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WILD BLOOD

第20話 香港人狼少年団

−26−

「アキト……アキト……!」
「うっ……ううっ……」
「ねえ、アキトってば! 大丈夫!?」
「あっ……あぁ……あたたたたたっ!」
 顔をしかめながら、アキトは起き上がろうとした。間近には心配そうに覗き込むつかさの顔がある。すぐには思考が明瞭にならず、自分の身に起きた状況を今ひとつ把握できなかった。どうやら、つかさに揺すられるまで気絶していたようだ。
「あ、あれ……? オレはいったい……?」
 アキトは仰向けの状態で路上に倒れていた。身体の下には粉々になった発泡スチロールの残骸が。飲食店などへの配送に使われる食材の梱包用だろう。中身は空だから廃棄するつもりで外へ出していたのかもしれない。
 いきなり現れた白い狼によって、九階建ての雑居ビル屋上から突き落とされたことをアキトは思い出す。吸血鬼<ヴァンパイア>という鋼の肉体と、たまたま路上脇に積まれていた発泡スチロールの箱がなければ、どうなっていたことか。
 どうやら命拾い出来たらしい、とアキトは己の悪運の強さを感じずにはいられない。とはいえ、悠長に寝そべっている場合ではなかった。
「――そうだ! ヤツは!?」
 転落した経緯が脳内でダイジェスト映像となって甦り、アキトはガバッと起き上がった。背中が痛むが、つかさの前なので痩せ我慢をする。
「それって大神くんのこと? それとも、あの狼?」
 ひとまず元気そうなアキトの様子を見て、とりあえず、つかさは胸を撫で下ろしたようだった。
「どっちもに決まってんだろ!」
 まんまとしてやられたアキトは語気を強めた。
「大神くんは連れて行かれたよ。狼に咥えられて」
「な、何ぃ……お、狼に食われちまったのか!?」
 勘違いしたアキトが目を丸くした。つかさは首を振って言い直す。
「じゃなくて、親ネコが子ネコを運ぶときみたいにさ、首根っこを咥えるようにして、ビルからビルへ、ぴょんぴょんと」
「てことは、ヤツらの行方は……」
「これでまた振り出しに戻ったみたい」
 お手上げ、といった感じで、つかさは深々と嘆息した。
 まさか大神を助けに、あんな狼が乱入して来るとは。あまりにも簡単に大神を捕まえられたので、アキトもすっかり油断してしまった。想定外のことだったとはいえ、思わぬ不覚を取ってしまったことに奥歯を噛む。
「でも、こうしてアキトが無事でいてくれて良かったよ。屋上から落ちたときは、こっちの心臓が止まるかと思ったもの」
 そう言って、つかさは右手を差し伸べた。アキトがそれを掴んで立ち上がる。
「この発泡スチロールがクッションの役目を果たしてくれたようで助かったぜ。さすがのオレでも、あの高さから落ちたんじゃ、すぐにはこうやって立ち上がれなかっただろうし」
 もうひとつ二人にとってラッキーだったのは、転落したときにたまたま通行人がおらず、それを目撃されなかったことだろう。でなければ今頃、救急車や警察が呼ばれて、面倒なことになっていた可能性が高い。
 痛む背中をさすりながら、アキトは自分が落ちてきたビルを見上げた。この高さからか、と改めてゾッとする。
「あーっ! いたぁ!」
 そこへゴスロリ衣裳の少女が駆けつけた。アキトの妹、美夜だ。
 美夜は突っ立っていたアキトを乱暴に押しのけ、つかさに抱きついた。
「もおっ! 何で美夜のこと待っててくれなかったの!?」
「ご、ごめん、美夜ちゃん……こっちも急用だったものだから」
 ロリータ美少女に身体を密着され、つかさは恥ずかしそうに顔を赤くした。
 一方、邪魔者扱いで突き飛ばされたアキトは、まだダメージが残っている影響もあってかよろめいてしまい、倒れそうになったところを辛うじて店の壁に寄りかかることで堪えた。いささか無様な格好だ。
「みっ……美夜ぁ! てめえ!」
「あぁ、兄貴いたんだ」
 今になって気がついた、という風に美夜は振り向いた。どうやら、まるで視界に入っていなかったらしい。
 アキトはまったく悪びれていない妹に対してゲンコツを振るいたくなる。
「ま、まあまあ……とにかく無事に合流できて何よりだよ」
 つかさはなるべく穏便に兄妹の諍いを治めようとした。そんなことをしている場合ではないのだ。
「何かあったの?」
「うん。実はね――」
 待ち合わせ中にミサの使い魔と思われるカラスが現れたところから、つかさはこれまでのことを美夜に話して聞かせた。
 それを聞いている間、美夜は無意識にお団子頭に刺した髪飾りを触る。コウモリをモチーフにしたようなかんざしのようだ。
「ふーん……白い狼、ねえ……」
 話を聞き終えた美夜は考え込むように呟いた。そんな人狼が存在するとは、見たことも聞いたこともない。
「それより、これからどうする? せっかくの手掛かりには逃げられちまったし」
 頭を掻きむしりながら、アキトが不機嫌そうに言った。確かに、大神に逃げられてしまったのは痛手だ。もう少しで薫の居場所が分かったかもしれないのに。
「どうにかして隠れ家を見つけないと……」
 つかさも呟いてはみたが、具体的な方策については何も思いつかない。
「ねえ、そのお兄ちゃんたちの同級生、どっちに向かって歩いてた?」
 美夜が尋ねた。
「えっ? 大神くんのこと?」
「うん」
「それはあっちの方へ……」
 つかさは歌舞伎町方面を指した。
「だったら、向かっていた先にあるんじゃないの? その隠れ家」
「あ」
 美夜の指摘につかさはハッとした。
 大神が新宿に現れたのは、彼らと合流しようとしていたからに違いない。つまり大神が歩いて向かっていた方向にこそ、薫が連れ込まれた彼らの隠れ家があると考えられる。
「きっとそうだ! そっちを捜してみよう!」
「あの野郎が何処まで行くつもりだったかは分かんねえけどな」
「それでも、この広い新宿の街を闇雲に捜すよりは百倍いいよ」
 冴えない顔をするアキトに、つかさはニコニコしながら言う。希望が持ててきたらしい。
「じゃあ、あいつを見つけた道に戻って、その先へ行ってみようぜ」
 三人はうなずき合うと、捜索活動を再開させた。



