんな事情なの?」
「そ、それは……」
つかさに尋ねられたが、大神は言葉に詰まった。
なぜ彼らが住んでいた香港(ホンコン)から日本へ来て、あんな狭い店の中でジッと息を潜めているのか、実のところ、詳しくは大神も聞かされていない。銀麗(インリィ)からも、叔父であるノブからさえも。
多分、この件に関して大神を巻き込まないようにとの配慮からだろう。同じ人狼ではあるものの、大神は平和な日本の高校に通うただの学生だ。その日常を奪うのは忍びないと気遣われたに違いない。
大神としては、同族であるにもかかわらず、自分一人が蚊帳の外に置かれたことを寂しく思っていた。
確かに、大神には他の者たちのような特殊な能力などはない。トラブルに巻き込まれても足を引っ張るだけだ。そのことは誰よりも本人が一番、痛感している。実際、アキトとの再戦もほぼ瞬殺されてしまった。
ひょっとすると、そういったことがアキトへの反抗として表面化しているのかも知れない。何も出来ない自分自身への苛立ちとして。
「何が『身を隠さなくちゃいけない事情』だよ!? 昨日も今日も、わざわざ学校まで出向いて来たじゃねえか! 言ってることとやってることが違うだろ! ふざけんな!」
またしても堪え切れず、アキトが横から口を挟んで大神に反論する。
「あっ、あれは彼らのはぐれた仲間を捜すためであって、どうしても必要なことだったんだ! 出来れば、彼らだって無用な波風なんか立てたくないはず!」
「おいおい、そいつを信じろってのか? だったら、なぜ薫をさらった? 普通、そういうのを誘拐って言わねえか!?」
「そっ、それは……オレにも分かりません……」
その点は大神にとっても痛いところだった。説明に窮す。
「誘拐は立派な犯罪だろ? そういうヤツらを仲間と呼んでかばおうとする、てめえの了見が疑わしいな!」
「待ってよ、アキト」
「何だ、つかさ? お前はヤツらを許せるってのか!?」
「そうじゃないけど、何でも争いだけで物事は解決しないってことだよ」
どっちの味方なんだ、とアキトは気分がささくれ立つ。
「如何にもつかさらしい発言だが、現実問題、先に有無を言わさず薫を連れ去った連中に話し合いなんて通じるのかね?」
「じゃあさ、こういうのはどう? 大神くんに薫を連れて来てもらうってのは?」
「えっ……?」
つかさの提案に、聞いていた大神は思考がフリーズしそうになった。
仰天したのはアキトも同じだ。
「ほ、本気かよ、つかさ!?」
「うん。だって、どうしても大神くんが隠れ家を秘密にしておきたいなら、それしかないでしょ? それに大神くんの言葉なら、あの人たちも耳を貸してくれるかもしれないし」
「こ、こいつを信用するつもりか……?」
「信用するよ。友達だもん」
つかさは大神に笑みを向けた。何の打算もない表情で。
「――ねえ、それなら出来る?」
「………」
――出来るだろうか。自分にそんなことが。
大神は自問した。つかさの言うように、その方法なら叔父の店を教えずに済む。
問題なのは彼らを説得できるかどうかだ。広東語が話せない大神としては、銀麗(インリィ)に通訳してもらいながら交渉するしか方法がない。
そもそも、なぜ薫をさらう必要があったのか、その理由も不明だ。大神自身、何も思い当たらない。
とはいえ、どのような理由があろうとも誘拐を正当化できるはずがなかった。それに大神のことを信用してくれる、つかさの思いにも応えるべきではないか――
大神の心は揺れ動いた。
「む、武藤くん。忍足さんは――」
出した答えを伝えようとした刹那――
まったく異質の気配に気づいた三人は空を見上げた。
「――ッ!?」
「なっ――!?」
「まさか――」
果たして何処から現れたのか、頭上から一匹の狼が降り立った。それも雪のように真っ白な毛並みをした狼が。
大きさもかなりのものだった。人間が背中に跨っても平然としていられそうだ。
白い狼はまるで大神を守るようにしながら、鋭い牙を剥き出しにして、つかさとアキトに向かって低く唸った。アキトが慌てて、つかさの盾となるべく前に立つ。
「こいつは……連中の仲間か……?」
香港から来た人狼たちは、まだ誰一人として変身した姿を見せていない。だが、大神を守るようにして登場したからには無関係とは思えなかった。
そもそも狼だ。間違いあるまい。
「アキト……」
「お前はオレの後ろに隠れてろ。危なくなったら逃げるんだ」
「そ、そんな……」
「オレの直感だが……こいつは相当ヤバそうだ」
狼男は総じて、人間の姿から人狼へと変身すると強さが数倍増す。しかし、今、アキトの目の前にいるのは人と狼の合いの子ではなく、四足歩行をする狼だ。このような変身を遂げる狼男のことなど聞いたこともない。
アキトのこめかみを冷や汗が伝った。
「ガァアアアアアッ!」
白い狼は身を低くし、飛びかかろうとした。狙いはアキトの喉笛か。噛みちぎられたら、さすがの吸血鬼<ヴァンパイア>も無事ではいられまい。とっさにアキトは左腕でガードした。
だが、それが誘いであろうとは――
狼は思ったよりも高く飛ばなかった。喉笛ではなく、がら空きになった鳩尾を狙っての突進。しまった、とアキトが己の迂闊さを呪ったときには、もう遅い。牙による攻撃ではなく、まるで頭突きを咬ますようにして、アキトを弾き飛ばした。
「うわぁぁぁぁぁっ!」
浮き上がったアキトの身体はビルの屋上から下の街路へと落ちた。つかさは慌てて屋上の柵に駆け寄る。
「アキトぉぉぉぉぉっ!」
無事を確認しようと思ったが、柵からビルの縁まで一メートル弱あり、そこから死角になった真下を覗き込むことは出来なかった。これではアキトの安否が分からない。
「なっ、何をする――!?」
声がして振り向くと、今度は大神が襟元の後ろを咥えられ、狼によって連れ去られようとしているところだった。
「お、大神くん……!」
普通の狼なら、到底、無理だろうが、アキトを突き落とした白い狼は軽々と大神を運ぶ。ビルからビルへ、さらに隣へと飛び移りながら見えなくなってしまった。
「そ、そんな……」
あっという間の出来事に、つかさは茫然とする。まるで悪い夢でも見ているかのようだ。
大神を連れ去った狼を追いかけるのは不可能だと判断し、転落したアキトの身を案じたつかさは地上へ下りることにした。「不死」の二文字を与えられた吸血鬼<ヴァンパイア>なら大丈夫だと思うが。
突然現れた、あの見事なくらい白い毛並みをした狼は何だったのか。そんな消せない疑問を持ちながら、つかさは非常階段を駆け下りた。
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