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吟遊詩人ウィル

夢幻の狂死曲<ラプソディ>

3.眠れる乙女

 ミックに椅子を勧められ、ウィルとイミールは並ぶようにして座った。奥へと消えたミックがほどなくして戻ってくる。木製のトレイの上には、人数分の紅茶が用意されていた。
「マンセルで暮らしてからというもの、どうにもこれが病みつきになってしまって。昨日も村の者がクリピスの町まで行くと言うので、頼んで買ってきてもらうことにしたんですよ」
 淹れたての紅茶の香りを楽しみながら、ミックは喋った。するといつもご相伴にあずかっているイミールが割り込む。
「紅茶なんて、この村じゃ普通は飲めないですからね」
「おかげで出費は痛いがね」
 ミックは苦笑した。
 一同が紅茶を口にしたところで、ミックは改まった。
「ところで、この村のことをお聞きになりたいんでしたね?」
 ウィルは黙ってうなずいた。ミックは背もたれに体重をかけると、まるで何かを探すように辺りを見回す。どこから話していいものか考えあぐねているようだ。
「そうですね。大してお話しできることはないんですが、こうして薔薇の花が村を埋め尽くしたのは一週間ほど前のことです。それまで特に予兆らしきものはありませんでした。その日の朝、外へ出てみると、すでに薔薇の花が村を呑み込むように咲き乱れていた状態でして。しかも山頂の方には見たこともない宮殿のようなものが姿を現して、村の誰もが驚いたものです」
「あなたが調査に赴かれたとか」
「ええ、村の若者数名と。ですが、行く手には薔薇の花。それを掻き分けながらの前進で、とても苦労しました。ですが――これがどういうわけか、いくら歩いても宮殿の近くに行けないのです。目で見た感じでは、ほんの一刻もあれば着いてしまいそうなのに。半日ほど頑張りましたが、結局は体力的にもきつくなって、とうとう断念してしまいました。私は何かの魔法がかけられていると思うのですが、それが一体どういうものであるかまではさっぱりでして……」
 村一番の賢者は両手でカップを包み込むようにし、それに目線を落とした。彼の知識でもこの変異の原因が分からないのだろう。
 それでもミックは、ひとつの仮説を立てた。
「もしかすると、あれは天空人の空中宮殿かもしれません。このルッツ王国でも、そういう伝承が多いですから。近づけないのは、天空人が何か魔法を使って、我々を寄せつけまいとしているからかも」
 ミックが話すように、天空人の伝説には枚挙に暇がない。
 天空人というのは、今より何千年も前に地上で権勢を誇っていた魔法王国の末裔たちのことである。彼らの王国は、突如として襲った《大変動》によってほとんどが壊滅したが、中にはひとつの街ごと空へと浮かべ、その災厄から逃れたという言い伝えが、古今東西、至る所に残されていた。彼らの空中都市は、今も世界中の空を漂っているとも、星界にまで遠く飛んで行ったともされている。そして、彼らは天上から下界を見下ろしながら、いつか地上に帰る日を夢見ているのだ、と固く信じられていた。
「天空人の空中宮殿か。そうであれば興味深い」
 紅茶を音もなくすすりながら、ウィルは何の感慨も見せずに呟いた。
「ところでミックさん。ラナは?」
 早々に飲み終わってしまったイミール少年がここぞとばかりに尋ねた。ミックは途端に暗い表情になり、かぶりを振る。
「相変わらず眠ったままだよ」
「そう」
 イミールの表情も同じく沈んだ。そして、隣のウィルの方を向き、
「ラナっていうのは僕の幼友達なんだけど」
「薔薇の花が好きな女の子だったな?」
 ウィルはイミールの話を憶えていた。
「うん。でも、彼女は薔薇が村を覆う前、あることがあって以来、ずっと眠り続けているんだ」
「薔薇の花が出現する前から?」
「あっ、いや、旅の方にお聞かせするような話じゃないんですがね」
 イミールを遮るように、ミックが気まずくなった雰囲気をなんとかしようと口を挟んだ。目では厳しく少年を叱る。むやみに話すようなことではない、と咎めているのだろう。するとウィルは興味を持った様子だった。
「何かこの怪異と関係でも?」
「いえいえ、そういうわけではありません」
 ミックは慌てた。ずり落ちそうになった鼻眼鏡を中指で押さえる。
「ラナというのは私の姪――兄の娘になるのですが、先日、兄夫婦がクリピスへ出かけ、村へ帰ってくるというときに、どうやら山賊に襲われたらしくて」
