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吟遊詩人ウィル

夢幻の狂死曲<ラプソディ>

9.放たれた刺客

 それは奇妙な光景だった。
 ウィルを取り巻く数十人のラナ。それぞれが独自の動きをし、ウィルへ襲いかかろうとする。
 だが、狙われたウィルに動揺はない。素早く周囲に視線を走らせただけだ。
 それに構わず、刺客になったラナたちは前後左右から向かってきた。武器は所持していない。しかし、いくらなんでも人数が多過ぎる。
 ウィルはマントを跳ね除け、両腕を左右に突き出した。
「ディノン!」
 その手から放射状に光の矢が放たれた。しかも、それは一直線ではなく、個々の目標に向かって軌道を変える。白魔術師<メイジ>が使う攻撃魔法のひとつ、マジック・ミサイルだった。
 自動追尾の光弾はひとつとして逸れることなく、敵に回ったラナたちの胸を貫いた。いたいけな少女の身体がその威力によって次々と吹き飛ぶ。薔薇の花園に叩きつけられると、散った赤い花びらが彼女たちの鮮血のように宙を舞った。
 瞬時にして、数十人の刺客を屠ったウィル。これが普通の吟遊詩人に出来ることだろうか。
 敵を斃しても眉一筋すら動かさず、ウィルはマジック・ミサイルを発射した姿勢のまま止まっていた。まるで何かの気配を探るかのように。
 かくして、勝負は呆気なくついたかに思われた。が――
 不意に斃されたラナの一人が、ムクッと起きあがった。胸には風穴が開いている。生身の人間であれば死んでいるところだ。
 それを合図にしたかのごとく、他のラナも続々と起きあがった。どのラナを見てもマジック・ミサイルが正確無比に心臓を貫いている。それなのに動けるとは。
 山賊のドグラとキールによって殺されたはずのデイモン、ロレーン夫妻が、ウィルに襲いかかって来たのに似ている。
 しかし、ラナたちがまともな人間ではないように、対する美しき吟遊詩人もそれ以上の得体の知れなさを持っていた。この怪異を目の当たりにしても、やはり動じる様子はない。冷静さを失うことなど、この男には有り得ないことなのかもしれなかった。
「さて、次はどう出る」
 ウィルの呟きは、ここにいるラナたちへ向けられたものではないようだった。だとすれば、誰に対するものだったのだろうか。
 おもむろにウィルはしゃがんだ。そして、右手を大地に押し当てる。
「セル・サリベ」
 呪文が唱えられると、ウィルを中心として、咲き乱れる薔薇がそよ風に揺れたかのように、庭園に波紋が描かれた。
 次の刹那、薔薇の花はいばらを持った触手と化して、包囲網を縮めようとするラナたちの脚に絡みつき始めた。そして、さらには脚から頭の先まで蔦のように伸び、雁字搦めにしてしまう。すべてのラナは薔薇のいばらによって捉えられてしまった。いくらもがこうとも、この拘束から脱出するのは不可能だ。
 ウィルは高く跳んだ。いや、飛んだ、と言った方が正しいかもしれない。それほどの高さだった。
 すると、ラナたちを絡め取ったいばらの触手は、それまでウィルがいた地点に向かって勢いよく引っ張られた。あたかも伸びていたゴムが収縮するかのように。そのため、ラナたちの身体は引き倒され、薔薇にまみれながら、引きずられた。
 あっという間に、数十人のラナたちは一か所に集められた。しかも身動きが出来ない。それを上空のウィルが冷やかに見下ろした。
「ヴィド・ブライム!」
 空中のウィルの手には、灼熱に膨れ上がった火球が生まれた。ファイヤー・ボールだ。それが無情にもラナたちのいる地表へと投下される。
 地に落ちた火の玉は数十倍に膨張し、膨大な熱量と大気を震わせる轟音を生じさせた。これを喰らったラナたちはひとたまりもない。いくら不死であろうとも、一網打尽だ。
 さらに炎は薔薇の花園を焼き、白亜のヴァルハラ宮を紅蓮に染め上げた。



