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吟遊詩人ウィル

闇の哀歌<エレジー>

11.愛憎の果て

 ウィルとエレナ。二人は対峙した。両者の姿が闇に包み隠されようとする。
「ブライル!」
 先に仕掛けたのはエレナだった。呪文とともに指先から迸るファイヤー・ボルト。母親であるヘレンと違い、エレナには炎に対するトラウマがない。ラミアとして白魔術<サモン・エレメンタル>に通じている以上、火炎魔法を操るのは造作もなかった。
 その攻撃に対し、ウィルは身をひねるようにして避けた。暗闇をほのかに照らした一条のファイヤー・ボルトは後方の地面に突き刺さる。それはすぐに消え、今度こそ周囲は闇の中に形を失うようにして溶けた。
 だが、夜目の利くウィルに暗闇は関係ない。昼間と同等とまではいかなくとも、辺りの様子を知るのに不自由はないはずであった。
 ところが、ウィルがきれいに一回転して再び相対そうとしたとき、エレナの姿は視界より忽然と消えていた。超感覚は背後に気配が忍び寄ったことを示す。感知したウィルが振り向くよりも早く、エレナから発せられる殺気が猛然と襲いかかった。
 そのとき、エレナは人間の可憐な娘から本来の姿である半人半蛇へと変じていた。青白い鱗を持ったヘビの尾をムチのようにしならせ、それをウィルへ見舞おうとする。それは常人がまともに喰らえば、全身の骨がバラバラになりかねない一撃であった。
 だが、ウィルは孤高の魔人。後ろを確かめるよりも先に身体が動いていた。前方に身を投げ出すようにして、エレナの攻撃をやり過ごす。唸りをあげた風圧がウィルの頭上をかすめた。避けられたエレナは忌々しげに舌打ちする。
「やるわね。さすがは私の母を斃しただけのことはある」
「このままだと、お前もその二の舞を踏むことになるぞ」
 まとわりついたマントをはねのけつつ、ウィルは言った。しかし、エレナはひるまない。
「私は母のようにはいかない。――テ・ロス!」
 エレナが呪文を唱えるや、ウィルの足下で二箇所、土が不自然に盛り上がった。その土は人間の手の形となって、驚くべきことにウィルの両足首をつかむ。
 それは地の下位精霊<ノーム>の力を用いた拘束の魔法だった。昨夜、エレナの使い魔である大蛇と戦ったとき、ウィルの動きを封じたものと同じだ。あのときもどこかに身を潜めていたエレナが術をかけたのに相違なかった。
 昨日はつかまれなかった方の足を使って、土くれの手を砕き、難を逃れることができた。だが、今回、エレナによって取られたのは両脚だ。元々は土にすぎなかったもののはずなのに、その力は想像以上に強いものであるため、否応なく下肢の自由を奪われ、ウィルの動きは完全に封じられてしまった。
 そこへすかさずエレナが攻める。
「これで終わりよ! 私の使い魔を屠ったのと同じ魔法で死ぬがいい! ――ヴィド・ブライム!」
 エレナの右手に赤々とした火球が膨れあがった。広域破壊魔法のファイヤー・ボールだ。この直撃を受けては、さすがのウィルもひとたまりもないはず。
 しかし、魔法を使えるのはエレナばかりではない。
「ラミーラ!」
 足を取られつつも、ウィルは対抗呪文を唱えた。美しき吟遊詩人の前に光の幕のようなものが出現する。その魔法にエレナは目を見開いて驚いた。
「バカな! 黒魔術<ダーク・ロアー>も操れるとは!」
 エレナの言うとおり、それは魔界の王に代価を支払うことによって得られる黒魔術<ダーク・ロアー>であった。その威力は白魔術<サモン・エレメンタル>をはるかに上回るとされているが、自らの命を切り刻むに等しい取得手段に忌避感を覚える者も少なくない。
 だが、この異邦人は魔導の追及のために禁忌すら厭わないのであった。だからこそ、彼は無敵であり、孤高を持する者なのだ。
 吟遊詩人ウィルは、その幽玄のごとき容姿も、超絶した強さも、すでに人にあらず。
 ウィルに向けて発射されたファイヤー・ボールは、光の幕に触れるや、まるで弾き返されるように術者であるエレナへと戻った。ウィルが唱えたのは魔法反射の呪文だったのだ。今度はエレナがファイヤー・ボールの脅威にさらされる。
 巨大な火の玉が眼前に迫るのをエレナは目を瞠りながら見つめた。危ないところで、ヘビの身体をくねらせ、それをかわす。跳ね返されたファイヤー・ボールは、村の者が全員、目を醒ますのではないかと思われるくらい大きな爆発音を発し、地面に荒涼としたクレーターを作り出した。
 その間にウィルは、腰から短剣<ショート・ソード>を抜いた。不思議なことに、その刀身は自ら光を放っている。昨夜と同じだ。破裂した炎とその光によって、夜の村は闇の中から浮かび上がった。
