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吟遊詩人ウィル

夢幻の狂死曲<ラプソディ>

10.夢より来たりて

 燃え盛る庭園を背に、ウィルはヴァルハラ宮の中へと足を踏み入れた。
 入口からは巨大な回廊が真っ直ぐに伸びている。どこまで続いているのか。先を見据えるが、反対側がどうなっているのかさえ確かめられないほどの長さだ。床の大理石は鏡のように磨かれ、大木も及ばない太さの柱が高い天井を支えていた。
 ウィルは進んだ。床を歩く足音だけが虚しく響く。ひょっとすると、この世界で存在しているのはウィルだけなのではあるまいか。気味の悪い静寂が張り詰めていた。
 それでも美しき吟遊詩人は歩いた。ただ悠然と。
 その姿をデュークは別の場所で見ていた。もちろん、魔法によるものだ。
 今、ウィルが歩いているのは無限回廊。入口はあっても出口はなく、迷い込んだ者は、一生、出られない。普通の人間ならば、やがて歩けなくなり、勝手に朽ち果ててくれる。ここが夢という時間の流れが忘れられた世界であっても。
 しかし、デュークはそれで安心はできなかった。この男は出口がないはずの無限回廊をいつか突破するのではないか。その疑念をそうしても頭の中から払い除けられない。そのときウィルは、ラナがいるところか、あるいはここへ辿り着くだろう。それは予感めいたものだった。
 ただの人間に対し、こんなにも脅威を感じていようとは、デュークは自分が腹立たしかった。人間など、ひと捻りのはず。それが――
 現実世界へと送った刺客のグレムリンもウィルにあっさりと片づけられてしまった。そもそも、ラナと同じ夢を見ているはずのウィルは現実世界で眠りについているはずなのに、どうして待ち構えていたかのように起きていられたのか。その不可解さもデュークを混乱させる。
「こうなったら」
 デュークは自ら現実世界へ赴くことにした。なぜ、ウィルにそんなことが出来たのか。その秘密を確かめずにはいられなかった。
 一旦、ラナの夢から抜け出し、デュークは現実世界のウルの村へ飛んだ。グレムリンを送り込んだことで、ウィルがいる家は分かっている。とはいえ、デュークの姿のまま村をうろつくのは賢明ではない。こういう辺境の村は余所者に敏感だ。見咎められるのは面倒だと判断し、グレムリンのときと同様、姿隠し<インビジブル>を使って移動した。
 イミール少年がウィルに寝床を貸した家は、すぐに見つかった。ふと、家ごと吹き飛ばしてしまおうか、とデュークは考える。確かに手軽で確実な方法かもしれないが、それではウィルの秘密を解き明かせずに終わってしまうだろう。結局、手荒な手段は取らずにおいた。
 デュークは術を解くと、いきなり中へ入った。
 そこには、まるでこの家の主であるかのように、ウィルが足を組みながら椅子に座っていた。予想はしていたが、正面から鉢合わせする格好だ。その姿はラナの夢の中と同じ。もちろん、眠ってなどいなかった。
 突然のデュークの登場に、ウィルは微かに眉をひそめた。当惑の表情を一瞬だけ浮かべたようにも見える。
「まさか、自ら乗り込んでくるとはな」
 さすがのウィルも、デュークが夢の世界を離れ、ここまで来ることまでは予期していなかったらしい。
「なぜ起きていられる?」
 デュークは、直接、疑問をぶつけた。ウィルは微笑する。
「寝込みを襲う目論見が崩れたか。意外と卑怯な手を使うのだな」
「黙れ。一体、どうして……」
「外へ出ないか?」
 質問をはぐらかすように、ウィルは立ちあがって言った。デュークは冷笑するウィルの顔を睨みながら、それに異議を唱えない。二人は村の外まで移動した。
 その間、デュークは違和感のようなものを抱いていた。今、目の前にいるウィルとラナの夢の中に現れたウィル。何か違うような気がする。
 しかし、それが何なのかという確証が持てぬまま、二人は改めて対峙した。村はずれの荒れ地だ。ここならば村人もやって来ないだろう。魔法の応酬も出来そうだ。
「さあ、いつでもいい。かかってこい」
 ウィルはデュークを挑発した。まるで戦うことを喜びとしているようでもある。そんな好戦的な素振りは、夢の中で会ったウィルにはなかったはずだが。
「何を考え込んでいる? 来ないなら、こちらから仕掛けさせてもらう」
 不意にウィルが左へ動いた。デュークは先手を取られる。ウィルが呪文を唱えた。
「ベルク!」
 電撃がデュークへ走った。衝撃に備えるべく、自らの魔力を高め、魔法抵抗<レジスト>を試みる。が、ウィルの魔力も高い。電撃のすべてを跳ね返すことができず、デュークは不覚にも人間ごときと侮った魔法にダメージを負わされた。
「くっ、やったな! お返しだ! ベルクカザーン!」
 反撃として、デュークは電撃系の上位魔法を使った。凄まじい雷光がウィルを襲う。
 だが、それよりも早く、ウィルは上空へ逃れていた。デュークもそれを追う。
 しばらく山岳地帯の真上では、魔法の撃ち合いが繰り広げられた。デュークは、人間の身でありながら魔法に長けているウィルに対し、舌を巻く。さすがは人間の身でありながらラナの夢の中へ入ってきただけのことはある。こんな相手にお目にかかったことは、これまでに一度もない。