 イミールは自分のことのようにしゅんとした。ウィルはここへ来る前に遭遇した二人の山賊ドグラとキールのことを思い出しただろうか。
「兄夫婦の遺体を発見したのは、予定していた帰りが遅くなり、心配になって様子を見に行った私でした。そのとき、すでに二人は事切れており、私が兄たちの遺体を村まで運んだのです。ラナの悲しみようは、それはもう見ていられないほどでした。葬儀が終わると、ラナはずっと家に閉じこもったままになってしまって。何日かした後、このイミールがラナの家を訪ねました。そこで見つけたのが、眠ったままのラナだったのです。最初は病気かと思いましたが、そうではありませんでした。はっきりとした原因は分かりませんが、おそらくは両親を失ったことによるショックのせいかと。身内は私しかおりませんので、ラナをこの家に引き取り、近くで見守ることにしたのです」
 ミックとイミールは、まるで申し合わせたように北側の部屋のドアを振り返った。おそらく、そこにラナが寝かされているのだろう。
「この辺に山賊は多いのか?」
 ウィルはミックに質問してみた。
「そうですね。人通りの少ない山道ですから、山賊が出ても不思議はないですが、普通はもっと栄えた町近くに出没するでしょうね。こんな山奥にまで出張って来るのは珍しいかも。まあ、それがヤツらにとっては狙い目だったのかもしれませんが」
「なるほど。あなたもよく村の外へ?」
「ええ。月に一回くらいはクリピスまで。ここでは揃えられないものも色々とありますからね。ほら、この紅茶とか」
「山賊に襲われたことは?」
「私はありません」
「ミックさんなら魔法が使えるから、もし山賊が出ても大丈夫ですよ」
 イミールが努めて明るく振る舞いながら請け合った。
「魔法といえば、マンセルではどのような勉強を? 一般的には白魔術<サモン・エレメンタル>だが?」
 ウィルに尋ねられ、ミックは頭を掻いた。
「いやぁ、魔法は基礎くらいしか学んでいないので。それよりも私は最新の農法とか土木関係が多かったんですよ。この村の発展に、少しでも力になりたかったものですから」
「それでは最初から、ここへ戻ってくるつもりで?」
「ええ、そうです。ここには私のすべてがあります。この村の他で生きるなんて、私には考えられません」
 ウィルはミックからの話を聞き終え、そろそろ辞去しようと立ち上がった。イミールもそうする。
「これからどうするのです?」
 ミックは黒衣の吟遊詩人に尋ねた。
「自分なりにこの変異を調べてみようかと」
「そうですか。何か分かったら、私にもお教えください。また、助けが必要なときはいつでも」
「そのときは」
 ウィルは帽子とマントを身につけ、外へ出ようとした。ふと、その足が止まる。
「そうだ。帰る前に姪御さんを見舞わせてもらおうか」
 ミックは少し戸惑ったようだったが、すぐに首肯した。
「どうぞ」
 案内されたのは、やはり北側の部屋だった。小さな寝室にベッドがあり、その上に一人の少女が寝ている。枕元には薔薇の花が飾られていた。
「これは僕が持ってきたんだ。ラナが目覚めたら、すぐに見ることができるように」
 イミールが恥ずかしそうに言った。
 ウィルは少女の顔を覗き込んだ。
「………」
 そのとき、どのような表情の変化も見せなかったのはさすがであったろう。ウィルがこのラナという少女と会うのは、これが初めてではなかった。
 それは、このウルの村へ来る前。二人の山賊に遭遇したときに、どこからともなく現れ、賊を三つ首の黒犬に襲わせて、何も言わずに去って行った少女。その少女とベッドに寝ているラナは瓜二つだった。
 だが、ミックやイミールの話によれば、そのとき、彼女はこのベッドの上で寝ていたはずである。ずっと眠り続けている彼女が村の外へ出て、山賊を襲うことなど不可能だ。では、ウィルの前に現れた、あの少女はいったい何者だったのか。
 ラナをじっと見つめていると、その首にしているネックレスに目が留まった。マーブル状の黒と赤が複雑に混ざりあった小さな石のネックレスだ。ウィルは指でそれに触れた。
「珍しい石だな」
「ああ、それは一年前、この村に帰って来るとき、マンセルで買い求めたものですよ。姪っ子に何かいい土産はないかと思ってね」
 ミックは取り繕うように応えた。
「何か謂われでも?」
「えっ? いやぁ、そういうことは何も。ただ珍しいと思って。これが何か?」
「いや」
 ウィルは特に何も言わず、ネックレスを元に戻した。


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