「うわぁぁぁっ……!」
 襟元を咥えられるようにして白い狼に運ばれた大神は、違うビルの屋上でようやく解放されると、どうやって逃げ出そうかと考えた。
 大神にとっても、この狼の登場は青天の霹靂も同様。アキトだけでなく、自分まで何かされるのではないか、と肝を冷やした。
 ところが、怯える大神を前にしても、狼は何もしなかった。それを見て、大神は逃げるのを思い留まる。
 すると、白い毛並みをした狼は大神の目の前で姿を変えた。人間の姿へと。その変化に大神は固唾を呑む。
 十秒ほどで狼は真っ裸の少年になった。年齢は大神と同じか、少し上くらい。獰猛さを顕わにした狼のときとは違い、人懐っこい目を向けてくる。しかも白髪ではなく、なぜか髪の色は黒に変わっていた。
「ごめん、驚かせてしまって。それに、こんな恥ずかしい格好で申し訳ない」
 ややイントネーションのおかしい日本語だった。すぐに大神が連想したのは銀麗(インリィ)の顔だ。見た目は日本人のように思えたが、どうやら違うらしい。
「あの姿になると、いつも着ているものが破けてしまうのが難点なんだ。だから、いつも着替えを持ち歩いていないといけなくて」
 全裸の少年は照れたように笑うと、空調の室外機の陰からボストンバックを引っ張り出した。中を開けて、着替えを手にする。こちらに背中を向ける格好で、まずパンツを穿き、ズボンを身につけた。
「助けるのが遅くなって悪かった。君たちを見かけたとき、すぐに助けようと思ったんだけど、着替えのバックを持ったままじゃ、登場しづらくて。ここに隠してから駆けつけることになってしまった」
 振り向いた少年の胸には大きな傷が横一直線に走っていた。鋭利な刃物で切り裂かれたような傷だ。
「た、助けるって……どうして、見ず知らずのオレを……?」
 大神の目は、どうしても少年の胸の傷に引き寄せられた。
「ああ。だって君はオレと同じ人狼族だろ?」
 そのこと自体に驚きはなかった。ただ、狼そのものへと変身できる人狼の存在を同族の大神ですら知らない。
 少年は訝る大神の心の内を見透かしたようだった。
「オレの変身は特殊なんだ。どうしてなのかは自分でも分からないけど」
「お蔭で助かりました……ありがとう……」
 そう礼を述べる大神の胸中は複雑だった。
 あの瞬間、この少年が現れなければ、大神は薫が拉致されているであろう叔父の店の所在地をつかさに教えていたはずだ。その機会を彼のせいで逸してしまったことになる。
 何処かホッとしている自分と、言い出せなかったことを悔やむ、もう一人の自分が存在していた。本当はどうすべきだったのか分からない。
「君を追い詰め、痛めつけていたのは、やはり吸血鬼<ヴァンパイア>かい?」
「えっ……? え、ええ……」
「だろうと思った。オレも日本に来て早々、もっと手強い吸血鬼<ヴァンパイア>とやり合ったけど、ほとんど歯が立たなかった……危うく死にかけたよ」
 そう言いながら少年は胸の傷を撫でた。多分、その吸血鬼<ヴァンパイア>にやられたときのものなのだろう。
「そのとき、海の藻屑になりかけたんだけど、運良く日本の漁師の人に助けられてね。何とか死なずに済んだよ。一昨日まで、まったく動くことも出来なかったけれど」
「やっぱり……あなたは神戸ではぐれたという、銀麗(ぎんれい)たちの仲間なんですね?」
「ん? ギンレイ……?」
「あっ……えーと……それは日本風の呼び方で……正しくは何だったかな?」
「もしかして……『銀麗(インリィ)』?」
「そ、そう! それです!」
 大神は手を叩くと、大きくうなずいて少年を指差す。
 少年も安堵の笑みを見せた。
「どうやら、こちらの見込みも間違いではなかったらしい。君が『Bar GLAY』のことを知っているんじゃないかって、そんな気がしたんだ」
「知っています! オレの叔父がやっている店です!」
 大神は勢い込んで言った。こんな偶然があるのか、と何となくモヤモヤしていた気持ちを一瞬忘れ、自然と喜びが込み上げる。
 少年は『大漁』と書かれたTシャツを着ると、その上からオレンジ色のウインドブレーカーを羽織った。着替えはすべて彼を助けた漁師とやらが用意してくれたものかも知れない。
「じゃあ、早速だけど、オレをその店に案内してくれないか?」
「もちろん。きっと、他のみんなも喜びますよ」
「うん。みんなには心配をかけてしまったけれど」
「――あ、そうだ。まだ名乗るのを忘れていましたね。オレは大神憲っていいます」
「オレは天麟(ティンリン)――周天麟(ショウ・ティンリン)だ。よろしく」


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