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ミックの家を辞したウィルは、山頂に忽然と現れたという宮殿を改めて眺めた。
「これからどうするの?」
そう尋ねたのはイミール少年だった。ウィルは答える。
「あの宮殿へ行ってみたいと思う」
「あそこへ?」
イミールは驚いた顔をした。彼が尊敬するミックでさえ辿り着けなかったのだ。この美貌の吟遊詩人に可能とは思えない。
「あの宮殿が現れたのと村を覆うように咲いている薔薇は無関係ではあるまい」
「そりゃそうだろうけど」
「オレは吟遊詩人だ。不思議なもの、興味のあるものは、この目で確かめてみたい」
そういう好奇心に関しては、イミールも理解した。イミールだって、行けるものなら宮殿を探索してみたいと思っている。
「分かった。止めやしないよ。もし、あそこに行けて無事に帰って来られたら、どんな風になっていたか僕にも教えてくれたら嬉しいな」
「約束しよう」
無表情な吟遊詩人は心なしか微笑んだように見えた。
ウィルはイミールと別れ、蜃気楼のような白亜の宮殿を目指した。
ミックが話してくれた通り、村からしばらくは道を塞いでいたはずの薔薇が取り除かれ、行程ははかどった。しかし、ウルの村が見えなくなったところで、目の前におびただしい数の薔薇の花が出現する。どうやらこの先への行軍は断念したようだ。
一度、村の方を振り返って誰もいないことを確認してから、ウィルは小さく呪文を唱えた。
「ヴィム!」
不意に風が巻き起こり、ウィルのマントを膨らませた。すると美影身はふわりと浮かびあがり、鳥のように飛翔する。風の上位精霊<ジン>の力によって自在に空を飛ぶ白魔術<サモン・エレメンタル>であった。
いくら道が閉ざされていようとも、空からならば関係なかった。ウィルは風のごとく飛行する。歩いて一刻ほどの距離ならば、すぐ到達できるはずであった。
ところがウィルの表情に珍しく懸念が浮かんだ。どういうわけか、目の前に見える宮殿が一向に近づかないからである。
ウィルは地上を見下ろした。眼下の緑や岩肌は飛ぶように後ろへと消えていく。にもかかわらず、前方にある宮殿も、その険しい山頂も、まるでウィルから遠ざかるかのように距離を縮めることはできなかった。
このことを訝しく思ったウィルは、空中で静止した。そして、自分が飛んできた方向を振り返る。
物事に動じることのないウィルではあるが、その内心はどうであったか。ウィルのすぐ後ろには、ウルの村がまだ見えていた。山頂に見える宮殿との距離も、飛び立つ前とまったく変わらない。つまり、ウィルは少しも進んではいなかったのだ。
試しにウィルは再度、飛行した。だが、結果は同じ。感覚では前へ飛んでいるはずなのに、実際には同じ場所から抜け出すことはできなかった。一応、村の方角へ向かって飛んでみると、こちらは正常に移動することができる。ただ、なぜか宮殿に近づくことは不可能だった。
一考したウィルは地上に降り立った。ここは山頂への道の途中。行く手にはいばらの繁みだ。つまりは元の場所である。ウィルは右手を前にかざした。
「バリウス!」
一陣の風が吹き抜け、薔薇の花を散らしながら、いばらは切り刻まれた。呪文によって生み出された真空の刃が新たな道を作ったのである。空からがダメなら地上から。ウィルは通行が可能になった山道を進んだ。
途中、何度も魔法を使わねばならなかったが、それでもウィルは進み続けた。だが、一刻以上が経過しても宮殿の門扉は見えてこない。いや、そもそも目的地に近づいているのか。再び先刻の疑念がウィルの頭をよぎる。
地上の道もまた、空と同様に宮殿へと通じているものではなかったらしい。振り返れば見覚えのある光景。ミックたちが途中まで道を切り開いた、あの場所だ。空から自分の位置を確認しても、やはりウルの村の近くから遠ざかることはできなかった。
「あの宮殿には辿り着けぬというわけか」
すべてが徒労に終わり、ウィルは独りごちた。やむなく村へ引き返す。
ウルの村へ戻ると、そこではひと騒動が持ち上がっていた。
また何か異変が起こったのか、村人たちが何かを喋りながら、ある方向へと小走りに駆けている。ウィルも興味をそそられたらしく、そちらへ足を向けた。