 足下から突き上げられるような振動を感じ、デュークは端正な顔を醜く歪めかけた。すぐに気を取り直すが、口には苦いものが込み上げてくる。吟遊詩人のウィル。とんでもないヤツが入り込んだものだ。
 わずかな隙にヴァルハラ宮の中へ逃れ、ダミーのラナにウィルの相手をさせたデュークであったが、思った以上に敵は手強そうだと認めずにはいられなかった。しかも、ただの吟遊詩人を装っていたが、マジック・ミサイルやファイヤー・ボールを扱える白魔術師<メイジ>でもあるらしい。それについては、自分の意思でこの世界へ来た時点で、ある程度の予測をしていたのから今さら驚きはしないにしても、やはり警戒すべき点はデュークの正体を見抜いていることだろう。
 だからといって、まともにやり合い、その結果、自分が負けるとは思っていないデュークであった。何と言っても、ここはデュークが支配する世界なのだ。ラナが夢想していたヴァルハラ宮や薔薇の庭園が具体的な形となってはいるが、それはあくまでも世界を構成する因子に過ぎない。
 とは言え、あのウィルという男に底知れないものが秘められているのは否めなかった。たかが人間に怖気づくなど、デュークからしてみれば馬鹿馬鹿しいとしか思えないが、不確定要素は確実に排除しておくに限る。
 ラナの部屋へと向かいながら、デュークは決心した。
「クライマン・ザヒーバ」
 デュークの傍らに二匹のグレムリンが出現した。デュークが黒魔術<ダーク・ロアー>によって呼び出した使い魔だ。
 次に空間にゲートを開く。こちらの世界と現実世界を繋ぐ穴だ。そこへ二匹のグレムリンを放つ。
「行け。ヤツの本体を見つけ、始末しろ」
 グレムリンはゲートを潜り抜けた。
 その先は現実世界のウルの村であった。
 コウモリに似た翼を持つ邪悪な妖精グレムリンの姿を村人の誰かが見かければ、きっと騒ぎになったことだろう。しかし、グレムリンも多少の魔法を使えた。姿隠し<インビジブル>だ。そのおかげで、誰の目も気にすることなく、自由に村の中を飛び回ることが出来た。
 グレムリンはデュークに命令されたとおり、ウィルの本体を捜した。今、ウィルは眠ることによって、ラナが見ている夢と同調し、その世界に存在しているのだ。とすれば、今、現実世界にいるウィルは完全に無防備ということになる。そこを襲おうというのが、デュークの計略だ。
 もしも、現実世界のウィルが死んでしまえば、こちら側でデュークを脅かしているウィルも消えることになる。これこそが最も簡単な対抗策だった。
 やがてグレムリンは一軒の家を調べた。イミール少年の家である。グレムリンはこれまでと同じように、姿を消したまま中を覗いた。
 すると、薄汚れた窓越しに、ベッドに横たわっているウィルを発見した。ウィルは胸の上で手を組み、目をつむっている。眠っているのは間違いない。
 使い魔であるグレムリンが目にしたもの、耳にしたものはすべて、それを使役しているデュークにも伝わっていた。ウィルの姿をグレムリンの目を介して確認したデュークはほくそ笑む。早速、グレムリンに始末させるようコントロールした。
 一旦、家の表に回ったグレムリンは、玄関からの侵入を試みた。窓を割っての侵入だと、万が一、ウィルが起きてしまうかもしれない。その可能性を考慮したからだ。
 玄関に鍵は掛かっていなかった。姿を消したまま、中へと忍び込む。ウィル以外の家人の気配を探ったが、誰もいそうもない。イミール少年はどこかに出かけているようだ。これは好機と言えた。
 二匹のグレムリンは術を解き、姿を現した。他の呪文を使うには、姿隠しを解いておく必要があったからだ。そうして、ウィルが眠っていた部屋を捜し当てる。
 あとはウィルを始末するだけだった。下級の使い魔であるグレムリンでも無防備な魔法使いを相手にするのだから容易のはず。
 デュークも成功を確信した。
 だから、部屋のドアを開けたとき、グレムリンもデュークも信じられないものを見て、一瞬、状況の把握が出来なかった。
「やはり来たか」
 ドアの向こうにはウィルが立っていた。トレードマークである旅帽子<トラベラーズ・ハット>も黒いマントも身につけている。とても今までベッドで寝ていた姿ではなかった。
「馬鹿な……」
 グレムリンを通し、起きているウィルを見たデュークは愕然とした。そんなはずがない。ヤツが起きているなどということは。
 しかし、ウィルは確かに立っていた。その美しき相貌は笑みさえ浮かべている。今まで見たこともない残忍な笑みを。
「残念だったな」
 動きを止めているグレムリンの一匹にウィルは手を伸ばした。頭を鷲掴みにする。まるで熟した果実みたいに、そのまま握り潰した。
「ぐああああああっ!」
 使い魔の感覚は術者にも跳ね返ってくる。少し、その繋がりを断つのが遅れた。そのせいでデュークは頭が割れるような痛みを覚え、喉の奥から絞り出すような苦鳴をあげる。
 素手で使い魔を殺したウィルは、残るもう一匹にも目を向けた。生き残りは、その場から逃げようとする。それに向かって、ウィルはグレムリンの死体を投げつけた。
 床に叩き落とされたグレムリンは、バタバタと翼をはためかせ、必死にもがいた。しかし、飛び上がれない。そのグレムリンへ、非情なる吟遊詩人は片脚を上げた。
「こんな雑魚でオレを殺れると思うな」
 デュークは二匹目のグレムリンが踏み潰される前に術を解いた。痛みが襲ってくることはなかったが、しばらくして、自分が荒い呼吸をしていることに気づく。冷や汗をかき、回廊でひざまずいていた。
「なぜだ……なぜ、ヤツは……」
 ウィルがこの世界にいるということは、現実世界では眠りについているということのはずだ。それなのにウィルは眠ってはおらず、現実世界へ送り込んだ刺客を難なく退けてしまった。デュークには何がどうなっているのか分からない。
 ただひとつ確かに言えることは、ウィルの暗殺に失敗したということだった。


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