 思わぬ反撃を受けながらもかろうじて生き長らえたエレナは、ウィルの持つ魔法の短剣を見つめつつ、喘ぐように声を出した。
「そ、それは……伝説の《光の短剣》! なぜ、お前が!?」
 その問いに答えず、ウィルは《光の短剣》で両脚の戒めを易々と解いた。エレナには、すぐに術をかけなおそうとする気力さえ起きない。
「お前は……お前は一体、何者だ!?」
「オレの名はウィル。ただの吟遊詩人だ」
 黒衣の魔人の眼が貫くようにエレナを射抜いた。その視線にエレナはすくむ。ラミアという半人半蛇の怪物であるはずの自分が、たった一人の人間にこれほどの畏れを抱こうととは夢にも思わなかった。
 吟遊詩人のウィル。その名がずっと耳の奥で鳴り響く。エレナは頭を振って、消えかけていた闘争心を呼び覚ました。
「こんなもので! こんな、こんなもので! ――テ・ロス!」
 エレナは再び拘束の呪文を唱えた。地面より土くれの腕が次々と伸びる。今度はウィルの足だけでなく、全身を捉えようとした。
 ウィルは《光の短剣》を振るいつつ、後ろに飛び退いた。だが、大地の腕は切られても、あとから出ては襲いかかり、まったくキリがない。最後には、さすがのウィルも捉えられてしまった。
 何本もの腕はウィルの五体を封じ込んだ。さらに、エレナの思念によってそれらはひとつとなり、ウィルはまるで巨人の手に握りしめられたようになる。もちろん、身体が動かせない以上、《光の短剣》で窮地を脱することも不可能であった。
 それを見て、エレナは勝ち誇った。
「やったわ! やった! これでもうお前は逃げられない!」
「どうかな」
 肩から下をつかまれながらも、ウィルの眼は負けを認めてはいなかった。エレナは何か逆転の策があるのかと訝る。しかし、すぐにそんなものはない、あるはずがない、はったりにすぎないと自分に言い聞かせた。
「強がるのはおやめなさい!」
 エレナは右手を握るような仕種をわざわざ見せるようにしてみた。すると、ウィルをつかんだ手がその動きに合わせるように容赦なく力を込める。ウィルの身体に猛烈な力がかかった。
「――っ!」
「どう、このまま押し潰されるのは? さぞ、無念でしょう。それとも私が自ら絞め殺してあげた方がいいかしら」
 エレナはとぐろを巻いて見物を決め込むと、尻尾の先だけを楽しげに振った。
 巨大な手は徐々にウィルを押し潰した。ウィルは悲鳴こそあげないものの、その顔は苦痛に歪んでいる。青白い顔がさらに血の気を失ったように見えた。
「苦しいのなら悲鳴をあげたらどう? 吟遊詩人であるお前の美声をぜひとも聞いてみたいものだわ」
 哄笑しながらエレナは言った。
 すると――
「オレの歌声なら、今、聴いているだろう」
「なに?」
 その声は捉われた吟遊詩人のものではなかった。別のところからの同じもの。エレナはまるで誘われるように首を巡らせた。
 黒衣の吟遊詩人が最初からそこにいたという風に《銀の竪琴》を奏でていた。しかも、エレナのすぐ隣で。エレナは信じられぬという顔で首を戻す。そこにも巨人の手の中で事切れる寸前の吟遊詩人がいた。二人のウィル。
「あれは幻影に過ぎない」
 《銀の竪琴》を弾くウィルが悠然と言う。まるで夢の中で語りかけるように。
 すると、その言葉を裏付けるように巨人の手の中に捉われていたウィルの姿が霞のようにスッと消えた。エレナは我に返る。
「今のもお前が……?」
「そう。《魔奏曲》という。お前がファイヤー・ボールを避けたときから、オレはこの《幻影<ミラージュ>》を奏で、歌っていたのだ」
 エレナの頭から血の気が引いた。すべては幻。すべては錯覚。そんなものと戦って勝てるわけがない。まんまとウィルの魔力を持った演奏にしてやられたのだ。
 そして、演奏は終わりを告げた。止まっていた時が再び動き出す。
 まるで呪縛から解けたように、エレナは動いた。自らはジョエルのいる家へ。そして、幻をつかまされた巨人の手は、ウィルの本体へその鉄拳を見舞う。
 しかし、両者はあまりにも近かった。ウィルは巨大な拳を軽々とした身のこなしで躱すと、逃げようとするエレナへと躍りかかった。今度こそウィルの《光の短剣》が電光石火の速さで鞘走る。
 そのとき、その刃に切り裂かれたかのように月が雲の合間より出でて、飛翔する魔人を闇より浮かび上がらせた。その妖しくも耽美な姿に、誰もが怖気立つだろう。
(ジョエル……!)
 次の刹那、エレナは我知らずのうちに心の中でその名を叫んでいた。迫りくる聖なる短剣<ショート・ソード>。エレナはそれを為す術なく見つめ、美しき死の使いがもたらす最期を静かに甘受した。


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