「あっ、ウィル」
黒ずくめの後ろ姿をイミールが見つけて声をかけてきた。ウィルが振り返る。
「もう戻ってきたの?」
「宮殿へは行けなかった。やはり何かの魔法でもかけられているらしい」
「へえ。やっぱり」
「ところで、この騒ぎは何だ?」
「僕もよく知らないけど、用水路がどうとかで」
二人は騒ぎの中心である現場へ行ってみた。
そこには多くの村人と一緒に、ミックが先に来ていた。ミックは髪を搔きむしるようにして、驚きを露わにしている。
「ど、どうして? どうして、こんなことが!?」
そこは村の外れ。多くの畑がある近くだ。村人が取り巻いているのは、大人が四、五人で両手を広げて、やっと抱えられそうな巨大な岩であった。
「あっ!」
それを見たイミールが思わず声を出した。
「どうした?」
ウィルは少年に尋ねる。イミールは信じられないという顔をしていた。
「あの大きな岩、一年くらい前まであそこにあったものなんだけど、用水路を造るときに邪魔なんで、ミックさんが砕いて撤去したんだ。それが元通りになっているなんて!」
イミールは大人たちを掻き分けて、さらに岩へ近づいた。そして、再び驚きの奇声をあげる。
「ウソっ!? これって……!?」
何かの発見をしたらしいイミールはウィルのところへ戻ってきた。
「驚きだよ、ウィル! あれ、紛れもない本物だ!」
「本物? どういうことだ?」
「だって――ちょっと来て!」
イミールはウィルの手を引っ張って、巨岩のある一部を指し示す。
「ほら、ここ。お城の絵が描いてあるでしょ? これはラナが彫ったものなんだ。いつか自分はこんな宮殿に住んでみたいんだって言ってたよ」
「この絵……」
「そう言えば、山頂に現れた、あの宮殿に形が似ているよね」
絵そのものは子供がらくがきした、非常につたないものであった。しかし、遠く山頂に見える幻の宮殿とそのシルエットはあまりにも酷似している。
「ラナ、この岩を撤去するってとき、すごく残念そうにしていたから、元に戻ったって知ったら、きっと喜ぶよ!」
少年はまるで我がことのように喜んだ。
そこへ一人の村人が駆け込んできた。
「おーい、大変だ! オレの家が消えちまったんだ! 誰か、知らねえか!?」
その村人は今にも泣きそうだった。村人たちは顔を見合わせて、今度はそちらへ移動する。ウィルたちもそれについて行った。
家が消えてしまったという場所には、代わりに大きな木が鎮座していた。村の者ではないウィルも、ここにこんな木があった記憶はない。
すると、これまたイミールが嬉しそうな顔をした。
「わあっ、この木まで! ――これもね、ラナのお気に入りだったんだよ! よくこれに登って、夕日を眺めていたっけ。でも、かなりの老木で倒れると危ないからって、やっぱり一年くらい前に切って、ここにあの人の新しい家を建てたんだ。でも、この木、以前に比べると枝ぶりもしっかりしていて、まるで若返ったみたい! これなら、また切り倒されちゃうなんてことはないよね?」
「この木も、か……」
「なんか、信じられないことばかりだけど、こんなに嬉しいことはないや! まるで夢を見ているみたいだ!」
「夢……」
ウィルは何かに気づいたように顔をあげた。そして、騒ぎになっているところからそっと離れる。
「どうしたの、ウィル?」
イミールがウィルの様子に気づいてついて来た。ウィルは黙ったまま、ミックの家に戻る。
ミックが不在にもかかわらず、ウィルは勝手に家へ上がり込んだ。そして、ラナの寝室へと入る。
先程と変わらず、ラナはベッドの上にいた。眠り続ける少女。ウィルは首にかけられたペンダントに触れた。
「やはり、これは《ナイトメアの石》」
「え?」
イミールには訳が分からなかった。
それに構わず、ウィルはこれまでの怪異を思い出す。
「山賊への復讐……村一面の薔薇……幻の宮殿……宮殿を描いた岩……思い出の木……」
「それがどうしたの?」
「すべては彼女の望み――つまりは夢だ。それが現実になっている」
「どういうこと?」
ウィルはペンダントを元に戻した。
「この村は彼女の夢と同化しつつある」
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