 空中戦は、まさに火花と火花を散らす一戦になった。しかし、両者の魔法は拮抗しており、なかなか決定打には至らない。このまま長期戦に持ち越されるかと思われた。
 それを嫌ったのはデュークだった。ウィルと戦っているうちに、そもそも、こうして自ら現実世界へ赴いたことが間違いだったと思い始める。こんな直接的なやり方は、普段のデュークのものではない。相手に乗せられるようにして、自分のフィールドである夢から出て来てしまったことが愚かしかった。
「ヴィド・ブライム!」
 ウィルのファイヤー・ボールが頭上をかすめたところで、デュークは地上に急降下した。いきなりの撤退に、ウィルは訝る。
「逃げる気か?」
「何とでも言うがいい」
 デュークは挑発を無視し、ウルの村へ逃げ込んだ。それを見たウィルもデュークを追いかける。簡単に逃がすわけにはいかなかった。
 ところが、村の中に着地したウィルは、不覚にもデュークの姿を見失っていた。ひょっとすると、そのままラナの夢の中へ舞い戻るつもりなのかもしれない。
 だが、いくらデュークが夢に棲む者であろうと、夢と現実を自由に行き来できるとは思えなかった。ウィルも自分の精神体を送り込むべく、高位の魔法を用いた。デュークも何かしなければ戻れないだろう。しかもデュークの場合は現実世界に本体を残さない。ということは、ウィルとは違う方法を用いる可能性が非常に高いことになる。
 その鍵となるものに関して、ウィルには心当たりがあった。ミックの家で眠っていたラナを見舞ったときに気がついた、彼女の首にかけられていた《ナイトメアの石》である。
 ミックはそれを王都マンセルで買い、姪っ子にプレゼントしたと言っていた。果たして、《ナイトメアの石》に関して、ミックがどれほどの知識を持っていたか定かではないが――おそらくは珍しいアクセサリーという程度の認識しかなかったのだろうが――、あれこそがすべての元凶である。ラナは《ナイトメアの石》を身につけたことによって、夢の中に捉われたのだ。
 だからといって、単純にそれを外せば解決するという問題でもなかった。ラナを夢の中に縛りつける存在――すなわちデュークを彼女の夢から排除しなければならない。
 そういう意味では、今こそがチャンスだった。ウィルに理由は分からないが、どういうわけかデュークはラナの夢から離れ、現実世界に姿を現している。デュークを斃すなら、こちらにいる今だ。
 おそらく、デュークがラナの夢の中へ戻るには、彼女が身につけている《ナイトメアの石》が必要なのに違いない。だとすれば、デュークが向かっているのは、彼女がいるミックの家ということになる。
 ウィルはミックの家へ急いだ。デュークが夢の中へ逃げ込む前に決着をつける。それが最善の策だ。
 しかし、その足が、ふと止まった。ミックの家は、まだこの先。だが、この美しき吟遊詩人は異質な気配を感じ取り、それを見逃さなかった。
 軒先に置かれた椅子に一人の老婆が座り、居眠りをしていた。ひなたぼっこをし、こっくりこっくり、舟を漕いでいる。貧しくも平和な日常の光景。しかし、その老婆が人間でないことをウィルは易々と見抜く。
「逃げたかと思ったが。そう言えば、お前は化けるのが得意だったな。村人に化けて、不意討ちをしようという魂胆か。生憎だが、オレにそんな小細工は通用せん」
 ウィルは鋭い眼光を老婆に向けた。だが、老婆は微睡んだまま、何の反応も示さない。あくまでも騙し通そうと言うのか、それともウィルの気のせいだとでも言うのか。
「その程度の策しか弄することができないとは。ならば、このまま葬ってやろう」
 ウィルは非情に徹し、トドメの呪文を唱え始めた。
 と――
 突然、ドン、と腰に衝撃を感じ、呪文の詠唱は中断された。ウィルがゆっくりと振り返ると、そこにいたのは眠っていたはずの老婆。何が起こったのか、ウィルはもう一度、椅子に座った老婆に視線を戻した。
 瓜二つの老婆がいた。しかし、すでに軒先にいる老婆は寝てなどいない。歯が二本しかない口をニタリと開け、愉快そうに笑っている。その姿はウィルが看破した通り、デュークへと変じた。
「油断したな。村人に化けた僕を見つけて」
 勝ち誇ったデュークの姿が斜めに傾いだ。いや、斜めになったのはウィルの方である。
 ウィルの腰には包丁が深々と突き刺さっていた。老婆の仕業である。デュークが化けたニセモノではなく、この家に住んでいた本物の老婆だ。
「僕は変身の他にも、人間を操ることも得意なんだよ。悪夢を見せて、現実と思わせる。今、この老婆には子供たちをさらいに来た山賊が見えているはずだよ。自分の生命も顧みず、必死の抵抗ってわけだ。自分の子供なんて、とっくの昔に死んだことも忘れてね」
「み、自ら……囮に……」
「その通り。案の定、引っかかってくれたよ。さあ、今度は僕が言ってあげようじゃないか。『このまま葬ってやろう』って」
 デュークの手には、いつの間にか、死神が持つような大鎌<サイズ>を握られていた。それを大きく振りあげ、横に薙ぎ払う。
 深手を負って動けないウィルは、デュークの一撃を避けることも出来ずに首をはねられた。


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